氷帝カンタータ
番外編 えちぜん君のおうち
「……すいません、これ私が先に掴んでたんで。」
「いやいや、お嬢ちゃん。どう考えても俺の方が先だったぜ。」
年末のある日。
私は、大掃除をする準備のため近所のホームセンターへ買い出しに来ていた。
お目当ては、床掃除用洗剤。
いつも愛用している洗剤なので、売り場もわかっている。
とりあえず洗剤を買って、用具も色々と買ったら…
お昼ご飯の準備も買って帰って…
なんて考えながら売り場へ向かうと、
見慣れない服で売り場をウロつくおじさんがいた。
……作務衣?なんだろう、不思議な人。
あまり気にしないようにして、売り場で洗剤を探す。
蛍光色のピンクが目印のあの洗剤…は…
棚を見渡すと、1つだけぽつんと残された洗剤。
あぁ、大掃除シーズンだから皆買って行くんだろうなぁ。
最後の1つがあって良かった―…と手を伸ばした瞬間だった。
かちあう目線。
…さっきのおじさんだ。
「…大人げなくないですか?」
「悪いが俺は一番大人げない大人だからな。さ、観念して譲りな。」
「それは出来ません。…あの、おばあちゃんの遺言で、最後にこれを買ってきて欲しいって…」
「そんなバレバレの嘘で何とかなると思ってるのか、嬢ちゃん。」
「本当なんです、だから私の洗剤から手を離して下さい。」
「いーや、俺のだ。」
…っく…、何なのこの大人…!
それでも離すもんか、だって…だって、もう他のホームセンター行くのとか面倒くさい!
それに、隣の棚を見てみればこの洗剤の別の匂いのバージョンが置いてある。
おじさんなんだから別に匂いとか気にしないでしょ、そっちにしなさいよ…!
「あ、そっちの緑の方は森林の香りがするやつみたいですよ?
おじさんには、このフローラルな薔薇の香りよりそちらの方がいいのでは?」
「いや、なんか今更後に引けなくなってきたからな。こっちが良い。」
「そんな軽いテンションなら、こっちは譲ってくださいよ!私はこの薔薇の匂いじゃないと
イライラしたり夜も眠れなかったりという、諸症状が出ることが年に1回あったりなかったりするようなこともあるんです!」
「……よし、それほど言うなら1つ提案がある。もうこの洗剤の容器もベコベコに凹んできてるしな。」
確かに、私達の争いはヒートアップし
可哀想な洗剤はちょっとボロボロになっていた。
一旦、2人とも洗剤から手を引き
おじさんの言う、提案とやらを聞いてやろうと思った。
「俺は今、大掃除をしている。」
「私もです。」
「…で、だ。この洗剤を使う部分はそんなに多くねぇ。」
「だったら…」
「だから、そこで提案だ。お嬢ちゃん、一旦俺の家に来て掃除が終わるのを待っててくれねぇか?」
「……へ?」
「で、余った分をお嬢ちゃんにやる。もちろん費用は俺が負担しよう。」
「………んー…?」
「どうだ?悪い話じゃないだろう。」
……確かに。
もうこの洗剤を諦めるという考えはとっくになくなっていて
こうなったらおじさんとのガチンコ★ファイトしかないかと思っていたけど、
予想以上に平和的解決を提案されたために、ちょっと拍子抜けしてしまった。
…費用も負担してくれるっていうなら…悪くない話かもしれない。
「…わかりました、その条件、呑みましょう。」
「話のわかる子で良かった。じゃ、行こうか。」
・
・
・
「おじさんの家ってどこにあるんですか?」
「なーに、そんなに遠くないさ。歩いて10分ぐらいだ。」
「へぇー…。」
フラフラと歩くおじさんについていくこと5分。
……なんか、あの時はお金の計算しかしていなくて
美味い条件にのったような気がしていたけど…
よくよく考えてみると危ない…んじゃないか?
よく「知らない人にはついていっちゃいけない」って言うし…
そんな幼稚園児でもわかるようなことをスッカリ忘れるなんて…。
段々と、ちょっと怖くなってきた私は
頭の中で随分と葛藤した。
洗剤を諦めるか、自分の身を守るか。
……だけど、そんなの答えは決まっていた気がする。
「……あの、おじさん…ちょっと私用事思い出したので…」
「なんだよ、今更。ほら、あとちょっとで着くぞ。」
「ちょっ…や、やめてください!洗剤ひとつぐらいでこの清らかな身を渡すわけには…!」
逃げ出そうとする私の腕を掴むおじさんに、
いよいよ心臓がバクバクとなりだした。
悪い人には見えないけど、やっぱり私は危機意識がなさすぎた…!
こうなったら…もう叫ぶしか…!!
「…何やってんの、親父。」
妙に聞き覚えのある声が後ろから響いた。
後ろを振り返ってみると、そこにいたのは…
「…おー、リョーマ。」
「遅すぎるから、菜々子さんが探しに行って欲しいって。…っていうか…なんでも一緒なの?」
「お…お師匠様?え、知り合い?」
…というか、さっきの第一声で親父って言ったのは…
たぶん、私の事ではないと思いたいし…
ということは、このおじさんは…
「なんだ、リョーマの知り合いかよ。」
「…お師匠様のお父様?」
「親父、どこで見つけてきたんだよ。」
「ちょっとこの洗剤を巡ってバトってな。さ、ほら早く行くぞ。」
まさか、こんな運命的なことってあるのでしょうか。
…そう言われてみれば、どことなくお師匠様の顔立ちに似ているような気もしなくはない。
安心したのと、びっくりしたのとでボーっと立ちつくす私に
お師匠様が声をかけてくれた。
「……何、家に来るの?」
「あ、ちょ…っと契約がね。まさかお師匠様の家とは思わなかったけど。」
「…俺の親父って知っててついてきたんじゃないの?知らない奴についてきたってこと?」
「う…、いや…。」
「馬鹿じゃないの?…普通、危ないと思うでしょ。」
「な…なんとなく、悪い人には見えなかったから…。」
「悪い人がみんな悪い顔してる訳じゃないってことぐらい、わかるでしょ?本当呆れる。」
「す、すいません…!」
「…はぁ、とりあえず親父と何かあるんでしょ。行こ。」
「…うっ…お恥ずかしい限りでございます…。」
なんてしっかりした中学1年生だ…!
仰る通り過ぎてぐぅの音も出ない…!
スタスタと歩いて行くお師匠様の後ろをついていくこと10分程。
大きなお寺?らしきものが見えてきた。
「……このお寺がお家なの?」
「そ。早く入ったら?」
「い…意外だ…。なんか勝手にお師匠様はヴェルサイユ宮殿みたいな洋風のお家だと思ってた。」
「何それ。……カルピン。」
「わっ…それ飼い猫?ふわふわだー。」
「うん。カルピン。」
「カルピンって言うんだ…こっちは洋風…。あ、っていうかヤバイ。お師匠様が猫ちゃん抱っこしてる姿がヤバイ。」
「何がヤバイの?」
「か…可愛い+可愛いで破壊光線ぐらいの威力になってる…!めちゃくちゃ可愛い…!」
「…………薄気味悪い。」
「あ、気をつけて。お師匠様がそういうこと言うと逆効果でちょっとキュンとしちゃうからね。」
「もう黙って。」
・
・
・
「ほら、雑巾がけだ雑巾がけ。」
お師匠様のお寺の広さに圧倒されつつも、
家の中に通される。
菜々子さんというお師匠様の従兄妹のお姉さんはとっても綺麗でドキドキした。
お師匠様のお父様は、なんだかどう考えてもお師匠様と血縁関係だと思えない程
ラフというか…なんか…ポップな感じの親父さん。
そんなお父様にぽん、と手渡された雑巾にハテナマークが飛ぶ。
……ん?隣で、同じく雑巾を手渡されているお師匠様に目線を送ってみると
はぁ、とため息をつかれてしまった。
「……もしかして、私に雑巾がけをしろと?」
「そうだ。リョーマの嫁ならそのぐらいできねぇとな。」
「はい!はいはい!雑巾がけをしたらお嫁さんにしてもらえるんですか!」
「してもらえない。」
「考えてやらなくもねぇな。ほら、さっさと行って来い。」
「絶対ですからね!その言葉、未来永劫忘れませんからね!」
ケラケラと笑うお父様と、面倒くさそうにため息をつくお師匠様。
…いつもジャージ姿のお師匠様しか見たことなかったけど、
家ではこんなにラフな格好してるんだ。
帽子をかぶってない姿も新鮮だし…あぁ、本当に可愛い…。
久しぶりに目の保養が出来て、テンションが上がる私を
横目で見て、何か危険を察知したのかフイと目を逸らして
そそくさと廊下掃除に勤しむお師匠様。何だかネコみたい。
お師匠様に続いて、私も廊下の掃除をしようと
雑巾を思いっきり絞る。……こんな長い廊下の掃除なんて
小学生以来でちょっと楽しいな。
そういえば、あの頃はよく雑巾がけ競争なんてものをしていた気がする。
1位の子には商品があったりしてさ…
「……お師匠様、雑巾がけ競争してみない?」
「…何それ。」
「簡単だよ。ここから、あの廊下の端まで、早く着いた方の勝ち。もちろん商品もつけてね。」
「面白そうじゃねぇか。女の子に負けるなよー、リョーマ。」
「うるさい。…で、商品って?」
「私が勝ったら…んー…どうしようかな…あれも捨てがたいけど…んーでも、お師匠様のパジャマが欲しい!」
「頭おかしいんじゃない。」
ップっと噴き出したお父様に、思いっきり顔をしかめるお師匠様。
……ちょっと冗談っぽく、でも本気で言ってみたんだけど、やっぱり難しいか…。
と、なると次は何で攻めていこうか…、意外と使用済みタオルとかなら大丈夫なのかな…?
「お嬢ちゃん、これはどうだ?」
次なる提案を持ちかけようとしたその時、
お父様に手渡されたのは、少し古い写真だった。
「え…これって…」
「小さい時のリョーマだ。」
「ふ…ふわああああ!え、えっ、もらえるんですか?!どうしよう可愛い、欲しい!」
「…つくづく変な嫁だな。くれてやるよ、勝ったらな。」
「だから嫁じゃない。も、変なもので喜ばないでよ。」
「だ…だって、これ普通じゃ手に入らないお宝だよ?…よし、絶対勝つ…!」
「ちょっと待ってよ。俺が勝ったら何もらえるの?」
「……うーん、お師匠様のお宝写真が商品となった今、お師匠様が私に勝てる確率は0に近いけど…」
「そんな訳ないじゃん。」
ムっとしたお師匠様の顔も、可愛い。
だけど、この試合。絶対負けるわけにはいかない。
取り合えず、お師匠様が勝った場合の商品は後で決めることになり
(私の写真を提案したけど、光の速さよりギリ早いぐらいの反応で「いらない」だって。)
両者ともにスタートラインにつく。
「……何その、構え。」
「…スタートダッシュが肝心だからね…。」
お尻を高く上げ、スタートダッシュに命をかける私のフォームに
首をかしげるお師匠様。…そんな丸腰で大丈夫かしら?
「よし、んじゃ行くぞ。よーい……どん!」
「うっぉぉおおおお!」
「……っ!」
「おお、言うだけあって早いじゃねぇか嬢ちゃん。」
・
・
・
「……っう……ぐすっ…っふ…」
「………泣く程のことなの?」
「……うっだっ…だって…あそこで猫ちゃんが飛び出して来なければ間違いなく勝ててたのに…。」
あと数メートルで私が勝つというところで、急に私の目の前に飛び出して来た猫ちゃん。
びっくりして急ブレーキをかける私の横を無情にも駆け抜けて行ったお師匠様。
お父様の愉快な笑い声と、「リョーマの勝ちだな」の声でやっと我に帰った。
……あの写真は…もらえないんだ…
そう思うと急に悔しくなった。
レース中に障害物が出てくることなんて、ゲームで何度も経験してるのに
なんであそこで私はかろやかにジャンプ出来なかったんだろうとか、
お師匠様は相変わらず淡々と勝利をもぎ取るよね、とか色々考えていたら
つい涙が零れ落ちてしまった。
泣いたらなんとかなるなんて、そんなこと今まで一度もなかったから
何か別の展開を期待していた訳じゃない。
だけど、目の前にいるお師匠様は、なんだか心配そうに私を見つめている。
……もしかして…この展開は…
「そんなに泣くほど欲しいなら、あげるよ。仕方ないから。」
なんていう女神さまの御慈悲ルートなのでは…!?
少し期待しつつ、顔をあげてお師匠様の目を見ると、
やはり何かを言おうと口を開いたところだった。
「………俺が勝ったから商品。」
「まさかの現実ルート!…え…あ、そうですね…商品でしたよね…。」
「はっはっは、お嬢ちゃん。この洗剤は約束通り持って帰っていいからな。」
「あ…あざまっす…。いただいて帰ります…。」
「……、ちょっとこっち来て。」
「はい…あ、でも私今年はお年玉期待できそうにないからあんまり高価な要求とかは…」
お師匠様に手を引かれて連れてこられたのは
大きな蔵?倉庫?の前だった。
「ここ、掃除しなきゃなんないんだけど手伝ってくれない?」
「そうなんだ、いいよ。」
「箒持ってくるからちょっと待ってて。」
「はーい。」
そう言って、蔵の裏へと回っていくお師匠様。
…しかし、跡部の家も相当だと思ってたけど
お師匠様の家も中々の敷地面積だな…お寺だもんね…。
この蔵も相当面積がありそうだから、
掃除するとなると結構時間かかりそうだな…。
これは自分の家の大掃除はまず今日中には終わらないな…、
なんて考えていると、2本の箒とちりとりを持ったお師匠様が現れた。
・
・
・
「うわー…ここ電気とかはあるの?暗いねぇ…。」
「そう言えば電球が切れてるって菜々子さんが言ってた。」
「そうなんだ…。じゃあとりあえず扉を開けて…外の光で何とかするしかないね。」
少しひんやりとした蔵の中。
薄暗い中で、箒をザカザカと動かす音だけが響き渡る。
…ああ、でもこれ箒だけじゃなくて箱の上の埃とかも払った方がよさそうだよね。
「ねぇ、お師匠様。何か雑巾とかって…」
そう言って後ろを振り返った瞬間。
急に光の筋が細くなり、蔵の中が暗くなる気がした。
先程まで開いていた蔵の扉の方へ振り向くと
その時にはもう、びっちりと扉は閉ざされていた。
真っ暗になった蔵の中で、急に不安が襲う。
「えっ?!ちょ…ちょ、何?!」
「……誰かが扉を閉めた。」
「えええ?!は、早く開けようよ見えない…!」
「おーい!頑張れよ青少年!ははっはっは!」
「………。」
聞こえた声は間違いなく、先程のお父様の愉快な声だった。
何の冗談かと思い、扉を開けようとしてみるけれど
内側からはビクともしない。
「……お師匠様、開かない。」
「外からしか開かないからね。」
「……っ…え、じゃ、じゃあお父様に頼んで開けてもらおう?」
「…たぶん開けてくれないんじゃない?」
「なんで?!」
「また何か悪ふざけしてんでしょ。………とりあえず早く掃除しちゃおう。」
「適応能力が高い!れ、冷静だねお師匠様!」
薄暗い中でぼんやりと見えるお師匠様の影。
光がなくなってしまった今、私はもう掃除どころじゃない。
……こんなこと言うのは、何となくイヤなんだけど
実はこう…お化け屋敷とかの類が苦手なわけで…
つまりよく知らないこんな暗い場所に閉じ込められると…
「……っあ、携帯は通じる!」
「………。」
「こういう時は…跡部に電話してみるか…」
「………。」
困った時の跡部。
あいつなら…なんかSP的な方とかを派遣していただけるかもしれない…!
もちろん法外な報酬を請求されるのだろうけど、
今のこの不安な状況を脱出するためなら…!
メールを打とうと携帯を開くと
すぐ近くにお師匠様がいて、私の手からスっと携帯を奪い去った。
「あっ!…え?」
「…なんでこの状況であの人を頼ろうとすんの?」
「いや…、お師匠様は知らないかもしれないけど、跡部は一日で宮殿を建てれるぐらいの
無駄な経済力を持っているので、何らかの方法で私達を救ってくれるかもしれないんだ…」
「……。」
自分でもよくわからないプレゼンをしてしまった。
お師匠様は、薄暗い中でも分かるほどにムっとした顔をして、
私の携帯を自分のポケットへとしまった。
……万事休す…。
そのまま、何も話さず箒を動かすお師匠様。
私は、もう今の状況がわからなさすぎていよいよ泣きそうだよ。
……でも、取り合えず分かるのは何故かお師匠様はご機嫌斜めということだ。
…なんだろう、早く掃除を終わらせたいから?
……あ!なるほど、自分の家に跡部が来るのが嫌なのか…。
まぁ、確かにあいつヘリとかで来るもんね。お寺の瓦葺の屋根とか吹き飛ぶもんね、風で。
しかも出来ることならお休みの日に跡部に会いたくないのかな…
随分跡部も嫌われたもんだな…可哀想に…。
しかし、この状況下で今頼れるのはお師匠様だけ。
ここで彼の機嫌を損ねることは得策ではない。
「……そ、そーうだ!お師匠様、すべらない話してあげよっか。」
「……何それ。」
「面白い話!こないだねー…」
この薄暗くて、ひんやりした環境が怖いんだ。
ということは、何とか盛り上げて笑顔はじける雰囲気にしてしまえば怖くないはず…!
そう考えた私は、顔の見えないお師匠様に向けて必死にすべらない話を繰り広げた。
「………。」
「で、そこで榊先生がハイテンションでRising Sunを踊ってる話になって…」
「ねぇ、あんまり面白くない。」
「え!……まだ話の途中なのに…!」
氷帝界隈では鉄板ネタなのに、やっぱり青春学園さんには通用しなかったか…。
箒にもたれながら、心底つまらなさそうな目でこちらを見るお師匠様。
……っく…まだ何か不機嫌っぽいな…。
「……ねぇ。」
「え?」
「…俺も、話してあげよっか。」
「えー!お師匠様のすべらない話?!なんか想像できない、聞きたい聞きたい!」
わぁ、意外にお師匠様もノリノリじゃん!
嬉しくなった私は、近くにあった木の椅子に腰かけ
お師匠様のスベらない話を待った。
・
・
・
「……この蔵ってさ、戦国時代ぐらいからあるものらしくて。」
「へー!そんなに古いんだぁ…確かになんだか雰囲気あるもんねー。」
「小さい頃はここに入るの怖くてさ。あんまり入らなかったんだけど…
小学生の時かな。どうしてもこの蔵の中にあるものを取りに行かないと行けなくて。
…丁度このぐらいの時間だった。外は明るいのに、やっぱり中は暗くて。
さっさと用事済ませようと思って、中で探してたら……」
「…………。」
…ど、どこにオチがあるんだろう。
……というかこの、話の展開って、どちらかというと……
「急に扉が閉まって…、親父のイタズラかと思って叫んだんだけど誰も居なくて、
……何か怖くなって。必死に扉を開けようとしたんだけど開くはずもなくて…」
「…ね、ねぇお師匠様?なんかちょっと話ぶった切って悪いんだけどその話って…」
「……そしたら、後ろで物音がしてさ。」
「……………。」
「誰もいないはずの蔵の奥で何かが落ちる音がしたから……見に行ってみたんだ。」
「…………。」
「…でもやっぱりそこには誰も居なくて…、その代わりに見慣れない箱が落ちてた。」
「………。」
「それを拾い上げようとしたら……って、何?」
「い、いや…つ、続けて?」
ここからどういう展開でスベらない話しに持っていくのか、興味があるけど
と、取り合えず何だか怖くなってきた私は椅子を立ち
お師匠様の隣にぴっとりとくっついた。……ちょ、ちょっと声が聞こえにくかったからね。
「……声が聞こえたんだ。親父の声じゃない、聞いたことない声。……だから何?」
「えっ!い、いや…ほらちょっとお師匠様寒そうだなーって思ったからさ!」
「……っぷ…怖いの?」
「こわ…怖いとかじゃないよ、何言ってんの。私、もう中学3年生だよ?」
「………ふーん。じゃ、この手離していい?」
「いやいやいや、それはやめた方がいいよ。ほらお師匠様の手、めっちゃ冷たいもん。」
「………。」
「な、何?別に怖がってるとかじゃ…」
「……いや、今何か聞こえなかった?」
「っ!」
「わっ……、…っプ、ふふ、やっぱ怖いんじゃん。」
思わず反射的にお師匠様に抱きついた私に、
憎たらしい程に楽しそうな声が届く。
先程よりも距離が近いせいか、表情もよく見える。
………しかし、ここで怖がって見せる訳にはいかない。
そんな…こんな作り話で怖がってたら年上の威厳なんてあったもんじゃない。
「…そういうのじゃないって。お師匠様がまた怖がると可哀想だから…」
「…そ。俺は怖くないから、離れてよ。」
「………油断してたら、本当に危ないからね。上から何か落下物とかあるかもしれないし…」
「わっ!!」
「うわぁぁああ!ちょ…っ、何!?何か見えた!?」
「……いや、ちょっと大きな声出しただけ。」
「何でこのタイミングで大きな声出す必要があるの!?怒るよ!!」
「…っふふ、怖いんでしょ?」
「怖くないって!でも取り合えず、もうその話はスベってるからやめよう。はい、終わり。」
「……いい加減離れてくれない?」
「……………。」
箒を持ちながら立ちつくすお師匠様に
思いっきり正面から抱きつく形になっていた。
……いつもの私なら、こんな美味しい状況逃す訳ない!としがみつくところだけど
今は、そういうのじゃなくて……ガチで怖かった。
だ…だって、こんな暗いところで、
今みたいな話されたら…そんなの樺地でも震えて怖がると思う…。
「……も、もうちょっとこのままで…」
「…ふーん。」
「ご、ごめんね。決して性的な意味で抱きついてるわけじゃなくて、そのー…あの、暖をとるためにね!」
「………。」
「ほら、お師匠様も猫ちゃん抱っこしたりするじゃん?それと同じでさ…」
自分でも聞き苦しい言い訳を、ペラペラと話していると
段々、腕の中のお師匠様がしゃべらなくなっていた。
……ちょっとやめてよ、黙られるとまた怖いじゃん…。
「…は、早くお父様開けてくれないかなぁ…?ね、お師匠様?」
「……そんなに幽霊が怖いの?」
「…………はい、もう認めます。お師匠様の所為で怖くてたまりません、これで気が済んだかこの小悪魔天使!!」
「………ふーん。」
「お、お願いだからこのことは誰にも言わないでね?ほら、私のイメージ戦略に関わってくるからさ…」
なんとか、その場をごまかそうと笑っていると
フイにお師匠様の顔が近くなった。………何だろう、何かニヤついてるけど
この期に及んでまだ私を怖がらせようというなら、お師匠様と言えど
このままアルゼンチンバックブリーカーの体勢に持ち込んでやるからな。
「……ねぇ。」
「…何?もう変な話しやめてね。これ以上話したらその綺麗なお顔に頭突きブチ込むからね。」
「……そんな幽霊なんかより、この状況の方が危険だとは思わないわけ?」
「……ん、どういう意味?」
「…………なんかムカつく。」
「え?」
そう言って、少し視線を逸らしたお師匠様。
何のことを言ってるのかと不思議に思って、聞き返そうとしたその瞬間
頬のあたりに少し生暖かいような感覚があった。
そしていつの間にか、背中にまわされた力強い腕の感触。
先程よりももっと距離が近づいたような気がするお師匠様。
「……………え…。」
「……今のは練習。」
「れんっ…いや…いや、ちょっと…ちょっと待って!何!?何のプラクティス!?」
「……今頃焦ってももう遅いから。」
今、目の前に居るお師匠様は何だかいつもの可愛いお師匠様じゃないみたいだった。
顔の火照りがおさまらない。
まるで大人のように妖しく微笑む、綺麗なお師匠様の表情に、私は固まったように動けなくなっていた。
「……ちょ…まっ…!」
バタンッ
「うおーーい、そろそろ終わったかー。」
「うわあああああ!」
「っ!……はぁ……、本当タイミング悪い。」
急に大きな音が鳴り響いて、反射的にお師匠様を突き飛ばした。
薄暗かった蔵の中に、光が差し込みその先にはやっぱりお父様が笑っていた。
…………何だったんだ、今の…!
・
・
・
「じゃあな、嬢ちゃん。また遊びに来いよ。」
「お、お邪魔いたしました!洗剤ありがとうございます!」
「ほら、リョーマ送ってやれよ。」
「……わかった。」
豪快に手を振るお父様に別れを告げ、
お師匠様と共に帰路に着く。
……お師匠様を見ると、なんだかさっきの出来事が脳裏に浮かんで気まずい…。
「…あ、あのお師匠様。もうここで大丈夫だよ!ありがと!」
「………警戒してんの?」
「け、警戒とかじゃないけどもね!ほら、もう暗いからお師匠様も危ないでしょ?」
「……って絶対に俺の事、男と思ってないでしょ。」
「えええ!女の子だったの!?」
「本当に殴るよ。」
「すいません。知ってます、突如として天から舞い降りた美少年天使だと思ってます。」
「………賞品はまた今度にとっとくから。」
そう言いながら、また歩き出すお師匠様。
…あ、送ってくれるんだ。本当に優しい子だな。
というか、賞品って…あ、雑巾がけレースのことか。
「うん、どうしよっか。何がいい?」
「………今日の続き。」
「………つづ……えっ、いや…え?」
「…ほら、早く行くよ。」
焦る私に、笑いかけるお師匠様。
可愛い可愛いお師匠様の、フとした瞬間に見える
カッコイイ表情に、私はまた顔を火照らせてしまうのだった。
A Happy New Year Story -side Echizen-
fin.