氷帝カンタータ





第16話 派遣ヒロイン(プロローグ)





「長太郎、何にすんだよ?」

「あ…この、ハンバーグステーキでお願いします。」


俺は今、学校の近くのファミリーレストランに来ている。
先輩達と、日吉に樺地…つまりレギュラー陣全員が居る。
このメンバーで来るとやっぱり目立つようで、店内からの視線がイタイ。

メニューが全員決まったところで、跡部さんがパチンッと指を鳴らすと女性店員さんが駆け寄ってきた。
…すごい、ファミレスでピンポンのベルを使わない人を初めて見た。
跡部さんはきっとファミレスという所に来たことがないのだろう。
高級フレンチレストランにでも来たかのような振る舞いに、宍戸さんや向日さんは爆笑してる。


「オマール海老のロティ」

「…え、ええと…?」

「だから、オマール海老だよ。」

「跡部、あのな。ここはメニューにあるものから選ばなあかんねんで。」

「んなことわかってんだよ。オマール海老がない店なんかねぇだろうが、馬鹿か。

「ちょ…ひひ…っもうお腹イタイからやめてくれ、跡部…!」

「ぎゃはは!ファミレスにオマール海老なんかあるわけねぇじゃん!ひーっ、まじお坊ちゃま、お前!」


うろたえる店員さんと、今にもぶちぶちっという音が聞こえてきそうなぐらいキレてる跡部さん。
相変わらず机をばしばし叩いて爆笑する向日さんに宍戸さん。

……あれ?なんか足りない?


「あ…あの、お客様ご注文は…。」

「…鳳と同じのでいい。」

「あ、はい!あの、じゃあハンバーグステーキ2つお願いします!」

「かしこまりました。」


そそくさと手に持った機械を打ちこみながら走っていく店員さん。
跡部さんが怖かったんだろうな。でも跡部さんって本当にファミレス来たことないんだな。
ドリンク飲み放題って聞いた時のあの驚いた顔、忘れられないな。
先輩がいたら絶対、爆笑しながら写メ撮って、そんで跡部さんに殴られたりするんだろうな…


あ。



「今日、先輩なんで来なかったんですか?」

「…あ、誘うの忘れとった。」

「だってあいつ今日監督とピアノじゃん。」

ちゃん、死にそうな顔してたね〜。練習してないから絶対監督に怒られる〜って言ってたよ。」

「あいつ監督とめっちゃ一緒におるわりには、苦手やもんな。」

「監督の方はそうでもないようですけどね。」

「え、日吉。どういうこと?」


ここで、宍戸さんと跡部さんに樺地がドリンクバーから帰ってきた。
跡部さんの手にあったドリンクは、禍々しい色をしていた。一体何入れたんだろ。


「…っち、自分でドリンク作るなんてめんどくせぇところだな。」

「…作る?跡部さん、それ何ですか?」

「…わかんねぇけど、宍戸が調合した飲み物だ。」


必死に笑いをこらえてる宍戸さんの顔を見て、皆が一瞬で理解した。
まずい、その飲み物を飲んじゃだめだ跡部さん……!!


「…あ、跡部さ……」


手を伸ばしかけたところで、ぐいっと跡部さんはコップに口をつけた。


ブシャァッァアッ


「うわっ、きたねっ!跡部何やってんだよ!」

「……宍戸…てめぇ、何いれやがった…。」


跡部さんの席の目の前にいた向日さんはもろに跡部さんが噴出した液体を浴びていた。
口から液体を流したまま宍戸さんを睨みつける跡部さん。お腹を押さえてうずくまる宍戸さん、笑いすぎです…。


「…どうせコーヒーとカルピスでも混ぜたんちゃうか。」

「だ…だって跡部…疑いもせず「庶民はこうやってコーヒーを飲むのか」とか言ってんだもん…ぶふぅっ、腹いてぇ…!」

「宍戸てめぇ!!」


狭いファミレスのソファで宍戸さんに殴りかかる跡部さん。
その隣にいる日吉が面倒くさそうに避けながら自分のオレンジジュースを飲んでいる。
向日さんや忍足さんは半ば諦めたような表情でその光景を見守っている。

氷帝の日常。でもなんか…あ、そうだ。


「日吉、さっきの続き。」

「…続き?」

「監督と先輩の話だよ。」

「……あぁ。監督は先輩のこと気に入ってるらしい。」

「えええー!あの監督が!?なんで?!」


向日さんがテーブルから身を乗り出して日吉に問い詰める。
…あの監督が?どっちかというと騒がしい部類の先輩の事苦手そうなのにな。



「この前、監督に書類を渡しに行った時のことなんですけど。」

「うんうん。」


監督の名前を出した途端、宍戸さんと跡部さんは静かになり
皆、真剣に日吉の話に耳を傾けている。


「部屋から出ようとしたら、監督に呼びとめられたんですよ。」

「うんうん。」

「そしたら『がテニス部に入って上手くいってるか』って聞いてくるんですよ。」

「おう。」

「別に先輩が入る前と入った後も特に変わらないので『別に、普通です』って答えたら。」

「よくやった、日吉。」

「『それは、がいなくても大丈夫ということか?』って聞くんですよ。」

「…ほんで、なんて答えたん?」

「まぁ…、でも助かってる部分は多いですけどねって答えたら満足気な顔してました。」

「……なんか癪だけどな。」


先輩達は少しほっとしたような顔をしていた。
…きっと先輩がいなくなったら…って考えてたんだろうな。
俺だってもし先輩がいなくなったら…やっぱり違和感があると思う。
現にこうやって先輩抜きでファミレスに来てるだけでも、なんかいつもの日常じゃない気がするし。


「…で、監督が気になること言ってたんですけど。」

「なんだよ?」

「……先輩を留学させる…みたいなことを。」













一瞬、空気が凍った









「…え、いや、どういうこと?」


明らかに動揺した向日先輩が日吉を問い詰める。
他の先輩も先ほどまでの顔とは明らかに違う。


「さぁ…詳しくはわかりませんが、ピアノの上達を図るためとかなんとか言ってました。」

「やだー!じゃあちゃん氷帝からいなくなっちゃうのー?」


ジローさんの言葉「氷帝からいなくなる」ということに激しく動揺してしまう。
先輩が留学?そんなの聞いてない。

さっきまでぎゃーぎゃーと騒いでいたテーブルが一気にシン…となった。



「……行くぞ。」

「え?どこに?」

「決まってんだろうが、監督とのところだ。」

まだハンバーグステーキきてへんで?

「そうだよ!それも気になるけど取り合えず腹減った!

「俺も、俺も。食ってからにしようぜ、跡部。

「……まぁ、それもそうか。」



先輩すいません、先輩達の食欲と天秤にかけて、食欲が勝ってしまってすいません。




























ガラッ


「監督、はどこですか。」


腹いっぱいハンバーグステーキを食べて、なんとなくデザートまで頼んで
しばらくゆったりした後に、俺達は氷帝に戻ってきた。

もちろん先輩に事の真相を聞かせてもらうためだ。


「跡部か。なら部室に寄ってから帰ると言って、出て行ったところだが。」

「…ありがとうございました。」


部活も終わって、もう用事もないはずなのに何故部室?
まさか…本当に留学のために荷物をまとめてるとか?

少し嫌な予感がする。他のメンバーもその気持ちは同じなのか、誰も言葉を発しようとしない。
小走りで部室に向かい、跡部先輩が勢いよく部室の扉を開けた。


バァンッ


「うぉぉあっ!なっ…なんだ、跡部……って全員?何、どうしたの?」

…てめぇ、何か言うことがあんだろうが。」

「えっ…えー、なんのことかなぁー?」

「とぼけんなよ!何でそんな大事なこと黙ってたんだよ!!」


向日先輩がちょっと涙目になって声を荒げる。
対照的に先輩はぽかーんとした顔で、状況がよくわかってないようだった。


「え…大事なことって?…皆、なんでそんな深刻な顔してんの?」

「…俺らに何も言わんと行くつもりやったんか。」

「…い…言えるわけないじゃん!」

先輩。俺達、もう知ってるんです。」

「ちょ…ちょた…ご…ごめんって、怒らないで…。」

ちゃん、留学なんてやめてよ!俺を置いて行かないでよ!!」











「…ん?」








「ん?じゃねーよ。、監督に言われて留学するつもりなんだろ。」

「え…えーと…、皆はとりあえずその留学のことで私に怒ってるってこと?」

「それ以外何があんだよ。」

「…なっ…なんだ、そんなことか…。」

「そんなことってなんだよ!にとっては俺達は『そんなこと』なのかよ!」


バンッと部室の机を向日さんが叩く。
他のレギュラー陣も、先輩の次の言葉をじっと待っている。
先輩、俺達今まで先輩にひどいこととか色々言ってきたけど、

やっぱり先輩がいないと寂しいです。











「…先生が言ってる『留学』って、たぶん1日神奈川に行くことだよ。」











1日?


神奈川?



「…なん…だと?」

「だーからー、あんた達は先生の言葉を真に受けすぎなのよ!あの人ボキャブラリーめっちゃ貧困だから留学って言ってるけど、
 ただの1日遠征のことだからね?しかも神奈川!なんかピアノの有名な先生のところに習いに行くだけ。」


なんだかホっとしたような、悔しいような。
皆、微妙な表情で先輩を見つめている。



「…じゃ、じゃあ留学なんてしないんですね?」

「当たり前じゃん!なーに、ちょた寂しがってくれたの?」


にやにやしてる先輩を見ると、やっぱり悔しいけどそれ以上に嬉しい自分がいるのも事実。
たぶん皆も同じ気持ちなんだろうなぁ、と思って先輩達の顔を見てみると

明らかにイライラしていた。あれ、嬉しくないんですか?皆?


「……てめぇは、紛らわしいことしやがって…」

「何よ、私は何もしてないじゃん!先生の言葉なんかを真に受けるあんたらが悪い。」

「じゃ…じゃあ、なんで部室なんかに居たんだよ!荷物まとめてたんじゃないのかよ!」

「えっ、えーっと…いやいや、え…ちょっと忘れ物を…」


いきなり挙動不審になる先輩を見て、忍足先輩が問い詰めた。


…ちょっとそのかばんの中見せてみ。」

「や…やだ!だめ!すいません!!」

「…何隠してやがる。」


明らかに不審な先輩を向日さんと宍戸さんが押さえつけ、跡部さんと忍足さんがカバンに手をかけた。


「だ…だめぇえええ!まだシャバの空気を吸っていたいいいいい!!」

「…なんだ、これ。ジャージ?」

…お前、ガチでキモイで。」

「ち…違う違う!違うんです、忍足さん!こ…これは、家で洗ってあげよっかなぁーって…。」


鞄から取り出されたのは数枚の見覚えのある氷帝ジャージ。
俺達が毎日着ているジャージだった。…なんでそんなものが先輩のかばんの中に?


「日吉…と長太郎…に、うわ!!おま…これ俺のジャージじゃん!」

い…遺憾の意を表明します。

「使い方間違ってんだよ、相変わらず頭弱ぇな。おい忍足、警察を呼べ。

「待ってぇええええ!違うんです、すいません!ほんの出来心だったんです!!」

「え…っと、なんで俺のジャージ持ってるんですか?」






「長太郎…わからんか…こいつはお前らのジャージ使って1人で「違う違う違う!語弊がある!」



「…何が違ぇんだよ、変態野郎。」

「…っぐ…、あ…あのさ、ジャージっていつもぴよちゃんさま達が羽織ってるものじゃん?」

「………。」

「そ…それを私が羽織れば間接的に抱きしめられているということに「早く警察だ。ほっとくと大変なことになるぞ。」

























しばらく跡部さんや忍足さんに制裁を加えられた先輩。
無事俺達のジャージは手元に返ってきた。
…本当に先輩って考えが変だ。変というか…変態?
日吉は真っ青な顔して真剣に怖がってるみたいだし、
向日先輩は先輩に向かってずっと「キモイ!」と連呼している。先輩はそれさえも楽しんでるように見えるけど。

…やっぱりこの光景が日常だ。

皆、気づいてるのかわからないけどいつのまにか先輩は俺達の一部になってる。
もちろんレギュラー陣だけで遊んでる時も楽しいんだけど、

先輩がいた方がもっと楽しい。



「そういえば先輩。神奈川に遠征ってどこかの学校ですか?」

「うん、なんだっけかな…あぁそうだ。立海大附属中学校。」














また、場の空気が凍った







「な…何なの、どうしたのよ。」

「頼むから、行かんといてくれ。」

「嫌よ、あんたまで寂しいとか言うんじゃないでしょうね。きしょいわよ。

「アホか、そんなんちゃうねん。俺は立海にみたいなマネージャーがおると思われるのが恥ずかしくてたまらんのや。

「なんだと!!私の存在が恥だとでもいうの?!」

「恥以外の何ものでもないだろ。」


宍戸先輩がため息をつきながら先輩の肩を叩く。
それに怒った先輩はまた暴れ出す。

そんな様子を見て、他の先輩や俺達は底知れない不安を感じるのだった。
先輩が立海に行って…もしも立海のテニス部に存在が知られるようなことがあったら…

駄目だ、なんか恥ずかしい…!先輩の変態なところとか、残念なところがバレたら…

なんか氷帝テニス部全体が残念な部活に見られかねない…!



「……。」

「何よ、跡部。」

「テニス部だけには近づくんじゃねぇぞ。」

「わかってるわよ。テニス部にはろくな奴がいないからね。」


ゴチンッ


「いたっ!」

「とにかく、警察沙汰だけは起こすんじゃねぇぞ。」

「どんな心配してんのよ!普通にピアノ教わって普通に帰ってくるだけですー、過保護すぎんのよあんたは。」



もう帰るからねっ!と言って、日吉のジャージをちゃっかり持って帰ろうとしてるところを
忍足さんに見つかり、スリーパーホールドをかけられていた先輩。




…どうか先輩が立海で恥をさらしませんように。





そう祈りながらも、「絶対何か起こる」という不安が心のどこかで渦巻いていた。