午前3時の悪夢


「…ちょた、起きて。」

「……え……え!?先輩!?」

「あ、やっと起きたね。」

「いや!あ、あの!?」


思わず顔を背ける。
何が…一体何が起こってる?

だって…目の前にいる先輩は何故かバスタオル1枚の姿で
俺は今、見慣れた先輩の部屋にいる。
ベッドの上で心配そうにこちらを見つめる先輩に、
ベッドの端に座っている俺。

…何かがおかしい…。

この状況もそうだけど、先輩がこんな…
恥ずかしがりもせずに、ほとんど裸の状態で正気を保っていられるはずがない。

俺が知っている先輩は…普段俺や日吉のシャワー室を覗こうとして跡部さんに殴られたり、
向日先輩のタオルをこっそり集めたりしている変態的な趣味はあるけど、
自分の裸を晒したり、そういうことに対しては異常に恥ずかしがるタイプだ。
こんな風にお風呂上がりの姿のまま、堂々と男の前で振る舞えるはずがない。

もしかすると、先輩、熱でもあるのかな…?
とにかくもう一度状況を確かめようと恐る恐る振り向いてみると


「…っな、何してるんですか!」

「……ちょた、私…。」


身を隠すたった1枚のバスタオルに手をかけ、
こちらへ迫ってくる先輩。
その表情はやっぱりいつもの先輩のものとは全然違っていて、
得体のしれない妖艶さを纏っている。


「本当の私を…知ってほしいの、だから…」

「や、やめてくださ…い…!」

「お願い、怖がらないで…。」


必死に手のひらで目を隠したけれど、その手は先輩によって阻まれる。
先輩の両手が俺の両手を掴み、お互いに目が合う。

…と、同時に最後の砦であるバスタオルがぱさっと音を立てて落ちた。






















うわあああああああああああっ!!っ…はぁ…はぁ……え…え?……?」


…見慣れた部屋。

真っ暗な空間の中で、時計の針が進む音だけが聞こえた。
つうっと頬を流れる汗を手で拭う。
枕元の携帯電話を確認すると時刻はAM3:00を示していた。



「………最悪な……夢だ……。」






























「お疲れ様ー!はい、ちょたのタオル。」

「……あ、はい。」

「…?……なんだろう…?」

「……、お前また長太郎に変態行為したんだろ。」


ある日の部活中だった。皆にタオルを配っていると、
いつもは笑顔で感謝の言葉まで添えてくれるちょたが、
私の手からタオルを奪い去るようにしてスタスタと歩いて行ってしまったのだ。

その目は笑っていなくて、なんだか不安そうな表情だった。
……さっきまで練習してた時はそんな感じでもなかったんだけど…。

ドリンクを飲みながら、私の背中をバシッと叩いた宍戸。
どうやらさっきの流れを見ていたようだった。


「……今日は特に何も…ロッカーも覗いてないし…」

「…鳳の奴、何かおかしいな。」

「跡部も思った?そうやんな、なんか心ここにあらずって感じやわ。」


周りにいた跡部と忍足も、ちょたが去って行った方向を見ながら
何やら不穏なことを呟く。……マジで私何かやっちゃったのか…。


「……どこか調子悪いのかな…。」





















それから1週間後


「ちょた!ちょっといい?」

「……す、すいません。」

「あ!待ってよ!」


私の目の前から全速力で逃げていくちょたを見て、さすがに心が折れそうになる。
1週間近く、ちょたが私を避けている。
部活中に声をかけても、目線すら合わせてくれない。
部活中がダメなら…とこうしてお昼休みに声をかけても逃げられてしまった。

……本当に私何をしちゃったんだろうか。

この1週間、色々と考えてみた。
あの優しくて天使のようなちょたに避けられるとなれば、
原因は絶対私にあるに違いない。

周りの皆もその考えには大いに同意してくれた。
もしかしてこの前、ロッカールームにあったちょたのジャージを少し拝借して
試着してみたのがダメだったんじゃないかとか、
練習中にちょたの真剣な表情を凝視してニヤニヤしてたのがキモかったんじゃないかとか…

普段私やちょたをよく見ている皆から、たくさんのご意見をいただいた。
最終的には、中学生時代の青春をこんな気持ち悪いマネージャーと共に過ごすことに
耐えがたいストレスを感じているんじゃないかとまで言われた。言いすぎだろ。

半分面白がっている皆によるのここがウザイ!大喜利選手権により
私の心はもうボロボロだ。でもそれ以上に、こうしてちょたに避けられることの方が辛かった。














「…失礼します。」


部活が終わると、そそくさと一人で帰ってしまったちょた。
…今日もやっぱり目を見てくれなかった。

静かに閉められた扉を見ていると、目元のあたりがじんわり熱くなってくる。


「……うわ!…な、何泣いてんだよ。」

「………私マジで…何しちゃったんだろう……。」

「……まぁ、でもさすがにあの態度はおかしいわな。」

「心なしか日に日に衰弱してる気もします。」


ボロボロと流れる涙は止まらない。

あの心優しい後輩に、自分がどんなストレスをかけてしまったのか。
どれだけ悩ませてしまってるのか…謝りたい。
謝りたいけど、原因がわからないことには改善も反省も出来ない。

周りの皆も、さすがにこの状況を問題だと思ったのか
今度は真剣に頭を悩ませている。


「……俺、ちょっと行ってくるわ。」

「どこにだよ。」

「こんなもん長太郎に直接聞かないとわかんねぇだろ。」

「待て、宍戸。…俺も行く。」


パタンと部誌を閉じた跡部が立ち上がる。
そしてそれに続いて皆も鞄を持ってぞろぞろと扉へ向かった。


「…わ、私も…」

はあかん。本人おったら話されへんこともあるやろ。」

「大丈夫だよ〜、ちゃんと原因聞いてくるからね!安心して。」


制服の袖で私の涙を拭ってくれるジロちゃんに、また涙が溢れてくる。
…そうだよね、確かに私がいるとハッキリ言いづらいかもしれない。
ここは情けないけど…、皆に任せよう。


「…よろしくお願いします。いつでも土下座の準備は出来てるって…伝えてね。」































「……で?何をされたっていうんだよ、に。」



先輩達がよく使う学校の近くのレストラン。
今俺は、総勢8人のメンバーに取り囲まれている。

…さすがに、ここ最近の先輩に対する俺の態度は酷かった。

どうしても先輩の顔をまともに見ることができなくて、
徹底的に避ける形になってしまった。

普段ならこういう場に顔を出すことの無い
跡部さんや日吉まで来てるってことは…。


「……先輩は……悪くないんです。」

「…ええねんで、ほんまの事言うて。ここにはおらんねんから。」

「そうだぞ、何かされたんだろ?裸の写真撮られたとかさ。

「俺の予想では"体育の時間に窓から執拗な視線を感じて、
 フと見ると窓からが真顔で凝視してて心底気持ち悪かった"
っていう説なんだけど、どう?」

「ち、違います!先輩は何もしてません!」


滝先輩が笑いながら言った言葉を反射的に否定する。
…ダメだ、先輩たちの中で先輩が悪者にされてる…。

これはもう本当のことを言うしかない。

樺地がドリンクバーから持ってきてくれた目の前のオレンジジュースをぐいっと飲み干して、
あの夜の出来事を伝えることにした。



















「…話の途中だけど…ちょっと待て長太郎。お前……なんて悪夢を見たんだよ…。

「なるほど、わかったわ。夢の中での裸を見たってことは…」

「…夢は自身の頭の中で作られるものです。…お前普段…そんなこと考えてたのか。」

「ちっ、違うんです…!」


軽蔑したような目で俺を見る日吉に、冷や汗をかきながら見守ってくれる宍戸さん。
向日さんや芥川さんは机をバシバシと叩きながら涙を流して笑っている。
滝さんは少し気分が悪くなってきたと、話の途中で席を立ってしまった。
あの跡部さんですら、話の途中にこらえきれないように噴き出している。

やっぱり…こんな夢、おかしいよね…。

自分が作り出した最低な夢。話ながら顔は熱くなるし…
宍戸さんに言われて気づいたけど、涙目になっていたらしい。


「……ほ、本当に…先輩に申し訳なくて…。」

「…………まぁ、思春期の男子やったらようあることやん。相手がっていうのが爆笑ポイントなだけで。

「でもさ、鳳でもエロいこととか考えるんだな!」

「本当。可愛い顔して…女の裸に興味あったんだ。」

「………女?」


なんだか生暖かい目で俺を見守る先輩達。
恥ずかしくて、いたたまれないし、
こんな人が大勢いるレストランで大きな声で話して欲しくない話題だけど、
滝さんが言った一言に引っかかった。


「……いや、だから夢の中での裸見てしもて、それで現実でも直視できへんようになったんやろ?」

「…そ、そうなんですけど……その……裸っていうのが…。」

「…なんだよ、はっきり言え。」


赤くなって俯く俺が気持ち悪いのか、少しイライラした様子で日吉が言った。












「……男……だったんです……。」










「「「「…………は?」」」」




「だ、だから…!先輩の身体がその……筋肉質な…男の身体だったんです!































先輩…すみませんでした!」

「え!?いや、私がたぶん…悪かったんだよね、ゴメンね…。
 でも…ちゃんと反省したいからその…原因を教えてくれると嬉しい。」


次の日の朝。
跡部から「明日は少し早めに来い」というメールがあったので、
いつもより10分早く部室に入ると、そこには既に皆の姿があった。

そして、部室に入るなり腰を直角に曲げて私に謝るちょた。
その後ろにいた皆は何故かこちらを見ないように俯いている。

…でも、久しぶりにちょたがこうして口をきいてくれたことが本当に嬉しい。
昨日の今日で涙腺が弱くなってしまったのか、今にも泣いてしまいそうだ。


「…あー…、まぁなんだ。長太郎も色々と…」


原因を聞きたいとお願いする私と、直立して硬直しているちょたの間に
宍戸が割って入った。……も、もしかして口にするのも辛い程の原因が…?


「…宍戸さん…大丈夫です、きちんと…自分から説明します。」

「…そうかよ。」

先輩…その……」


先程まで硬直していたちょたがキリっとした表情で私に向き直る。
…何を言われても、きちんと反省して誠心誠意謝ろう…!
そう心に決めて、私も気合を入れなおした。

バチっとちょたと目が合うと、先程までキリッとしていた表情が曇る。
そして段々と頬は赤くなり、私の見間違いじゃなければ
今にも泣き出しそうな目になっている。


「ど、どうしたのちょた…。ゴメンね、そんなに辛いことなら…」

「…ゆ、夢で…」

「夢?」

「あの…夢に先輩が…出てきたんです。」

「……ん?」


ぎゅっと両手を握りしめて小さな声で呟くちょた。
よく耳を澄まさないとわからない程の小声だったけど、
今…夢に出てきたって言った?


「それで……あの、夢の中の先輩が…ちょっと…」

「ちょ、ちょっと……?」

「その…ごめんなさい!」

「え!?な、何が!?」


今にも頭から湯気が出るんじゃないかと言う程顔を赤くしたちょた。
もうそれ以上話せないとばかりに手のひらで顔を覆ってしゃがみ込む。

ど…どういう意味だろう…?

ポカンとする私と大きな体を小さく丸めてうずくまるちょた。
そして、その後ろで全然抑えきれてない声で噴き出す氷帝メンバー達。


先輩…が……。」

「な、何?」

……は、裸…で……。


手のひらで顔を覆ったまま、か細い声で呟くちょた。
同じように私もしゃがみこんでなんとか聞き取った単語に
一瞬頭の中が真っ白になった。


「…………はだ…裸?」

「ごめんなさい!俺が…俺が悪いんです!」


その瞬間、もうこらえきれないとばかりに
部室にいた私とちょた以外の全員が爆笑する。

がっくんと宍戸は笑い転げ、
忍足や跡部まで息が出来ない程に笑っている。


な……何それ……


つまり、ちょたが今まで私を避けていたのは…
夢に出てきた私が裸で…それで恥ずかしくて見れなくてっていう…ことなの…?


理解した瞬間、ちょたを上回る勢いで顔に血が上る。
そ、それってなんか……は…恥ずかしい…!


「あ…あはは…そ、そういうことかぁ!」

「気持ち悪いですよね…ごめんなさい…。」

「そ、そんなことない!確かに恥ずかしいけど…その…ちょたが私のこと女の子として見てくれてるってことだよね!」


恥ずかしさでほとんど回らない頭。
半泣きで私を見上げる後輩を、どうフォローしてよいかわからず
適当に出した言葉に、部室が一瞬静寂に包まれる。

そして、その後先程よりも大きな笑い声が響いた。
何故か目の前のちょたもポカンとした顔をしている。
いや、なんでだよ。こっちが訳がわからないよ…!


「皆笑いすぎだよ!ちょた…ちょたは悪くないからね!私が…その…女子力が高すぎるのが悪いんだもん!

「……先輩、あの」

「と、とにかく原因はわかった!これからは出来るだけ…露出の少ない服でいることにするから!」

「は、はい……。」

「そうだ!教室に…長袖長ズボンの体操服があるから、それ持ってくるね!」

「あの!」


私が話すたびに大きくなる笑い声。
がっくんが涙を流しながら「もうやめてくれ…やめて…」と私に訴える。
何がそんな面白いのか…!可愛い後輩がこんなに思い詰める程悩んでたっていうのに…!

確かにちょっと想像の斜め上の原因だった訳だけど…
ちょたがこうして勇気を出して本当のことを言ってくれて良かった。

それに…こんなことを思うのはおかしいのかもしれないけど…
恥ずかしい気持ちと一緒に、自分が女子としてちょたに見てもらえているという事が嬉しかった。

そう…そうだよね!
この男ばかりのテニス部の中で紅一点な訳だから、
思春期のちょたが私の事をそういう風に見てもおかしくないよ!
いけるんだ…私、女子としていけるんだ……!!

そんな自信をくれたちょたに、むしろありがとうと伝えたい。
でも、今はとにかく真っ赤になった自分の顔を見られるのが恥ずかしかったので
そのまま部室を飛び出してしまった。

ちょたが何かを言いかけていた気がするけど…いいんだよ、ちょた。
私はちょたより年上の先輩だもん。

こんなことでちょたのこと嫌いになったりしないからね…!

































「げほっ…ひぃ…もうダメだ、お腹痛い…!

「長太郎…お前っ…ブフッ…大事な部分言ってねぇじゃん!」

「い、言おうとしたんですけど…!」

「…まぁ、知らない方が良いこともあるよね。」


滝先輩が笑いすぎたのか、真っ赤な顔でそう言った。
そして何かを思い出したようにまた噴き出す。

ど…どうしよう…先輩に勘違いされてしまってる…。
どうしても先輩を目の前にすると、あの悪夢の中に出てきた
筋骨隆々の黒光りした男性の身体が思い浮かんでしまう。
そのせいでまともに先輩に謝ることも出来なかった…。

……でも、先輩…怒ってはいないようだった。

だけど、やっぱり…ショックだったと思う…。
また後で戻ってきた時に改めて謝ろう。






と、思っていたのだけど
戻ってきた先輩は長袖長ズボンのジャージで、
頭にはイスラム教徒の女性のようにタオルを巻き付け、
顔にはどこから借りてきたのか大きなサングラスをかけて、
文字通り完全防備の姿で現れた。


そして、俺が話しかけようとすると
顔を真っ赤にして「ご、ごめんね!フェロモン頑張って抑えるから…」と言いながら
どこかへ走り去ってしまう。
忍足さんが聞いた話によると、サングラスは「目で後輩を無意識に誘惑しないため」らしい。
吐きそうな程笑いながら、そう教えてくれた。


そんな状態が1週間続いた。


さすがに周りの先輩達も面倒くさくなってきたのだろうか。
俺がいない時に、先輩に本当のことを伝えたらしい。
先輩達のことだから、その伝え方が悪かったんだと思うけど…


先輩はその瞬間サングラスを叩き割って、
見たことが無い程の無表情でその場で笑い転げていたメンバー全員に平手打ちをし、
周りの後輩たちが引くほどの大乱闘になったらしい。



……本当にごめんなさい、先輩。