普段と違う匂い

「あ、それ新しい香水?可愛いー。」

「でしょ?匂いも甘くていい感じなんだよねー。」

「おはよ!何?何の話ー?」

さんおはよう。これ、華崎さんが新しい香水買ったんだって。」


爽やかな朝の教室。
始業のベルが鳴るまでの間、みんなが各々の時間を過ごしている。
教室へと入り、後ろから2列目の自分の席へ向かうと
隣の机で華崎さん達が何かの瓶を見ながら楽しそうに話していた。


「へー、なんか可愛い瓶だね。ディ…ディオール!高級そう!」

「ヒプノティックポワゾンっていう名前でね、"催眠効果のある毒"って意味らしいの。」

「なんか大人っぽくてカッコイイねー!」


まさに毒りんごのような赤黒い色をした香水の瓶をまじまじと見つめる。
華崎さんいつもいい匂いするもんなー、なんて思いながら瓶の口元あたりの匂いを嗅いでみると
バニラのような甘くて、アダルトな香りがした。


「わぁ、いい匂い…。」

さんつけてみる?」

「え!いいの?ワンプッシュ1万円ぐらいしない?」

「しないしない。あんまりつけすぎない方がいいから…ほら、脚。出して。」

「脚?手首とかに付けるんじゃないの?」

「手首だと香りすぎちゃうよ。足首あたりにちょっとつけてるぐらいがいいの。」


へぇー、香水ってそういうものなんだ。
教えてもらえなかったら水浴びでもするかのように全身に吹き付けちゃうところだった。

椅子に座り、言われるがままに脚を伸ばすと
シュッシュと軽く香水を吹き付けてくれた。
ポワンと漂う香りにくらくらしそうになる。


「…なんか大人になった気分だね、これ!」

さんいつも香水とかつけてないもんね。」

「うん、でもちょっと憧れてたんだー。ありがと、華崎さん。」


すごいな、香水って。
身にまとうだけで自分が変身したような気分になっちゃうんだもん。
朝につけてもらった香水は、2時間目になっても4時間目になっても
歩くたびにふわふわと香っていた。





























「…………。」

「よし、じゃあこれ榊先生のところに提出して………何?」

「……動くな。」

「ちょっ…何!近い近い!」

「……お前…、香水つけてるだろ。」



放課後の部室。
今日は私が1番乗りだった。
そして次に入ってきたのが跡部。
軽く挨拶を交わして、着替え始める跡部と
昨日先生から言われていた書類をまとめ始める私。

取り敢えず部活が始まる前に届けちゃおうと思い
跡部にそれを伝えようと振り向いた瞬間だった。

目の前まで迫っていた跡部が、
何を思ったのか私の腕を掴み、顔を近づけてくる。


「あ、わかる?いい匂いで「くさい。」

「……いや、いい匂いじゃん。」

「いいか、香水ってのは合う、合わないがあるんだ。お前のは劇的に合ってない。最悪だ。

「ひ…ひどい…!跡部の鼻がおかしいだけでしょ!だってこれディオールだって言ってたもん!高級なんだよ!」

「それだ。お前は大便にディオール吹きかけて良いにおいになると思うか?」

「ねぇ、さすがに殴るよ。」


腕を組みながら説教モードで、女子に向かってとんでもない比喩表現をぶつけてくる跡部。
…折角華崎さんがつけてくれたのに…ひどすぎる。


「……跡部だって香水つけてるでしょ!知ってるんだからね。」

「俺様のは合ってるだろうが。」

「………い、いや…あ、合ってない!全然合ってないよ!ほら、なんかだって…」


こうなったら私だって反撃しないと気が済まない。
人の事をボロクソに言いやがって…
なんとか跡部の事をディスってやろうと、身体に近づき
首元辺りの匂いを確認してみると


「………まぁいい匂いだけど…。」

「ほらな。」

「…でも気分によっては…なんていうか…ちょっと高級なトイレの匂いって感じするし!」

「アーン?そんな訳「おーっす!!」


バタンと開いた部室の扉。
いつも通り元気よく挨拶するがっくんとそれに続く忍足。

数秒の間があって、目を見開く2人。



背伸びをして跡部の首元に顔をうずめる私。

腕を組んだまま澄ました顔をしている跡部。



「…ご、ごめんなんか変な時に「違う!!違うよがっくん、聞いて!」

「…部室でそういうことやめてほしいわぁ。」

「違うって言ってるじゃん!ただ跡部の首の匂いを嗅いでただけで…



そこまで言って、また時が止まる。



苦虫を噛み潰したような顔をする2人と、焦って真っ赤になる私。

私の必死の弁解も虚しく、後から入ってきた宍戸やジロちゃんにも
がっくん達があることないこと吹き込んだ結果、
ついにキレた跡部が全員の頭にげんこつをお見舞いした。


















「…ということなの。ね、私くさくないよね?」

「いや…なんか香水!!って感じがしてくさい。」

「ほら見ろ、俺が言った通りだろうが。」

ちゃんは香水とか似合わないC〜。」


落ち着いたところで、今までの経緯を説明してみると
満場一致で私の香水が不愉快だという結論に至った。酷すぎる。
誇らしげな顔をしている跡部にギリリと唇を噛みしめながらも、
最後まで私は弁解をつづけた。


「…でも跡部だって香水つけてるんだよ。」

「跡部のは、まぁ気にならん程度やわ。」

「っていうかが女子用の香水つけるからダメなんじゃねぇの?」

「メンズ用の方が合ってるのかもな。」


真面目にうんうんと頷く宍戸とがっくんを無視して、
ガタンと椅子を立つ。


「わかりました!もうシャワー室行って「お、俺は良い匂いだと思いますよ。」


いいですよ、そこまで言うならもうシャワー室で洗い流してきます!
ほとんどキレ気味に言い放とうとした瞬間、会話にログインしてきたのはちょただった。

まるで魔女裁判のように3年生達に取り囲まれている私に近づき、
笑顔で慰めてくれるちょたの顔を見て、私は思わず泣きそうになる。


「…い、いい匂いする…?」

「はい!こういう香り好きですよ。」

「ちょ…ちょた……!!うっ、ありがと、ありがとう!!」



やっと味方を見つけた私の心は少しだけ和らいだ。
私が求めていた反応はコレだよ…!こういう優しい言葉が欲しかっただけなんだよ…。
それを正々堂々と面と向かって「くさい」と大合唱するこいつらは本当デリカシー無いな!

ちょたのような完全に満点花丸の反応ではなくても、
ぴよちゃんさまみたいに我関せずで完全に無視してくれる方がまだ良いよ…!


「3年生の無神経野郎どもがね、くさいって…まるで大便に香水まるごとぶっかけたみたいな異様な匂いだって苛めるんだよ…!」

「そこまで言ってねぇだろ。」

「言った!!」

「…あ、もしかして…。」

「なに、ちょたもやっぱり私にはこんな高級な香水じゃなくてW消臭タイプの強力なファブリーズでもぶっかけてた方が良いんじゃないですかとか言うんじゃないよね…。」

「だから誰もそこまで言ってへんやん。」

「同じレベルのこと言ってたもん!」


段々とこの議論に飽きてきたのか、3年生達が散り散りに自分のロッカーへと解散していく中で、
ちょたがジっと私のことを見つめる。…や、やだ何、やっぱりくさいとか言わないよね…。

そして、少し近づいてソっと耳打ちされた。


先輩が女の子みたいに見えて、照れくさいんじゃないですか。先輩達。」

「……え?」

先輩からいい匂いがすると、きっと意識しちゃうんですよ。」


フフっと笑うちょたに、思わず顔が熱くなる。
……な、何それ…そういうことなの!?

私が…知らず知らずの内にフェロモンをまき散らしちゃってたってことなの…?


「そ、それは困るね!」

「それに…香水つけてなくても、先輩は良い香りがしますよ。」

「え…うそ、本当?」

「はい!部活終わった後、髪をほどいてますよね。その時シャンプーの香りがしていい匂いです。」


思わぬちょたの発言に、ついに胸がときめき始めた。
そ、そうなんだ…私ってばナチュラルボーン良いにおい系女子だったんだ…!


「……って、宍戸さんがこの前言ってたんですよ。」

「……え…宍戸…。」


ちょたが思ってくれるならいいけど、宍戸は…宍戸が言うとなんか気持ち悪いな…。
そんなことを思って着替え中の宍戸を見つめると、「早くシャワー浴びてこいよ」と
なんとなく寒気のする台詞を吐かれた。
たぶん本人はその台詞が連想させるシチュエーションなんて想像もしていないんだろう。天然なところあるから。


「わかった、じゃあやっぱり香水は落としてきた方が良いよね!」

「そうですね、その方が先輩たちのためかもしれません。」

「フフ、困っちゃうよねー本当。じゃ、ちょっと行ってくるね!」


健全な青少年たちを惑わせるのは確かにいけないよね。
そう思いなおした私は、笑顔でシャワー室へと向かった。

私は香水が無くても、良い香りがするんだもんね…へへ!












「…何を言ったらあそこまで180度態度が変わるんだよ。」

「え、ただ普通に話しただけですよ…。」

「今にも噛みつく勢いで怒っとったのに、満面の笑みやったで。」

「長太郎は本当の扱い上手いよなー。」

「鳳、何を言ったんだ?」

「えーと…たぶん、先輩が香水をつけてると先輩達がどきどきしてしまうから…皆照れ隠しで言ってるだけなんじゃないですかって…。」

「お前…可愛い顔してナチュラルに大嘘をつくタイプだったんだな。」

「え!?そんなつもりないですよ!たぶんそうなんじゃないかなって思っただけで…」

「思うかよ。お前、野生動物から花の香りがしたところで、動物は動物だろ。

「むしろちょっとマイナスだよな。には…ほら、なんか……焼肉屋の香りとかの方がいいんじゃね?」

「わかるわー、香ばしい肉の匂いな。」

「そ、そんなこと言ってるとまた先輩が「全員地獄送りにしてやる。」



シャワー室から舞い戻り、すべての会話を聞いた私は、
鬼の形相で3年生を一人一人順番に仕留めていくのだった。


後輩の健気な気遣いを、ことごとくぶっつぶす3年生。
そして、その3年生と同じ精神レベルの私を見て
いつも天使のちょたも、さすがに小さくため息をついたように見えた。