「服のシワ、無し!歯磨き、良し!髪型、良し!持ち物、良し!」
休日の朝7時。
私はいつもよりかなり念入りな身だしなみチェックをしていた。
全身鏡の前でくるんと一回りすると、キュっと高い位置で結んだ髪が揺れる。
「…でも、まだ待ち合わせの時間まで2時間もあるな…。」
待ちきれなくてつい早起きしてしまったけど、
時間がとてつもなく余ってしまった。
カーテンからチラチラと朝日が差し込み始める。
天気が良くて気持ちいい。こんないい天気の日には……
「そうだ、まだ時間あるし……!」
・
・
・
「お待たせ。」
「わ!お師匠様、久しぶり!」
「……荷物多いね。」
「うん、なんか色々持ってきたら多くなっちゃった。……あれ?桃ちゃんは?」
そして待ち合わせ時間。
予定より20分早く着いてしまったけど、
不思議と待つのが楽しかった。
久しぶりに会えるお師匠様や桃ちゃんのことを思うと
ワクワクして仕方なかったからかもしれない。
「桃先輩は来られなくなった。」
「え!!体調悪いの?」
「追試だって、前のテストの。」
フッと笑うお師匠様に釣られて私も笑った。
桃ちゃん…折角のテニス日和なのに勿体ない…!
「…行こ。」
「うん!あー、テニス久しぶりだ!すごく楽しみだったんだよ。」
「ふーん…。毎日嫌って程見てるでしょ。」
「見るのとするのは違うよー、私お師匠様と練習した時以来まともにテニスしてないからなぁ…。」
「…あれだけ練習したのに、もう出来なくなってるんじゃない?」
「大丈夫!毎日イメージトレーニングは欠かしてないよ!」
てくてくと2人で道を歩く。
予定では3人のはずだったけど、
お師匠様と2人っていうのも…
なんだかあの時のことを思い出してしまうな。
私がお師匠様と出会ったテニスコート、
そしてお師匠様が私のお師匠様となったあの厳しい特訓……
キラキラと照り付ける太陽の陽を感じながら
思わず頬が緩んでしまうのだった。
「あの特訓は一体何だったんだろうね。」
「すみ……げほっ…すみませんお師匠様…!」
「…っていうか、…体力無くなったんじゃない?」
「う…嘘…!普通に毎日……はぁ、マネージャー業頑張ってるよ…!」
月9ドラマのヒロインになったぐらいのテンションで
爽やかにテニスを楽しむつもりだったのに…
久しぶりの運動にたったの20分で息が上がってしまった。
コートに這いつくばる私を、あの時のように冷たい目線で見下ろすお師匠様。
あぁ…本当思い出すなぁ…まさかこのキュートな外見で
あんなにスパルタな練習を女子に課すとはとんでもねぇ鬼畜だなと、あの頃は思ったもんだ…。
「………。」
ムニ
「ひっ…は、はひふんほ…」
「………ねぇ、なんか太った?」
寝ころぶ私の頬を指で挟み、純粋無垢な疑問を投げかけるお師匠様。
きっと彼はこの質問がどれだけ私の…いや、全世界の乙女の心をえぐるのか知らない。
「…………ふ、太って……え…そ、そう見える?」
「…なんか寝ころぶ姿が前より豚っぽい。」
「無邪気こそ最大の罪…!ひど…ひどいよお師匠様!」
全く悪びれた様子もなく言い放たれたとんでもない侮辱。
前よりってことは、前からある程度は豚っぽいと思ってたんじゃないですか…!
……確かに最近…、ちょっと部活帰りの外食が多いけど…
ご飯の後もチョコレートパフェとか頼んじゃうけど……
でも…それはがっくんとか宍戸も同じように頼んでるし……!
「あの人たちとの運動量は全然違うでしょ。最近体重計乗った?」
「……乗ってません。」
「…拗ねてる?」
「いや……底知れぬショックを受けている……。今までお師匠様から罵られるのはご褒美だと思ってたけど、基準値を超えるととんでもない絶望が襲ってくることを知ったよ…。」
「別に、それでも普通より太ってる訳じゃないし、いいじゃん。」
「……中途半端な慰めが1番辛い…!」
コートで三角座りをしたまま、顔をあげない私に
お師匠様が戸惑っているのがわかる。
わかってる…別に…ちょっと会ってなかったから…だから太って見えただけかもしれないし…
あ、それに今日は髪の毛まとめてるから、顔の面積がちょっと多く見えてるだけかも……
色んな救済策を頭の中で考えてみるけど、
やっぱり改めて人に指摘されると落ち込むものだった。
「……ちょっと休憩しよっか。」
「ご、ごめん!気を遣わせて!」
「どうする?どこに食べに行く?」
「あ!今日ね、朝時間あったからお弁当作ったんだけど…。」
テニスコートの傍にあるベンチに置いてある荷物の1つは
3人分作ってきたお弁当だった。
桃ちゃんがいなくなった今、ちょっと多いかもしれないけど…
「…お弁当…。」
「…ゴメン、もしかして人が作ったのとかあんまり好きじゃない?」
「ううん、嬉しい。」
珍しくお師匠様が見せた笑顔に、思わずキュンとしてしまう。
ベンチの陰に移動して、お弁当箱を開くとお師匠様が一言
「美味しそう」と言ってくれた。
もうそれだけで、さっきまでの悲しい気持なんか吹き飛んでいっちゃう。
今、私の気持ちは子供たちに美味しいクッキーを振る舞うステラおばさんと一緒だ。
卵焼きを頬張って、もぐもぐするお師匠様。
お弁当の写真を撮ると嘘をついてその可愛い姿を盗撮していたのはたぶん気付かれてない。
私きっとこの写真があればダイエットも頑張れるよ…!
「……いっぱい作ったね。」
「桃ちゃんも来ると思ってたから3人分なんだ、食べきれない分は残しちゃお。」
「全部食べる。」
「無理しなくていいよ、ありがと。」
「……俺、結構たくさん食べるんだけど。」
見るからに小食そうなお師匠様に気を遣わせてはいけないと、
善意で言ったつもりだったんだけど…
その考えが透けて見えていたのか、お師匠様は少しムっとした顔をして
ミニハンバーグやおひたしをパクパクと食べていた。
「…本当に全部食べきったね…。」
「……だから言ったじゃん。」
「フフ、嬉しいな。ありがとね!」
みるみる内に少なくなっていくお弁当。
全く苦しがる様子も無く間食してしまったお師匠様に
パチパチと拍手を送ると、当然とでも言わんばかりのドヤ顔をされた。可愛すぎる。
「お師匠様も成長期だもんね。」
「…美味しかったから。」
「……今、なんか私の中の母性スイッチが連打されてる……!お師匠様可愛い……!」
もうさっきからお師匠様の一挙手一投足にキュンキュンが止まらない。
考えてみると、自分が作ったお弁当を男の子に食べてもらう機会って
そんなになかった気がする。こんな風に感想を貰えるのって嬉しいもんなんだなぁ…。
それにしても、今日のお師匠様はやけに素直だ…。
いつもならちょっとぐらい生意気なコメントでも残しそうなのに、
ちょっともじもじした感じでそんな可愛いこと言われたら…!
今のテンションなら8万円の開運シャーペン芯とかも買ってしまいそう。それほど浮かれてしまう。
「…美味しいものいつも食べてるから、太ったのかもね。」
ズガンと頭にフルスイングされたような衝撃だった。
何故か照れくさそうにそう言い放つお師匠様に、私の顔はたぶん能面みたいになってたと思う。
…その話題掘り返さなくてもいいじゃないですか…!!
「…………。」
「…だから、気にしなくていいと思う。」
「……う、うん…ありがと…!」
「…、俺が言ったこと気にしてる?」
「い、今…たった今ものすごい勢いでフラッシュバックしたよ…うん…。」
「……なんかさっき元気なかったから。ゴメン。」
ベンチで足をプラプラさせながら、柄にもなくシュンとするお師匠様を見て
私はハっと気が付いた。
……私が、お師匠様の豚野郎発言に落ち込んでると思ったから…
それを申し訳なく思って、元気を出させようとして、
こんな風にお弁当を美味しい美味しい言ってくれたのか…!
さっきから、若干恥ずかしそうにしてたのは
普段から人を慰めたことなんてないお師匠様ならではの初々しい反応…!
なんとか謝る機会を設けようと……そんな…健気な……
そこまで考えて思わずお師匠様を抱きしめてしまいそうだった。
私こそ…私こそ落ち込んで、気遣わせてゴメンなさい…!
全ては自由奔放に食後のパフェやケーキをむさぼった私が悪いというのに…!
「ゴメンね、お師匠様…!お師匠様は悪くないんだよ、本当に。」
「……そっか。」
「私もちょっと太った自覚があったからショックだっただけで…うん!でも、頑張るよ!健康的に痩せられるようにさ!」
これからは食後のスイーツは控えよう。
そんな風に前向きな意味で笑顔を見せた私を、
お師匠様は自虐風な空元気と捉えたのかもしれない。
さ、もう1回テニスしよう!とラケットを掴み明るく振る舞う私に
優しい優しいお師匠様は、心のこもった一言をプレゼントしてくれるのだった。
「。」
「んー?」
「…太っててもは可愛いんじゃない。」
サラっと笑顔で、女子に対して可愛いと言えるお師匠様のアメリカンスタイルに
ポっと頬を赤らめてしまう。
…と同時に、あくまで太っているということは
徹底して伝えてくる姿勢に思わず笑ってしまいそうになった。
お師匠様らしい、下手くそで可愛い慰めの言葉がとても嬉しくて
やっぱり胸がキュンと跳ねるのだった。