君を想う16時

「幸村、何をウロウロしている。榊監督を待たせているんだぞ。」

「うん、わかってるよ。……さん、いないみたいだね。」

「テニスコートにいないのならば、部室かどこかだろう。」

「監督に挨拶に行った後、テニス部の皆にも挨拶していこうか。」

「そうだな、とにかくまずは急ぐぞ。」



テニスボールの音が気持ちよく響く。
聞き慣れた音のはずなのに、この氷帝学園に響く音は
俺達のそれとはまた違っていた。

部員数200名以上の氷帝学園テニス部。
レギュラー以外のメンバーは広大なテニス部専用のグラウンドで
素振りをしたり、筋トレをしたり、まるで軍隊のように
統率の取れた動きで今日のメニューをこなしているようだ。

そんな様子をフェンス越しに眺めながらも
俺は無意識にこの200人以上の人間の中から、たった一人の姿を探していた。
……こっちのグラウンドにはいないみたい。
思わず立ち止まっていると、一緒に来ていた真田に声をかけられる。


月末の他校合同練習についての説明と打ち合わせのため
榊監督から直々に呼び出された俺と真田は、
少し早く練習を切り上げ、氷帝学園へと足を運んでいた。

真田の言う通り、約束の16時まであと5分程しかない。
仕方なく榊監督の待つ音楽室へと向かうことにした。





















「以上、その他学園内での昼食や、更衣室等の説明は跡部から伝える。」

「はい。跡部はテニスコートにいるんでしょうか?」

「……いや、今日は生徒会室だろう。この教室の3つ隣だ。」

「ありがとうございます、ではそちらに向かわせていただきます。」

「……いってよし。」















「ここだな、生徒会室。」

「榊監督ってやっぱり学校でも派手な服だったね。」

「……入るぞ。」



合宿や試合会場以外で榊監督を見るのは初めてだった。
学校の中でも個性豊かな服装をしていることにちょっと驚いて
真田に同意を求めてみたけど、真面目なのか何なのか
全く話題に乗ってこない。本当面白みに欠けるなぁ、真田って。

後ろで俺がため息をついている事も全く気にならない様子で
真田が生徒会室の扉をノックした。



「……入れ。」



中からわずかに聞こえた声に、2人で顔を見合わせた。
そして力任せに扉を開く真田。
扉の中に広がっていた光景が、俺達の想像する「生徒会室」とは随分違っていて
俺達は無言でまた顔を見合わせた。



「あーん?幸村に真田?」

「久しぶりだね、跡部。」

「榊監督からここに来るよう指示をいただいた。何か聞いているか?」

「……あぁ、悪い。あの件か。」



教室一つ分ぐらいはありそうな広い生徒会室。
その真ん中にどどんと置かれた机に、見るからに高級そうなソファ。
そこに相変わらず偉そうに座っている跡部。

真田の一言で何か思い出したのか、ソファから立ち上がり
その後ろにある本棚から何か書類を探していた。



「……それにしても、本当にこれが生徒会室かい?校長室でももう少し慎ましいよね。」

「中々居心地が良いだろ。」


あまりにも現実離れした世界。
つい部屋の中を無遠慮に歩き回ってしまう。

敷き詰められた赤い絨毯は毛足が長くフカフカで、
大きな窓からは広い校内が一望できる。
壁に掛けられた美術品や各部活の賞状の数々、
……そしてやっぱりこの座り心地の良さそうなソファ。


「わぁ、やっぱり心地いいねこのソファ。」

「おい、勝手に座ってんじゃねぇ。」

「いいじゃないか、少しぐらい。………ん?」


まだ書類を探している様子の跡部にバレないように
ソファへ腰かけると、想像以上に身体がふわりと沈む。
なるほど、確かにこれは居心地がいいね。

跡部からの注意を聞き流しつつ、
机の上にあった資料をぼんやり眺めていると
フとこの高級感に溢れた室内に似合わないモノが目に入る。



「……これ、トイストーリーのキャラクターだよね。」

「バズだ。」

「……意外だね、跡部ってこういうの使うんだ。」



どこかコミカルな表情をしたキャラクターのマグカップ。
じっと見ていると何となく笑いが込み上げてくる。
……跡部がこのマグカップでコーヒーを飲んでいるところを思い浮かべてしまった。



「自分で買いに行ったのかい?」

「貰ったんだよ。言っとくがやらねぇぞ。」

うん、全然いらないよ。誰に貰ったの?」

「誰でもいいだろうが。」

「ふーん、でもこういうのさんも好きそうだね。」

「………。」



少し重みのあるマグカップを持ち上げて
何だかクセになりそうなそのキャラクターの表情を見つめていると
不思議とさんの顔が浮かんだ。

何気なく発した言葉に、急に返事が途絶える。
振り返ってみると、跡部はやっと書類を見つけたようだった。



「……もしかしてさんにもらったの?」

「だったら何だよ、うるせぇな。ほらよ、これが資料だ。」



そう言って俺の質問をはぐらかし
両腕を組んで椅子に座る真田へ、資料を手渡した跡部。
2人で資料を見ながら何か話をしているけれど、
俺にはこの目の前にある間抜けなマグカップが気になって仕方ない。

……さんは氷帝学園のマネージャーだ。
普通にお土産でこういうものを部員に渡すことだってあるだろう。
そこに特別な気持ちは無いんだと思う。
それでも、さんが跡部の事を考えてお土産を選んでいる姿を想像すると
心の中にモヤっとした何かが広がった。

机の上に突っ伏して、そのマグカップを見つめていると
少し苛立ったような跡部の声が響いた。


「おい、幸村!聞いてんのか、昼食の際は………」

さんに会いたいな。」

「……真田、こいつは何しに来たんだ。」

「幸村、たるんどるぞ。後で会いに行けばいいだろう。まずは打ち合わせだ。」

「……そうだね。」

なら今日は委員会だ。部活には出てねぇ。」



跡部の一言に、受け取ったばかりの資料がぱさっと手から滑り落ちる。
その様子を見て、跡部が少し笑ったのを俺は見逃さなかった。



「その委員会って、もう終わったのかな?」

「さぁな。いいから打ち合わせに集中しろよ。」



勝ち誇ったように言う跡部の顔を少し睨む。
……確かに今日は打ち合わせの為に来たんだから集中しないと。

仕方なく資料を拾い上げ、細かく記載された概要に目を通す。
跡部の声に耳を傾け、文字を目で追いながらも
自然とため息が漏れ出てしまう。


























「以上だ、質問はあるか?」

「いや、特にない。」

「俺も。当日はよろしく頼むよ、跡部。」



合同練習当日の打ち合わせを終えて、
真田と帰り支度をしていると
扉の外からドタドタと激しい足音が聞こえた。

段々と近づいてくるその音に少し顔をしかめる跡部。
それから数秒もせず、ゴンゴンとドアがノックされ、
返事もしない内に大きな扉が激しい音を立てて開かれた。





「跡部!学食委員会の報告に来たよ!」





聞き覚えのある声と共に生徒会室に飛び込んできたのは、


「……にんじん?」

「来月のメニューなんだけど…………え、幸村君!?弦一郎さんも!何で!?」



全身をすっぽりと覆うオレンジ色の布。
にんじんを模したらしいその着ぐるみは、顔の部分のみ丸く布が切り抜かれていて、頭からは3本ほど緑の葉っぱが生えている。
そして、にんじん本体から4本の手足が生えている様が
絶妙なクオリティの低さだ。

どう贔屓目に見ても可愛いとは言えない(むしろちょっと怖い)
あまりにも間抜けな着ぐるみを身にまといながらも
部屋に飛び込んできた時のさんの目はキラキラと輝いて嬉しそうだった。

今は、俺と真田が生徒会室にいたことが予想外だったのか
にんじん姿のまま慌てふためいている。

……さんの学校生活ってどんなものなんだろう。
きっと毎日色んな表情を見せてくれるんだろうな。



「な、なんでいるの!?え、待ってものすごく恥ずかしい……!」

「……………似合ってるよ、さん。」

「考えに考え抜いた当たり障りのないフォローありがとう、幸村君!」

「おい、。お前まさか、その気色悪い着ぐるみが今日の委員会の報告と関係あるとかぬかすんじゃねぇだろうな。」

「思いっきり関係あるよ!まだ検討中だけど取り敢えず報告に来たの!」

さんは学食委員会なの?」

「うん、副委員長になっちゃってさ。跡部に一々委員会内容報告しないといけないんだよ、面倒くさいでしょ。」



跡部を目の前にして何の遠慮も無くそう言ってのけるさん。
さっきまで静かだった生徒会室があっという間に賑やかになる。

報告に来たはずなのに、俺や真田に学食委員会の活動内容を楽しそうに説明してくれるさんに
跡部がいい加減にしびれを切らせて、苛立った様子で怒鳴ると
彼女は憚ることも無く舌打ちをしていた。
相変わらずのやり取りに思わず吹き出してしまう。



「えーと、来月のメニューの件なんだけど……テーマはにんじんです!」

「見りゃわかんだよ。」

「あのね、にんじんには栄養素が豊富で風邪とかの細菌予防になるんだって!
 今の季節、風邪を引く生徒が増えてるから、注意喚起のためにもにんじんをメインにしたメニューにしようってことになったの。」

「……それはいい。で、その気色悪い着ぐるみはなんだ。」

「これは委員長がドン・キホーテで買ってきたんだ!学食委員会ってイマイチ活動内容が浸透してないじゃん?
 折角色々テーマとか考えてメニュー決めてるんだから、もっとアピールしていきたいんだってさ。
 毎日日替わりで昼休み、学食の券売機横でこの着ぐるみ着て特別メニューのオススメするの!どうかな?」

「そんな化け物が立ってたら食欲失せるだろうが。メニューは良いが着ぐるみは却下だ。」

「わ、わかったじゃあリボンつけよう!リボンつけて可愛くするから!」

「余計気味悪くなるだけだ。」



どちらも一歩も引かない言い争い。
にんじんの着ぐるみで必死に訴えるさんは
不思議と可愛く見えてきたけれど、
2人が俺には関係ない委員会のことについて争う様子に
胸の奥の方がチリチリと痛む気がした。

まだしばらく続きそうな話し合いに、
真田となんとなく目を合わせて、席を立った。


「……それじゃ跡部、俺達はこれで。」

「あぁ、悪いな。」

「え!幸村君達帰るの?じゃあ駅まで一緒に帰ろう。」

「……でも、まだ話がまとまってないんじゃない?」

「今日のは中間報告だから大丈夫!あ、すぐに鞄取ってくるね!」


さんの言葉に一瞬顔が緩みそうになったのを
なんとか誤魔化して微笑むと、
彼女は少しはにかんだ様に笑ってそのまま生徒会室を飛び出していった。

その背中を見送って、もう一度椅子に座ると
ソファに座ったままの跡部と視線が合った。


「……ずっと睨まれてんのも居心地悪いからな。」

「う、うむ。俺も居心地が悪かった。」

「……そんなつもりなかったんだけどな。」

「気づいてないのはだけだろ。」


余裕綽々の表情で笑う跡部に
若干悔しさを覚えつつも、すぐにパタパタと忙しない足音が聞こえたので
コホンと一つ咳ばらいをして表情を整えた。




「おまたせ!さ、帰ろう!」

「なんだそのゴミ捨て場から飛び出してきたみたいな頭は、身だしなみぐらいなんとかならねぇのか。」

「う、うるさいな、急いでたの!」



着ぐるみを脱いで、そのまま走ってきたからなのか、
乱れた髪のまま息を切らせているさんは何だか子供のようだった。

跡部に指摘されて怒るその姿を見て、プっと吹き出すと
それに気づいたのか、恥ずかしそうにこちらを見てさんが笑う。



「へへ、ちょっと待ってね。鏡が鞄の中に……」

「大丈夫だよ、急いできてくれてありがとう。」



焦ったように鞄の中をガサゴソと探るさん。
その様子が可愛らしくて、つい手を伸ばしてしまった。

あちこちにぴょこんと飛び出した髪の毛を
何気なく整えてあげると、ピタッと動きが止まった。



「これで大丈夫。……さん?」

「ほゎい!っあ!う、うん!ありがと。」



俯いたまま動かないさんを、
少し屈んで下から覗き込むと、意外な表情をしていた。

さっきまで、あんな恥ずかしい着ぐるみで校内を走り回っても
恥じらい一つ見せずに朗らかに笑っていたさんが、
俺の行動一つで戸惑ったように俯いている。



「か、帰ろうか!弦一郎さんも、もう行っちゃってるし!ね!」

「………うん、そうだね。」



その表情を悟られまいと、顔を上げたさんの頬は
まだ少し赤いままだった。
部屋から既に出ていた真田を追いかけるように
忙しなく走り去っていくさん。


残された跡部の方をチラリと見ると、
先程までとは少し表情が変わっていた。

腕を組んだまま何か言いたげな表情に、
俺の心は少し弾んでいた。



「そんなに睨まれると困るよ、跡部。」

「……睨んでねぇ。」

「フフ、さっきまで余裕だったのにね。遠慮なくさんと帰らせてもらうよ。」

「……好きにしろよ、こっちは毎日朝から晩まで一緒で飽き飽きだ。」




そう言って、また余裕の笑みでヒラヒラと手を振る跡部。
……挑発したつもりだったのに、ほとんど動じないんだ。

反射的に出そうになった言葉を飲み込んで、
にこりと笑顔を作り俺は生徒会室を後にした。

























「電車、反対方面だね。」

「あ、そっか。じゃあまた月末だね!お互い頑張ろう!」

「あぁ、よろしく頼む。」

「バイバイ、さん。」


元気よく手を振りながらホームへの階段を降りていくさん。
それを見送ってから、俺達も対面側のホームへと向かう。

ホームへ降りて、なるべく空いている車両に乗ろうと
奥の方まで歩いていくとフと、視界の端に何かを捉えた。




「あ、さんだ。」

「……公共の場であんなにはしゃいで、中学生の自覚があるのか、あいつは。」

「フフ、可愛いじゃない。」



対面側のホームに目をやると、
笑顔で大きく手を振るさんがいた。

軽く手を振り返すと、また嬉しそうに笑うもんだから
止めるタイミングを失ってしまう。


















あれから5分。

まだ手を振り続けるさんに、俺と真田は狂気すら感じていた。
2分経ったぐらいから、早く電車よ来てくれと祈っている自分もいた。


「お、おい……あいつはいつまで手を振るつもりなんだ。」

「……ホーム中の人に見られてるの気づいてるのかな…。あれ?誰か来た。」


一心不乱に手を振るさんに声をかけた一人の男子。
制服からすると恐らく氷帝の生徒だろう。

さんは手を振るのを止めて少し談笑した後、
こちらを指さし、また少し手を振った。
後ろにいた男子生徒は、促されるように俺達の方を見てペコリと会釈する。

……何話してるんだろう。

っていうか少し距離が近いんじゃないか。
名前も知らない男子生徒に微笑みかけるさんを見て
フツフツとまた不愉快な感情が沸いてくる。



さ………」



無意識に声が出そうになったところで2人の姿を遮るように電車がホームへと入ってきた。
ゆっくりと停車した電車に乗り込む2人。
こちら側のドアへ走り寄って、窓から控えめに手を振っているさんが小さくなっていく。


数秒で見えなくなってしまった姿に
ゆるゆると手を振りながらフゥとため息を吐く。


「真田。」

「なんだ。」

「さっきの男子と俺、どっちがカッコイイかな。」

「………何を言ってるんだ、お前は。」

「……さん、妙に楽しそうに話してたよね。」

「同じ学校の生徒のようだったな。」

「……同じ学校、か。」

「……まさか氷帝に通いたいなどと抜かすんじゃないだろうな。」

「そんな訳ないだろ。……でもちょっと羨ましい。」



あの広いテニスコートで走り回っているさん、
委員会の中で、あんな着ぐるみを着せられる事になっても
嬉しそうに走り回っているさん……
彼女が登下校の電車の中でどんな顔をしているのか、とか
昼休みには誰とご飯を食べているのか、とか
そんなことが、もし同じ学校なら全部見られるのに。


……叶いもしないことを考えて、また俺は小さくため息を吐いた。



「……幸村、そうため息ばかりつくな。」

「励ましてくれるのかい、珍しいね。」

「……あの男子より、お前の方が格好いいぞ。」

「……真田に言われても全然嬉しくないな、やっぱり。ちょっと気持ち悪いぐらいだ。」

「なっ!お前が聞いたから答えてやったんだろう!」

「ッフフ、わかってるよ。ありがとう。」



隣で怒る真田の声を聞きながらも、
俺の頭の中には狂ったように手を振る
にんじん姿のさんがいた。

もう随分と小さくなってしまった電車の姿を
ぼんやりと眺めていると、あの朗らかな笑みが思い浮かび、
また少し思い出し笑いをしてしまうのだった。