氷帝カンタータ





番外編 ひよし君のおうち






正月早々、何故こんなことになったのかわからない。



「えへへ、楽しみだなぁ。新婚生活ってこんな感じなのかな。」

「本当に黙ってください。」



見慣れた自宅の風景。
その中で、唯一違和感を感じるのがこのヘラヘラと能天気な顔をした先輩だ。

食卓を陣取り、足をバタつかせる彼女。

事の始まりは、7時間ほど前に遡る。






























正月休みも終盤に差し掛かり、明日から部活が始まるというある日。
午前中に冬休みの宿題を片付け、自室で静かに読書をしていた。

なんとはなく勉強机の椅子から離れ、ベッドに腰を下ろしたその時。

窓の外から、微かに人の声のようなものが聞こえた。
気の所為かと、放っておくともう一度、次ははっきりと聞こえた。



「−い!……おーい、ぴよちゃんさまー!」



声のトーンははっきりしなくても、このふざけた呼び方ですぐにわかる。
一瞬、居留守を使ってやろうかと思ったがこのまま近隣の迷惑になるような
大声を出されたらたまったものではない。意を決して窓を開いてみると



「………何してるんですか。」

「あ!ぴよちゃんさま、あけおめことよろー!!」



雪が降りしきる中、バカでかいマフラーと目立つ蛍光色のニット帽をかぶった先輩が
何が嬉しいのか、バカみたいな笑顔でこちらに向かって手を振っていた。

そんな先輩を見て、普通なら驚いたり、何か思う所があるのだろうが
自分でも驚くほど、心は無感情だった。今更、あの人が何をしたって驚かないだろう。
聞き飽きた年始の挨拶に答えるでもなく、ボーっと、2階の窓から見下ろす俺を不審に思ったのか、
先輩は再度、叫ぶ構えを見せた。


「今年もー!こんな雪や寒さなんてぶっ飛ばすぐらい、ラブラブで「それ以上言ったらぶっ飛ばしますよ」


思っていたより大きな声が出た。
先輩は変な顔のまま固まっている。


「……と、取り合えず今年もよろしくねー!またねー!」

「…は?本当に何しに来たんですか?」

「…なんかお正月休み長すぎて、寂しかったから会いに来た!」

「どこが長いんですか、一週間もないじゃないですか。」

「ま、まぁ1人の正月は意外にも暇なんだよ!それじゃ、また明日ね!」



…フと、考える。

1人の正月。…普通に実家で家族と正月を過ごしていた俺には一瞬ピンとこなかったが
そういえば先輩は、1人だった。


雪が降っているというのに、何故か傘もささず、
鼻まで真っ赤にして両手をぶんぶん振りながら遠ざかっていく先輩。



「………ま…ってください!」








































「う…わぁ、暖かい…!ねぇ、本当にいいの?ぴよちゃんさま。」

「…年明け早々、突撃してきた人が今更何の気遣いですか。」

「いや、本当…あ、ちょっと手土産とか買ってこようかな。」

「いりません。」

「でも…、やっぱりご両親の第一印象って大事じゃない?」

「両親は今出掛けていていません。」

「え!……そ、そうなんだ。じゃあご挨拶はまた今度だね。」

「よくわからないんですけど、何で俺の両親に先輩が挨拶をする必要があるんですか。」

「そりゃ、将来の義父様、義母様になるかもしれないんだから」

「今年一番笑えないギャグですね。」

「ギャグじゃないよ!っていうか今年始まったばっかりなのに、もう1番決めちゃうの!?そんなに笑えない!?」

「……取り合えず、ある程度暖まったら帰ってくださいね。」

「…へへ、ありがと。お邪魔しまーす。」



何をしているんだ、俺は。

1人で真っ白な世界を寂しそうに歩く先輩を窓から見て、
あのまま帰すのは…なんというか後味が悪い気がした。

かといって、引きとめてしまった後のことなんか考えていなくて、
仕方なく家に入れてみたものの……色々、面倒なことになりそうな予感がする。



「……ここが、ぴよちゃんさまの育ってきたお家かぁ…。」

「そこを真っすぐ行って右の部屋に入っていてください。」

「え……!」

「………何ですか。」

「も、もももももももしっもっももし「何ですか、気持ち悪い。」

「わぁ、その目を見るのも久しぶりな気がする!…いや、そこってもしかして…」

「…俺の部屋ですけど。」

「うわああああああ!!ま、まっま待って待って、心の準備ができてない!」

「何の準備がいるんですか、本当に静かにしてもらえます?」


いきなり頭を抱えてじたばたと暴れ出す先輩を見て、
心の底から、何かこの人気持ち悪いと思う。
…常々思うことだが、どうして「普通」に出来ないのだろうか。
黙っていれば……、いや、黙っていてもやっぱりこの人の滲み出る変態オーラは隠せないだろう、
しかし、しゃべるよりはマシだと思う。

そんなことを考えている間にも、
顔どころか耳まで真っ赤にして、心臓のあたりを押さえながら息を荒くしている。
ブツブツと、何か呪文?のようなものを唱えながら
「落ち着け…落ち着け…」とつぶやいている。本気で大丈夫か、この人。



「…ふぅ…っよ、し!大丈夫!はい!いざ、参りましょう!」

「………大人しくしててくださいね。」



何か整理がついたのか知らないが、途端に目をキラキラさせて
廊下を勇み歩く先輩。
…今更ながら、家にあげたのは間違いだったのかもしれないと思う。














「……ここが……。」

「…今、何か持ってきますから。」

「……………。」

「何がいいですか?お茶でいいですか?」

「…………。」

「……先輩?」

「…………ぴ…。」

「?」

「…ぴよちゃんさまの匂いがする…。」

「…っ、か、帰ってください。」

「待って待って待って!嘘です、すいません!ちょっと感動して!」



今、本気で鳥肌がたった。

この人は一体何を考えているのだろうか。
というか、一緒の部屋にいて、大丈夫だろうか?と心配になる。
…何かされるんじゃないか?と不安になるのは、男としてはおかしなことだが
先輩となると、そう考えてしまうのも仕方ないと思う。



「…あ、この写真…。」

「…この前の大会後に先輩がとった写真です。」

「だよね!わー、綺麗に飾られてる。フフ。」

「…あんまりジロジロ見ないでください。……すぐ戻ってきます。」

「うん、ありがとう。」






































「……日本茶でいいか。」


台所でお茶を入れていると、入口から物音がした。
まさか先輩かと思い、勝手に出歩くな、と注意しようとすると…



「…なんだ、若。早起きだな。」

「……忘れてた。」

「は?…ふぁあ…、腹減った。」


そこには、見慣れた兄の姿があった。
起きたところなのか、寝癖までついてだらしない格好をしている。


…そうか、こいつがいたことをすっかり忘れていた。

あからさまに嫌な顔をしているのがわかったのか、
何か勘づいた様子でこちらへ近づいてくる。


「……何、誰か来てんの?」

「来てない。」

「でもそれ、客用の湯のみじゃん。」

「来てない。」

「…………。」


……っくそ、面倒事が増えた。
決して兄の目を見ない俺を不審に思ったのか、意味深な沈黙が続く。

フと、兄の顔を見てみると
俺が大嫌いな、ニヤニヤとした笑顔を浮かべていた。


「っ…!」

「…さてはお前…。」

「っだから違うって…」

「それが本当かどうかは……確かめればいいだけの話だ!」


途端、全速力で俺の部屋を目がけて台所を飛び出した。
一瞬判断が遅れた俺は、この短い距離で追いつけるはずもなく。
その背中に追いついた時には、既に部屋の扉が開けられていた。


力なくその場で脱力する俺は、兄の好奇の声を受け止める心構えをしていた。

……が、部屋の中を見つめながら固まる兄。
おかしい。さっきまでのニヤけ顔から一転、完全に真顔だ。


おそるおそる部屋の中を覗いてみると、何とも形容しがたい光景が広がっていた。





「…………先輩。」

はいいい!!?え!あ、もう帰って来たの!?あの、これはちが…!え…、誰…?」




その瞬間、勢いよくベッドの布団の中から頭を引きぬいた先輩。
…床に座り、頭だけを布団の中に突っ込んでいた先輩の姿は軽くホラーだった。


俺と同じく、兄もドン引きしている様子でうまく言葉が話せない様子だった。
…こんな兄初めて見るな。



「……これ、うちの兄です。」

「ええええええええ!ちょ…なっ…あ、あのあの…お、おおお見苦しいところをお見せしまして…。」

「い…いや…、ちょ、ちょっといいかな、若。」



引きつった笑いを浮かべながら、俺の肩を掴み
台所まで全速力で引き返す兄。


「……う、うん。別に、可愛い子だとお兄ちゃん思う。思うけど…」


ひそひそと何やら焦った様子で俺に耳打ちをする。
それを聞きながら、少し笑いそうになってしまう。



「なんていうか…中学生にしてあの行動は、あの子…相当マニアックだぞ?」

「…何を勘違いしてるのかわからないけど、あれはただの部活の先輩。」

「…またまた。今更隠したって無駄だぞ。別に母さん達には言わないって。」

「……あんな変態じみた行動起こす彼女なんているわけないだろ。」

「………まぁ…そう言われてみればそうだけど…。」

「もういいだろ。入ってくんなよ。」

「えー、若が初めて連れてきた女の子なんてお兄ちゃん気になる!」

「ウザイ。」


本当に面倒くさい奴に見つかった。
肩にかけられた腕を振り払い、すっかり冷めてしまったお茶を入れなおそうとすると、
また、面倒くさい声が聞こえてきた。



「あ…あのー…。」

「わ!…あ、ああさっきは急にごめんね!俺、若のお兄ちゃんです。よろしくね。」

「は、はい!私…は、若君と同じ部活のマネージャーをやってます、と言います。」



いつになく緊張した様子の先輩。
「若君」などという、今まで聞いたこともない呼び方に思わず噴き出しそうになる。

しかし、先程の変態行動はすっかり忘れた様子の能天気な兄は
そんな先輩を見るや否や、ニヤけ顔でこちらをチラチラと見たり…本当に面倒くさい。


ちゃん、今日はゆっくりしてってくれて良いからね。」

「い、いえ。ご家族で団らん中に申し訳ございませんでした!も、もう随分休ませていただいたので帰ります!」

「何言ってんの、まだお茶も飲んでないじゃん。」

「いやいや…本当にお気遣いなく…。あ、ぴよ…若君!今日はありがとうね!」

「……もうお茶入れてしまったんで、これだけ飲んで帰ってください。もったいないんで。」

「ほら、若もこう言ってるしね!さ、行こう行こう。」

「え…え、はい。」


いつもの先輩からは考えられない猫かぶり具合に、
先程見た光景は何かの間違いだと脳内変換した様子の兄は
ご機嫌な様子で、先輩の肩に手を置き部屋まで連れ戻す。


























「で、ちゃんは若と付き合ってるの?」

「そうしたいのは山々なのですが、どうも当の本人が乗り気じゃないようで…」

「何言ってるんですか、やめてください。」

「えー!若、なんで?いいじゃん、ちゃん!」

「その意気です、お兄さん!もうあとひと押し!」

「本当、早くお茶飲んで帰ってくれませんか。」



部屋に戻り、何故か部活の先輩と兄と3人で机を囲むことに。
段々と兄のテンションに慣れてきたのか、先輩に普段の様子が戻ってきた。



「若、つめた!可哀想だろ、女の子にー。ちゃん、こんな奴じゃなくて俺にしとく?」

「えっ!!」


兄がいつもの調子で、先輩の頭に手をポンと置きながら
軽口を叩くと、その瞬間本当に音が聞こえそうなぐらい一瞬で顔を上気させた先輩。

先程の寒さで顔が赤くなるのとは、また違うその変化に
なんとなく、イラっとする。


「…あんまり兄の言葉を真に受けない方が良いですよ。」

「うっ、う…ううう、うん!はい!」

「……ははーん、若。嫉妬だな。」

「え!そ、そうなんですかお兄さん!この冷たい表情の裏にはそんな感情が隠されているんですか?」

「適当なこと言うな。先輩も、一々五月蝿いです。早くお茶飲んでください。」


淡々とそう伝えると、その口調にひるんだのか
慌てて湯のみに口をつける先輩。
思っていたより温度が高かったのだろう、必死にふぅふぅとお茶を冷ましている様子が何だか面白い。


「えー、いいよいいよちゃん。もっとゆっくりしていきな?」

「いえ…段々とぴよちゃんさまの目が…怖くなってきましたので…!」

「よくわかってくださってるようで良かったです。」


このまま、3人でいると何となく、碌な事にならない気がする。
ここは申し訳ないが、早く先輩に帰ってもらうのが得策だ。


「……ふーん…。あ、そうだ。ちゃん、ゲーム好き?」

「え…、はい。結構好きです。」

「じゃあさ、俺の部屋来ない?この前発売した平安★無双あるんだけど。」

「えっ!そうなんですか!?最新作ですよね?うわー、早くプレイしたかったんです!」

「俺もさー、1人じゃ中々クリアできなくて。若はそういうの興味ないから役に立たないし。」

「あの、お兄さん。自分で言うのもなんですが私、結構得意なのでお役に立てると思います!」

「…そうこなくっちゃ。じゃ、行こっか。若も、早くどっか行ってほしいみたいだし。」

「あ、ご、ごめんねぴよちゃんさま。その本、読んでる途中だったんだよね?邪魔しちゃってごめんなさい。」

「…………。」



机の上に置かれた読みかけの本を指差し、本当に申し訳なさそうな顔で謝る先輩。
その後ろでニヤニヤとこちらを見る兄に、ここで怒ると何か別の意味に取られそうでそれはそれで嫌だ。
何も出来ずに無表情で黙ることしか出来ない俺に、申し訳なさそうに手を振りながら
部屋を後にする先輩、と馬鹿兄。


パタンと閉じられた扉を見つめながら、やっと静かになったと思う気持ちが半分。
もう半分は……


「……全然集中できない。」



机の上の本を手に取り、続きを読もうとしても
頭の中に文字が全く入ってこない。


…っていうか、先輩は一体何をしに来たんだ?
俺に会いに来たんじゃなかったのか?

なのに、馬鹿兄の言葉にほいほい乗せられて…
あの兄が一発で先輩を釣るエサを言い当てたのは驚いたが
それにまんまと釣られる先輩も先輩だ。

嬉しそうな顔で兄を見つめる先輩は
あの瞬間、完全に俺のことなんて忘れていたと思う。
それ程に、なんとか無双と言うゲームが魅力的だったのか…


考え始めると、何となくムカついてきた。
折角の休みに色々と引っ掻き廻されて…
一言、文句を言わないと俺の気が済まない。
































「…あっ……ちょ…っと…待ってくださ…!」

「おー…。結構やるね、ちゃん。うまいうまい。」

「ん…っあ!そこ…は、まだっです…っ!」



バタンッ




「……っ先輩、何を…!」

「あれ、若。」

「……お兄さん!気を抜いてるとやられ…っあ!」

「あー。ごめん、ちゃん。またやられちゃった。」

「……………何してるんですか。」



廊下にまで響き渡るいかがわしい声に
頭が真っ白になり、急いでドアを開けてみると
相変わらず寝癖がついたままのだらしない兄はベッドにあぐらをかき、
座布団に座らされた先輩は、こちらに見向きもせずゲームに熱中していた。


「いやー、ちゃんのレベルが高すぎて、俺若干「お兄さん。」

「ついていけな…って、え?」

「お言葉ですが、お兄さんは何ですか、面白いと思って悪ふざけていらっしゃるのですか?

「え、え…何?どしたのちゃん?」

「何…じゃないですよ!見てましたよね、今の!あの場面で無双使って、
 挙句の果てに武将にまんまと切られてゲームオーバーってこれもう何回目ですか!」

「「…………。」」

「これ、遊びじゃないんスよお兄さん。人の命が、かかってるんですよ。」

「いや…ちゃ…これゲームだから…「ゲームだからって味方の皆が野垂れ死にしてもいいっていうんですか!」


ものすごい剣幕で兄に迫る先輩。
…そう言えば向日先輩が言っていた気がする。
先輩は、ゲームのことになると人が変わったように真剣になるって。
しかもそれがまぁまぁ面倒くさいから気をつけた方が良いって。


「我が軍の兵達にも…、家族は…家族はいるんですよ!?」

我が軍って…!ごっ、ごめんちゃん!ちゃんと真面目にやるから!」

「…約束ですよ。お兄さん、なんでこのゲーム買ったんですか?こんなへっぽこだと楽しめないでしょう?」

「辛辣だね!
下手なりに頑張ってるんだから許してよ!」

「私が危ない時は操作してあげますね。」


そう言って、ベッドの上に平然と上がり
兄の横にぴったりくっつきながらゲームを再スタートさせた。

その行動に兄も驚いたのか、言葉にはしないものの、こちらを見つめる。
……こうなった先輩は恐らくもう止められない。

ただ、一応、先輩の癖と言われるあのゲーム中の変な声で
万が一、無いとは思うが、兄が変な間違いを起こさないように
俺は部屋の入り口でじっとその様子を見守っていた。



















「あ…やばい、ちゃん助けて!」

「っち…!貸して下さい!」

「お…おお…。おおー!すげぇコンボ!やるじゃん!」

「呑気にボサっと突っ立ってないで早くそこから逃げてください!」

「わぁ、怖い怖い!んじゃ、逃げまーす!」



…このゲームをよくは知らないが、恐らく兄の操るキャラがやられそうになっていたところに、
颯爽と馬に乗った先輩のキャラが駆け付け、敵を蹴散らした。
その姿が、何となく普段の先輩と重なって見える。



「…っく…あとちょっとですよ、お兄さん…!」

「うん…!よし、いけ!ちゃん!」

「ま…っかせてください…!!」



恐らく最後のボスの1人か何かなのだろう。
2人で寄ってたかって武将らしき人物を切りつけまくっている。
兄はいつのまにかその戦いから退き、周りにちらばる兵達の相手をしていた。

一瞬、画面がスローモーションになったと思った瞬間。




「や…っ!たぁ!」

「わー!やったな、ちゃん!すごいすごい!」

「お兄さんも、よく頑張りました!!」


コントローラーを放り投げベッドの上で飛び上がった2人。
歓喜の声を上げながら腕を広げた兄に、すぐさま抱きつく先輩。



「なに…っしてるんですか!」

「うお!…なんだよ、若ー。折角喜びの抱擁に浸ってたのにさー。」

「わ!あれ…ぴよちゃんさま、いたの?」

「…っ。もうゲームは済んだんでしょう、行きますよ!」

「え!あ、でもまだあのステージの先が…」

「知りません!」

ちゃーん、また遊ぼうなー。」







































「あんたは一体何しに来たんですか。」

「え、えーと…ごめんなさい?」

「意味もなく謝れば済むと思わないでください。兄と遊びに来たんですか?」

「違います…。」

「第一…いくら兄とはいえ、普通初対面の男の部屋に上がり込んで…あんな…」



無性にイライラする。
目の前で正座をしながら、こちらの顔色をうかがう先輩の顔を見ているだけで。



「大体…もう何時間経ったと思ってるんですか。」

「え…うわ、もうこんな時間!?ご、ごめんなさい!すぐ帰る!」

「まだ話は終わってません。あれだけの時間…いつ帰るのかと待っていたのに
 俺がいたのにも気づかず、ゲームに夢中になって…ちょっと能天気すぎるんじゃないですか?」

「ごめんね、あの…私ゲームしてるとつい集中しちゃって…」


段々と暗くなっていく先輩の顔を見ていると、何故か心が焦りだす。
別に怒りたい訳じゃないのに、口からどんどん言葉が溢れ出した。



「…ふんっ、兄といた時の方が…随分楽しそうに笑ってましたね。」

「え、そう?でも確かに楽しかったよ!ぴよちゃんさまのお兄さん優しいね、うらやましいなぁ。」

「………厭味も通じないんですね。」

「へ?あ…ごめん、五月蝿かった…よね?」

「………もういいです。俺は夜ごはんを作らないといけないので、そろそろ…」

「え!!ぴよちゃんさまが作るの!?」

「…今日は、両親が泊りがけで親戚の家へ挨拶に行っているので。」

「へ、へぇー…!そっかぁ、ぴよちゃんさま料理するんだぁ…。」

「……何ですか。」


急にそわそわと目線を泳がせる先輩。
…何だ?



「…ぴよちゃんさまの、手料理…食べてみたいなぁ。」

「…………イヤです。」

「うっ…、そこを…なんとか…私、ぴよちゃんさまの作ったお料理食べれるならこの生涯に悔いなんてないから!

「大袈裟です。…人に食べさせるようなもんじゃないので。」


いつものように、ものすごい迫力で迫ってくる先輩に
あぁ、また面倒くさいことを口走ってしまったと後悔する。

断っていると言うのに、まだそこに座りながら黙っている先輩は
恐らく今、頭の中でどうすれば俺の料理が食べられるか計算しているのだろうが

無駄だ。俺の決意は固い。

幸いな事に、相手は先輩だ。
冷たくあしらうのは慣れている上に、何のためらいもなく断れる。



「わかったら、さっさと帰ってください。」

「っく…ここまでか…私にもう少し交渉力があれば…!」


ぐいぐいと先輩の背中を押して玄関まで追いやると、
後ろからまた面倒くさい声が飛んできた。



「あれ?ちゃん帰っちゃうの?ご飯食べていかないの?」

「はっ!その手があったか!おに、お兄さーん!お言葉に甘えさせていただき「駄目です。」

「なんだよ若。意地悪言うなって。なんだったら俺が作ろうか?」

「へ…え、お兄さんもお料理なさるんですか?」


兄が出した救いの船に目を輝かせる先輩。
………一瞬で、またモヤっとしたものが頭の中を覆う。



「おう、得意料理はチャーハンだよ!ほら、すぐ作るからちゃんおいで。」

「わぁーい!お兄さん素敵です!ぴよちゃんさま、ね、私ちゃんと材料費も払うよ。」

「何言ってんの、そんなの気にしない!いつも若がお世話になってるみたいだしね。」

「お世話だなんてそんな…私が追いかけまわしてるだけで…。」



そんなことを言いながら、俺の手の中から先輩の手を引き
台所へと向かう兄、とヘラヘラと嬉しそうな先輩。


…………。



「……先輩は俺の料理がいいって言ってませんでした?」

「え……?」

「…お、何だよ若。宣戦布告かー?」

「うるさい。……どうなんですか。」

「そ、そりゃぴよちゃんさまの料理はもちろん、お料理してる姿も堪能したいけど…」

「………ほら、先輩だってこう言ってるだろ。」


喉まで出かかった言葉を飲み込んで、兄に視線を向ける。
…一々、変態じみたセリフを挟んでくる先輩につい言い返しそうになってしまうが、
それではさっきの二の舞だ。

一体何を焦っているのか自分でももうわからないが、
何となく、この馬鹿兄に負けたくなかった。
































ここで、冒頭に戻る。


先輩を食卓に座らせ、兄弟2人で料理に勤しむ。
その姿を見て、写真を撮ったり、何か独り言を言ったと思ったらニヤけたり、
相変わらず気持ちの悪い先輩。

…一体、何をしているのかわからなくなってきたが、勝負を途中で諦める訳にはいかない。



「ほい!ちゃん、どーぞ。」

「……公正な判断をしてくださいね。」


そして、先輩の目の前に差し出された2つのチャーハン。
…味に自信がある訳ではないので、少し、緊張する。


まじまじとそれを見つめ、嬉しそうに手を合わせた先輩。


「わぁ…!いただきます!」


まずは一口。
兄のチャーハンを口に運ぶ。

少し考えるそぶりを見せたと思ったら、すぐにスプーンを置き
慌ててそれを飲み込む先輩。


「…っすごく美味しいです、お兄さん!」

「でっしょー?何しろ得意料理だからねー、若に教えたのも俺だしな。」

「…別に教わった覚えはない。先輩、早くこっちも食べてください。」


ずいっと目の前に皿を差し出すと、また慌ててスプーンを掴む。
思いっきりすくい取り、豪快に口に含む姿を見て隣にいた兄が少し笑った。


「…………どうなんですか。」

「俺の方が美味いに決まってるだろ?」


五月蝿い兄の挑発になんて乗るか。
…なんとなく勝負事には負けたくない。

もぐもぐと口を動かす先輩をじっと見つめていると、


「……っ!」



急に満面の笑みを向けられた。
見慣れない距離での、見慣れない笑顔に少しギョっとしていると
先輩がゆっくりと口を開いた。



「……ぴよちゃんさま、とっても美味しいよ!ありがと!」

「………そうですか。」


何となく、先輩の顔を見ていられなくて俯いてしまう。
…そのたった一言で嬉しくなってしまうのは、きっと兄に負けたくないという思いが強いからだと思う。
別に、先輩が言ってくれたことが嬉しいという訳ではない。



「…ちゃん、じゃあどっちに勝ち星つける?」

「……うーん…、ぴ、ぴよちゃんさまで!」

「…ほら、見ろ。」


ヤバイ。
ダメだ、ダメだと思っているのに口元が笑ってしまう。
小さい頃から負けっぱなしの兄に勝てたのが、そこだけが、嬉しいんだと思う。



「……ちゃんさぁ…。」

「何だ、負け惜しみは見苦しいぞ。」

「いや…、本当いい子だなと思ってさ。」

「…は?」

「えーと、お兄さん…?」


なんだ、そんなに俺に負けるのが悔しかったのか。
はぁ、っとため息をついて先輩に近寄る兄。
先輩は、俺の作ったチャーハンを食べている途中だというのに邪魔をしにかかるつもりか。



「…若。これ味見した?」

「は?別に味見なんてしなくても…」

「取り合えず、ほら、食ってみ?」

「なにを……むぐっ!……う…ぶっ!」


無理矢理スプーンを突っ込まれて、抗議しようと暴れてから、
フと、口の中に広がる味に違和感を覚える。


「ぶふぇっ!……な、なん…コレ…!」

「うん、だって若…普通に砂糖振ってたもんな。」

「……っ!」


しまった、というような顔をした先輩の表情を見て
急に、全身の血液がめぐりだした。
恐らく耳まで真っ赤になっているであろう自分の顔を見られないように
俺は自分の部屋へと逃げ走った。









































コンコン…


「ぴ、ぴよちゃんさまー…」

「……なんですか。」

「…あ、そろそろお暇しようと思って…、今日はありがとうね。」



……。

ベッドから起き上がり、ドアを開けると
驚いた様子の先輩が立っていた。



「……そうですか。」

「…うん、あのぴよちゃんさま、私はぴよちゃんさまのお料理美味しかったよ!」

「………下手な慰めは不要です。」

「なんていうか…ぴよちゃんさまが一生懸命私のために作ってくれたんだって思うと…
 なんか食べてて泣きそうになっちゃった。」

「不味くて泣きそうになったんじゃないですか?」

「まぁ、本当のこと言うと美味しくはなかったけどさぁ。」

「さようなら。」


「ちょ、まっ!違うんだって!美味しくはないけど、嬉しさで言うと比べ物にならないぐらい嬉しかったから!」

「そんな判断基準の勝負ではなかったはずです。」


なんとか部屋のドアを閉めようとすると、
足や手を挟んで、なんとかそれを食い止めようとする先輩。必死すぎる形相に若干引く。

1人暮らしの学生のアパートに訪れる新聞の押し売りのような剣幕で
必死に紡ぎだされる慰めの言葉に、素直に喜ぶことなんてできない。



「…また、勝負すればいいよ。あの砂糖が塩だったら絶対美味しかったよ?」

「…………。」

「…私、どんな勝負でも真剣に取り組むぴよちゃんさまが大好きだよ。」

「…っ。」


なんだか、急に先輩が大人のように見えてものすごく恥ずかしくなる。
普段はニヤけた変な顔しかしない癖に、なんだその慈愛に満ちた笑顔は。イラっとくる…


けど…。




「………下剋上です。」

「…うん!また勝負する時は応援に駆け付けるからね!」



そう言ってドアから手を離し、扉を閉めた先輩。

段々と遠ざかっていく足音を聞きながら、顔を抑えた。

今度は言い訳出来ない。

何故か心を占めていくこの嬉しい気持ちの理由は。







A Happy New Year Story -side Hiyoshi-


fin.