2時になってもまだ終わらない

「……なんか眠たくなってきた。」

「おい、ふざけんなよ。お前がここまで宿題を放置したのが悪いんだろうが。」

「……仰る通りでございます…。」


夏休みも終盤。
今年の夏休みは本当に楽しいことばっかりだった。
思い出すだけでも笑えてくるような思い出がいっぱい。

だけど、そんな楽しい時間ばかり続くはずもない。
すっかり忘れていた夏休みの宿題は
最後の1週間で片づけてしまおうと軽く考えていたけど、
ただでさえ能力の低い私に、そんな高度なこと出来る訳なかった。
毎年毎年…小学生の頃から同じことの繰り返し。
それでもなんとか泣きながら徹夜していつも完了させていた気がする。

でも今年は違った。

現在、深夜2時。
健全な中学生は完全に寝ている時間。
そんな時間に、私は跡部邸の書斎に軟禁されていた。


「……言っておくが、俺は被害者なんだぞ。」

「……何もかも正論すぎて辛い…。」

「……取り敢えず…手を動かせ…。」


私がおそらくこの時期まで夏休みの宿題を終わらせていないであろうことを予期した榊先生は、
跡部に「どんな方法を使ってでも宿題を終わらせるように」と指示をしたらしい。
私にとっても跡部にとっても、大きなお世話なんだけど
榊先生には何故か大人しく従う跡部は、律儀に私の宿題を見守っていてくれた。

文字通り見守っているだけで、私がいくら答えを写させてくれと頼んでも
それだけは絶対に通らなかった。意地でも答えを盗み見てやろうと
書斎から跡部が出ていっている隙に、そこら中の引き出しを開けて
跡部の解答を探したけど、ついに見つからなかった。
挙句の果てにその行為を働いているところを跡部に見られてしまい
シンプルに頬を叩かれる、という悲しい事件も起きてしまった。

そこからは地道に宿題だけに向かい合い、
わからないところは書斎で本を読んだり優雅にティーを飲んでる跡部に質問をする。

そんな感じでかれこれ7時間。
さすがに跡部も疲れてきたのか、私のノートを眺めながら
ウトウトしている気がする。もちろん私もウトウトしている。


「……私、聞いたことある。」

「……何が。」

「頭が働いていない夜に…勉強しても……結局身にならないって…。」

「………。」

「だからさ、取り敢えず今は寝て…明日の朝からやるのはどうかな?」

「……お前は今寝たら昼まで寝るだろうが。」


ふわぁと大きなあくびをしながら跡部が言う。
つられてあくびをしながら、確かにその通りだなと思った。


「じゃあさ、跡部先に寝てて。私あとちょっと頑張るからさ。」


パシンと頬を叩き、もう一度気合を入れなおす。
あと数ページなんだから…頑張れ…!

こんな時間まで跡部を付き合わせるのも悪いと思ったので
私にしてはものすごく優しい提案をしたところ、
予想外の表情で睨まれてしまった。


「……俺が寝た隙に、お前も寝るつもりだろ。」

「大丈夫だよ、ほら。ちょっと眠気覚めたし!」


執事さんが入れてくれたカフェオレをグイっと飲み干して、
もう一度アピールすると、跡部はそれを見て眠そうな目でゆっくりと瞬きをした。


「…少し寝る。終わったら起こせ。」


ついに観念したのか、机に伏せるように眠り始めた跡部。
……こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ。


「跡部、部屋で寝ててよ。私は大丈夫だからさ。」

「……いい、ここで少し寝る。」


…そう言って、こちらに顔を向けることなくそのまま動かなくなってしまった。
……まぁ、いいか。私も早く終わらせて…寝よう。さすがに限界が近づいてきてる…。

もう一度気合を入れて教科書に向き直ると、
動かなくなったはずの跡部の頭がこちらを向いた。

必然的に上目遣いで覗き込まれるような形になり、
いつもと違う子供の様な跡部の表情に思わず笑いそうになった。


「……終わったら起こすんだぞ。」

「わかったわかった、すぐ終わらせちゃうから。」

「……絶対……だ…。」


ゆっくりと目を閉じて、スゥと小さな寝息が聞こえ始める。
あまりにも無防備な寝顔。
……跡部って、寝る時こんな顔してるんだ。

憎たらしい程に綺麗なその寝顔に、
思わず目が釘付けになる。
……年頃の男子の癖に、4Kテレビでも全然耐えられるぐらい肌も綺麗。
それに目を閉じてると、長い睫が余計に長く見える。
……やっぱり跡部ってカッコイイんだなぁ…。


「……違う違う…、しゅ、宿題を終わらせないと。」


深夜2時。
自分の頭の中の思考回路が、完全に低速モードになっているのがわかる。
だからこそ、普段考えないようなことまで考えてしまうんだ。
ぶんぶんと顔を振って変な意識を吹き飛ばす。
フゥっと深呼吸をして、ノートに目をやろうとしたはずなのに、
何故か視線は跡部の寝顔に向いてしまう。

……な…何、意識してんの私……!
こんなのジャンプのお色気枠漫画の男子主人公と同じだよ…。
よりによって跡部なんかに……絶対今の私はおかしい……!
自分の中の何かと戦うために、バチンと頬を叩いて精神を統一した。

































「…お、終わったー!!」

ついに…ついに最後の問題を解き終えた。
書斎の時計は3時近くを指していた。
…どうりでさっきからあくびが止まらない訳だ。

少しだけ寝ると言っていた跡部は、
規則正しい寝息をたてて眠っている。


「……起こしてって言ってたけど……」


こんなによく眠ってるのに、起こすのは気が引ける。
でも、絶対起こせよとも言ってたし…。
それにいつまでも椅子の上で寝てると、
朝起きた時に身体が痛くなるかもしれない。


「……機嫌悪いんだろうなぁ…。」


普段、眠たい時の跡部は基本的に機嫌が悪くなる。
赤ちゃんかよ、って感じだけど、大体そうなのだ。
今、気持ちよく眠ったところなのに起こしたら……

たぶんとんでもなく邪悪な目つきで睨まれて、
苛立ちに任せて罵倒されるだろう。


「うーん……どうしよう……。」


ふわぁとあくびを一つしながら、悩みに悩んだ結果
取り敢えず、軽く起こしてみることにした。
それで起きなかったら諦めて、私もここで寝よう。


「跡部、宿題終わったよー…。」

「………。」

「……一応起こしますよー。」

「…ん……。」


ゆさゆさと肩を揺さぶってみると、
閉じられていた瞳がわずかに開いた。


「あ。跡部、宿題終わったよ!」

「………あぁ…。」

「だからベッドに移動した方がいいよ。付き合ってくれてありがとね。」


まだウトウトしている様子の跡部は、
私の言葉が聞こえているのかいないのか
動く様子がなかった。

仕方ない…、このまま引きずってベッドルームまで連れていくか。
そう考えて椅子を立とうとした瞬間だった。


「……おい、。」

「うわっ!…び、びっくりした…。」

机に伏せながら寝ぼけたような顔で、私に腕をぬっと伸ばしてきたもんだから
てっきり殴られるのかと思ってガードをする。

……と、そのガードした手は、跡部によって解かれ
バシッっと頭の上に手を乗せられた。



「な、何…」

「……よくやった。」




ニコっと満面の笑みで私の頭を撫でる跡部。


……今まで、部活でどれだけ頑張ろうが何をしようが
素直に褒めるなんてこと滅多になかったあの跡部が…
笑顔で私を褒めるなんて……めちゃくちゃ怖い……。

ただ、ほとんど意識はなかったようで
私が固まっている数秒間の間に、
またスゥスゥと寝息をたてて眠ってしまっていた。


「…ね、寝ぼけてたの……?」


予想もしていなかった跡部からの攻撃を受けて、
心臓がドキドキと脈打ち始めた。

そして、段々と眠気が襲ってきて
私は跡部と同じ机でそのまま眠ってしまう。

見たことのない跡部の優しい笑顔が
その日の夢に出てきた気がして
私はとても幸せな睡眠時間を満喫した。



次の日の朝、俺の隣で寝るなんて100年早いと、
理不尽すぎる理由で跡部に蹴り起こされるまでは。