氷帝カンタータ





番外編 秘密のランデブー -at Hotel-





「うわー、ほら見て!この窓からUSJが一望できるよ、ぴよちゃんさま!」

「…そうですか。」



最悪だ。


というか、こんなこと有り得るのだろうか。
もしかして、ホテルの従業員ごと巻き込んだ先輩の罠にハマってしまっただけなんじゃないだろうか。
旅行前からずっと「やっぱり夜とか怖いから一緒の部屋がいいよね?」と、イラっとする発言を繰り返していたことから考えると
あながち有り得ない話でもないだろう。

不自然なほどに口数が多く、無理矢理はしゃいでいる所もますます怪しい。



「…ぴ、ぴよちゃんさま?何か怒ってる?」

「……いえ。一応確認ですけど、あえてツインルームを予約しておいたとかじゃないですよね?」

「なっ…ち、違うよ!そんなこと疑ってたの!?私そんなに肉食系じゃないよ!」

「…普段の先輩の言動から推測したまでです。」

「本当にこれはハプニングだって!信じて!そりゃラッキーとは思ってるけどさ!」

「どこがラッキーですか。
……まぁ、先輩がそんな小細工隠し通せるはずないですしね。疑ってすいませんでした。」

「……。私、嘘つけない性質だからさ。」


疑われたのが気に障ったのか、少し不機嫌そうな顔で先輩は窓際のソファに腰掛けた。
…さすがに考えすぎか。それに今更疑ったところで、部屋がどうにかなるわけでもない。

上着を脱ぎ、クローゼット内のハンガーにかける。
1日中歩き回って疲れた足を、窮屈なスニーカーから解放し、使い捨てのスリッパに履き替えると
一気に1日分の疲労感が押し寄せた。
そのままドアに近い方のベッドに腰掛けると、先輩がこちらに顔を向けた。


「ぴよちゃんさま、そっちのベッドにする?」

「…ああ、はい。別にどちらでも。」

「じゃあ、私はこっちにしよーっと。」


ソファから立ち上がり、勢いよくベッドに飛び込む先輩。
靴を脱いだ方が…と注意しようとしたが、先程のソファの足元に既に靴が脱ぎ捨てられていた。
上着を着たまま寝転ぶ先輩。恐らく、同じように疲労感が急に押し寄せたのだろう。
いつも沈黙が流れると、放っておいてもペラペラとしゃべり出す先輩が
今は痛いほどの沈黙も気にせず、目を閉じてその身を思い切りベッドに投げ出している。

隣り合うベッドに寝転ぶ先輩を見ても、やはり何も感じない。
何も、というのはつまり普通、思春期の男子が年頃の女子に感じるような
やましい気持ちが全くもって浮かんでこない、ということだ。

俺がそういった類の事柄に興味がないからなのか、
それとも先輩が相手だからなのか、原因はわからない。
けれど、少なくとも今目の前で無防備な姿を晒す女子を見て
真っ先に思い浮かんだのはいつも校庭の木の下で居眠りをする芥川先輩の姿だった。
この豪快な寝像が男子を彷彿とさせる…なんてことは間違っても口に出してはいけない。

夕暮れから夜へと景色が移り変わる。
沈みかけた最後の夕日がぼんやりと部屋全体を包み込む。
時計の音さえも聞こえない静かな空間で、ぼーっと先輩を見つめていると
急に先輩がパチっと目を開けた。

特にやましいことなど何もない、だけど何となく、反射的に目を背けると
先程まで視線を送られていたことなど全く気付いていない様子の先輩が口を開いた。


「あ、そういえば晩御飯はここのホテルのレストランに行くんだった。」

「…さっきフロントで食事券もらってましたよね。」

「ぴよちゃんさまお腹空いてる?」

「…まぁ、ある程度は。」

「そっか、じゃあ早いとこ行っちゃおう。」


































「ほわー…美味しかったね。何かもう一生分の贅沢を味わった気がする。」

「確かに、中学生が晩御飯を食べるような場所ではありませんでしたね。」


ホテルの最上階に位置するフレンチレストラン。
そこで振る舞われたディナーコースは想像していたもののワンランクもツーランクも上のコースだった。
恐らく部屋が取れなかったことに対するホテル側からのせめてもの誠意だったのだろう。
元々先輩が持っていた旅行の案内には、これ程までのコースは含まれていなかったはずだ。

先輩は料理が出てくるたびに小さな歓声を上げ、幸せそうに料理を頬張る。
ひと口食べる毎に、「美味しいね」と単純な感想を述べる先輩が年上なのになんだか子供みたいで面白かった。



「ぴよちゃんさま、テレビつけていい?」

「どうぞ。」

「今何やってるかなー…、ニュースばっかりかなー…。」


先輩の陣地と化したベッドに座りこみ、チャンネルをくるくると変える。
胡坐をかいてテレビにかじりつく姿は、本当にもう男友達のようだ。

最初は、先輩の家に向日さんや忍足さんが泊ったりすることについて、
さすがにそれはマズイんじゃないかと思ったこともあったけど、
なるほど確かにこの先輩相手に間違いを起こす可能性は極めて低い。
部室内に居る時とまるで変わらない態度の先輩を見て、
ホっとする気持ちと、なんだか女子として可哀想だなという気持ちがこみ上げる。


部屋の中から見える景色は、すっかり夜だった。
テレビの前を横切り、窓際のカーテンを閉めていると
目ぼしい番組は見つからなかった様子の先輩が声をあげた。


「先にお風呂入っちゃっていいよ。」



振り返ると、今度はまた先程と同じようにベッドに寝転がる先輩。
いつのまにかテレビは消され、手元の携帯へと興味は移っていたようだ。


「…いえ、先輩が先にどうぞ。」

「え、いいの?……あ、そうだいいこと考えたよ私!超名案!一石二鳥!」

「言わなくていいです。」

「……まだ何も言ってないよ。」

「大体わかります、どうせ一緒に入るとか言うんでしょう。」

「きゃ、ぴよちゃんさまのエッチ!」


イラっとする声と仕草に対して、つい舌打ちをすると
怯えたような目で「冗談だよ…」とこぼす。

…この人はいつもどこまで本気で言ってるのか掴めない。
普段から先輩のセクハラまがいの冗談に慣れている俺だから良いものの、
この状況で、今のような冗談は…
普通の男子の中には勘違いして、取り返しのつかない事態になることもあるんじゃないだろうか。

どうでもいい心配を頭の中で繰り広げていると、
先輩が「そ、そんなに怒らなくても…大丈夫何もしないから…」とかすかに聞こえるぐらいの声で呟いていた。
どう考えても、それは女子が言うセリフじゃない。
本当にもうこの人の思考回路は読めない。思わず噴き出すと、俺が怒っているのではないと判断したのか、
嬉しそうな顔で「お風呂先入ってくるね!」と、荷物をまとめてシャワールームへと向かった。












ガチャ


「お先でしたー。」

「…早かったですね。」

「うん、私女子にしては結構早風呂だねって言われる。」


まだ濡れた髪の毛をガシガシとバスタオルで拭きながら、
冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
先程レストラン帰りに買った水をゴクゴクと飲み干す姿に、逞しさすら感じる。良い飲みっぷりだ。

その豪快な姿に似つかわしくない、いかにも女子らしいパジャマ姿が何だか新鮮に感じた。
淡いピンクとパープルのあったかそうなパーカーと、揃いのモコモコとした短パン姿。
見慣れているはずの先輩が、服装を変えるだけで何だか別人に見える。
というか、そんなに脚を出していると湯ざめするんじゃないのか。

あまりじっと見るのもおかしいと思い、すぐに目を逸らしたけれど
やはりその視線にも先輩は気づいていないのだろう。



「ぷはー!……あ、ぴよちゃんさま早いとこ入っちゃってね。」

「はい。」

「…覗いても良い?」

「真性の変態ですね、ぶっ飛ばしますよ。」

「おぅふ……、ご、ごめんつい好奇心で…!」

「最近は逆セクハラにも厳しい時代ですからね。」

ちょ…やめて、警察沙汰は…!冗談だよ!

「はぁ…。大人しくしててくださいね。」

「はーい。あ、お土産もう1回見よーっと。」


先輩の笑えない冗談を適当にあしらいながら、風呂の準備をしていると
静かな部屋の中に急に音楽が鳴り響いた。

驚いて振り向くと、どうやらそれは先輩の携帯の着信音だったらしい。
先輩は画面を一旦確認してから通話ボタンを押すと、楽しそうに話を始めた。


「もしもし、ちょた?どうしたの?………うん、うんうん。……そうなの。」


…。鳳か。
こんな時間に何の連絡だろうか。
…まぁ、俺には関係ない話なので特に気にもせずシャワールームへと向かった。






























ガチャ



「…うん、えーマジで!じゃあ……うん、そうしよっか。」



……まだ話してたのか。
シャワーを終え、ドアを開けてみると
先輩はこちらに背を向ける形でベッドに横たわり、
楽しそうに声を弾ませていた。

俺が出てきたことに気づき、ちらっとこっちに目を向けただけで
特に通話を終了するそぶりもない。


「わかった。だけど上手くいくかなー……。えー…えっへへへ…。」


自分のベッドに座り、バスタオルでゴシゴシと髪を乾かす。
テレビもついていない室内では、先輩の声だけが響き渡っていた。



「うん…、うん何か楽しみだね。……OK、今度の土曜日ね。」



…今度の土曜日?一体何の約束をしてるんだ。
耳から入ってくる情報につい考えを巡らせてしまう。
冷静になってみると、どうでもいい情報だけど
静かな室内では嫌でもその声に集中してしまう。

出来るだけ気にしないように。
俺は先輩と同じように冷蔵庫からペットボトルを取り出し、
火照った体には気持ち良い、冷たい水を一気に流し込んだ。



「はいはーい…、じゃあねーおやすみー。」


通話を終了した様子の先輩が、携帯をベッドサイドに置き
ごろんと寝がえりをうった。



「ぴよちゃんさま、案外シャワー長いんだね。」

「……そうですか?別に普通だと思いますけど。」

「そんで、意外と体から洗う派なんだねー。」


























ちょっ、まっ、嘘嘘!今のは勘だから、覗いてないからっ!ペットボトル振りかぶらないで!」

「……信用できませんね。」

「本当だよ…、ずっとちょたと話してたもん!信じられないなら電話してもいいよ!」

「……鳳と何を話してたんですか。」


手に持ったペットボトルを冷蔵庫へと戻し、
ベッドへと腰かける。たまたま俺のベッドに放り投げてあったテレビのリモコンを手にとり、
適当にテレビのチャンネルを回しながら何気なく問いかけた。


「なんかね、ちょたの友達が私の友達の真子ちゃんのこと気になってるんだって!」

「…あー、あの人ですか。」

「あ、ぴよちゃんさまも知ってる?あの氷帝の大天使真子ちゃんなんだけどね!」

「……それで?」

「でね、その恋を実らせるために今度4人で出かけよう!って話になってるんだ。」

「…へー。誰ですか、鳳の友達って。」

「えーっと、なんだっけ。確か野球部の子って言ってたよ。」

「真子さんは了承してるんですか?」

「まだわかんない!でもたぶんOKしてくれると思うなー、真子ちゃん遊園地好きだし。」

「…遊園地に行くんですか。4人で。」

「そそ。でね、良い頃合いで真子ちゃんとその男の子を2人っきりにしよーって!その作戦立ててたの。」


何が嬉いのか、ベッドの上に三角座りをして土曜日の作戦をぺらぺらと話す先輩。
首にかけたバスタオルで、さらにごしごしと髪の毛を拭きながら聞いていたけど
つまりよくあるWデートってことだろ、それ。


「ねぇ、ぴよちゃんさま上手くいくかなぁー。真子ちゃんに彼氏が出来たら嬉しいよねー。」

「…さぁ。別に嬉しくありませんけど。」

「えー、だって遊園地ってもうデートの定番スポットじゃない?絶対何か起こるよね!」


今度はベッドに寝転びながら、脚をバタつかせる先輩。五月蝿い。
…人の恋愛がどうなるかなんてどうでもいい。
というか、その真子さん自体よく知らないのに俺にどう興味を持てというのか。


「ちょたはね、遊園地あんまり行ったことないんだってー。」

「…そうですか。」

「ちょっと楽しみだなー。」


ベッドに寝転がったまま、両腕を天井に向かい垂直に掲げ
ぼんやり自分の両手を見つめる先輩。
土曜日の遊園地を想像してニヤけているのか、それとも眠いのか。
なんとも言えない表情をした先輩を見て、何故だか無性に腹が立つ。

大体、今この状況で遊園地の話をするっておかしくないか。
そんなに鳳と遊園地に行くのが楽しみなら、ここにも鳳と来ればよかっただろ。
俺にその話をしてどう反応しろというのか。
「いいですね、きっと楽しいでしょうね」とでも言えば満足するのか。

この先輩のことだ。
どうせ全く何も考えずに話をしているに違いない。
俺と遊園地に行くことと、鳳と遊園地に行くこと、どちらが楽しいか天秤にかけている
なんてことはきっとないのだろうが、その無神経さに妙な苛立ちを感じるのは何故なのか。

しかしこれを口にすれば、馬鹿な先輩のことだ。
きっと「ぴよちゃんさま、もしかしてヤキモチ?」等と自分の都合の良いように解釈するに違いない。
ヤキモチなんかじゃ決してない。
鳳と比べられることに対しての対抗心だ。

そう自分に言い聞かせて。



「………寝ます。」

「…あ、もうこんな時間かぁ。」

「先輩も早く寝てくださいね、五月蝿いんで。」

「……へ…へい…。」

「浮かれるのは勝手ですけど、一々俺に意見を求めないでください。ウザイんで。」

「………。」

「何ですか、その顔。」

「……え…と、ごめん…何か怒らせちゃった?」

「は?別に怒ってないです。」

「い、いや…。」


誰がどう見ても怒ってるけど…という先輩のセリフは聞かないフリをした。
俺はさっさとベッドに潜り込み、先輩に背を向ける。

背中に痛いほどの視線を感じるけど、もちろん無視。
泣きそうな顔で捨てられた犬みたいにこちらを窺っている、
そんな先輩の姿を容易に想像できるけど。

生憎、俺は鳳のように優しくない。
















「ね、ぴよちゃんさまもう寝た?」



………。




「写真撮っていい?」



………先輩にしては考えたな。
しかし、ここで起きてはまた面倒くさいことになる。
良い感じに眠たくなってきたところだし、
俺はピクリとも動くことなく無視を決め込んだ。



「……今日、楽しかったね。」



「私、ぴよちゃんさまと旅行できるなんて夢にも思ってなかったからさ。」



「ぴよちゃんさまと楽しい想い出作れて本当に嬉しかったよ。」



独り言のように呟く先輩。
先輩に背を向けたままで薄く目を開いた。

先程俺がまどろんでいた間に、先輩が消灯してくれたのだろう。
部屋の中は暗かったが、視界の端に少しだけオレンジ色の光が差し込んでいた。
そういえば、真っ暗な状態で寝れないとか言ってたな先輩。
恐らくこの光の正体はサイドテーブルのランプだろう。



「…こんなダメな先輩に付き合ってくれてありがとうね。」



「これからはもっとしっかりするからね。」



「ありがとう、ぴよちゃんさま。」



依然として先輩には背を向けたままで、
独り言に耳を傾ける。

よくもまぁ、こんな恥ずかしいセリフをぽんぽん言えるなこの人は。
いつになく素直な先輩につい噴出してしまいそうになるのを堪えて
そっと目を閉じた。

先程まで感じていた正体不明のイライラが
すっかり消え去っていた理由を
なるべく考えないようにして。




「…ちゃんとぴよちゃんさまにも真子ちゃんとデートする機会作るからね。」


「無神経でゴメンね。」




この人は本当にバカだ。




































ガチャ



バタンッ……






……。

ドアが激しく閉まる音に目が覚めた。
先輩がトイレにでも行ったのだろう。

快眠を邪魔されたことに、心の中で舌打ちしていると
睡眠中で暖まった体がいきなり冷たい外気に包まれた。


「…っ?」



異変に気付き、寝がえりをうちつつ振り返ると



「…っな、何ですか!」

「……んー……。」


すっぽりと俺の布団の中に収まる、先輩の姿。
突然のことに上手く頭が回らない。
暗闇に慣れない目をこすって、なんとかその姿を確認すると

彼女は完全に寝ぼけていた。
さらに都合が悪いことに先輩の意識は俺のベッドの上で徐々に失われていってるようだった。


「ちょ…っと、先輩。自分のベッドに戻ってください。訴えますよ。


気持ちよさそうに眠る先輩を起こすことに多少の罪悪感を覚えたが
このままでは眠れない。思い切って先輩の肩を揺すってみたけれど


「…んー、…えへへ…ぴよちゃんさま……それは参議院じゃなくて…人参だよ……。


今にも涎が垂れそうな、だらしない顔で内容がものすごく気になる寝言を呟く先輩。
どんな夢見てるんだ、この人は…。

夢の中でもふざけたあだ名を呼んでいることに、少し呆れつつも
何故だかもう先輩を起こす気にはなれなかった。


しかし、どうしたものか。


俺は今、ベッドの中で曲がりなりにも女子と並んで寝ている。
先輩に対して背中を向けているとはいえ、一緒にベッドに入っていることに変わりはない。
男女の仲でもない2人がこういう状況にいるのはさすがにマズイんじゃないだろうか。

初めての状況に段々と体温は上昇し
額にはじんわりと汗がにじむ。
何を想像してるんだ気持ち悪い、と自分に渇を入れつつも
背中ごしに伝わる規則正しい寝息にどうしても意識が集中してしまう。

そうか、俺があっちのベッドへ行けばいいんだ。

こんな簡単なことに気づかないのは、
やはり寝起きで頭がまだ上手く活動をしていない所為だろう。

先輩を起こさないようにゆっくりと布団をめくろうとしたその時




「…んー…、……すー…すー…。」

「…っ!!」



俺の体に急にずっしりとした感触が圧し掛かる。
その正体が先輩の脚だということに気づく程度には、頭の回転は正常になってきたようだ。

先輩の脚が体に絡みつく。

体が金縛りにでもあったように動かない。
額だけでなく、背中にまで汗がつたう。…どうすればいいんだ。

まるで棒のように硬直していると、さらに状況は酷くなる。



「………跡部…この…湯たんぽ……おっきぃねぇ…。」

「………勘弁してくれ…。」



絡めた脚にさらに力を入れ、今度は完全に後ろから抱きつくような形で腕を回された。
完全に抱き枕状態になった俺は、もうこの状況を抜け出す術を思いつかなかった。

背を向けた状態で感じる、女子の体の感触に嫌な汗が全身から噴き出す。
……このぷよぷよとした体のどこから、跡部先輩に技をかけられる程の力がみなぎってくるのだろう。

体が密着していることで、先輩の鼓動が直に感じられる。
規則正しい心臓の音に対して、どんどん早くなっていく俺の心臓。

全く状況を理解していない先輩の正常な鼓動に若干苛立つ。
出来るだけ、出来るだけ背中に感じる感触を意識しないように
今後ろにへばりついているのは男だ、ちょっと小太りで感触が気持ちいい関取りだ
と自分に暗示をかけながら目をつぶったけれど

やっぱりほとんど眠れなかった。































「……ん……ふぁー……え…、あれ?え…う、うぉぉぁああああ!」

「っ!…っう…るさいですね、朝から…。」

「いやいやいやいや…え!?え!?


聞きなれた先輩の五月蝿い声。
目を開けると、窓から明るい日差しが差し込んでいた。
……いつの間にか眠ってたのか。

まだ焦点の定まらない目で先輩を見つめると、
起きたばっかりだというのに耳まで真っ赤に染まっていた。


「ちょ…え、アレ…なんで…!うぉぁっ!


ドタンッ



状況を理解できていない先輩があたふたとベッドの上で騒いでいる。
勢いよく後ずさりした先輩は背中から豪快に床へとダイブした。


「…っぷ…何暴れてるんですか、朝から。」

「いって…て……あ、あのあの…!!」

「何ですか。」

「ごっごごごごめんなさい!責任はとらせていただきます!」

「一体何の責任ですか。」

「え…え、だって私…同じベッド…ってことは…一夜を共に「変な言い方しないでください。」


未だに状況を理解できていない様子の先輩。
床に尻もちをついたまま、目を白黒させている。いい気味だ。


「…先輩が間違って俺のベッドに入ってきたんですよ。」

「え…う、うわごめんなさい…!起こしてくれたら良かったのに!」

「起こしましたよ。全然起きなかったじゃないですか、変な寝言ばっかり言って。」

「え!何か言ってた?私!」

「………参議院がどうとか、湯たんぽが…とか言ってましたよ。」

「うわぁああ、恥ずかしい!全然内容覚えてないけど、恥ずかしい!」


顔を必死に掌で覆い隠す先輩。
なんだかレアな光景だ。
今までもっといっぱい恥ずかしいことしていたような気がするけど
寝言を聞かれるのが、そこまで顔を真っ赤にして恥ずかしがることなのか。
本当にこの人の判断基準がわからない。

今、先輩に昨日の夜の出来事を伝えたら
もっと顔を赤くして爆発しかねない勢いだ。

普段セクハラ発言を堂々とするくせに、一緒のベッドで寝ていただけで
ここまで狼狽する先輩がどうしようもなく面白い。



「…忍足先輩に会いたい…、とも言ってましたね。」

「うえええええ!う、うそうそ!それは違うの、きっと呪詛か何かの一種だから!そんなこと思ってないよ!」

「あー、あんなことも言ってたましたね…。」

「え…え、何?やめて…。」

「…思いだすのも恥ずかしいんで、いいです。」

「ちょっ…え、私何言ってたの!?やだ、ごめん!言ってってば!」


立ちあがって俺の両肩を掴みゆさゆさと揺らす先輩。
見たことないぐらいに顔を赤くして焦っている様子が妙にツボにはまってしまう。

もちろん、そんな寝言言ってないけど
…普段の恨みを晴らしてやる。そんな意地悪な気持ちがつい芽生えてしまった。


「…なんか…好き…とか。」

「……ん、え?何?好きって?私が?…え、何を?」


さっきまで赤かった顔が一気に青ざめる。
本気で心配そうな顔をした先輩が詰め寄ってくるのを見て
つい笑いそうになるのを、必死に堪えた。


「……俺。」

「…………。」


ちょっとからかってやるつもりで言ってみたものの、
冷静に考えると何恥ずかしいこと言ってるんだと、自分で自分を殴りたくなった。
…ちらりと先輩の方に顔を向けてみると


「……せ、先輩大丈夫ですか。」


脚から顔まで全身真っ赤にして目を見開いてフリーズしていた。
目の前でチラチラと手を振ってやると、それに気付いたのか
またもや掌で顔を覆い隠し、ぺたりと床に座り込んでしまった。

……なんだこの先輩、面白い。


「……ぴよちゃんさま。」

「…っぷ…ふふ、はい?」

「いっそのこと、ここで私を亡き者にしてください。

「何言ってるんですか、物騒な。」



床にへたりこんだまま動かない先輩を見て、
昨日の硬直していた自分を思い出す。
……よし、やり返してやった。これは昨日の仕返しだ。

先輩が知る由もない昨日のベッドでの攻防を思いだし
密かに心の中でガッツポーズをした。


「……あ、あの…。」

「何ですか?別に気にしてないんでいいですよ。」

「……え…と、皆には…言わないでね。」


ベッドの上にいる俺を見上げるように、
真っ赤な顔で、目を潤ませながら、
か細い声で懇願する先輩。


いつものあの修羅のような先輩はどこへいったのやら。


まだ上手く頭が働いていないのか
それとも俺の頭がおかしくなってしまったのか


そんな先輩を見て不覚にも可愛いと思ってしまったことは


それこそ誰にも言えない秘密だ。






陽の光を浴びながら、妙な空気に包まれたホテルの一室。

鳥の声だけがかすかに聞こえる朝に



俺と先輩だけの秘密が生まれた。