「ハッピーバースデー日吉!」
「おめでとう!また一つ大人になったな!」
「……二週間以上前ですけど。」
「細かいことはいいんだよ、素直に祝われとけ!」
そろそろ世間がクリスマスで騒ぎ出しそうな12月中旬。いつも通り騒がしい部活後の部室。
入った途端に先輩達に取り囲まれ、何かと思えば誕生日を祝われた。
2、3日後ならまだしも二週間以上前のことだ。正直どういう気持ちで喜べばいいのかわからない。
「…まぁ、ありがとうございます。」
「こんなに遅くなったのには訳があるんだよ。」
俺の肩を抱き、何故か嬉しそうに語る宍戸先輩。
そして向日先輩がジャージのポケットから封筒を取り出した。
周りで拍手や声援を送りながら盛り上がっている芥川先輩に忍足さん。
それに付き合わされている感の強い滝先輩、鳳、樺地。
奥のソファではいつも通り跡部さんが座っていた。
高校生になれば少しは変わるかと思ったが、先輩達は相変わらずだ。
「じゃじゃん!俺たちからのプレゼントだ!」
「…なんですかそれ。」
「なーんとー…高級温泉旅館!ペア招待券!どうだ嬉しいだろ!」
封筒から取り出したチケットを精一杯高らかに掲げる向日先輩。
…温泉…。
想像していたものとは全く違う、あまりにも普通の、いやそれ以上のプレゼントだ。
二週間前の誕生日を堂々と祝う先輩達のことだ、そんな気合の入ったプレゼントなんて用意してないだろうと思っていた。
そんな考えが表情に出ていたのか、向日先輩が嬉しくないのかと口を尖らせる。
「いや…ありがとうございます。こんなプレゼントらしいプレゼントを貰えるとおもってなかったので…」
「まぁ、いいってことよ!日吉のピュア恋を応援し隊の「待ってください、なんですかそれ。」
「何って、そのままやん。もう2年近く付き合ってんのにずっと変わらずピュアな日吉をいい加減男にしてやろうぜって信念のもとに集った仲間達や。」
「なっ…余計なお世話です!」
「まぁまぁ、照れんなって!俺たちのサミットが開かれた結果、お前とには圧倒的に雰囲気が足りてないって結論にたどり着いたんだよ。」
「…面白がってますね。」
なんだその集いは、初めて聞いた。
よくみると、忍足さんも向日先輩も、跡部さんまでなんだか気味が悪いほどの優しい眼差しで俺を見ている。
その視線が鬱陶しくて、部室を出て行こうとすると同時にドアが開いた。
「お疲れ様ー!ねぇ、みんな見た?さっき榊先生がテニスコートで蟻に話しかけてたよ!そろそろ本格的に心配じゃない?」
最悪のタイミングで現れてしまった先輩。
きっと先輩のバカみたいな話題なんて誰も聞いていないだろう。
このままだと先輩達に、プレゼントの話題を振られ、温泉の話を振られるはずだ。
そうなってしまうともう面倒くさい。
そういう話を振られると、いつも真っ赤になって慌てる先輩。
その大袈裟なリアクションを面白がっている先輩達にとって
先輩は良い暇つぶしだ。
「それ、ただしゃがんでただけちゃうん?」
「でも独り言言ってたんだよ?しゃがんで地面に向かって独り言だよ?怖かったから見ないフリして走ってきた。」
「でもテニスコートで何してたんだろうな、監督。」
……さっきまでの騒ぎが嘘のように、先輩達は何も言わない。
一目散に先輩にさっきのプレゼントのことを話しそうな芥川先輩はもう寝てるし、
さっきまで張り切って説明をしていた向日先輩は興味なさげに漫画を読んでいた。
「あ、そうだ。ぴよちゃんさまもう準備できた?」
「……はい、着替えたら出られます。」
「わかった、じゃあ外で待ってるねー。皆もお疲れ様!」
「おう、お疲れー。」
バタン
先輩が出ていった途端、部室内が妙な静寂に包まれる。
振り返ってみると、先輩たち全員の視線が俺に注がれていた。
「…何ですか。」
「お前が自分でのことを誘うんだぞ、日吉。」
「なんで先輩と行くことになってるんですか、行きませんよ。」
「アホ、俺らが何のためにわざわざクリスマスにその高い旅館予約したったと思てんねん。」
「予約したのは俺だ。」
行かないと言った途端に眉間に皺を寄せる忍足さん。
跡部さんが予約した旅館…この人の金銭感覚は完全に狂っているから、
どんなところを予約したのか少し興味がある。
しかし、クリスマス……
いや、クリスマス?
「…クリスマスって言いました?今。」
「おう、ちょうどもうすぐだろ。」
「絶対嫌です。クリスマスに浮かれるなんて…愚の骨頂です。」
「なんだよ、高校生にもなってそのガードの固さは。」
「…あの街中が作り出す白々しい雰囲気が嫌いなんですよ。」
「でも、去年は先輩と過ごしたんでしょ?」
すかさず鋭い質問を投げかけてくる鳳をキっと睨む。
…余計なことを言いやがって。
「そうだよ、去年は何したんだよ。」
「………別に何も。」
「え?先輩がイルミネーション見に行ったって言ってたよ?」
「黙れ、鳳。」
無自覚なフリして本当はわかってて言ってるんじゃないか、こいつ。
その鳳の発言を聞いて、面倒くさいことに
他の先輩達がまた盛り上がり始めた。
…いい加減まともに相手するのも疲れてきたな。
「ちゃんと楽しんでんじゃん、クリスマス!」
「ええか、日吉。今年は温泉や、決定事項やで。頑張れよ!」
「何を頑張るっていうんですか。…大体、なんで温泉なんですか。」
「そりゃ、てっとり早くそういう雰囲気になりやすいからじゃない?」
「は?!」
着替えを終えた滝先輩がサラリと言った一言に、思わず大きな声を出してしまった。
…何言ってるんだ、この人は。
「日吉だって男なんや、そういう気が無い訳ちゃうんやろ?」
「そうそう、放っておくとマジで40歳になっても清く正しく付き合ってそうだもんな、日吉は。」
「それにさー、ちゃんだってそろそろ期待してるのかもしれないよー?」
「あいつは常に日吉のこと性的な目で見てるからな、絶対今年のクリスマスは期待してるはずだ。」
口々に好き勝手なことを言う先輩達。
…なんで、そんなことまでこの人達に指図されないといけないんだ。
……こっちはこっちのペースでそれなりにやってるっていうのに…
「…余計なお世話です。取り敢えず、プレゼントはありがとうございました。家族旅行の足しにでもしますので。」
「おい!それじゃ意味ねぇだろ!」
「お疲れ様でした。」
まだ何か言ってる先輩達を残して、部室を出た。
…あれ以上付き合ってたら、頭がおかしくなりそうだ。
怒った先輩達が追いかけて来たりしたら面倒くさいので
さっさと帰ってしまおう。
部室から少し離れたところで空を見上げている先輩に
お待たせしましたと声をかけると、何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべていた。
…いつものことながら、この人は何も考えてなさそうだな。
さっき部室で先輩達に言われた言葉が、フと浮かぶ。
「それにさー、ちゃんだってそろそろ期待してるのかもしれないよー?」
「あいつは常に日吉のこと性的な目で見てるからな、絶対今年のクリスマスは期待してるはずだ。」
…この人に限ってそれはないだろう。
手を繋ぐだけでも大騒ぎしてるというのに、その先なんて…
そこまで考えそうになって、頭を大きく振る。
……こんなことを考えていること自体あの人達の思う壺だ。
「そうだ、ぴよちゃんさま。今年は…その、24日と25日は部活も休みだけど…予定ある?」
「…別にないですけど。」
「やった!じゃあ遊ぼうよ!あ、クリスマスだからとかじゃないよ?ぴよちゃんさまがクリスマスを忌み嫌ってるのは重々承知だから
今年はイルミネーションとか連れていかないからね。あの時のぴよちゃんさま、服役囚並の人相になってたもんね。」
「…どうせどこに行っても人が多いでしょう、その2日間は。」
「だよねぇ…。どこか人が少なくてゆっくりできるところとかあればいいけど…。」
「まぁ、ないでしょうね………あ。」
「ん?何かある?」
自分のポケットの中に入っている封筒のことを思い出してしまった。
…いや、でもこれはダメだ。
先輩達に敷かれたレールにまんまと乗るなんてプライドが許さない。
「…いえ、別に。」
「うーん、一層のこと皆も呼んでうちでパーティーとかする?」
「…は?」
「ほら、こ…恋人同士で行くスポットって大体混んでるでしょ。だから家でって思ったんだけど…。
パーティーするなら人数は多い方が楽しいだろうしね!ぴよちゃんさまもその方が楽しいでしょ?」
カップルっぽいことをクリスマスにするのは嫌いって言ってたしね、と付け加える先輩。
笑ってはいるけど、たぶんこれは嘘の笑顔だ。
何年か前の自分が、今のこの未来を知ったらその場で自害してしまいそうだが
驚くことにもうこの先輩との付き合いも2年近く続いている。
さすがに何を考えているかぐらいはわかっているつもりだが、
時々予想の遥か斜め上な行動を起こすこともあるから油断ならない。
それが今だ。
…2人で過ごすという話じゃなかったのか。
別にクリスマスだからどうという訳じゃないけど、
何も休日まであの騒がしい先輩達に会いたいとは思わない。
……何より、先輩達と先輩が一緒になって騒ぐ空間は
最近の自分にとっては少し居心地が悪くて嫌いだ。
「…パーティーは嫌です。」
「嫌だよねぇ…めっちゃ嫌いそうだもんねそういうの、ぴよちゃんさま。」
「わかってるなら提案しないでください。」
「…ぴよちゃんさまと一緒にいられるならどこでもいいんだけどなぁ…。」
ボーッと空を見上げながらサラリと恥ずかしいセリフを言い放つ先輩。
上を向いて歩くから、目の前の電柱に気付かずに激突していた。
古典的にも程があるぶつかり方に、思わず笑いそうになってしまった。
……どこでもいいのか。
「……本当にどこでもいいんですか。」
「え?うん。……あっ!無理!それは嫌だよ、絶対!」
「…何も言ってないですけど。」
「今、心霊スポットとか言おうとしたでしょ。」
なるほど、その手があったか。
それなら人も少なくて楽しそうだと思ったけど、
きっと先輩は楽しめないだろう。
…たぶん、先輩が楽しめるであろう場所はわかっている。
それに、既に予約までしている場所がある。
さっきまで絶対に無いと思っていたはずの場所なのに、
この人が喜ぶ姿を想像してしまうと、少し心が揺れた。
「………それもいいですけど」
「よくないよ、クリスマスに心霊スポットってファンキーすぎるでしょ。」
「……温泉…とか…」
「……え?」
なんとなくまだ踏ん切りがつかなくて、小さな声で呟いた。
先輩は聞こえなかったのか、ポカンと口を開けている。
そして訪れる沈黙。
「…やっぱりいいです。」
「え、今…温泉って言ったよね?」
「でも、いいです。」
「…いいと思う!温泉!そっか、クリスマスに温泉っていうのもなんか良いよねー。」
「………。」
「もしぴよちゃんさまが嫌じゃなかったら、温泉にしない?私、探してみるよ!」
目に見えて表情を変える先輩。
途端に口数も多くなって、すっかりその気になっている様子だ。
……その表情に、何か…そういうことを考えて居そうな気配はない。
やっぱりこの人はこういう人だ。
逆にここで赤面されたりしたら、こっちがその気で誘ってるみたいで恥ずかしい。
「……一応、もう行こうと思ってるところはありますけど。」
「え!?」
「っ…大きな声出さないでください。」
「ご、ごめん!だって…えー…そ、そうなんだ…。」
「…何ですか。」
「…ぴよちゃんさまがクリスマスのこと考えてくれてたっていうのが…嬉しい。ありがとう!」
恥ずかしそうに笑う先輩を見て、一瞬罪悪感が沸いたけど
それは当日補えばいいと考えた。…何かプレゼントとか…あった方がいいのか。
去年は少し高級なレストランにでも行って、美味しいものを食べようってことで
お互いプレゼントは無しにした。
でも、今年はそういう流れにもならないだろうし…
考え始めると無言になっていたのか、
先輩が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「…じゃあ、予約は既にとってるので当日は駅に集合でいいですか。」
「うん、予約までしてくれてありがとう!じゃあ…持ち物はタオルと着替えぐらいでいいかな?」
「まぁ、大体はあちらに揃ってると思いますけど泊りとなると色々いるんじゃ「泊まり!?」
大きな声をだして立ち止まる先輩。
予想外のタイミングで予想以上の声を出されて、心臓が飛び出しそうになった。
「さっき大きな声いきなり出さないでくださいって言ったばかりですよね。」
「そ、そそそそっそうなんだけど…え、泊まり?」
「…そのつもりでずっと話してたんですけど、違ったんですか。」
「てっきり日帰りかと思って…そ、そうか、泊まり…かぁ…。」
「…嫌ならやめて「全然嫌じゃない!嫌じゃないです、行きます!」
さっき「温泉」のワードを出した時とは、180度違うリアクション。
顔は真っ赤になり、必要以上に身振り手振りが激しい。
……明らかに同様する姿に、こちらまで恥ずかしくなってきた。
「言っておきますけど、別に変な意味はありませんから。」
「わ、わかってる!アレだよね、普段ゆっくり出来ることとか無いからこの機会に慰安旅行も兼ねて…みたいなことだよね!大丈夫、安心して!」
「……わかってるなら、いいです。」
…先輩が何かを期待してるとは思わないけど、
ここまであからさまに意識されると、段々と不安になってきた。
そういうことに…ならないとも限らないのか…
いや、でも…「泊まり」という単語だけでこれだけ慌てふためいて道の側溝にはまってる先輩を見ると
あちらから何かアクションを起こしてくるとも思えない。
…どうしたらいいんだ。
・
・
・
「あの時はなんとか平静を装ってごまかしたけど、クリスマスにお泊りって絶対……絶対そうだよね!?」
「まぁ、普通はそうなんじゃないの?」
「しかも日吉君予約までしてたんでしょ?絶対その気だよ!いっちゃえ、さん!」
「そ、そんな簡単に…!二次元のゲームですらそういう話は恥ずかしくて出来ないっていうのに…!」
昨日の衝撃から一夜が明けた。
朝、私は今までにないスピードで学校に到着し
真子ちゃんや華崎さん達の登校を待った。
教室に真子ちゃん達が入ってきた瞬間に確保し、
女子トイレへと嫌がる皆を連行した。
ぴよちゃんさまに、クリスマスお泊りナイトを提案されたことを話すと
皆が静かに拍手をしてくれた。…な、なんか恥ずかしい…!
「きっとクリスマスの雰囲気に任せるしかないよ!」
「瑠璃ちゃん…そ、そうなんだけど…大丈夫かな、私…平静を装えるかな…。
ほら、たぶんぴよちゃんさまのことだからそういうエロティックなことは考えてないと思うんだよね。
一回そういう話した時、1週間口きいてくれなかったぐらい潔癖だからさ。」
「高校生男子がそれって逆にちょっと心配なんだけど。」
「…でもそういうこと考えてない男子が、クリスマスに温泉に誘う?」
「真子ちゃん、違うの。ぴよちゃんさまはそんじょそこらの男の子とは違ってものすごく神聖な気持ちをもってる子なの。
だからたぶん、その温泉に何かヒントがあるんだよ。入ると願い事が叶うとか、そういうスピリチュアルな部分に魅かれてるんじゃないかな。」
「ちゃんとエッチなことするとかは…考えてないってこと?」
「る、瑠璃ちゃん!はしたないですよ、女の子がそんな…!…でも、まぁたぶんぴよちゃんさまは考えてないよ。」
だって、あのぴよちゃんさまだよ。
もう2年近く付き合ってるっていうのに、キスすら月に一度あるかないかなんだよ。
ものすごく恥ずかしがり屋さんなのは知っているし、
そういうところが可愛くて好きだからいいんだけど、
たまに考えてしまう。
私に女としての魅力が足りないんじゃないか、とか。
高校生で、2年付き合ったカップルで、未だにそういう雰囲気になったことすらない。
私達にはまだ早い、とも思うけど、もしそうなったら…どんな感じなのかなぁ、と想像してしまうことはある。
でもきっとぴよちゃんさまはその想像すらないんじゃないだろうか。
中学の時から培われた私に対する意識がそうさせるんだと思う。
「…あっちがそういうつもりじゃないなら、こっちから仕掛ければいいじゃん。」
「華崎さん、シティーガール代表みたいな肉食な意見だね…!」
「そうだよ、温泉だし。貸切露天風呂とかあれば一緒にお風呂入ったら?」
「え…何それ、大丈夫かな?ぴよちゃんさまの裸を見て、私正気でいられるのかな…?」
「違う違う、そういう意識じゃなくて、が誘うのよ。」
「そうそう。案外さんがバスタオル1枚でお風呂に入ってきたりしたらあの日吉君も慌てふためくかもよ?」
……どう考えても、ぴよちゃんさまが慌てふためく姿なんて想像できないけどなぁ…。
どちらかというと、私がテンパって風呂の床でスリップして尾てい骨骨折とかして、
クリスマスを病院で過ごす…なんて未来の方が容易に想像できる。
「…で、でもなんか女の子から誘うとか…恥ずかしくない?」
「うわー、さん時代遅れ!今は肉食系女子が流行ってるんだよ。」
「頑張って、ちゃん!ちゃんなら、できるよ!」
「……なんかそう言われると…、ちょっと…頑張ろうかなって気になってきた。」
「頑張りなよ!取り敢えずがそういう意識でいれば、今までとは雰囲気ちょっとぐらい変わるはずだし。」
やっぱり持つべきものは友達だね…!
自分で考えてるだけでは絶対辿りつきそうにもない答えを簡単に教えてくれる。
どうやって何も考えてないフリをしながら温泉旅行を乗り切ろうか、と考えていたのに
まさかこの温泉旅行をきっかけに2人の関係を変える、なんて目標が出てくるとは…。
でも確かに言われてみればそうだ。
今までの関係でも十分幸せだったけど、
もし、私がまだ知らないぴよちゃんさまを見ることが出来るなら…見てみたい。
日に日に増していく「好き」の気持ちをぴよちゃんさまに伝えたい。
そのためにはやっぱり、今の関係を進展させることが必要なんだろう。
上手くできるかはわからないけど…頑張ってみたい。
・
・
・
「どうすればいいんですか。」
「…アーン?」
「……温泉、行くことになりました。」
「良かったじゃねぇか。楽しんでこいよ。」
「……もし、そういうことになったら…どうすればいいんですか。」
次の日。
俺は誰にも見つからないように、跡部さんがいる生徒会室へと潜り込んでいた。
跡部さんが1人になる時間を見計らったから、当然他には誰もいない。
珍しい客に跡部さんも驚いた様子だった。
「…おい、気持ち悪いこと想像させてんじゃねぇ。」
「も、元はと言えばあんた達が煽ったんでしょう!」
「……まぁ、いい。で、どうしたいんだよ。」
「どうしたいって…わかりませんよ。でも、先輩はたぶん…そういうことを考えて居そうな顔をしていました。」
「…肝心なところで男らしくねぇ奴だな、お前は。」
はぁ、と大きなため息をつく跡部さん。
…跡部さんの言う通りだ、こんなことを先輩に相談するなんて情けない。
何も言えずに俯いていると、跡部さんが椅子から立ち上がった。
「自分が思うように行動すればいいだろ、がお前を受け入れない訳がない。」
「……だ、だからその行動はどうやって起こせばいいんですかって聞いてるんです。」
「…フッ、やっぱりお前だってそういうこと考えてんじゃねぇか。」
「…もしもの時の話です。」
「取り敢えず…どっしり構えてればいいんじゃねぇか。あたふた焦ってるのはダサイからな。」
「…なるほど。」
「あくまでスマートに、雰囲気を作ればいい。」
「………難しそうですね。」
「…まぁ、こんなもん人それぞれだろ。頑張れよ。」
ニヤリと笑って、俺の肩を叩く跡部さん。
…やっぱり相談なんかしない方が良かったんじゃないか。
またあの子供を見守る様な温かい視線を向けられて、とても居心地が悪かった。
・
・
・
「す…すごいよ、ぴよちゃんさま…!よくこんなお部屋予約とれたね!」
「……友人に頼んだらとれました。」
「わぁ…露天風呂が部屋についてるよ!初めて見た…!」
外観が見るからに高級そうだったからある程度予想はしてたけど、
これは予想外のスゴさだった。
入った瞬間に綺麗な庭園が目に入る。
大きな窓の外に見えるそれは、まるで1枚の絵画のように美しい光景だった。
そして、そこにはほかほかと湯気の湧き出る露天風呂までついている。
きっと、夜になったらもっと雰囲気も良くなるんだろう。
あまりの興奮に部屋中を走り回る私に、苦笑するぴよちゃんさま。
…ダメだ、今日はいつもと違う私を演出するのが目標だった。
ぴよちゃんさまに、女として見てもらうために頑張るんだった。
窓の外の露天風呂を眺めながら小さく拳を握りしめる。
・
・
・
「あぁー、美味しかったね!やっぱりこの季節の蟹は最高だよ…。」
「鍋もいいですね、身体が温まりました。」
「うんうん!部屋食っていうのも旅館っぽくていいよね…。ぴよちゃんさま、ありがとね。」
「…何がですか。」
「こんな素敵なところに連れてきてくれて。」
そう言って嬉しそうに笑う先輩。
…喜んでるみたいで良かった。
先輩は、そのまま寝転がり満腹だ幸せだと、呟いている。
その姿が、子供みたいで少し可愛らしかった。
「そろそろお風呂にいきますか。」
「っふぉう!…あ、お、お風呂ね!うん、そうだよね!そういう時間だよね、そろそろ!」
「……何焦ってるんですか。」
「全然?全然焦ってないよ、大丈夫変なこと考えてないからね。」
「………。」
飛び起きて正座する先輩の姿からは、焦りしか見えない。
……やっぱり、意識はしてるんだな。
…まぁ、この状況で意識しない方が難しいかもしれないけど
俺は頭の中で跡部さんの言葉を繰り返していた。
焦ってはいけない、あくまで冷静に、こ慣れた雰囲気で…スマートに…。
「大浴場があるらしいので、そっちにいってみましょうか。」
「…うん、きっと広くて気持ちいいだろうね!」
「ぴよちゃんさま、お待たせ!」
「……長かったですね。」
「ごめん、大浴場で会ったおばあちゃんと話し込んじゃってた。
そうだ、男湯の方はどんな感じだった?こっちは岩風呂みたいな感じで面白かったよ。」
「広くて、空がよく見えて綺麗でした。」
「そっかぁ、いいね。」
火照った頬で、楽しそうに露天風呂の話をする先輩。
いつもより少し大人に見えるのは着ている浴衣の所為なのか。
あまりジロジロ見るのもダメだと思い、なんとか視線を逸らしたけれど
いつもとは違う状況と、いつもとは違う先輩の姿に少し焦っていた。
・
・
・
「…これ、楽しいですか?」
「……すみません、弱くて。」
私が持ってきた携帯用オセロ。時間があれば遊ぼうと思ってたけど、これは遊びなんてもんじゃない。稽古だよ
真っ黒になった盤面を見ながら、何故私が弱いのかを懇々と説明してくれるぴよちゃんさま。
っく…情けない。キャッキャと楽しく遊ぶ予定がいつの間にか厳かな雰囲気で、パチンパチンとオセロを裏返す音だけが部屋に響いてた。
いつこの辛すぎる遊びを切り上げようかと考えていると、窓の外に何かが見えた。
「あれ…あ!!見て、ぴよちゃんさま!雪だ!」
「え…本当ですね。」
「わー…綺麗だね!…雪降る中で露天風呂とか幻想的でいいよね。」
「…月も見えてますね。」
フと、真子ちゃん達の言葉が脳裏に浮かぶ。
「違う違う、そういう意識じゃなくて、が誘うのよ。」
「そうそう。案外さんがバスタオル1枚でお風呂に入ってきたりしたらあの日吉君も慌てふためくかもよ?」
ここかもしれない。
庭でほかほかと湯気をあげる露天風呂を見ながらごくりと喉を鳴らす。
これなら自然に誘うことが出来るし、全然いやらしい感じもしない!
そして上手くやればぴよちゃんさまの裸まで拝めるぞ…!
グッと拳を握りしめ、少し震える声を整えてぴよちゃんさまの方を見た。
「…露天風呂さ、折角だし…入ってみない?」
「は?」
「あ、ほ、ほら!雪の中でお風呂に入ると宝くじが当たるってジンクス知ってる?」
「嘘つかないでください。…入りたかったら入ればいいんじゃないですか。」
「…一緒に入ろうよ。」
特に焦った様子も見せないぴよちゃんさまに、少し焦る。…本当になんとも思われてないんじゃないか…。
言ってしまった手前引くに引けない。苦し紛れにぴよちゃんさまを誘ってみたけど、やっぱり顔色一つ変えなかった。
「……何言ってるかわかってるんですか。」
「…わ、わかってる。」
「……別にいいですけど。」
「え?!いいの?!」
「自分が言い出したんでしょう。」
思わぬ返事にドキドキと心臓が高鳴る。…ま、マジでこれは一緒にお風呂入れる…のか…?
ぴよちゃんさまに女をアピールするという目標に一歩近づいているはずなのに、あまりにも手応えがない。
…とにかくお風呂に一緒に入って仕舞えばなんとかなるものなのだろうか。
「寒い寒い寒い!!」
「………。」
「っはー…死ぬかと思った…。…あ、ご、ごめん。水飛んだね。」
この人はバカなんだろうか。
部屋からバスタオル一枚で飛び出してきたかと思えば、露天風呂に豪快に飛び込んできた。
そして思い出したようにこちらを見て、恥ずかしそうに目を逸らす。
…まさか本当に入ってくるとは思わなかった。
なんだかんだ言って、直前でビビるんだろうと思っていた。
しかし、今日の先輩は何かが違う。
恐ろしいぐらいに大胆だ。肌が触れそうなくらい近くでタオル一枚しか隔てていない。
目のやり場がなくて垂直に空を見上げることしかできない。
「…ぴ、ぴよちゃんさま、月綺麗だね。」
「そうですね。」
「見て、このお風呂湯の花が浮いてる。」
「え……。」
お湯をすくう先輩の手元を見ると、必然的に色々なものが目に入ってしまいダメだった。
ぐるりと体を反転して目を逸らすと、後ろから先輩の笑い声が聞こえた。
「…何笑ってるんですか。」
「いや…なんか緊張しすぎて笑えてきちゃって…。ぴよちゃんさまももしかして緊張してる?」
先輩は変なところで優しい。
きっと俺が明らかに動揺しているのはわかっているけど、それを指摘すれば俺がいつものように怒って言い返す、ということをわかってるのだろう。
その時、忘れかけていた跡部さんの言葉を思い出す。
…あくまで冷静に…焦る男はダサい…。
ふうっと深呼吸をして、先輩へと向きなおる。
「…別に、緊張なんてしてません。」
「そっか、あはは。私はちょっと恥ずかしいよ。」
「…大体、今更先輩の身体を見たからって…」
よし、大丈夫だ。かなり冷静に振る舞えている。
焦りを見せまいと最後まで先輩から目をそらさずに言い切る。
「何とも思いませんよ。」
跡部さんならこんな時、どうやって嘘をつくのだろうか。
焦りを見せないことに必死で、俺は先輩の変化には全く気づけなかった。
それどころか、がっついている感じのしない、スマートな対応ができたと少し満足していた。
・
・
・
「じゃあ、おやすみなさい。」
「…おやすみなさい。」
パチっと先輩が部屋の灯りを消した。
自分の隣にある布団へと入った先輩。
…先輩にしてはあっさり寝てしまったな。
いつもなら、興奮気味に一緒に寝たいだのなんだの言ってきそうなものなのに、そんな気配もない。
こうなってしまっては仕方ない。そのまま寝るしかないのに…
露天風呂での先輩の姿が頭から離れない。
普段見ることのない姿だからなのか、刺激が強すぎた。
先輩の前ではなんとかいつも通り振る舞うことができたけど、一向に眠気を感じない、
どころか今にも暴れ出したいような正体のわからない恥ずかしさに襲われていた。
…よくよく考えてみると、とんでもないことをしてたんじゃないか、俺たちは。
一緒に風呂に入るなんて…。
考えていると、さっきの光景を思い出してしまいまた顔が熱くなってくる。
なんとなくそれをごまかしたくて、先輩の方を見てみると、規則正しく掛け布団が上下していた。
「…先輩、寝たんですか。」
「………。」
「……早いですね、寝るの。」
「……っお、起きてまーす。」
「やっぱりそうだと思いました。」
顔は見えないけれど、たぶん狸寝入りだろうと思っていた。先輩が返事をしてくれたことが嬉しくて思わず笑ってしまった。
「……あの、今日、楽しかったですね。」
「う、うん!………そうだね。」
「毛ガニにむしゃぶりついてる先輩、野性味に溢れていて面白かったです。」
「……そっか。」
何かがおかしい。
いつもの先輩ならもう少し楽しそうに話すはずなのに、どこか歯切れが悪い。
「すいません、眠たかったですか。」
「ううん…、大丈夫。」
消え入るような声でそう答える先輩はやっぱり普通じゃない。布団から起き上がって先輩の方へと向き直ってみたけど、先輩は掛け布団にくるまっていて、顔すら見えない。
「…先輩。喉乾きませんか?」
「…ううん。大丈夫。」
「……ちょっとすいません。」
不自然すぎる声に何故か胸騒ぎがした。
先輩の掛け布団をめくると
「……え…?」
「ごっ、ごめん!何?どうしたの?」
「…泣いてますよね?」
目元を腕で覆いながら嗚咽をこらえる先輩がいた。
全く予想外の光景に脳内が真っ白になる。
……何があった?
「…お腹痛いんですか?」
「ふふ…違うの、ごめん。ありがと、心配してくれて。」
「もしかして…俺が何かしましたか。」
「違うの!ぴよちゃんさまは本当に何も悪くないから…ごめんね。」
そう言って寂しそうに笑う先輩の顔を見ていると、胸騒ぎが余計に大きくなった。
…こんな風に笑う先輩は見たことない。
「…言ってください、このままじゃ眠れません。」
「……あ、あんまり言いたくないんだけどな…あはは。」
「…心配なんです。」
本当の気持ちだった。
いつも太陽みたいに明るい笑顔の先輩のこんな姿を見ていられなかった。
「……わ、笑わない?」
「先輩の言うことで笑ったことは一度もないから大丈夫です。」
「一度もないの…?…あのね、今日は私…大きな目標があったんだ。」
「…目標?」
「うん。ぴよちゃんさまをドキドキさせちゃうぞ大作戦。」
「………。」
「でも結果的にドキドキしてたのは私だけだったんだけどね。へへへ。」
先輩の言いたいことが見えない。
けれどここで口を挟むと先輩が話題から逃げそうだったので、じっと聞いた。
「…ぴよちゃんさまと付き合い始めて結構経つでしょ?今も幸せでたまらないんだけど、やっぱり…なんていうかその先の世界も最近気になり始めてさ…。」
「……。」
「今日はクリスマスだし、お泊りだしってことで実はちょっと張り切ってたんだ。ぴよちゃんさまをドキドキさせるような感じでいこう!って思ってたの。」
「……。」
「…でも、……さっきのアレは……結構重いパンチだったなぁと思って…。」
ゆっくりと話す先輩の目からじわじわと涙がせり上がってきた。
泣く先輩を目の前にして、頭の中で"さっきのアレ"が何なのかを必死に考えていた。
「オセロで完膚なきまでに叩きのめしたことですか。」
「ぶふっ…あはは!確かにそれも辛かったけどね!」
「じゃあ…何なんですか。」
「……さっき言ってたでしょ、何とも思わないって。…ぴよちゃんさまに、女として見てもらえてないんだってことを改めて実感しちゃったんだ。」
思いもよらない発言に思考が停止する。
…さっき自分がドヤ顔で言っていた発言が…そんな風に受け取られているとは思わなかった。
ハラハラと笑いながら涙を流す先輩を見ていると、心臓がグッと締め付けられるようだった。
「っそれは違います。」
「……ふふ、ありがとう。」
「っ…本当に違います。あれは…っ、その、どうしていいかわからなかったから…。」
「……え…。」
「…言っときますけど…、好きな人が目の前でタオル一枚でいて…何も思わないわけないじゃないですか。」
「……う、うん。」
全身の熱が顔に集まってくる。
部屋は薄暗いけど、それでもわかるぐらいに赤くなっているに違いない。
でもそれより今は、先輩の誤解を解くことが先だと思った。
「…だから、必死で平気なふりをしていたんです。」
「……そうなんだ。」
「…照れ隠しとはいえ、酷いこと言ってしまってすみませんでした。」
「そんな!ぴよちゃんさまは悪くないよ、私こそ…ごめんね、誘惑しちゃって。」
「……そういう言われ方をするとイラッとしますね。」
いつも通りへらへらとした顔で笑う先輩を見て、ホッとする。
…しかし跡部さんの言葉を意識するあまり、先輩の気持ちを考えられなかったことがつくづく情けない。
はぁっと深いため息をつくと、先輩が何かを感じ取ったのか励ましの言葉をつぶやいた。
「今日、本当に楽しかった。それに…クリスマスに一緒にいられて嬉しかった。」
「…そうですか。」
「…今思い出すと恥ずかしいけど、ぴよちゃんさまとムフフな体験もできたし…。」
「………。」
「…ありがとう、連れてきてくれて。」
ふわりと笑う先輩の笑顔に、心臓が少し跳ねた。
暗くて良かった。おそらく先輩にはこの情けない表情は見られていないだろう。
「じゃあ、そろそろ寝ようか。」
「…そうですね。」
「…ぴよちゃんさま、一緒に寝てもいい?」
素直な気持ちを伝えて楽になったのか、とても心が軽かった。
軽くなるどころか、ちょっと私は調子に乗っていたかもしれない。
クリスマスだし、この流れであわよくばぴよちゃんさまの温もりとか匂いとかを堪能したいと呑気なことを考えていた。
「………。」
「ご、ごめんなさい調子に乗りました。」
「…いいですよ。」
「やった!え、本当にいいの?」
どうぞ、と布団をめくりあげて優しく微笑むぴよちゃんさま。
その仕草がなんだかカッコよくてドキドキしてしまう。
恐る恐る布団にもぐりこむと、ぴよちゃんさまの温もりが直に感じられて、ドキドキはさらに加速する。
「…へへ、なんかいい匂いする…。」
「気持ち悪いこと言わないでください。」
「ふふ、安心して眠れそう。ありがとう、ぴよちゃんさま。」
「…先輩の方こそ、俺のことなんだと思ってるんですか。」
「え…」
ぴよちゃんさまを見上げたと同時に、ぎゅっと身体を抱きしめられた。
一つの布団の中で密着するという行為に怖いほど心臓が動き始める。
「ぴ…ぴよちゃんさま…」
「先輩はわかってません。」
「へ…」
目と鼻の先まで近づけられたぴよちゃんさまの顔。
優しく微笑むその表情は、後輩とは思えないほど大人っぽくて、カッコ良かった。
そんな風に微笑まれたことがなかったので、ドキドキしていると、ふわりと唇に温かい感触が広がった。
「…ぴよちゃんさま、あの」
「…俺がどれだけ…先輩のことを想ってるか。」
さっきまでの大人のような表情から一転して、恥ずかしそうに頬を染めるぴよちゃんさま。
見たこともない表情の数々に、私の心臓はいよいよ悲鳴をあげていた。
大好きなぴよちゃんさまとの忘れられないクリスマス。
また一歩、少しずつだけど私達の距離が近づいたような気がした。