氷帝カンタータ
番外編 ゆきむら君のおうち
from.幸村君
Sub.(無題)
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久しぶり。
少しお願いごとがあるんだけど
いいかな?
「うっ、うわああああ!幸村君からの…メール…!」
今年も終わりが近づいてきた、年末のある日。
既に学校も部活も休みの時期に入っていたので、
自宅でゴロゴロと怠惰な日々を過ごしていた私の元に
突然届いた神からの御言葉(メール)。
その内容も、何だか含みのある文章で
自然と心が高まるのは、やっぱり私は幸村君のことを
皆とは少し違った神様だと思っていて、
崇拝しているからなんだろう。
アイドルよりももっと上。
私から話しかけたり、遊びに誘ったりするなんて
おこがまし過ぎて憚られる…そんな存在。
幸村君のクラスメイトとか、どんな感じなんだろうな。
先生が授業中に幸村君を指名して、本読みなんか始めちゃったら
皆、神の紡ぎだす心地よい御言葉に浄化されてしまうんだろうな…。
そんなことを言いだしたら、普段こういうメールを
幸村君と気軽に交わすであろう、彼女なんかはどうなんだろうか。
きっと≪幸村君の彼女≫という、≪カンヌ国際映画祭監督賞受賞≫と同じレベルの
称号を持っている女の子のことだ、きっとマリア様のような慈愛と美しさに満ちた女の子なのだろう。
「…えーと…、よし。これでいいかな。」
To.幸村君
Sub.(無題)
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久しぶり!
私なんかが幸村君のお役にたてるなら
何でもいたします!!
♪〜♪〜
「…あ、もう返事だ!………え…」
From.幸村君
Sub.(無題)
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ありがとう。
じゃあ、○○駅まで来てもらえる?
そこまで迎えに行くよ。
示された駅は、とんでもなく遠い駅だった。
……え、神奈川?
・
・
・
「……ここで、本当にいいんだよね…。」
何度も携帯のメールを見直す。
まさか、誰かのなりすましメールで私はからかわれただけなんじゃないかと。
しかし、もうここまで来てしまったからには引き返すわけにもいかない。
現れるのかどうかわからない幸村君を駅前で待ち続けること10分程。
「さん、ゴメンね急に呼び出して。」
チェック柄のマフラーに、紺のダッフルコートを身にまとった
爽やかな好青年が目の前に現れた。
久しぶりに見るその笑顔に、一瞬で心がとろけるような気がした。
「っ!ゆっ、幸村君!良かったー!!架空の人物からのメールかと思って焦ったー!」
「…フフ、ゴメン。待たせちゃったかな。」
「ううん!大丈夫だよ、それよりどうしたの?何かあった?」
「………そう言えば、何も言ってなかったね。」
自分でも驚いた。
幸村君からの具体的なお願いは聞いてないけど…
自分の信仰している神様が困っている時にそんな細かい考えている余裕はなかった。
「さんは、優しいんだね。こんな遠くまで飛んできてくれて。」
「幸村君からのお願いだもん、政府からの通達と同じレベルだよー。」
「…そっか、ありがとう。じゃあ行こうか。」
「どこに?」
「俺の家。」
「…………。」
え…。い、いいい今何て言いましたか…。
幸村君の家…?……それって現世に存在するものなのでしょうか。
いや…いや、そりゃ幸村君も普通の男の子だもんね、そりゃ家ぐらいあるか…。
「…どうしたの?」
「いや…ちょっと百貨店によっても良いかな?」
「いいけど、どうして?」
「ご自宅にお招きいただくのに手ぶらっていうのは…」
「あぁ、いいよ。こっちが勝手にお願いして来てもらったんだし。」
「ええ…でもご両親もいらっしゃるんでしょ?」
「……いない方が良かった?」
柔らかく微笑む幸村君に、つい赤面してしまう。
そっ、そんな意味で言ったんじゃないのに…!
それから少し押し問答が続いたけれど、
結局、幸村君にきっぱりとお土産は断られてしまった。
しきりに「こちらからのお願いなんだから」という言葉が出てきたけど
そのお願いって結局…何なんだろう?
・
・
・
「ただいまー。」
「はーい…あら、あなたが…今日はわざわざどうもありがとうございます。」
「ええっ!い、いえいえ…あの、私…幸村君とは…テニス部繋がりの友人のと申します!
本日はお招きいただき…その、あのお日柄もよく…」
「フフッ、何を緊張してるの?ほら、入って。」
「そうよー、狭い家ですけどどうぞごゆっくりしていってね。」
「はっ!は、はい、お邪魔いたします!」
玄関先で出迎えて下さったのは幸村君のお母さんと見られる美人の奥様。
幸村君ってお母さんに似てるんだー…。さすが神様のお母様はやっぱり
マリア様みたいなんだなぁ…。なんて思ってボケっとしていると
幸村君にもう一度促された。
「さん、こっちの部屋にどうぞ。」
「う、うん……。あれ…?」
「…………。」
2階にある部屋の扉を開けると、そこには立派なアップライトピアノと
その前にちょこんと座る、小学生ぐらいの女の子。
こちらを振り向いた女の子の顔を見て、すぐにピンときた。
「…幸村君の妹さん?」
「うん。芽衣って言うんだ。ほら、挨拶は?」
「……こんにちは。」
「こんにちは!わぁ、本当幸村君にそっくりだ!」
両サイドに髪を結い、幸村君のマフラーと同じ
赤いチェック柄のワンピースを着た美少女。…まだ随分小さいな。
しかし、少し口を開いたと思ったらまたすぐに俯いてしまう芽衣ちゃん。
……どうしたのかな。ちょっとだけ目元が赤いような気がしたけど。
「……どうかしたの?」
「フフ、さっきお母さんに怒られたのさ。練習を全然しないからね。」
幸村君に耳打ちすると、そっと教えてくれた。
……なるほど。私にも似たような経験がありすぎるだけに、少し笑ってしまった。
「…それでね、さん。今日は芽衣にピアノを教えてあげて欲しいんだ。」
「私が?あ、もしかしてそれが言ってたお願い?」
「うん。来年、すぐに町内会の新年会があってね。そこでピアノの発表会もあるんだけど
その課題曲が全く弾けない状態なんだ。さらに、タイミング悪くピアノの先生が
インフルエンザにかかってしまったらしくて…。」
幸村君が私に説明をしてくれる間も、
フルフルと肩を震わせる芽衣ちゃん。後姿だけど、なんだか
昔の自分を思い出してしまって、胸がキュっと締め付けられた。
「それで、思いだしたんだ。確かさんはピアノが趣味だったなぁ、と思って。」
「私…、教えられる程の技術はないかもしれないけど、でも是非お手伝いさせて欲しいな。」
「……良かったね、芽衣。」
「………。」
「ごめんね、今ちょっと落ち込んでるみたいだ。」
「ううん、大丈夫。……芽衣ちゃん、こんにちは。隣座っても良いかな?」
「………いいよ。」
グスっと鼻をすすった芽衣ちゃん。
ハっと息をのむような美少女に、思わずドキっとしてしまう。
…さ、さすが神の妹…可愛さもエデンレベルだな…!
・
・
・
「…わぁ、芽衣ちゃんこの曲弾くんだ。私も昔弾いたなぁ。」
「…………。」
「芽衣ちゃん、この曲全部聞いたことある?」
「……ない。」
「そっか、じゃあお姉ちゃん1回弾いてみるからちょっと聞いててね。」
小さい頃から慣れ親しんだ≪人形の夢と目覚め≫
久しぶりに弾くけれど、やっぱりあの頃大好きだった曲は指が覚えている。
お人形がすやすやと眠っているような、始まり。
そうして、段々と夢の中へストーリーが進んでいき…
たくさんのお人形がお友達とルンルンと踊っているような軽快なメロディ。
楽しい夢を見るお人形の可愛らしい姿が感じられるような、
そんな大好きな曲のひとつ。
「……どうだった?」
「…………。」
「…お人形さんが、わ〜って夢の中で踊ってるみたいじゃなかった?」
「……みたいだった。……楽しそうだった。」
「そっか!良かったー、楽しいなーって気持ちが伝わればいいなって思ったから。」
「……さん、こんな特技何で隠してたの?」
「え…、あ、別に隠してなかったけど披露することもなかったから…!」
部屋の後ろでは、椅子に座った幸村君が軽く拍手をしてくれた。
……なんだか、いつもの自分を知られてる人に
こういうところ観られるのは恥ずかしくてたまらないんだけど、
出て行ってとも言えないし……。
「…芽衣も弾いていい?」
「うん!じゃあ最初はゆっくり弾いてみようね。」
「わかった。お姉ちゃん、見ててね。」
そう言って、私の手を握る芽衣ちゃんが可愛すぎて昇天しそうだった。
小学1年生らしい芽衣ちゃんは、まさに天使。
幸村君が妹ちゃんのために、こうやってピアノの教師役を人に頼む気持ちもわかる…。
だって、こんなに可愛い妹が泣いてたらそりゃ…力になってあげたくなるもんね…!
少し後ろを向いてみると、やっぱり本当に愛おしそうな目で
芽衣ちゃんを見つめる幸村君。…こんな優しいお兄ちゃんがいる芽衣ちゃんも羨ましいな。
・
・
・
「……はい!うん、指も動くようになってきたね。」
「うん!もうちょっと弾く!」
「でも芽衣ちゃん、ちょっと休憩しよっか。今ずーっと弾いてるから指が疲れちゃうよ。」
「えー……芽衣、大丈夫なのに。」
「芽衣、アイス持ってきてあげようか?」
「わぁ!!やったぁ、アイス!お姉ちゃんも一緒に食べよう!」
「さんの分も、持ってくるからね。ちょっと待ってて。」
「え!ありがとう!」
あれから1時間。
元々、芽衣ちゃんはピアノに慣れていることもあって
曲を完成させるまでにさほど時間はかからなさそうだった。
出来れば、この曲を弾くのなら
ただ単に指を動かすだけの曲で終わらせるんじゃなくて、
かつて私が先生に教えられたみたいに、情景が伝わるような
聞いてて楽しくなるようなそういう、芽衣ちゃんの想い出の1曲にして欲しいと思うから。
幸村君に頼んで、休憩をはさんであと1時間だけ一緒に練習させてもらうことになった。
「お姉ちゃん、何のアイスが好き?」
「んー…、何でも好きだよ!芽衣ちゃんは?」
「私、チョコレートのソフトクリーム!」
「そっか、幸村君持ってきてくれるといいね!」
すっかり慣れたのか、よくしゃべるようになってからの芽衣ちゃんの
破壊力は半端なかった。幸村君と似ているけれど、もっと無邪気で
はち切れんばかりのその笑顔に、危うく即身成仏してしまうかと思う程に。
「おまたせ。芽衣の好きなソフトクリームあったよ。」
「わぁ!お兄ちゃんありがとう!…お姉ちゃん、これおいしいよ。」
「ありがと!モナカも好きだよー、幸村君もありがとう。」
「…良かったよ。さん、意外と教えるのも上手だったんだね。」
「いやいや、芽衣ちゃんが上手だからだよ。」
「…………。」
「さんが弾くピアノも聞いてみたいな。」
「そ、それはご勘弁を…本当恥ずかしいから…また今度ね…!」
「…………。」
「…今度立海にレッスンに来た時には聞きにいくよ。」
「……お兄ちゃんは、お姉ちゃんの彼氏なの?」
「ほあっ!?」
ソフトクリームを舐めながら、無邪気にきく芽衣ちゃんに
変な器官から変な声が出た。
幸村君は笑顔のまま芽衣ちゃんを見つめている。
「だから芽衣の家に来てくれたの?」
「う、ううん違うよ。お姉ちゃんは幸村君のお友達なんだ。」
「えー、じゃあもう来てくれないの?」
「芽衣、さんのこと随分気に入ったんだね。」
「…お姉ちゃん、お母さんより優しいもん。」
プクッと頬を膨らませてそう言う芽衣ちゃんが可愛すぎて、
思わず幸村君と顔を見合わせて笑ってしまった。
…私も、お母さんに怒られた時はついそういうこと言っちゃってたなぁ。
「でも芽衣ちゃん。もう随分弾けるようになったし、後でお母さんに聞かせてあげよっか。」
「……うん!」
「きっとお母さんびっくりすると思うなぁ…。だって芽衣ちゃんすごく上手になったよ。」
「…びっくりするかなぁ…。ねぇ、お兄ちゃんびっくりすると思う?」
「うん、思うよ。後でお母さん呼んできてあげる。」
「お姉ちゃん、早く練習しよ!芽衣、頑張らないと!」
・
・
・
「…すごいじゃない、芽衣。とっても上手だったわ。」
「…えへへ、そうかな?」
「さん、ありがとうね。大変だったでしょう。」
「いえいえ!芽衣ちゃん、とっても良い子で教えやすかったです。」
お母さんが見守る中、立派に曲を演奏した芽衣ちゃん。
幸村君やお母さん、そして私の拍手に包まれて芽衣ちゃんも満足そうだった。
さて、そろそろ私の任務も果たされたことだし
親子水入らずに割って入るのも無粋だしそろそろお暇しようかしらと思ったその時。
ピ〜ンポーン
聞きなれたインターホンの音が聞こえた。
あ、うちのインターホンと同じなんだ。
それと同時に、微かに可愛い声が聞こえる。
「…ちゃーん!芽衣ちゃーん!」
「あ!波江ちゃん達だ!!……あっ…。」
元気よく立ちあがったと思ったら、
急にシュンとして、そわそわとお母様の顔色をうかがう芽衣ちゃん。
「……いいわよ、頑張ったもんね。」
「っわーーい!やった!じゃあ波江ちゃん達呼んでくる!」
……なるほど。
どうやら、練習しない子は遊ばせません!ってことだったようで…
ひまわりが咲いたような笑顔で、部屋を飛び出た芽衣ちゃんを見て
3人で笑い合った。
しばらくすると、玄関からトタトタと可愛い足音が鳴り響き
部屋の中に3人の女の子たちが入ってきた。
「あ!芽衣ちゃんのお兄ちゃん!あの、こんにちは!」
「はい、こんにちは。今日も元気だね。」
「えへへ!……え……え?」
随分と最近の小学生ってオシャレなんだなぁ…。
なんだか、芽衣ちゃんを見た時は普通の服に感じたけれど、
今入ってきたお友達3人はまるで雑誌に出てくるようなオシャレな服を来ている。
しかし、やっぱり小さい女の子を普段見ることが少ないからか
久しぶりに見るとどうも頬の筋肉がゆるんでしまう。
はぁ…可愛いなぁ…天使みたいだなぁ…。
そんな私を見て、芽衣ちゃんを含む4人の女の子たちは
挨拶をする……訳ではなく、なんだかヒソヒソと話を始めた。
…ん、なんだろう。幸村君には元気に挨拶してたのにな。
まさか私から溢れ出る変態オーラ的なものを察知したのか…。
そ、そうか最近の子供は何かあるとすぐに町内会の不審者メールに
晒されるというぐらいだから、そういうの敏感に察知するのかもしれない…!
「み、みんな安心して。私は決して子供に何か悪戯をしようとか思っては…」
「あ、このお姉ちゃんはねお兄ちゃんのカノジョ!になる人!」
無邪気さゆえの発言に、私の顔は青ざめる。
幸村君の彼女だなんてそんな…
私にはレッドカーペットに上がれるような素質はないんだから…
やんわり否定しようとすると、それよりも数段大きな叫び声が部屋中に響いた。
「えええええええ!うそーーー!やだやだやだ!」
「えー!やだ、波江が彼女になるんだもん!!」
「お姉ちゃん全然可愛くないのになんでー?!」
な…なるほど、少し色々繋がった気がする。
彼女たちの服装に関する、妙な違和感が解消された。
…でも気持ちはわかる。
「年上のお兄ちゃん」っていうだけでも、この年頃の女の子には魅力的なのに
さらにこんな美少年ときたもんだ。大好きになるのもうなずける。
ここはハッキリと否定しておいてあげるほうが、
この子達のためだし、芽衣ちゃんのためでもあると思う。女の社会的に。
「あ、あのねお姉ちゃんは「俺の新しい彼女なんだよ。」
「ぶふぅっ!お…お戯れを、幸村君…ちょっとここは冗談通じる空気じゃないと思うんだけど…」
「フフ、さ。そろそろ部屋に戻ろうか。波江ちゃん達も、ゆっくりしていってね。」
有無を言わせず、部屋を後にする幸村君。
バタンと閉めた扉の内側から、きゃあきゃあと叫ぶ声がまだ聞こえていると言うのに。
・
・
・
「どうしたの、さん。」
「い…いや、あの…こ、ここが幸村君の部屋なんだーって思って…」
通されたのは、幸村君の部屋と思われる場所だった。
清潔感のあるベッドやカーテンの配色に、
テニスの大会で贈られたのであろう、トロフィーの数々。
窓際には幸村君が育てている観葉植物も。
ドサっとベッドに腰掛け、こちらに微笑みかける幸村君に
ドアのすぐ前で正座をする私。
……き、緊張する…。
「こっちおいでよ。そんなところじゃ足が痛いでしょ?」
「いえ!あの、私なんぞにはここで十分なんで!」
「…じゃあ俺がそっちに行こうかな。」
「いやいやいや!それは……。わ、わかった。じゃあこの座布団使わせてもらうね。」
仕方なく部屋の中央にあるテーブルに寄ると、
幸村君も、それを囲むように座った。
「……あ、そろそろ私お暇しようかな。芽衣ちゃんの成長も見届けられたし、ね。」
「ゴメンね、まだお願いは終わってないよ。」
「へ、あ、そうなの?他にもあるの?」
「……うん。すまないけど、付き合ってもらえるかな?」
「いいけど…何か困ってるの?」
「……今、そこのドアの隙間から覗いている女の子達のことさ。」
そっと私に耳打ちする幸村君。
ゆっくりと振り返ると、ばっちりと例の女の子たちと目が合い
バタンッと思い切り扉は閉められた。
……そ、相当幸村君のこと気になるんだな、あの子達。
だけど、幸村君も特に怒っている様子はないし…
それに同い年の女の子ならまだしも、あんなに小さい女の子たちなら
そこまで害もないと思うんだけどなぁ…。
「芽衣と仲良くしてくれるのは嬉しいんだけど…最近、少し頻度が高すぎてね。」
「え…あ、ああ。そっか。幸村君目当てで遊びに来るの?」
「…まぁ、芽衣も嫌がってはないからいいんだけど…こうして毎日覗かれるのもちょっと疲れてね。」
「な、なるほど…。」
あ、アレ別に今日だけってわけじゃなくて毎日覗いているのか…!
でも、こんな綺麗なお兄様が部屋の中で何をしているのか…気になる気持ちもわからなくはない。
しかし、やっぱり幸村君って…全人類にモテるんだなぁ…スゴイなぁ…。
「だから、しばらくさんに彼女のフリをしてもらってもいいかな。」
「………わ、私にそれが務まるとは思えないけど…。」
「大丈夫さ、小学生の女の子を騙すぐらい簡単だと思うよ。」
ニコっと、目の前で微笑む幸村君に一瞬眩暈がしそうになる。
……しかし、幸村君の彼女だなんて、嘘でもそんなポジションにつけるなんて。
「…わかった。幸村君も大変だね。」
「ありがと。それじゃ、早速だけどその幸村君っていうの辞めてもらっていい?」
「……え?」
「だって、彼氏と彼女はそんな呼び方しないでしょ?」
机に肘をついて、楽しそうに微笑む幸村君。
え……、でもじゃあ何て呼べば…
「じゃ、じゃあ…神様。」
「どうしてそうなるの?普通に呼んでよ。」
「…普通に?って…?」
「精市。」
「っ!そ、そんなダメダメダメ!ば、罰があたるよ!」
「ダメだよ、ちゃんと呼ばなきゃ。」
えー…なんか、精神的にそれはタブーな気がする…。
だって、幸村君に対して失礼にあたるような感じがするし…。
例えば、榊先生のことを気軽に≪タロちゃん≫なんて呼ぶような…
そのぐらいのレベルでの危険ゾーンな気がする…。
「う…、せ、せめて…せ、精市君…で。」
「…うん、じゃあ、それで。」
「はい。」
「………。」
「………。」
「…………。」
「………え?」
「呼んでみて?」
「え!えー……んうぉっふぉんっ、ごほっごふぉっせっ…いいち…くんごほぉっ!」
「なに?。」
「っ!」
あ、駄目だ。なんか眩暈する、眩暈。
今日は…今日は、私の記念日にしよう。
初めて神様に名前を呼んでもらった記念日。尊い…尊いよ、幸村君…!
「……フフ、何だか嬉しいな。」
「…え?」
「だって、氷帝の皆はって気軽に呼ぶじゃない?」
「…あ、あぁそう言われてみればそうだけど…。」
「俺も呼んでみたかったんだ。」
「ぶふぉぅっ!ちょ…ちょっとペース早くない?ゆきむ「精市。」
「……っせ、精市君…。」
さすが攻めるのが早い…!
忍足もびっくりの攻めの早さだと思う、さすが神の子。
あっという間に間合いをつめられるもんな…。
すっかり名前で呼び合うという、カップルの第一関門突破しちゃったもんな…。
「…じゃあ、次は手、繋いでみる?」
「い…いやいや…それはもう、いよいよ私の心拍数が上がりすぎて体調崩しちゃうから…。」
勢いよく後ずさると、後ろから微かに声が聞こえた。
「…やっぱり、彼女じゃないんじゃない?」
「ね。だって、なんかよそよそしいもんね。」
振り返ると、そこにはやっぱりドアの隙間からこっちをうかがっている4人。
……なっ、なるほど。幸村君はこの子達が見ているのをわかってたから、あんな提案をしたのか。
……しかし、この子達を納得させるには…
手を、繋ぐしかないのかもしれない。
きっと小学生の女の子のことだ。
恋人同士=手を繋ぐ、ぐらいの認識だろうから
この関門を突破すれば、このミッションはコンプリート出来るかもしれない。
「……っうす!おなしゃーっす!」
「…気合いばっちりだね。……じゃ、はい。」
「……っ……!」
余裕たっぷりに手をこちらへと差し伸べる幸村君。
……後ろでは、女の子たちが私の行動を全て監視している。
額に流れる汗を拭って、思い切って手を握った。
「…あ、暖かい…。」
「フフ、当たり前でしょ?」
「えっ…いや…うん、意外と大きいんだね。幸村君の手。」
「また名前。」
「はっ!あ、…あの精市君…の手。」
バタンッ
勢いよく扉が閉められた。
振り向いてそれを確認すると、私は幸村君に大きなガッツポーズを見せた。
「や、やったね幸村君!」
「…どうかな?」
「え…さ、さすがに大丈夫でしょ…。……と、いうか…あの、手…を…。」
「…意外との手は小さいんだね。」
指を絡ませながら、まだ私の手を握る幸村君。
……はっ、恥ずかし過ぎる…だけど、なんかもう
ずっと夢見てた二次元の乙女ゲームの世界の中に飛び込めたみたいで、
私の脳内は何も考えられない程に浮かれていた。
「あっ、あの!ごめん、ちょっと手に汗かいてきちゃった…!」
「…フフ、緊張してるの?」
「するよ!じゃあ逆に聞くけど、幸村君は緊張してないの?」
「…ちょっとドキドキしてる。」
う…っ、うわ…うわあああああ!
もう止めてください、私の血管が破裂してしまいます。
手を握りしめて、少しハニかむ幸村君。
……っく…こっちはちょっとどころか、心臓の機能がこれ以上
持つかどうかっていうレベルまでドキドキしていることなんて知らないんだろうな…!
「…もう少し、こっちに来てもらって良い?」
「え…え、なんで?」
「…っし。……今、見られてるから。」
困ったように笑い、耳元で囁く幸村君。
引っ張られるがままに、幸村君の正面に座らされてしまった。
こ…こんなに至近距離で、my godを見つめたのは初めてだ。
うわぁ…まつ毛長い…、目が綺麗…。よく見ると、前髪結構長いんだぁ…。
あまりの神々しさに、ボーっとしていると
少し表情が変わった幸村君。
先程まで、握られていた手は解放され
フと気付くと、後頭部のあたりに違和感があった。
「……っ!ゆ、ゆゆゆゆきむ…あ、せい、精市君!?」
「ゴメンね、さん。これで最後だから。」
意外と大きくて、男の子らしさを感じる手の平。
その手で、しっかりと固定された私の頭。
気がつくと、さっきよりも幸村君の顔はずっと近くにあった。
息をすることも出来ないその距離に、為す術もなく。
そっと耳打ちされた内容に反応するよりも前に
ッチュ
「っっ!?!」
「………。」
頬に触れた温かい感触は、きっと気のせいじゃない。
静かな部屋に、大きく響くほどに感じられたその音に
一瞬、頭の中が真っ白になる。
「……ありがとう。きっとこれで大丈夫だ。」
「え…えっ、あ!あ、今のももしかして…?」
「俺達のこと…もう疑ってないと思うよ。」
「………っそ、そっか!よ、よよよ良かった良かった!」
「…ゴメンね、さん。…嫌だった?」
「い、いいいい嫌だなんてそんな!ちょ、ちょっとびっくりしただけだよ!」
「……そう。」
さっきはドキドキしてるなんて、言ってたのに…
この余裕は何なんだろう。幸村君の穏やかすぎる微笑みに、
あれは一種の挨拶レベルのものなのかと思ってしまう程だ。
……今日は、本当にこの世のラッキーが全て私に集中したような、そんな一日だったなぁ。
・
・
・
「お姉ちゃん、またね!また来てね!」
「うん、ありがとう!芽衣ちゃん、また遊ぼうね。」
そろそろお暇しようかと、玄関で靴を履いていたとき。
後ろからトタトタと走り寄ってきてくれた芽衣ちゃん、とそのお友達。
嬉しそうに手を振る芽衣ちゃんとは対象的に、
そのお友達はやっぱりご機嫌斜めな様子で。
「…………な、波江はまだ諦めてないんだから。」
「そうだよ!だって、私だって芽衣ちゃんのお兄ちゃんと、手つないだことあるし!」
「うんうん!そのぐらいで、勝ったと思わないで欲しい!」
……あ…れ?
てっきり、「私達のお兄ちゃんをとりやがって!この泥棒猫が!」
とか言われると思ったんだけど…、あれ、なんだろう。何か引っかかる。
「波江ちゃん、でもお姉ちゃんは彼女だってお兄ちゃん言ってたでしょ?」
「…でも彼女だったら、チューぐらいするはずだもん!」
「そ、そうだよね!今日、お部屋でそういうことしてなかったもんね!」
ここで、完全に思考が停止する。
…何かおかしい。
確か、あの瞬間に幸村君は
「俺達のこと…もう疑ってないと思うよ。」て言ってた。
私の肩越しに、扉の方を見ながらハッキリとそう言っていた。
あの瞬間を、この子達が見たのであれば
後ろから見ていたなら尚更…あれは、完全にキスをしている構図に見えているはず。
「…ほら、。行こう。じゃあね。」
「うん!お姉ちゃんバイバーイ!」
「あ、ちょ…。」
「…幸村君。」
「ん?どうしたの、さん。」
「…ひ、一つ確認したいことがあるのですが…。」
「なに?」
「………あ、あの…さっき、こう…なんていうか…波江ちゃん達…」
「…………。」
「あの場面見てたはずなのに、ちょっとおかしなこと…言ってたなぁって…」
夕暮れの中、さくさくと歩いて行く幸村君。
後ろからで、その表情は見えない。
「…も、もしかしてあの時…って…」
そう言いかけた瞬間、足をとめた幸村君が振り返る。
マフラーに顔をうずめた幸村君の目が、少し笑っている気がした。
「……失敗しちゃったな。」
「…え?あ、もしかして…波江ちゃん達が見てるタイミングとちょっとズレたとか?」
なるほど、幸村君の思ってたタイミングと少しずれて
ちゃんとあの場面を見てもらえてなかったってことか…!
それは確かに失敗だ…。
「…さんって…、お人好しと言うか…何だか隙だらけだね。」
「へ?」
「失敗したのは、そういう意味じゃないよ。」
「………え?」
「……どうせなら、唇にキスすればよかった、って思って。」
フリーズする思考回路。
夕日に照らされながら、やっぱり穏やかに微笑む幸村君の
楽しそうな表情。
思いもよらない爆弾発言に、私の心拍数は上がるばかりだった。
A Happy New Year Story -side Yukimura-
fin.