夏休み宿題シリーズ:数学ドリル

数学ドリル

「よし、全員準備はいいな。」


クーラーの羽がカタカタと動く音がやけに響く。
夏休みのある日、
部活後に私達は宍戸の家に集合していた。

部屋の真ん中に置かれたガラステーブルを囲むように
私、がっくん、ジロちゃんは座っている。
私達の手元に開かれた数学ドリル。
それぞれ違うページが開かれている。

その1つ1つを宍戸がベッドから立ち上がり、
ゆっくりと確認した。

そして、お互いに静かに視線を合わせコクリと頷く。



「目標は18時!これが終わったら全員で庄吉のラーメンだ!」

「「「おおおおっ!!!」」」

「いくぞ!スタート!!」


宍戸の号令に全員が高く拳を突き上げる。
笑顔で庄吉のラーメンを食べる4人を思い浮かべながら、
全員の意志を一つにして……!














「出来たー!10ページまで終わったよ〜!」

「マジかよ、ジロー早すぎるだろ!俺まだ11ページから13ページまでしか終わってねぇ。」

「私はあと2ページ!」

「っつか、俺の担当ページだけ問題難しすぎる気するわ。記述ばっかだぞ。」



夏休みの宿題を始めてから約1時間。
かつてないほどの集中力を見せた私達は黙々と数学の問題を解いていた。

この光景だけ見れば、榊先生も涙を流して喜ぶと思う。
だって今日はまだ夏休みが始まって3日目だ。
3日目に数学ドリルに着手するなんて、狂気の沙汰だ。
全国どこを探したってそんな中学生いないだろう。

特に私達は毎年"ラストスパート組"と呼ばれている。
8月最終週に毎日徹夜でどうにかこうにか宿題を仕上げる、
それまでは目一杯夏を謳歌する、そういう高度な技術で夏休みを終える職人的なタイプだ。

そんな私達が何故、こんな早い段階で数学ドリルに着手したのか。
それは、今日の部活中に宍戸によって提案された画期的な妙案の為だ。





「おい、!ちょっとこっち!」

「ん、何?」

「いいから、こっち!部室裏来い!」


チラチラと周りを気にしながら、水道の前で手招きする宍戸。
その後ろには同じくソワソワしているがっくんとジロちゃんがいた。

フとあたりを見ると、部室へと入って行く2年生や跡部達。
……普段なら一目散に部室に入ってクーラーの前を陣取る宍戸達なのに
今日はどうしたんだろう。






「それで、どうしたの?」

「……いいか、。今から話すことは誰にも言うなよ。」

「……な、何?」


宍戸はガシっと私の肩に腕を回し、
やけに真剣な顔で人差し指を口元に当てた。
近すぎる距離に一瞬ドキッとしたけど、相手が宍戸なのですぐに冷静になる。


「夏休みの宿題……数学ドリル、もうやったか?」

「はぁ!?やるわけないじゃん、やめてよそんな話!」


宍戸の口から飛び出たワードに思わずムっとしてしまう。
今日はまだ夏休み3日目だ。今私の頭の中にあるのは、海・かき氷・花火・夏祭り……
そんなハッピーでトロピカルなものばっかりだ。

数学ドリルなんて単語、聞くだけで虫唾が走る。
それに何より私は職人。数学ドリルなんてラスト3日徹夜すればどうにでもなる。


「まぁ、聞けよ。」

「……何、がっくん。ニヤニヤして。」

「お前、今回の数学の宿題何ページあるか知ってる?」

「……40ページ。」

「それをさ、1人でやったら何時間かかると思う?」

「………何が言いたいの?」


不愉快な宿題の話をこれ以上続けたくなくて、
目の前で何が楽しいのかニヤニヤと笑うがっくん達にぴしゃりと言い放つ。

すると、立ちながら眠ってるジロちゃんの頭を
片手で支えながら宍戸がコホンと1つ咳ばらいをした。


「協力しようぜ。」

「……協力?」

「だからさ、4人で数学ドリルを10ページずつ分担するんだよ!
 で、お互いに写しあえば……!」


宍戸の言った言葉が最初は上手く理解できなかった。


……宿題を、分担……?


今まで考えたことも無かった発想に、
全身を雷で撃たれたような衝撃が走る。


「……今まで何で思いつかなかったんだろう!宍戸すごくない?
 発想力が初めて生ハムとメロン一緒に食べようとした人のソレと同じレベルじゃない?」

「だろ?俺も最初聞いたときは震えたぜ、あまりにも効率的すぎてな!」

「これが成功すれば、地理ワークとか理科のプリントとか全部この方法で一気に終わらせられるぜ。」


フっと鼻で笑い、私達に向けて渾身のキメ顔を披露する宍戸が
不思議と今日はカッコ良く見える。
私とがっくんは圧倒的な発想力の前に、ただ拍手することしか出来なかった。


「っていうか、よくそんなの思いついたね!」

「へへっ、昨日の夕暮れ時…かな。外出た時に街灯の下で蟻が餌運んでるの見て……思いついたんだよ。」

「なんかそのエピソードも天才っぽくてカッコいい!常人には理解できないあの感じ!」


トントンッと、人差し指で頭を叩いてドヤ顔をする宍戸。
絶対に普段なら失笑ものなのに、今の私達はカリスマに群がる信者と同じだ。
その姿を見て、ついには手を合わせて拝み始めた。



「でも、それって……違法だよね。

「……あぁ、どう考えたってやっちゃいけない事だ。
 でも……ここにいる4人が口外しなけりゃ絶対にバレねぇだろ?」


一段と声を潜めてそう言う宍戸に、ゴクリと喉を鳴らす。
……いくら私だってわかる。
宿題をこんな手段で終わらせた、なんてバレたら絶対怒られる。

たぶんみんなも心の中で葛藤しているだろう。

ジロちゃんの静かな寝息を聞きながら、
私達はお互いに静かに目を見合わせる。
そして、宍戸がスッと手を差し出した。

その掌の上に、がっくんが手を重ねる。
……少しためらってから、私も手を差し出した。

眠るジロちゃんの手を宍戸が動かし、それを最後に重ねると、
それが私達の秘密を守り抜くという血の掟となったのだ。














「終わった……!終わったよ、はい、ジロちゃんありがと!」

「はーい!俺も全部写し終わったー。」

「マジ信じられねぇ……今日3日目だぞ?3日目に数学ドリル終わった!」



ついに全員がお互いのドリルを写しあい、
私達の長い闘いは終わった。
数ある宿題の一つをこんな早い段階で蹴散らしたことに
喜びが抑えられず、私達は互いにハイタッチしながら
仕舞にはテーブルの周りをスキップでグルグル回っていた。

その時。

部屋の外からわずかにピンポーンとチャイムの音が聞こえた。


「宍戸、チャイム鳴ってるよー。」

「……あ、そうだ。母ちゃん買い物行ってんだった。」


はぁ、面倒くせぇなと言いながら時計をチラリと見る宍戸。
一つ背伸びをして階段を降りていく。

残された私達3人は、ラーメン屋で何を頼むかとか
そんな話をしていると、
ガタンガタンと激しい音が近づいてきた。



バンッ




「何、宍戸どうし「お前ら早くドリル全部隠せっ!」

「はぁ?なんだよ、いきなり。」

「いいから早く!」


切羽詰まった顔でガラステーブルにあったドリルを
がしゃがしゃとベッドの上に放り込み、バサっと掛布団をかける宍戸。
いきなりの奇行についていけない私達に、宍戸が振り返って
蚊の鳴くような声で一言。





「長太郎が来た。」





「鳳?鳳なら別に見られてもいいじゃん。」

「バカ!後輩にこんな漢らしくねぇところ見せられる訳ないだろ!取り敢えず今、まだドア閉めてるから!」

「た、確かに……ちょたなら"見損ないました、先輩達……"とか哀しそうな顔で見つめてくる気がする。」

「もしかしたら跡部達に告げ口されるかもしれないC〜…。」

「それはヤバイだろ!鳳はともかく跡部にバレたら絶対監督にもバレる!」

「お、落ち着け!いいか、自然に……自然にしてればバレねぇに決まってる。」


ガタガタと震える手でガラステーブルに
棚に飾ってあった可愛くない恐竜のぬいぐるみを置く宍戸。
中学生4人がテーブル囲んでぬいぐるみ遊びって相当不自然だよ、謎すぎるよ……相当焦ってるな……。

ジロちゃんは自然にベッドの中に入り込んでいる。
なるほど!ごく自然にベッドの中に眠っているブツ
敵から守るってことだね、さすがジロちゃん!

そしてがっくんは部屋の隅で3DSを開いている。
平気な顔してるけど、よく見ると額から滝のように汗をかいている。
素早く鞄からハンドタオルを取り出し、それを投げると
コクリと頷いて汗を拭いていた。


ピーンポーン

「宍戸さーん?」




!もう行くしかねぇ、お前はそこのガラステーブルの上でなんか……
 なんかお人形さん遊びでもしとけ!

「宍戸落ち着いて!お人形さん遊びする年じゃないよ、私!」

「じゃあ適当にくつろいどけ!」

「わ、わかった!手帳とか見とく!」



扉のドアノブを握り、フと振り返った宍戸。
私達の方を見て、静かに親指を立てる。


……大丈夫、バレない。私達なら、出来る!!

























「急にすみません!あの……ちょっと宿題でわからないところがあって。」


宍戸の部屋で精一杯自然にくつろぐ私達。
最初にちょたがドアを開けて入ってきた時も、
みんな「おー」とか「どうしたんだよ」とかそんな感じで自然に振る舞えていた。
よし!この調子でいけば心配なさそう。



「ちょた…そのわからないところを宍戸に聞きに来たの?人選ミスじゃない?」

「俺は先輩だぞ?1回習ったことなんだから教えてやれるにきまってんだろ。」

「あ、あの!そういえば先輩達はどうして宍戸先輩の家に集まってるんですか?」


ちょこんとテーブルの横に座り、私達4人を見るちょた。
確かに宍戸の家に集まるのって珍しいことだけど……
ここで宿題しに来たとか言っちゃうとこのメンバーのことだ。
その会話からポロポロと不正がバレてしまう気がする。

……ここは取り敢えず、新作のゲームをしに来たとかそういう「宿題だ。」


「しっ、宍戸!」


どや顔で宿題のことをバラしてしまった宍戸に思わず声が出る。
部屋の端に居たがっくんも思わず立ち上がった。
すぐに手で口を押えたけど、もちろんちょたはそれを変に思ったようだ。

ハラハラする私の前に、スっと掌を差し出し制止した宍戸。
目が合うと、宍戸がコクリと浅く頷く。


「長太郎、俺達は3年生になってやっと学んだんだよ。……宿題は早めに終わらせるべきだってな。」

「……なるほど。」

「で、毎回毎回宿題終わってねぇ奴らを集めて、まぁ、俺が指揮をとって宿題を進めてたんだ。」

「さすが宍戸さん!良い心がけですね!」

「褒めんなよ、当然のことなんだからよ。」


ハハッと爽やかに笑う宍戸を、白けた目で見つめるしかない私とがっくん。
ジロちゃんなんか布団に隠れてめちゃくちゃ笑ってる。

こんなに宍戸を信頼してくれてるちょたに、嘘を吐くなんて……心が痛むなぁ……。

そんなことを思いながら、手元の手帳をパラパラと捲っていると
ちょたがスクッと立ち上がった。



「……どしたの、ちょた。」

「……先輩達は、真面目に、宿題をしていたんですよね。」

「あぁ、そうだ。それが何だよ。」

「嘘はありませんよね……?」

「疑うとか酷いC~!」


ジロちゃんが言うと、少し間を置いて
ちょたは直角に腰を折り曲げて叫んだ。


「すみません!」

「……は?何だよ…?」


がっくんがそう言った瞬間、ドタドタと激しい物音が聞えた。

何事かと思っている内に、部屋の扉がバタンと開かれる。




「…現行犯逮捕だ、やれ、樺地。」




そこには勢揃いしたテニス部メンバー。
申し訳なさそうに俯くちょた。

どやどやと部屋に入ってきて、あちこち物色し始める樺地や忍足達。



カ、カチコミや……!



机の下や、引き出しの中を無遠慮に除く皆に
抗議の声をあげる宍戸。

しれっと部屋を出ていこうとするがっくんを
羽交い締めにする跡部。

そしてついに
ジロちゃんの必死の抵抗も虚しく布団がはがされてしまった。

ベッドの中に放り込まれた数学ドリルを手に取り、
それをハギーがひとつひとつ確認していく。



「……どうだ。」

「うん、全員終わってるね。間違いないと思うよ。」

「な、何だよ!俺達はただ宿題してただけだろ!」

「お前らの悪事は全部わかってんだよ!」



跡部の発言にシンと部屋の中が静まり返る。

……な、なんでバレてんの……?


「なんでバレてんの?……っちゅう顔やなぁ、。」

「先輩達が今日、部室の裏で話してた話……部室の窓が開いていたので筒抜けでしたよ。」



冷めた目で言い放ったぴよちゃんさま。
理解が追いつかず、私達4人は口をパクパクさせることしか出来ない。

え……え、筒抜けって……ど、どこからどこまで!?

っていうか私達何話してた……?



「……まぁ、でもいくらなんでもそんなすぐバレる不正本当にしないでしょって皆で笑ってたんだ。」

「そしたら4人一緒にコソコソ帰って行くんやもんなぁ……びっくりしたわ。」

「せめてもの情けで、鳳をまず派遣してやったが……」


机の椅子に座り、私達を薄ら笑いで見下す跡部。
チラリとちょたに跡部が視線をやると、渋々ちょたが話し始めた。



「その……もし俺に皆さんのやっていた不正を打ち明けてくれたら、
 俺が説得して真面目に宿題をしてもらおうっていうことだったんです……。
 きっと……宍戸さんなら後輩に対して嘘はつかないと思ったので、
 いきなり家宅捜索するのは待ってくださいって、先輩達にお願いして……。」



そこまで聞いて目頭を押さえる宍戸、そして私。
ジロちゃんとがっくんは小声で忍足やハギーに
「でも言い出したのは俺じゃない」とか、責任逃れの方法を模索し始めている。

お前ら……!後輩のこんな純粋な想いを聞いて胸が痛まないのか……!


「……そうだったのか、長太郎。」

「はい、騙すようなことしてすみません……。」

「ちょた、私達こそゴメンね……!私達が間違ってたよ!」


ちょたの肩に手を置き、反省している様子の宍戸。
俯くちょたの手を握り謝罪する私。
跡部の前で正座をして、必死に言い出しっぺは宍戸だと訴えるジロちゃんとがっくん。


この混沌とした状況の中で、スっと宍戸が跡部の前へと進んだ。


「跡部、俺達が悪かった。これ以上不正はしねぇよ。」

「わかればいいんだよ、今更遅いがな。」

「まぁ、これからは真面目にやるってことで、な。それでいいだろ。」

「だ、だな!ほら侑士、俺ら今からラーメン行くとこだったんだよ、みんなで行こうぜ!」

「うんうん、もう不正はしません私達!心入れ替えさせてくれてありがとうちょた!さ、ラーメン行こ「数学ドリル。」



忍足やぴよちゃんさまの背中を押して部屋から退出させようとする私達4人。

たぶん宍戸が跡部に謝った時から、私達はピンと来てた。


とりあえず数学ドリルは守り抜かないといけない。


……今後はもちろんこれに懲りて不正はしないけど…
折角全部終わらせた数学ドリルだけは、なんとか守り抜きたい。
そんな思いは皆一緒だったのか、とにかくこの場をうやむやにしよう
雑に場を収束させようとした。それがいけなかった。


跡部が椅子に踏ん反り返りながら一言つぶやくと、
樺地が私達4人の数学ドリルを手渡した。



「…で、でももうほら!答えとか書きこんじゃったしさ!」

「そうだぞ、消しゴムで消す時間とか勿体ねぇじゃん。」



私とがっくんが冷や汗を流しながら、
どうにか跡部を刺激しないように抗議すると、
それを見てフっと微笑んだ跡部。




「……安心しろ、新しい数学ドリルを用意してある。」




跡部が鞄から取り出したまっさらな数学ドリル。
それを見て、膝から崩れ落ちた。

私達の努力の結晶を雑に鞄に放り込んだ跡部に、
最後のわるあがきと言わんばかりにがっくんが声をあげた。


「……跡部、お前俺達のその数学ドリル写す気だろ!」

「な、何それズルイ!跡部だって悪い事考えてるんじゃん!」


がっくんに同調して抵抗すると、
みるみる内に跡部の表情が険しくなる。

そ、そんな怖い顔したって怯まないぞ……!


「誰がこんな間違いだらけの解答写すんだよ。」

「あー、うん。パっと見る限りほとんど間違ってるね。」

「……っていうかこれ宿題の範囲とちゃうよなぁ?」

「は?1ページから40ページだろ?」

「いや、岳人らがやってるんは第1章やけど、宿題は第2章の1~40ページやったはずや。
 俺、昨日終わったところやから覚えてるわ。」



驚愕の事実に、私達3人は言葉を失った後
静かに宍戸の方を振り返る。







「……こういう不正をすると碌なことがねぇ、そういうことだよな。」






真面目な顔で頷く宍戸。


メンタルがイカれてるとしか思えないタフな発言の2秒後、


私達3人は宍戸に向かって拳を振り上げていた。