「わー、久しぶりのお師匠様の部屋だぁ。森林浴に来た時みたいな爽やかさを感じる…深呼吸しとこっと!」
「気持ち悪いからやめて。」
「あ…え、嘘これ…青学の皆で撮った写真?」
「…中学の時。」
「やっぱりそうだよね!うわー…これどうにかpdfにして送ってもらえないかな?」
「送らない。ちょっと、今日は何しに来たか覚えてる?」
「ゴメンゴメン!久々のお部屋訪問で興奮してしまって…。ちゃんと持ってきたよ、これ!」
お師匠様の表情が段々呆れ顔に変わってきたことを素早く察知した私は、
鞄から本日の目的である英語の宿題を取り出した。
明日の英語の授業は、出席番号順でいくと私が当てられる。
前回当てられた時に、うっかり宿題を忘れていたため
その場で英文を訳して発表してみたけど、先生も怒るのを忘れて笑いだすレベルの訳文だったらしく
その日からしばらくの間、クラス内でのあだ名が「エキサイト翻訳」になってしまった。
もう二度とあんな思いはしたくない。
そう考えた私は真面目に宿題はやろうと決意した。
だけど、今回は英作文の宿題だ。一旦自力で書き上げてみたものの、念には念を入れてということで
お師匠様に相談してみたところ、なんと私の宿題をチェックしてくれるらしい。
年下にチェックを乞う年上なんてダサイことこの上ないけど
相手は帰国子女。きっとチェックなんて息をするよりも簡単に出来てしまうに違いない。
いつものようにファーストフード店で待ち合わせにしようかとも思ったけど、
お師匠様の方から「うちでやれば。」という甘いお誘いがあった。
付き合いはじめてもうすぐ1年と1カ月。
高校生になったお師匠様は最近ますますカッコよく、それでいて可愛さも失われていない
素晴らしい小悪魔系天使へと成長していた。
そんな彼氏の自宅に誘われるだなんて、カップルイベントレベルでいうと
レベル7ぐらいのところまできている気がするけど、
私達の間にそういったセクシーな雰囲気はほとんどなく、
キス以上のコトには発展することはなかった。
何故かと聞かれると上手く答えられない。
私にもわからないからだ。
ただ、1つ思い当たることがあるとすれば…
「…ねぇ、聞いてるの?この"あなたの趣味を英語で紹介しなさい"って質問に対する"Watching my boy friend forever."って何なの、気持ち悪い。」
「あ!そ、そのページは見なくていいから!宿題はこっち!"あなたの身近な人を紹介しなさい"の方だよ。」
「…"My boy friend is angel from heaven. He was born to make people happy. Yes, he is angel."」
「どう?かなり力作なんだけど。ほら、この"born to ?"のところなんかは有名な曲のフレーズを使ったりしてるんだ。」
「……この boy friendって誰のこと。」
「えへへ、お師匠様に決まってるじゃん。」
「頭おかしいんじゃない。」
「え!ど、どこが間違ってた?」
「文法がどうとかいう次元じゃないんだけど。こんな文章を授業で発表するの?」
心底呆れた顔で私を見つめるお師匠様。
こういうところだ。
私のこういうところがダメなんだと思う。
どうしてもお師匠様のことを心の底から崇めてしまう。
対等な関係であるべきなのに、何もかもパーフェクト天使な彼氏に対して一歩引いて見てしまう。
お師匠様への愛が強すぎるがために、ちょっとお師匠様に引かれてる気がする。
私を見る目が段々と、恋人を見る目から面倒くさいファンを見るような目に変わってきている気さえする。
だけど、どうして良いのかわからなかった。
お師匠様を愛でる気持ちに蓋は出来ないし、
自分の性格もこの年になって変えられるものじゃない。
一時期はそんなことで悩んだこともあったけど、
お師匠様の「別に無理して背伸びしなくてもいいんじゃない、先は長いんだし。」の一言で
全て吹き飛んでしまった。
先は長いだなんて…私との将来を考えてくれてるのかな?なんて思うと
もう嬉しくて仕方が無かった。より一層お師匠様が大好きになった。
たまに甘い雰囲気になったりすることもあるけど、
世間一般のカップルが1年付き合ったら普通遭遇するようなイベントには
私達はまだ達していなかった。
でも、「先は長い」んだから焦る必要なんてない。
きっとお師匠様も同じ気持ちでいてくれるはずだ。
「……何笑ってんの?真面目に聞いてる?」
「…へへ。なんかお師匠様を見つめてると幸せな気分が溢れてきちゃって…」
「……真面目にやらないならペナルティだね。」
「え!ペナルティ?」
「折角これ、行こうと思ってたのに。クリスマスに。」
ニヤリと笑いながらお師匠様が机の引き出しから取り出したのは
私がずっとずっと行きたいと思っていた遊園地のペアチケットだった。
「え…うそ、それ…遊園地のチケットだよね?」
「…行きたくないの?」
「い、いいいい行きたいです!行きたい!お師匠様が不機嫌な顔でメリーゴーランドの馬に乗ってる写真撮りたい!」
それに、ジェットコースターで一緒にはしゃぎたいし
あ!そうだ、ペアルック!遊園地でペアルック着て歩きたい!
しかもその日はお師匠様の誕生日だ。
遊園地デートからの何か…何かサプライズとか仕掛けたいな。
テンションがあがりすぎて色んな妄想を楽しんでいると、
私の表情を見つめていたお師匠様がプっと吹き出した。
「…じゃあこの宿題頑張ったらご褒美にコレ、あげる。」
「頑張ります!お師匠様からのご褒美っていう単語だけで頑張れそうな気がします!」
「これだけでいいの?」
「あ、まだもらえるならそこにある枕カバー一日借りてもいいかな?」
「………そういうのじゃなくって」
はしゃぐ私の腕を優しく握るお師匠様。
振り向くと、目の前までお師匠様の綺麗な顔が迫っていた。
そのまま真っ直ぐ目を見つめられると、私はもう動けない。
…お師匠様がこういう甘い雰囲気を醸し出す時は
彼が年下だっていうことを忘れそうになる。
内心パニックになりながらも、心のどこかでこの雰囲気に期待している自分がいる。
きっと今私の顔は真っ赤になっているんだろうけど、
お師匠様はその様子を楽しんでいる節がある。
こういう時の顔はまさに小悪魔だ。
「…目、閉じて。」
「……は、はい「リョーマ、いるかー。」
「…なんだちゃん。何してるんだ?」
「いい、いいいいい今新しいプロレスの技を考案中でした!」
「……何、親父。」
あと数cmで唇が触れ合いそうだったその時。
バタンと盛大に開かれた部屋の扉。
…お父様はいつもノック無しで入ってくるから気を付けないといけなかったのに
さっきは完全に気を抜いていた…!
咄嗟の判断で飛び上がり床に転がる私。
伊賀忍者ばりの俊敏さで、お師匠様から距離を取った。
しかし私とは反対に、全く動じていない様子のお師匠様は冷静にお父様に対応していた。
「ははーん…お前らいやらしいことでもしてたんだろ。」
「なななな何を仰いますやらお父様!私達そんな破廉恥な関係じゃございません!良き友、良き理解者として「用件は?」
慌てふためいてうっかり汗まで流す私を生暖かい目で見守るお父様。
…ば、ばれてる…。完全にいやらしいことしてたってばれてる…!
これ以上話を広げられたら面倒くさいと判断したのか、
私の言葉を遮って不機嫌なお師匠様の声が響いた。
「あぁ。また今年も里崎のおっちゃんが手伝ってほしいらしい。」
「……里崎のおっちゃん?」
「ほら、去年行っただろうが。スキー場の近くの民宿だよ。」
「…あぁ。そういえば行ったかも。いつ?」
「12月の24・25の2日間。」
「…ふーん、わかっ……は?」
「ほんじゃ、よろしく〜。」
部屋でいやらしいことをしてたんじゃないかというお父様の疑いをはらすべく、
2人の会話中も必死に英語の宿題に取り組む素振りを見せていた私。
しかし、気になる単語が飛び込んできたことで私も思わず顔をあげる。
…12月の24日、25日って……ばっちりクリスマスの日だよね?
何となくお師匠様の顔を見ると、
ポカンと口を開けてただただお父様を見つめていた。
「…っちょっと待って。」
「んあ?なんだよ。」
「その日は無理。断っといて。」
「なんだよ、もういけるって返事しちゃったぞ。」
「…なんで確認する前に返事するの。とにかく…無理だから。」
「……あー!そうか!…そうかそうか…。」
目の前で親子喧嘩が勃発しそうな雰囲気にドキドキしていると、
急にお父様が大きな声で笑い始めた。
私とお師匠様を交互に見つめながら何やら1人で納得している。
…うーん、話が全く見えない。
「クリスマスだもんな。」
「……別にそうじゃないけど。」
「…いや、今いい考えが浮かんだぞ。ちゃんも一緒に行けばいいじゃねぇか。」
「は?」
「へ?私ですか?」
お父様の口から飛び出した私の名前を聞いて、とうとう会話に割り込むことに成功した。
…さ、さっきからちょっと気になってたんだけど
この流れは…お師匠様のクリスマス2日間が失われる流れ…だよね?
「そうだそうだ、そうしよう。おっちゃんには俺から言っておいてやるよ。」
「ちょっと待って、勝手に話進めないでよ。」
「…お、お師匠様。良かったら何の話か聞いてもいい?」
「俺の知り合いに里崎のおっちゃんって人がいるんだけどな、その人が民宿を経営してるわけよ。」
何だかものすごく楽しそうに話すお父様の話を要約すると、こうだ。
里崎のおっちゃんと呼ばれるお父様のお知り合いがいて、
彼はスキー場近くの民宿を経営しているらしい。
毎年クリスマスの時期は意外にも客足が伸びるらしく、人手が足りないそうだ。
その話を聞いたお父様が去年、お師匠様を派遣してみたところ
ものすごく助かったらしい。
…お師匠様って接客とか出来るタイプには見えないけど、
2年連続でお声がかかるということは、きっと仕事ぶりが素晴らしかったのだろう。
もちろん日帰りできる距離じゃないので泊まり込みになるらしいのだけど、
そこに今年は私も同行してみないかというお誘いだった。
きちんとお給料ももらえるし、宿泊代はタダ。
…ものすごく楽しそうなお誘いだけど…
お師匠様の方をちらりと見てみると、すっかり不貞腐れていた。
…クリスマスは遊園地に行く約束をさっきしたばっかりだもんね。
そんな顔になるのもわかる。
しかしどうやってこの話を上手く断れるだろうかと頭を巡らせていた時、
畳みかけるようにお父様の発言が続いた。
「まぁ、ちょっとは働かされるけど考えようによっちゃぁ…クリスマスに2人でお泊りデートだぞ?」
「お泊りデート!?」
「安心しな、ちゃん。部屋はちゃんと1室にしといてもらうから。」
「そっそん…あの…っでも…あっざまぁあっす!!!」
お師匠様をフと思い出すような微笑みのお父様に
思わず体育会系式挨拶で頭を下げる私。
それを見て露骨にため息をつくお師匠様にハっとする。
…い、今思わずノリで返事しちゃったけど…
「で、でも…その日はお師匠様が遊園地に連れて行ってくれる日で…。」
「遊園地はいつでも行けるだろ?お泊りなんて、中々ないぞ?」
「…っぐ……いえ…で、でも私は遊園地ではしゃぐお師匠様を見るって決めてて…」
「お泊りだったら…普段見れないリョーマの寝顔とか起き抜けの顔とか…見れそうだけどなぁ。」
「や、やめてください…!それ以上想像すると私の中の何かがはじけとんでしまいます…!」
「……それに夜はもちろん…二人っきりだしな。」
悶えて床に転がる私に追い打ちをかけるように、耳元でコソっと囁くお父様。
2人きりの夜…同じ部屋……規則正しいお師匠様の寝息……天使の寝顔……
そこまで想像して私の思考は停止した。
「…何言ったんだよ、親父。」
「別に〜?ま、頑張れ息子よ。」
「…ウザイんだけど。」
「ほんじゃ、取り敢えずそういうことで進めとくからなー。」
お父様が口笛を吹きながら去っていく。
私の頭の中では天使の様な表情で眠りにつくお師匠様の妄想でいっぱいだった。
手で顔を抑えながら悶える私を、お師匠様が何も言わずに見つめている。
「……お、お師匠様ゴメン。断り切れなかった…。」
「…まぁ、こうなるだろうとは思ってたけど。」
「ゴメン…。」
「別にが謝ることじゃないでしょ、親父がいつも通り自分勝手なだけ。」
「…遊園地、別の日にも行けるかな?」
「チケットは来年3月まで有効…って書いてるけど。」
「良かった!……じゃ、じゃあ今年のクリスマスは…」
「……が想像しているようなものじゃないと思うけど。」
「え?」
机に肘をつきながら、面倒くさそうに呟くお師匠様。
遊園地を先延ばしにしてしまったことは申し訳ないなと思いつつも、
初めてのお師匠様とのお泊りに、私の心は静かに踊っていた。
…普段は見られないようなお師匠様のあんな姿やこんな姿…
大丈夫かな…何枚メモリーカードがあっても足りないぐらい
写真を撮ることになるんじゃないかな…。
そんなことを想像していると、フと目の前のお師匠様と目が合う。
ジっと私の目をまっすぐ見つめるその視線が気まずくて
曖昧な愛想笑いを浮かべると、ハァっと大きなため息をつかれてしまった。
「……っていうか…本当にわかってんの。」
「そ、そうだよね!一応メインは民宿のお手伝いだから…大丈夫、頑張るよ!体力には自信あるから!」
「……全然違うんだけど。……まぁ、いいや。」
・
・
・
「リョーマくん!久しぶりだねぇ、ますます大きくなって…。」
「……どうも。」
「そちらの女の子は…あぁ、君がちゃんだね。」
「はい!お世話になります、よろしくお願いいたします!」
クリスマス当日の早朝。
夜行バスから降りてみると、辺り一面銀世界だった。
本当に遠いところに来たんだという実感が一気に沸いてきて
眠気も吹き飛んだ。テンションがあがる私に対して
未だに眠そうなお師匠様。
バスターミナルまで迎えに来てくれた里崎さんは
笑顔の優しいおじさまだった。
私が挨拶をすると、「元気で良いね」と笑ってくれた。
「去年はリョーマ君大活躍だったからね、今年もよろしく頼むよ。」
「お師匠…あ、リョーマ君はどんな仕事っぷりだったんですか?」
なんだか眠そうな顔で曖昧に頷くお師匠様。
私の知る限り、お師匠様って接客業でサービススマイルを連発するようなタイプでもないと思うんだけど…
どんな活躍をしたのか知りたくて、里崎さんに聞いてみると
嬉しそうな顔で去年の想い出を語ってくれた。
「人気スキー場の近くにある民宿の中でも、私のところはまぁ…場所的にも少しスキー場から離れててね。」
「そこまでお客様が多いって訳じゃないんだけど、去年は急に従業員が2人辞めてしまったんだよ。」
「時期が時期なこともあって、代わりの人も中々見つからず…どうしようかと思ってる時に、久しぶりに南次郎君に会ったんだ。」
「色々と話す内にたまたまその話になってね。いい人がいないかと相談してみたら、息子さんを手伝いに行かせるなんて言ってくれたんだ。」
「取り敢えず人手が欲しかったから、どんな子でもいい、体力があればってことで紹介してもらったんだけど…」
ざっくりと雪かきが施された民宿までの道を歩きながら、
私は里崎さんの話を聞いていた。
お師匠様はと言えば、少し道をはずれてまだ新しい雪をサクサクと踏み歩いている。可愛い。
去年の私が知らないお師匠様エピソードを楽しんで聞いていると、
突然里崎さんがクスクスと笑い始めた。
「小さな民宿だから、リョーマ君がお皿を運んだり雪かきをしているとお客様の目についたみたいでね。」
「中でも女性のお客様からの問い合わせがすごかったんだよ。地元のバイトの子か?なんて夜中に聞きに来る人もいたぐらいだ。」
「手伝いにきてもらってる子だって説明したんだけど、あの子がいるなら来年もここにくる!って言われちゃってね。」
…なるほど、そういうことか…!そういう意味での大活躍か…!
ものすごく納得できる。こんな天使みたいな男の子がいたら、そりゃ熱狂するわ。
スキーそっちのけで民宿に?タるかもしれない。それ程の力をお師匠様は持っている。
「まぁ、リョーマ君も折角の休みで忙しいだろうからダメ元でお願いしてみたんだけど…ありがとうね、来てくれて。お客さんも喜ぶよ。おかげで今年は満室御礼さ。」
「え!スゴイですね、満室って…。」
「口コミが広がったみたいでね、リョーマ君を一目見てみたいってお客様が殺到したんだよ。」
お師匠様の持つポテンシャルがすごすぎて言葉が出ない。
そんな…マスコットキャラクター的な働きをしていたんだね、去年のお師匠様は…!
「さすが世界天使ランキング暫定1位のお師匠様…。」
「…っていうか。」
「へ?」
「…おじさん、結構人使い荒いから気を付けたほうがいいよ。」
「あはは、リョーマ君去年の事まだ根に持ってるんだね?」
朗らかに笑う里崎さんからは、そんな人使いの荒そうな空気は感じないけど…
お師匠様曰く、「笑顔で色々頼んでくる」らしい。…なんか、そんなこと言われると怖くなってきた。
そうこうしている内に着いた先は、こじんまりとした民宿だった。
広い玄関にはスキー板やスノーボードが立てかけられていて、
昔ながらのストーブがオレンジ色に燃えていた。
どこか懐かしいような匂いに包まれたその民宿を、私はあっという間に気に入ってしまう。
「わぁ…ストーブの香りがいいですね…!」
「暖かいでしょう。さ、2人の部屋は3階にあるから案内するよ。」
「はい、ありがとうございます!」
3階に行くには階段を使うしかないらしい。
ギシギシと音をたてる木造の階段も、何だかアットホームな雰囲気が出ていて素敵。
全体的に築年数は結構経っていそうだけど、清潔感のある廊下。
壁には冬のスキー場を描いた油絵や、綺麗なドライフラワーが飾ってある。
しばらく廊下を進むと、里崎さんがドアの前で立ち止まった。
小さなカギで扉を開けると、中は意外と広い畳のお部屋で
可愛い小花柄のカーテンや、昔ながらのテレビがいかにも民宿らしい暖かみを演出していた。
「長旅も疲れただろうから、ゆっくりしてもらいたいのは山々だけど…もうすぐお客様のチェックインが始まる時間だから一通り業務内容を説明してもいいかな?」
「はい!よろしくお願いします!」
「…やっぱり人使い荒い。」
ふわぁと大きくあくびをするお師匠様。
その様子を見た私と里崎さんは顔を見合わせて笑った。
…この労働が終われば、お師匠様とのクリスマスイブ。
何より今日は彼氏の誕生日。その1日をずっと一緒に過ごせるなんて、幸せだなぁ。
なんて呑気に考えていたことを、私は激しく後悔するのだった。
・
・
・
「じゃあ、リョーマ君は去年同様一緒に受付接客全般を頼むよ。ちゃんはこっちに来てもらえるかな。」
「え……あ、…はい!」
てっきりお師匠様と一緒に働けるのかと思っていると、そうではないらしい。
受付でひらひらと手を振るお師匠様と別れて
連れてこられたのは、厨房だった。
あたりに充満するおいしそうなお味噌汁の匂い。
里崎さんに案内された先には、トントンと軽快な包丁の音を響かせる女性がいた。
「七尾さん、ちょっといいかな?」
「はーい!…あら、あなたがちゃんね。」
「はい!よろしくお願いっしゃーっす!!」
「彼女はここで働いてくれている七尾さん。今日は彼女に色々教わってね。」
七尾さんは、50代ぐらいの優しそうな女性だった。
もう10年以上ここで働いているらしい。
簡単に挨拶を済ませた私達を置いて、里崎さんが受付へと戻っていく。
私は朝食準備の最中だという七尾さんを手伝うべく、まずはネギを刻む作業に取り掛かった。
「ちゃん、手を動かしながらでいいからこの後の予定聞いてね。」
「はい!」
「朝食の準備が終わったら、その後部屋の掃除に行きます。そして戻って食堂の片づけをして晩御飯の仕込み。」
「はいっ!」
「その後休憩を挟んで、外の雪かき。で、その頃になると皆さんスキー場から帰ってくるので晩御飯を準備します。」
「…はい!」
「折角の彼氏とのクリスマスなのに…手伝わせちゃってごめんねぇ。」
中々ハードそうだな、と思っていたのが顔に出ていたのか
七尾さんがパチンと手を合わせて謝る。
「そんな!自分から引き受けた仕事なので…頑張ります!」
「まぁ、頼もしいわぁ。一緒に頑張りましょうね。」
「はい!………あの、ちなみに…なんですけど…。」
「なぁに?なんでも聞いて頂戴。」
「…リョーマ君と一緒に働いたりするタイミングって…」
「…ごめんなさいねぇ、リョーマちゃんは受付や接客対応で…あんまり一緒にならないと思うわ。」
「そ、そうですよね!いえ、大丈夫です!浮ついた気持ちですいませんっした!!」
…想像していた業務内容とは大幅に違ったけど…仕方ないよね。
というか、こうやって真剣に働いている人がいる中で
あわよくばお師匠様とキャッキャウフフと働こうなんて思ってた自分が恥ずかしい。
きちんとお給料ももらうんだから…しっかり働かないと。
きっとお師匠様だって頑張ってる。
……これを乗り越えたら、今日の夜は2人きりのクリスマスイブ。
…よし!
何度も頭の中でシミュレーションした甘いクリスマスを夢見て
今はまず目の前の仕事を頑張ろうと決意を新たにした。
「去年より大きくなったよねー?やだ、本当可愛いー!」
「そう?お姉さんはちょっとおばさんになったんじゃない。」
「やだもー!相変わらず生意気なんだからー。」
「リョーマ君、私達と一緒にスノボしない?」
「…やめとく。ここでお姉さんたちの帰りを待ってるよ。」
大半が女性で埋め尽くされた朝食会場。
七尾さん、私、里崎さん。そしてお師匠様の4人でご飯やお味噌汁を配っていく。
やっとお師匠様の働く姿を見ることが出来るんだ…なんて思ったのも束の間。
行く先々でお師匠様はお姉さん達に話しかけられていた。
安定の塩対応にも関わらず、その甘いルックスとお師匠様の持つ天使属性が作用して
まるでアイドルのように、皆をキャーキャー言わせるお師匠様。
すごい…すごいよお師匠様…!
お姉さん達への応対が王子様すぎるよ…!
私もお師匠様にあんな言葉をかけられたいと思いながら、
必死にお味噌汁を配っていると、隣にいた里崎さんがぽつりと呟いた。
「リョーマ君、今日ご機嫌だねぇ。」
「え?そうですか?」
「うんうん。去年はもっと…なんというか対応が固かった気がするけど…。」
…確かにそう言われてみると、今日は笑顔が多いかもしれない。
朝はあんなに眠そうにしてたけど…
「綺麗なお姉さんに囲まれて、満更でもないのかな?フフ。」
何気ない里崎さんの発言に、チクリと何かが痛む。
私の存在に気が付いて、すぐに「リョーマ君はそういうタイプでもないか。」と
里崎さんが笑いながらフォローをしてくれた。
そうですよね、なんて笑いながらも少し何かが引っかかっていた。
「ちゃん、ごめん!次はこっち手伝ってもらっていいかしら?」
「あ、はーい!すぐ行きます!」
朝食を終えて、段々と人もまばらになってきた朝食会場。
次はお皿の片づけだ…!
七尾さんに呼ばれて、慌てて厨房と食堂を走り回る。
大きなお盆にどんどんお皿を積み上げながらも、
チラリとお師匠様の様子を目で追ってしまう。
楽しそうにお姉さん達と話し込んでいる姿を見て、
思わずその場に割り込んでいきたいような衝動に駆られたけど
……今は仕事中だから、我慢しないと。
「ちゃん、お疲れ様!すごいわぁ、やっぱり若い子は体力があるわねー。」
「へへへ、実は高校では運動部のマネージャーやってまして…。」
「あら、そうなの!気が利くものねぇ。」
「ありがとうございます!午後からも頑張ります!」
全ての部屋の掃除が終わって、やっと休憩に入る。
七尾さんに褒められるのが素直に嬉しくて、すっかり上機嫌になっていた。
さっきまで朝食会場だった食堂で、
2人でラーメンを食べていると、そこにお師匠様と里崎さんが入ってきた。
「あ、お師匠様!お疲れ様!」
「…お疲れ様。」
「リョーマちゃんもお疲れ様。今、お昼ご飯用意するわね。」
「ありがとう。」
私の隣に腰を下ろしたお師匠様は、さすが現役テニス部なだけあって
全く疲れた様子は見受けられなかった。
「…疲れたでしょ。」
「ちょっとね。…でも、午後からも頑張るよ!次は外の雪かきをしてー…晩御飯の準備だ。」
「…ふーん。意外と楽しそうじゃん。」
「うん!……あ、と、お師匠様も…楽しそうだね。」
「そう見える?」
「……見えた。」
朝食会場で見たお師匠様の笑顔を思い出す。
その笑顔を向けられていたのは、私じゃなくて綺麗なお姉さん達。
なんとなく引っかかったままだったものをまた思い出してしまった。
「…まぁ、結構楽しいかもね。」
「……へぇー…。」
それはお姉さん達と話すのが楽しいから?
と聞きかけて、言葉を飲み込んだ。
…何言おうとしてるんだ、私。
お師匠様だって頑張って仕事してるっていうのに…
余計なことばかり考えてしまう自分が嫌だ。
別の事を考えよう…そう、楽しいこと。
今日の夜は…お師匠様が寝た後にこっそり寝顔を見るんだ。
きっと睫毛も長くて、お肌もすべすべで…綺麗な寝顔なんだろうなぁ…。
そうだ、もし上手く写真に出来たらポスターにして
家のベッド際の壁に貼り付けよう。そしたら毎日お師匠様と添い寝してる気分に浸れるもんね。
よし…よし、元気になってきたぞ…!
驚異の自給自足で急速に心が上向きになってきた。
「…何ニヤニヤしてるの。」
「え!?い、いやなんでもないよ!」
「変なの。いつもだけど。」
・
・
・
「ちゃん、ちょっと私用事があるから抜けてもいいかしら?」
「はい、大丈夫ですよ!味付け前の準備だけ済ませておいたらいいですか?」
「そうね、取り敢えず肉じゃがの材料だけ切ってもらって…その頃には戻ってこられると思うから。」
雪かきを終えて、私と七尾さんは晩御飯の準備に取り掛かっていた。
この民宿では地産地消を心がけているらしく、
今私が皮をむいているじゃがいもや人参も、近くの農家で作られたものらしい。
なんでもここの肉じゃがは評判が良いそうで、
晩御飯には絶対に欠かせないそうだ。
「わかりました、いってらっしゃーい!」
申し訳なさそうに頭を下げて厨房から出ていった七尾さん。
広い厨房で1人、黙々とじゃがいもの皮をむく。
こんなことをしているとつい忘れてしまいそうだけど、今日はクリスマス。
……きっと、こんなクリスマスそう何度も無いだろうな。
そう考えると貴重な体験をさせてもらえてるのかもしれない。
想像していたクリスマスとはちょっと違ったけど…
帰ったら、真子ちゃん達に今日の話をしよう。
きっと皆大笑いするだろうな、らしいクリスマスだって。
そんなことを考えながら無心で作業をしていると
厨房とつながっている食堂の扉がガラっ開いた。
「あれ?七尾さん、もう…………お師匠様!」
「…おばさんが手伝ってやれって。」
ネックウォーマーに顔をうずめながら
寒そうにポケットに手をつっこむお師匠様。
突然のお師匠様の登場に、私の元気メーターは急速に充電されていった。
……もしかして、七尾さん気を遣ってくれたのかな。
「で、何をすればいいの?」
「あ…じゃあ、一緒に野菜の皮むきしよっか。」
「ん、わかった。」
作業台を挟んで私の対面へと移動するお師匠様。
置いてあったピーラーを手に取り、じゃがいもへと手を伸ばす。
ぎこちないピーラーの扱いにハラハラしながらも
その可愛らしい姿に、つい頬が緩んでしまう。
「…何見てんの。」
「……へへへ、可愛いなぁと思って…。」
「…またそうやって子供扱いする。」
「ゴメンゴメン、でも子供扱いじゃないよ。これは崇拝。」
「…まぁ、も十分子供だけど。」
「えー、もう高三だよ?」
「……じゃああの人達と3歳しか変わらないんだ。」
「ん?あの人達?」
「朝食会場にいたでしょ、女子大生のグループ。」
心臓が、握りつぶされたようにドクンと動いた。
目線は手元のじゃがいもに向けたまま、お師匠様の言葉に耳を傾ける。
特に悪気があるような口調じゃない。
本当に何気ない発言だと思うけど、何となくその先を聞きたくないような気がした。
「だ…大学生なんだー…。」
「去年も来てた人達。」
「……ふーん。…楽しそうに話してたもんね。」
ザクっと思いっきり人参に包丁を入れると同時に、ポロっと身体の中から言葉が飛び出した。
自分が想像していた以上にぶっきらぼうな言い方をしてしまったことをすぐに後悔する。
……な、なんか嫌な感じだったかも、今。
恐る恐るお師匠様の方を見てみると、
大きな目を真ん丸にして私を見ていた。
「そ、そう!お師匠様って接客業とか向いてるかもなーって思ったんだよ!お客様の心を開けるのってある意味才能だからね!」
「………、もしかして怒ってる?」
「え!?お、おおお怒ってない怒ってない!超楽しいよ今!生まれて初めて大海原を見た時ぐらい心が高ぶってる!」
さすが鋭いお師匠様。
やっぱり変な言い方したから気づかれたのかもしれない。
でも、自分でも少し驚いていた。
私にとってのお師匠様はもちろん彼氏だけど、アイドルのようなものでもあると思ってた。
皆がお師匠様に振り返って当たり前、皆が彼を大好きで当たり前。
そう思っていたはずなのに、いつから…
いつからヤキモチなんて妬くようになってしまったんだろう。
こんな風にモヤモヤするのは嫌なのに、心が落ち着かない。
いつの間にか手元の人参は乱切りにも程がある乱切りになってしまっている。
でも、ヤキモチなんてダメだ。
そんなのウザがられるに決まってる。
そう思って必死に誤魔化そうとしていると、お師匠様が予想に反した表情を浮かべた。
「…もヤキモチ妬いたりするんだ。」
手元のじゃがいもに視線を落としながら、楽しそうに笑うお師匠様。その表情からは少なくともウザがられているような感じは…しなかった。
「…私が邪な目でお師匠様を見てたのがいけないんだよ。頑張って働いてるだけなのに…ゴメンね。」
「ねぇ、どんな気持ちになったの?」
「ど、どんな気持ちって…そんなの言いたくないよ。」
何故か生き生きとした表情で私を追い詰めてくる。
出来ればお師匠様の前では、彼氏の前ではなんていうか、心のドロドロとした部分なんて見せたくないなと思ってるのに…。
「…教えてよ。」
「…私のことからかうつもりなんだ。」
人参に視線を落とす私を、下から上目遣いで見つめるお師匠様。楽しそうな表情とは反対に私の表情は曇っていく。
「そうじゃないんだけど。」
「じゃあなんで…」
「…普段、冗談みたいに気持ち悪いことばっかり言ってるけど、も俺のことで嫉妬とかするんだって思ったら、ちょっと嬉しかったから。」
プイッと拗ねたようにそっぽを向いたお師匠様の頬は、少し赤くなっていた。想像していたのとは全く違うリアクションに戸惑ってしまう。
…てっきり笑われるんだと思ってた。年上なのに子供みたいにヤキモチ妬くなんてダサいねってからかわれるんだと思ってた。
「う、嬉しい…の?ウザくない?貴様ごときが嫉妬なんて面倒くさいことこの上ないんだよとか思ってない?」
「思わない。というか…の好きと、俺の好きは違うと思ってたから。」
お師匠様の発言に思わず手を止め、顔を上げる。私の大好き具合が常軌を逸してるということなのだろうか。
上手く理解が出来ずにポカンとした顔をしていると、お師匠様が少し不機嫌そうな表情で話し始めた。
「…例えば、は俺が以外の女の人と話してたらどう思うの。」
「えー…、私も話に加わりたいなぁって思う。」
「……そういうところが違うんだよね。」
「じゃ、じゃあお師匠様ならどう思うの?」
「…どうやって邪魔してやろうか、って考える。」
あまりにもお師匠様らしすぎる答えに、プっと吹き出しそうになってしまった。
その顔を見られたのか、ムっとした表情でお師匠様がじゃがいもをまな板に置いた。
「やっぱりの"好き"は俺より小さいんだ。」
「そんなことないよ!わ、私だって出来ることならお師匠様を独り占めしたいって思うけど…」
「けど?」
「…なんか、そういう…恥ずかしいところは見せたくないっていう妙な年上の女性的なプライドがあって…。」
「……のこと、年上の女性だと思ったことなんか今まで1回も無いけど。」
「え…?嘘でしょ、だってほら…いつも…ケーキ食べる時とかいちごあげたりしてるじゃん。」
「もうその言い分が子供なんだけど。」
私の発言を聞いて、今度はお師匠様が笑い始めた。
今まで…今の今まで私はお師匠様に「年上の余裕」的な部分を見せることが出来てると思ってたのに…
崩壊してゆく年上の彼女としての立場。
もうなんか色々恥ずかしくて、顔を上げられずにいると
対面にいるお師匠様から声がかかった。
「ねぇ、。」
「え?」
「…俺があの人達と楽しそうに話してるように見えたのは、たぶん間違いじゃないよ。」
「…そ、そうなんだ。」
「今年は、去年と違って…がいるから楽しい。」
そう言って子供の様な笑顔で笑うお師匠様に
心臓が悲鳴をあげた。
なに、その殺し文句に殺人スマイルは…。
思わず全身の力が抜けそうになっている私に、
追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「……一晩一緒に過ごすのは初めてだしね。」
さっきまで後光が差し込むような天使の笑顔だったのに、
今度はまるで大人のように妖しい笑みを浮かべるお師匠様。
なんだか含みを持たせた発言と相まって
見る見るうちに体中の熱が顔に集まってきてしまった。
・
・
・
「ちゃん、お疲れ様。本当に助かったわ。」
今日の業務が全て終了した。
すっかり誰もいなくなった食堂のテーブルには
明日の朝食用の食器が並べられている。
「1日ありがとうございました!」
「…この後は思う存分、楽しんでね。」
ウフフと笑う七尾さんの言葉に、ポンっと顔が赤くなる。
…今日、正確に言うとさっきまでは
仕事が終わった後の「お師匠様生誕祭〜生まれてきてくれてありがとう〜」のことで
わくわくしっぱなしだった。
プレゼントを渡したらどんな反応をしてくれるのかな、なんて
ふわふわとした楽しみでいっぱいだった。
だけど、先程のお師匠様の発言。
「……一晩一緒に過ごすのは初めてだしね。」
この発言が妙に頭にこびりついて離れない。
…い、一応もう彼氏彼女としてやってきて随分時間も経ってる。
だけどお師匠様の言う通り、今夜は初めてのお泊りだ。
今の今まで…考えもしなかったことだけど…
もしかしてこれって、恋人イベントとしてはかなりレベルが高いものじゃない…?
心のどこかで、お師匠様は年下だしまだ子供で
そういうのはまだ早いし、焦らなくていい。
お師匠様もきっとそう思ってるって信じてたけど…
もしそうじゃなかったら?
そんなことをグルグルと考えていると、
急に緊張してきてしまった。
「、終わった?」
「うわああああ!」
「…うるさいんだけど。」
もしも…もしもの事態になったらどうしよう、
そんなことを考えていると、いつの間にか目の前には
仕事を終えたらしいお師匠様が立っていた。
「じゃあ、リョーマちゃんにちゃん。今日はゆっくり休んでね。」
「…七尾さんもお疲れ様。」
「お疲れ様でした!おやすみなさい!」
「はい、また明日ね。」
七尾さんが食堂の扉をパタリと閉めると、
私とお師匠様だけの2人きりになった。
妙にシンとした室内の雰囲気に、心臓が飛び跳ねそうになる。
「…何してんの、早く部屋戻ろうよ。」
「は、はい!」
「何でそんな元気なの?俺は疲れた。…そうだ、お風呂も行かないとね。」
「え!?」
「……入らないの?」
「い、いいいいや、でも…その、いきなり一緒にお風呂はちょっとハードルが高いっていうか…!」
ふわぁっと一つあくびをしていたお師匠様が、急に目を真ん丸にしてこちらを振り返った。
"お風呂"の単語に気が動転して、つい口走った言葉にフと我に返る。
……今、私何言った?
一瞬の沈黙が流れた後、自分の盛大な勘違いに気付いた。
「…………別に一緒に入ろうとは言ってないけど…。」
「申し訳ございません、今の発言はどうかお忘れください。」
変な妄想をしていたからなのか、恥ずかしすぎる勘違いをしてしまった。
その場で静かに土下座をする私は、もうお師匠様の顔を見ることが出来ない。
…恥ずかしい!絶対変なこと考えてるって思われた…!
お師匠様が身の危険を感じて「今日は外でかまくらでも作ってそこで寝てろ。」とか言い出したらどうしよう…。
いや、でもそれ程までに不用意な発言をしてしまったんだ私は。
「…いいから、早く戻るよ。」
寛大な心で私の破廉恥な妄想を許してくれたお師匠様。
思わず顔をあげたものの、お師匠様はさっさと食堂から出て行ってしまっていた。
……さすがお師匠様はクールだぜ…。
年上であるはずの私が、これだけ意識してテンパってるというのに
お師匠様はというと、全く動じていない様子。
やっぱり…アメリカとかでは性に対する意識も進んでるのかしら…
そんなことを考えながら、なんとか心を落ち着かせた。
「…おかえり。遅かったね。」
「う、うん!ごめんね、お待たせ。」
お風呂で、煩悩を全て捨て去ろうと
冷水を10分ぐらい浴びながら滝行をした結果、なんとか冷静さを取り戻すことが出来た。
と思っていた。
部屋に帰ってくると、そこにはジャージ姿で
お風呂上りほかほかのお師匠様。
私のお師匠様メモリアルフォトブック後編の中にもまだ入っていない
「お風呂上がりのお師匠様」の姿に冷やしたはずの頭がまた沸騰しそうだ。
「…、そこ座って。」
「え…、うん。」
取り敢えずこの姿はコレクションに加えたいと思い、
こっそり鞄から携帯を取り出そうとしたところを取り押さえられた。
私の行動を咎めるような声色ではなかったので、何でもないフリをして
言われた通り、ソファに座る。
すると、私の目の前まで歩いてきたお師匠様が
スっと私の腕を持ち上げた。
何をされるのかとドキドキしていると、
手首のあたりにひんやりとした感触が伝わった。
「…これ…。」
「…クリスマスプレゼント。」
「わぁ…可愛いブレスレット…!」
ピンクゴールドの細い二連ブレスレットには
キラリと輝く上品な宝石が散りばめられていた。
大人っぽくて知的なデザインがとても素敵だ。
「気に入った?」
「うん!こういうの持ってないから…嬉しいよ!へへ、似合うかな?」
「…うん、ちょっと腕が細く見える。」
「視覚効果まで考慮してくれたなんて…ありがとう、お師匠様…!」
「……今のは怒るところだと思うけど。」
そう言ってクスクスと笑うお師匠様を見ていると、
さっきまでの緊張は、すっかり無くなっていた。
心が温かくなるような素敵なプレゼントに、私の表情は緩みっぱなしだ。
「あ!私も!お師匠様、目を閉じててくれる?」
「……うん。」
「ふふ、まだ開けないでねー。」
素直に目を閉じてくれたお師匠様。
私はこの日のために用意したプレゼントを鞄から取り出し、
そろりそろりとお師匠様に近づいた。
「はい!目を開けていいよ!」
「…………何それ。」
「オリジナルのお茶碗!このあたりが特に上手に描けたんだけど、どう?」
お師匠様へ手渡したのは、真子ちゃんと一緒に
工房まで行って手作りをしたお茶碗だった。
いつも私の家でごはんを食べるとき、取り敢えず適当な食器で出していたので、お師匠様専用のお茶碗があればいいなぁと思っていた。さらにいうと、夫婦茶碗にして密かに新婚さん気分を堪能したいという下心もあった。
白い陶器に描かれた絵と文字をじっくり見ているお師匠様。
渾身の力作に早く感想が欲しいなと思っていると、
突然、噴き出すような笑い声が聞こえた。
「…これが…描いたの?」
「え、うん!お師匠様の誕生日だしクリスマスだからってことで…」
「なんでたぬきが土偶を軽トラで運んでる絵なの?」
「………トナカイがサンタさんをそりで運んでる絵だよ…?」
「"I want you, I need you, I love you."…これは?」
「私が知ってる愛の言葉っぽいのを並べてみた!」
「……へぇ。結構大胆だね。」
「あ、そっか。お師匠様は本場仕込みの英語だもんね!
これって日本語で言う、大好き、みたいな意味とは違うの?」
私の頭の中の英語辞書には、どこかの歌で聴いたようなフレーズぐらいしか収録されていなかった。
日本語で書くとなんだか恥ずかしいし、なんとなく英語にしてみたけど日本語の意味とかあまり考えてなかったな。
お師匠様はそのフレーズが引っかかったのか、クスクスと笑っている。
「…どういう時に使う言葉か教えてほしい?」
「うん、そういうのってネイティブの人にしか聞けないもんね。」
「…相手と一線を越えたい時に使うフレーズ。」
「……ん?」
「"あなたが欲しい、必要なの、愛してる"……簡単に言うと、誘ってるようにしか聞こえないってこと。」
もっとポップで可愛らしいイメージで書いたはずの英文。
しかしお師匠様の口から飛び出たのは、あまりにも恥ずかしすぎる事実。
固まったまま顔を真っ赤にする私を見て、お師匠様はついにお腹を抱えて笑い始めた。
「ち……違うの、それは…!」
「最高のプレゼントありがと。写真撮っておくよ。」
「や、やめて!今すぐ…ここで割る!割って私も切腹する!」
「ダメ、俺がもらったんだから。」
「そんな変な文章見ながらご飯食べるの嫌でしょ!?」
「毎回見る度に笑えるからいいんじゃない。」
何故かそのお茶碗を気に入った様子のお師匠様は、さっさと自分の鞄の中に
そのプレゼントを仕舞いこんでしまった。
……最悪だ…。私が阿呆だということを物理的証拠にして残してしまった…。
しかも日常的に使うお茶碗…。
お師匠様の日常に少しでも寄り添っていられるようにという、
至って乙女的でゆるふわな発想から作った可愛いお茶碗だったはずなのに
あんな英文が記載されているせいで…とんだ痴女だよ…!
なんで作る前に誰かに確認しなかったんだと後悔してももう遅かった。
「…ハァ、笑いつかれた。」
「っく…。もう…笑ってもらえたならそれでいいと思うしかないか…。」
「…明日も早いしそろそろ寝よっか。」
「うん、そうしよっか。」
すっかり緊張感も無くなった私達。
部屋に敷かれた2枚の布団へと移動し、眠る準備を始めた。
「あ、私携帯のタイマーかけておくね。」
「…朝、たぶん起きられないからよろしく。起こしてね。」
「フフ、わかった。」
大きなあくびを1つして、眠そうな目をするお師匠様。
その様子が可愛くて思わず笑ってしまう。
…今日は楽しい1日だったな。
明日もきっと楽しいはず。
だって、朝起きたらお師匠様が目の前にいるんだもん。
それを考えるだけで、少しテンションがあがってしまった。
「じゃあ、電気消す…ね……ん?」
「何?真っ暗にして大丈夫だよ。」
「う、うん…いや…。あ、お師匠様そっちの布団が良かったんだね。」
私がアラームをセットした携帯を置いていたのは右側の布団。
特に何の断りも無く選んだ右側だったけど、
お師匠様はその右側の布団に入り込んでちょこんと頭を出している。
じゃあ私が左側で寝ようと思い、携帯を移動させようとすると
パシッと手首を掴まれた。
布団にくるまったままのお師匠様が手だけ伸ばして私を見る。
「…あ、私こっち側で寝るよ。」
「何言ってんの?」
「…へ?」
「一緒に寝よ。」
凄まじすぎる言葉の威力に、
一瞬マジで眩暈がした。
私今、ドラマCD〜添い寝男子編〜とか聞いてないよね…?幻聴じゃないよね?
いつものお師匠様の冗談かと思って、
はははと乾いた笑いを1つ零してみたものの、
どうやら冗談じゃないらしく
布団の中に引きずり込もうと、私の腕を掴む力はどんどん強くなっていた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「…なに?」
「いや…、その…さすがに1つの布団っていうのは…」
「……誘ったのはの方でしょ。」
「ちが、違うよ!アレはただ単に私の英語力が乏しすぎただけで…!」
「…いつも、プレゼントは1つだったんだよね。」
「……へ?」
お風呂に入った後だというのにダラダラと汗を流しながら
必死にお師匠様から離れようとする私。
意地でも掴んだ手を離そうとしないお師匠様。
このぎりぎりの攻防の中で、気の抜けるようなお師匠様の意味不明な発言。
思わず情けない声で聞き返すと、
少し不貞腐れたような言い方で、お師匠様が言葉をつづけた。
「誕生日とクリスマス。いっつも一緒にされてた。」
「…な、なるほど。」
「がさっきくれたのは誕生日プレゼントでしょ。」
「………えっと…」
「クリスマスプレゼントはもらってない。」
そう言って、ジっと布団の中から私を見つめるお師匠様の視線に
体中が熱くなってくる。
何…何その理論…、何も言い返せないよ…確かに可哀想だよ、プレゼントがまとめられるなんて…!
でも、今ここでそれを認めてしまうとヤバイ気がする。
実際、お師匠様は「プレゼントが1つしかなくて悲しい」なんて目はしてなくて
「私を納得させるためのいいアイデアを思いついた」みたいな目で、ものすごく楽しそうだ。
どうすればこの危機的な状況を回避できるのか考えていると、
その考えを遮るようにお師匠様が畳みかける。
「ねぇ、だから一緒に寝ようよ。それがクリスマスプレゼントってことにしてさ。」
「…そ、それは…ほら、その…。」
「……イヤなんだ。」
「イヤとかじゃない!全然イヤじゃないんだけど……は、恥ずかしいよ。」
拗ねたような表情をするお師匠様に、私の脳は爆発寸前だった。
可愛すぎる。こんな可愛い拗ね方どこで学んできたんだろう。生まれたての子猫と戦っても可愛さでギリ勝つぐらいの可愛さ。
その表情を見つめているだけで息は荒くなり、心臓はどこかへ飛んでいくんじゃないかという程音を立てている。
それなのに、同じ布団に入ったりなんかしたらどうなるだろう。
たぶんだけど、内臓のどこかが悪くなったり意識レベルが下がったりする可能性もあるかもしれない。
そのぐらいの衝撃だと思う。
「……がイヤって言うなら仕方ないか。」
「……え…その……」
「困らせてゴメン。……おやすみ。」
どうしようと考えている内に、私の臆病さが面倒臭くなったのか、お師匠様は布団に潜り込んでしまった。
シンとした部屋の中。消しそびれた電気を消してみると本当に真っ暗だった。
布団の中でお師匠様がどんな顔で寝てるのかはわからないけど、取り敢えず「おやすみ」と呟いて私は左の布団へ入った。
「普通そこで無視する?」
布団に入ったと同時にお師匠様の不機嫌な声が響いた。
暗かったけど、頬杖をつきながら私の方を見ているのがわかる。
…なんでもなかったかのように布団に入ったのがいけなかったらしい。
「だって…だって!」
「何?」
「…一緒に寝て、な、何するの?」
「何もしないけど。」
「え、そうなの?」
「してほしいの?」
完全にお師匠様のペースだ。
だんだんと暗さに目が慣れてくると、相手の表情が見えてきた。
意地悪な笑顔のお師匠様を前にして私はただ顔を赤くすることしかできなかった。
それがなんとなく悔しかった。
私ばっかり恥ずかしくて、お師匠様は平気な顔をしてるのが悔しい。
…そうだよ、これは勝負なんだ。
お師匠様は私が恥ずかしがる様子を見て楽しんでるだけ。
まさか本当に私が行動できるとは思っていないはずだ。
私だって…普段は幼稚園児でもぎりぎり笑わないレベルのことで笑い転げるような
精神年齢低め女子だけど、やるときはやるんだ。
年上の女性をなめたらどえらいことになるんだってことを
この小悪魔にわからせる必要があるのかもしれない。
そんなことを考えていると、段々と気が大きくなってきた。
目の前で私の困る姿を見て楽しんでいるお師匠様をキっと睨んで
私はついに行動に出た。
大丈夫、私は今から…女優だ!
「…じゃあ、本当にそっちにいくからね。」
「どうぞ。」
ぺラリと布団をめくって余裕の表情を浮かべるお師匠様。
私は一瞬ごくりと喉を鳴らして、そのスペースへと転がり込んだ。
ものすごい勢いで転がったせいで、
お師匠様の腹部に激しくぶつかる。
一瞬痛そうな声をあげたお師匠様だったけど、
本当に布団に飛び込んでくるとは思っていなかったのか、少しびっくりした様子だった。
「…やっと来てくれた。」
向かい合うようにして布団に入った私達。
私の目と鼻の先にお師匠様がいる。
ふわりと子供みたいに笑うその笑顔の攻撃力はものすごくて、
何があっても動じないぞ、と決めていたはずなのに思わず手のひらで顔を覆ってしまった。
「…手。」
「手?」
「つないで寝よ。」
小さな声で、甘えたように話すお師匠様。
次々と繰り出される攻撃がさっきから全部急所にクリティカルヒットしている。
現実なのか夢なのかを見失いそうになりながら、頭の中では必死に落ち着きを取り戻すために念仏を唱えていた。
「…う、うん。」
「ねぇ、。」
「何?」
「この旅行が決まったときさ、まず何考えてた?」
「へ?…えーと…、お師匠様のオフショットをたくさん撮れるなって思ってた。」
「……こんな風になることは考えてなかったの?」
お師匠様の眠そうな声に、完全に気を抜いていた。
手をぎゅっと握られて、恥ずかしいけどなんか安心する、なんて思っていたのがいけなかった。
気付けば、私は天井を見上げる体勢になっていて
お師匠様の可愛い顔に見下ろされていた。
ぎゅっと握られたままの両手は、強い力で押さえつけられている。
「…っ、ちょっと…あの…」
「は俺が…男だって思ってないでしょ。」
苛立ったような声でそう言われて、
何かを言おうとする前に、唇を塞がれた。
予想外の出来事に、思わず暴れそうになると
それを察したのかすぐに手を握る力を緩めてくれた。
「…お、お師匠様…?」
「……ゴメン。」
暗い中でも、これだけ顔が近いと表情がよく見える。
寂しそうにゴメンとつぶやいたお師匠様を見て、心臓がギュっと潰されるようだった。
「……私にとってお師匠様は、いつでも男の子だよ。」
「………。」
「…そ、そりゃいつもはアイドルみたいに扱って…悪いなとは思ってるんだけど…。でも別に、男の子として意識してないって訳じゃなくて…。」
一体何が言いたいのかわからなくなってきたけど、
目の前でシュンとしているお師匠様に。とにかく伝えないと、と思った。
「なんていうか…、お泊りだって聞いても身構えなかったのはたぶんお師匠様のことが大好きだからで、
意識してないとかってことじゃなくて……その…
お師匠様になら何をされてもいいの、そのぐらい大好きってことなの!」
痛いほどの静寂。
目の前のお師匠様が目を見開く。
私も自分で言った言葉に、驚く。
「……何それ。」
「ご、ごめん!なんか変な言い方になったけど、それが私の気持ち!」
「………そんな風に思ってたんだ。」
お師匠様の中の誤解が解けたのか、
フと表情を緩めたのを見て、全身の力が抜けた。
……良かった、伝わって。
「…わかった。ありがと。」
「う、うん!…じゃあ、その…。」
「ん?」
「えーと…一応私も…初めてだから…拙い部分もあるかとは存じますが、何卒よろしくお願いいたします!」
「………。」
「ま、まずは服を脱ぐんだよね?えっと…身体検査の時みたいな感じでいいのかな、下着と靴下だけで…?」
「…………。」
「あ!昔…真子ちゃんに聞いたことがある…!確かお互いに脱がせ合うのが玄人だって…。
ということは、私が…え…!?私がお師匠様の服を脱がせる…の…?」
「…………。」
「…っよし!これは男と女の戦なんだ…。ビビってちゃ何も始まらないよね…、まずは1回イメージトレーニングで…
うん…。お師匠様の身体は大体…こんな感じだよね…。」
「……ねぇ。」
「綺麗な腹筋に…可愛い顔に似合わない筋肉質な体…!よし、よし大丈夫!これだけイメージ出来てれば
実際に見た時の衝撃も半減されるはず…。はい、では失礼いたしま「ちょっと待って。」
大きく深呼吸をして、ついにお師匠様の服に手をかけようとしたところで
バシッと腕を掴まれる。
…あ、もしかして何か間違ってたかな…。
「…なんか……なんか、嫌。」
「嫌!?何が!?」
「…こういうのって雰囲気が大事だと思う。」
確かに先程までとは明らかに空気が違う。
ふんわり甘い雰囲気だったはずなのに、
今、目の前にいるお師匠様はものすごく苦々しい顔をしている。
「…な、何がダメだったんだろう…。」
「が何卒よろしくお願いいたします!って言ったあたりからもうちょっと嫌だった。」
「一番最初じゃん!」
「なんか…こういう時ってそういう事務的な挨拶とかいらないと思う。」
「……はい。」
「あと、身体検査の時みたいな感じとか言われると急に現実に引き戻される。」
「………いい例だと思ったんだけど…。」
年下の彼氏から、ダメ出しを食らい続けること数十分。
いかに、私の雰囲気作りが下手かということを懇々と説明された。
聞いてみると、お師匠様もそういうことに関しては初心者らしいけど
そんな彼から見ても、私の先程の導入は相当ヒドイとのことだった。
「事前にゲーム、雑誌等で知識は蓄えたはずだったんだけどな…。」
「たぶん全部間違ってるよ。」
「……っく…次は…、次こそは頑張るので…!」
「……ップ…フフ、何それ。何でそんな真面目なの。」
すっかりほぐれてしまった空気。
なんか色々と恥ずかしすぎる私は自然と正座で反省していた。
その様子がおかしかったのか、布団の中にごろんと寝転がりながら、お師匠様が笑う。
…やっぱりお師匠様の笑顔は天からの贈り物だなぁ。
そんなことを考えていると、お師匠様が正座している私の手をふわりと握った。
「…次は俺がリードしてあげるから、大丈夫。」
年下の彼氏とは思えない程の挑発的な言葉に、
体中が一気に熱くなりはじめる。
…またこうやって、お師匠様の手のひらで転がされてるのかと思うと
少し悔しかったけど、私は1つ意外なことに気付いてしまった。
てっきりいつものようにクールな笑顔でさらっとそんなセリフを言っているのかと思ったけど、
よく見てみると、お師匠様もほんのり頬を染めて恥ずかしそうにしていた。
「……お、お師匠様もしかして…自分で言って照れてる?」
「…照れてない。」
「……顔、赤くなってるよ。」
「うるさい。なってない。」
顔をプイッと背けてお師匠様はそう言ったけど、
彼の手から伝わる熱量はどんどん大きくなっていた。