氷帝カンタータ
夏空セレナーデ +α
ドンッドンドンッ
「ー!朝飯だぞー、起きろー!」
「ん……うー…朝…?」
合宿最終日の朝。
騒がしい音で目が覚めた。
枕元の携帯で時間を確認してみると、8:30の表示。
毎朝バイキングは9:00までと決まっている。
「や…っば、私のご飯っ!」
バタンッ
「いてっ!い…いきなり開けんなよ!」
「がっくん、おはよう!そんなことより私のご飯がなくなっちゃう!急ごう!」
「バイキングなんだからなくならないって。」
「甘い!昨日は忍足が私の狙ってたベーコンを全部たいらげたんだからっ!バイキングは戦争なんやで!」
「食い意地はりすぎだろ…。」
がっくんは朝から呆れ顔だけど、そんなの気にしない。
とにかく急がなきゃ…、くっそー最終日はたらふく食べようと思ってたのに!
なんで…なんでもっと早く起こしに来てくれなかったのよ、がっくんめ!
朝食会場へ走りながらキっとがっくんを睨む。
「な…なんだよその目は!わざわざ起こしにきてやったんだぞ!」
まぁ、確かに来てくれなかったら時間切れで朝ご飯にさえありつけなかったかもしれないか。
…うー、あと30分なんて本当最悪…!
「私の朝ご飯!!」
「…朝からデカイ声出すな。」
既に朝食を済ませて、まったりコーヒータイムを楽しんでる跡部をスルーして
急いでお皿を取りに走る。と、そこには無残にも食い散らかされたベーコンにウインナーにスクランブルエッグが…
「ひ…ひどい…!もう全然ないじゃん!」
「。昨日も言うたやろ、バイキングは戦争やって。」
スっと後ろから耳元で囁く忍足に、反射的にエルボーを繰り出すが避けられてしまう。
く…くっそ…、こいつら朝からどんだけ食べるのよ…!
床にへたりこむ私を気にもせず、食べ終わったメンバーは会場を後にする。
あと…あと30分早く起きていれば…!ベーコンにスクランブルエッグをはさんで
パンと一緒に食べたり、コーンスープを飲んだり優雅な朝ご飯が楽しめたのに…!
私の合宿中唯一の楽しみだった朝食バイキングはこうして幕を閉じたのだった。
・
・
・
「よし、全員そろってるな。それでは出発する。」
バスの中の点呼を取り終えた私は、榊先生に報告を済ませると
前から3番目のシートに座った。
バスが広いから1人1シート使えるのが良いわよね。
行きの時とは打って変わって、帰りのバスは静かだ。
おそらく合宿で疲れ果てたのだろう、そこら中から寝息が聞こえる。
皆はこのまま氷帝学園前で解散だが、
私はそのまま榊先生とコンサート会場へ行かなければならない。
柄にもなく緊張しているのか、私は中々バスの中で寝付くことができなかった。
仕方なく楽譜を取り出し、最後の確認作業をすることに。
今回の曲は、ピアノソナタ第8番「大ソナタ悲愴」
ベートーベンの3大ソナタの1つ。
当初はモーツァルトの曲で進めていく予定だったが…
私がテニス部マネージャーになってからというもの、
連日のお呼び出し(主にファンクラブのお嬢様方から)、
そして度重なる部員からの罵倒、じゃれあいという名の暴力に触れているうち
段々と私の中からモーツァルトの音楽のような天使の心が消えうせ、
どす黒い、重々しい心が生まれた。
どれだけ弾いても、悪魔みたいな旋律しか生み出せない私を見かねて、
榊先生がより私に合った曲を選曲してくれたのだった。
これを弾いてるときは、自分の気持ちを素直に旋律にのせられる。
榊先生も驚いてた。昔はこんな重い曲、弾けなかったもん私。
・
・
・
「おーい、皆起きてー。到着ですよー。」
相当疲れていたのか、誰ひとりとして氷帝学園前に着くまで起きる者はいなかった。
ここまで一睡もできなかった私は、1人1人起こしにまわる。
全員の寝起き顔を見れることなんて中々ないから…これは役得ね。
「がっくん、起きてねー。」
「んぅ…え…もう着いたのかよー。」
大きく伸びをするがっくんが、可愛くてたまらない…!
家に一匹欲しいような、そんな気持ちにさせてくれるよね…!
「ぴよちゃんさまも、おはよー。」
「……………おはようございます…。」
まだ開ききらない瞼で、うつらうつらしながら返事をするぴよちゃんさま…!
かわ…可愛すぎる!思わずいつもの癖で携帯のカメラを起動してしまうが、
その瞬間サっと、いつもの凍てついた視線に切り替わってしまった。残念。
全員を起こしまわって、バスから下車させたところで私はそのままコンサート会場へ。
何やらコンサート会場までついてこようとしてたみたいだけど、そんなことさせるもんか…!
あいつらにだけは私の真剣な顔を見られたくない…!
っていうか、あいつらがいると真剣にちゃんと弾ける自信がない。
私にとって、ピアノはそれだけ大事なものなんです。
見慣れた会場に1時間ほどかけて到着。
小さい頃から何度も訪れている、1番大好きなコンサートホール。
今日の私の出番はなんと…なんと大トリらしい。
さっきバスの中で先生に聞かされたけど、もっと早く言ってほしかった。
緊張が尋常じゃない…!しかも私の前は田中君だなんて…!
先生は私にどれだけプレッシャーをかけるつもりですか。
まぁ、別にコンテストとかじゃないから気張る必要はないんだけど…。
それでも先生の知り合いの、音楽界の著名人達も見に来てるし
ヘマだけは絶対にしちゃいけない。
そんなことしたら、先生に何をされるかわかったもんじゃない。
「あ、ちゃん!」
「田中君!久しぶりだねぇ、今日は頑張ろっ!」
「うん、あれ…なんかちゃん焼けた?」
「うわ、マジで?今日の朝までテニス部の合宿だったからさぁ。」
ちょっぴり憧れてる田中君に指摘されて乙女心が少し傷つく…。
テニス部もまぁ、イケメン集団とか言われてるけど(実情は全く異なる)
私にとっては田中君よりイケメンの人はまだいないんだ。
ピアノも上手いし、優しいし、かっこいいし…非のうちどころがないんだから恐れ入る。
今日もその爽やかスマイルが眩しいです…!!
「テニス部…、そっかちゃんテニス部に入ったんだよね?」
「そうなの。私の青春の半分は失われたようなもんだよ…。」
遠い目をして嘆く私を心配して、田中君が顔を覗き込んでくる。
「なんか色々と噂があるから心配だよ。」
「…んー、噂とかは大丈夫なんだけどね…。部員達とのコミュニケーションがね…。」
「上手くいってないんだ?」
「…うーん…そういうわけじゃないんだけど…色々と悩み事は多いかな…。」
「…許せないな。」
「あはは、まぁ私もそれなりに楽しんでるから大丈夫!心配してくれてありがとうね!」
田中君は心の優しい子だから、本当のことを言うと余計心配しちゃうよね。
跡部のジャーマンスープレックスを日常的にくらってるとか、
少しでも私が女っぽい仕草をすると何故か皆にキレられるとか、
そういうことは言わない方がいいと思う、うん。あ、なんか涙出てきた。
「っはー、やっぱり田中君のショパンは素敵だわ…。」
控室にある、会場内モニターを見てつい呟いてしまう。
こんな演奏の後に弾くのは、榊先生のイジメだと思う。
コンサートも終盤に差し掛かり、ついに私の出番がきた。
大きな深呼吸をして、控室を後にする。
舞台袖で、出番を終えた田中君と目線を交わし
いよいよコンサートの舞台への一歩を踏み出した
その瞬間
「ー!うおーい!」
「ちゃん、頑張ってー!」
静まり返ったコンサートホールに響く、聞きなれた声。
思わず観客席の方を見ると、
なんで全員最前列に勢ぞろいしてるんですか。
がっくんとジロちゃんの口を押さえる忍足と、ちょた。
まさか、なんでこんなところにいるの?
緊急事態に混乱し、舞台袖の榊先生に目線を送ると
グっと親指を立て、何やら誇らしげな顔で私を見送っている。
あんたか、呼んだのは。
いやいや、私が皆に見られるの嫌がるってわかってたじゃん。
なんでいっつも余計なことばっかりするんですか先生。
舞台に立ちつくす私に、ざわめく観客達。
あ…、駄目だ。なんか頭が真っ白になってきた。
「。」
ざわめきの中で、嫌ってほど通る声が耳に届く。
「早くしろ、俺様が見に来てやってるんだぞ。」
……後で絶対ぶっ飛ばす。
・
・
・
パチパチ…ワァ……パチパチッ……
…は!終わった!完全に今我を失っていた気がする。
歓声が響いてるってことは、上手くやれたってことだろうな、きっと。
榊先生も満足気にうなずいてることだし。
…で、あいつらは
って、いないし
舞台袖に帰るときに、ちらっと最前列を確認してみたけど
そこはもぬけの殻でいつのまにか全員いなくなっていた。
な…何よ、来たなら最後までいなさいよ…!
・
・
・
「ねぇ。」
「…あーん?」
「あ、田中じゃん!おっすー!」
「向日君、こんにちは。君達さ、何しに来たの?」
「が失敗して、皆に失笑されるのを観に来たはずやねんけどなぁ…。」
「失敗どころか…すごかったですよね、先輩!」
「おう。ちょっと見直したよな。」
「そう…。僕は昔からちゃんのことを知ってるけど、あんな悲しい演奏をするちゃんは初めて見たよ。」
「……何が言いてぇんだよ。」
「テニス部に入ってからなんだよね。ちゃんがあんな風に演奏するようになったのって。」
なに…何を言うてるんですか田中君ー!
控室を飛び出して、あいつらに一発づつアッパーでもかましてやろうと飛び出してきてみたら
何やら廊下で言い合ってる声が聞こえてきた。
曲がり角から覗いてみると、そこにはテニス部VS田中君の構図。
どうやら先に仕掛けたのは田中君のようだ…危ない…逃げて田中君!
一瞬でも気を抜いたら殺られるよ………!
「だからー、何が言いたいわけー?」
「君達、昨日まで合宿に行ってたんだよね。」
「そうだけど。」
「……ちゃんに何かしたんじゃないだろうな。」
「「「「「……は?」」」」」
「彼女、いつもより疲れた顔してた。本当は辞めたいんじゃないかな、テニス部。」
「が疲れたお粗末な顔してんのはいつものことやで。知らんのかいな。」
「以前のちゃんはもっとキラキラしてた!
テニス部に入ったことで、周りの妬みや嫉みの対象になってるんだろう、きっと。それに…」
ちょ…ちょっと待って、何か嫌な予感がする…。
何を言い出す気だ、田中君。これは止めに入った方がいいのかな…?
「それに僕、この前聞いたんだ。跡部君とちゃんが付き合ってるって。」
「…………。てめぇ…。」
あぁ!やっぱり、なんか田中君暴走してる!
見て!田中君よく見て!跡部は怒りに震えてるし、その他の連中が必死に笑いこらえてるのを見て!
「ちゃん、何か悩んでるみたいだった…。その思いが演奏にも出たんじゃないかな。」
出てない、出てないよ田中君!
私の今日の演奏は純度100%のこいつらへの恨みつらみだったんだよ!
そんな、恋煩いに打ち震える可弱い乙女の演奏じゃなかったでしょ…!
「跡部君、無理を承知でお願いがある。……ちゃんと別れてやってくれないかな。」
「…………。」
…あの目は完全にキレてますやん、跡部さん…。
跡部以外のメンバーは笑いをこらえるのに必死で全然止めてくれないし、
田中君は何故か強気で臨戦態勢だし…、駄目だって!跡部はスポーツマンのくせに容赦なくローキックとかする奴だから!
しかし、いつも跡部と戦ってる私にはわかる。これはもう止められない…。
ごめんね田中君、今宵君は夜空のお星様になるかもしれないよ…。
「田中。」
「何?」
「お前に二つ、言いたいことがある。」
「…うん。」
「まず一つ。今度、俺様を侮辱するような不愉快極まりない噂を信じやがったら容赦なく殴り飛ばす。」
「………。」
「もう一つ。あいつは自分の意志でマネージャーやってんだよ。
言いたくはねぇが、今までのどんなマネージャーより必死で食らいついて、楽じゃねぇ仕事だってやってんだ。
他人のお前がくだらねぇ噂に振りまわされんのは勝手だが、何も知らない癖に口出しすんじゃねぇ。」
……田中君に何て口のきき方するんだ、あいつは。
「そうだぞ、田中。俺達、に悩まされることはあっても悩ませたことなんてないし!」
「あの…それに田中先輩が気にされてるような…その、男女関係は一切ありませんから…。」
そこだけは、断固として訂正させてください。
と、付け加えるちょた。さすがだぜ、目に見えないカッターナイフで颯爽と心を傷つけるスナイパーだね、君は!
「それにな。もそうやと思うけど、俺らもと一緒におんのが居心地ええねん。」
「時々どうしようもなく面倒くさくなることもありますけどね。」
「…………。」
「だからさー、田中君。心配しなくても大丈夫。田中君なんかいなくてもちゃんには俺がいればいいんだから。」
「俺ら、やろジロー。」
「違うもーんだ、ちゃんは俺のもんだよーだ。」
いつのまにか田中君をおいてけぼりにして、ぎゃぁぎゃぁと騒ぎながら帰っていく氷帝男子テニス部。
拍子抜けした顔の田中君に、後ろからこっそり声をかける。
「田中君。」
「え…あ、ちゃん…。」
「心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫だから。」
「……そうみたいだね。」
「あんな奴らでも、一緒にいると楽しいんだ。」
「…それはよかった。」
ニコっとほほ笑む田中君にノックアウトされそうになる。
だけど、今は何故だかわかんないけど無性にあいつらと騒ぎたい気分。
「…皆、待ってよー!私も一緒に帰る!」
マネージャーになってよかった
テニス部に入って初めてこんなこと思ったよ。
夏空セレナーデ Fin