氷帝カンタータ
第25話 聖夜の攻防
「私も行きたい!」
「ダメだ。」
休み時間にわざわざ跡部のクラスまで足を運んだ理由。
廊下を通る人や、跡部のクラスメイトにまで注目されながら大声を張り上げた理由。
それは遡ること1日前。
「ほな、跡部また明日。」
「え、なに、珍しいじゃん。忍足、明日跡部と遊ぶの?」
「遊ぶっていうか……跡部の家で毎年クリスマスパーティーなんや。」
「…………何それ聞いてませんけど。私も行きたい。」
「バーカ、庶民が来るようなパーティーじゃねぇんだよ。」
フっと口を歪め、無駄に綺麗な顔で私を見下ろす跡部に、苦笑いの忍足。
…何このイラっとくる状況。
大体クリスマスパーティーなんてファンシーな企画を跡部と忍足だけで楽しむって何なのよ。
どれだけシュールな絵になるのよ、それ。跡部がトナカイの耳つけて、忍足が鈴でも鳴らすわけ?
そんなの誰も幸せになれないじゃん!世も末じゃん、そんなパーティー!
……っは、もしかして私だけ知らされてなくて他の皆は誘われてるの…?
一気に青ざめた私は部室の中で今日も今日とて騒いでいるがっくん達を見た。
「…心配せんでも岳人も誘われてへんで。」
「……じゃあいいや。」
「忍足と鳳だけだな。」
「なっ、ちょた?なんで?」
私の「ちょた」という言葉に反応したのか、ちょたが愛らしい声で「何ですか?」と近づいてくる。
「…ちょたは明日のクリスマスパーティー誘われてるの?」
「え?…あー!跡部さんのですね。はい、毎年父親の付き添いで。」
「ん?父親?」
確か……弁護士なんだっけ?そして忍足の親も…大学病院のお医者さんだとか、真子ちゃんに聞いたことある…
この不思議なメンバーの共通点と言えば…。なるほど、そういうことか!
「ぜ、絶望した!資本主義社会に絶望した!」
「なんだよ、。何騒いでんの?早く帰る準備しろよ。」
「が…がっくん、おお可哀想な子…!」
自分が知らず知らずのうちに格差社会の渦に巻き込まれているとも知らず、
チュッパチャップスを口につっこんだまま呑気な顔でやってくるがっくん。
その後ろには、いつものメンバー、宍戸とジロちゃんが控えていた。
……宍戸のお父さんは確か…、教師?ジロちゃんとがっくんは…自営業だっけ…?
「っく……、何が悪いんや!役員がそんなに偉いのかー!医者がなんぼのもんじゃー!」
「お、落ち着いてください先輩!どうしたんですか?」
「………跡部さんがー、なんかぁー、皆で仲良くクリスマスパーティーを開催されるとか聞いたからぁー、
行きたいって言ったんですよぉー、わたしぃー。そしたらぁー、庶民どもは庶民らしく七面鳥のかわりに
焼き鳥でも食っとけみたいなこと言われてぇー。」
「言ってねぇ。」
「…クリスマスは皆で過ごせるもんだと思ってたのに。」
「え、何何〜?跡部の家でクリスマスパーティーあるの?俺行くー!」
「ジ、ジロちゃん…!うっ、駄目なのよ…私達は自分のカルマで細々と、庶民らしく生きていくしかないんだよ…哀しいけど…!」
何もわかっていないジロちゃんをぎゅっと抱きしめる。
跡部宅で実しやかに行われると噂のクリスマスパーティー。
きっと…きっと美味しいものがたくさんあるんだろうなぁー…。
ちょっと綺麗なドレスとか着ちゃったりして、やったこともないような優雅なダンスとかするんだろうなぁ…。
「跡部、達も誘ったったらええやん。アカンの?」
「俺の家にジャージと汚ぇサンダル履いてくるような奴らだぞ、呼べるわけねぇだろ。」
「な、何よそれー!差別反対ー!私達もクリスマスパーティーしたい!ね、皆!」
くるっと振りかえり、部室に残ったジロちゃん・宍戸・がっくんに応援を求めてみるものの、
なんだか食い付きが悪い。…こんなに馬鹿にされて悔しくないのか、あんた達…!
「えー、別に俺いいわ。家でゲームしてる方が楽だし。」
「そそ。俺達はいっつもクリスマスはジローの家でゲームしてカレー食ってケーキ食って寝るんだよ。」
「今年はちゃんも来ていいよ〜!」
「な…っ、何その普段と変わらないクリスマス…。いや、確かに楽しそうだけどさ…でもクリスマスは違うじゃん!」
皆でプレゼント交換したり、綺麗に着飾ってみたり…非日常を味わうから楽しいんでしょ?
で、跡部宅のパーティーなんてその非日常を体験するにはもってこいじゃない。
きっと大人に囲まれてシャンパンの色に似たジンジャエールとかで乾杯するんでしょ?
……やっぱり行きたい!
「ね、がっくん。良く考えて、跡部のパーティーだよ?美味しいものいーっぱいだよ?」
「マジで?それはアツイな。」
「ジロちゃんもお洒落してクリスマスパーティー行きたいよね〜?」
「うーん…ちゃんが行きたいなら行く!」
「ほら、跡部!皆がこんなに言ってるのにまだ金で友情をランク付けする気?」
「………いや、マジで来なくていい。」
「鬼!この鬼め!あんたみたいな子しらないわよ!」
興味なさげに雑誌に目を落とす跡部に必死に抗議するも、届かないこの思い。
1人で必死になっている私を見て苦笑いするちょたに、憐みの目を向ける忍足。
がっくん達は私の必死の説得により少しは行く気になったのか、
それともやっと自分たちが跡部に格付けされていることに気づき憤ったのか、
どちらかわからないけれど、「俺達も行かせろ」という雰囲気に仕上がってきた。いいぞ、いいぞ。
「…つまりさ、TPOをわきまえた格好をすれば行っていいってことだろ?」
「なっ…宍戸、あんた…。」
「なんだよ。」
「いや…宍戸がTPOなんていう言葉知ってるとおもわな「殴んぞ、。」
「じゃあ今から皆で服買いに行こうよ〜!」
「おお、善は急げだな。行くぞ、宍戸。。」
「あ、ちょっと待ってよ!」
バタバタ……
「……なんか嵐のように去って行きましたね。」
「…どうやって跡部の家来るつもりなんやろな。」
「よくもまぁアレだけ馬鹿ばっかり揃ったな。」
・
・
・
「あ、ちゃんそれ似合うー!」
「え、そう?ちょっと大人っぽすぎない?」
「そんぐらいでいいんじゃねぇの?跡部の家なんだから。」
昨日は、部室を飛び出した後早速服を買いに街へ繰り出してみたものの、私達は自分がお金を持っていないことに気付きました。
4人で議論をした末に、「よし、イオン●ールへ行こう」ということになりました。庶民で悪いか!
でも意外にも、結婚式の二次会衣装のコーナーには普段着たこともないような綺麗なドレスが揃っていたのです。
そしてクリスマスパーティー当日。買ってきた服を私の家に持ち寄りただいま皆でファッションショー中。
私は、深いエメラルドグリーンのサテンドレスに黒いボレロを合わせたスタイル。
ジロちゃんは薄いグレーのスーツにお洒落なストライプグリーンのシャツ。
がっくんも黒にストライプ柄の珍しいスーツに可愛いピンク色のシャツを合わせている。
宍戸はというと、グレースーツにワインレッドの大人っぽいシャツを見事に着こなしていた。
不覚にも、皆が普段より大人っぽく見えてカッコイイとか思ってしまった。不覚にもね。
「……でもさ、宍戸の帽子はないわ。」
「そうだぞ、帽子はいらねぇだろ。」
「…カッコイイだろ、帽子あった方が。」
「いーらないってば!えい!ほら、こっちの方がいいC〜♪」
「あっ。…まぁ、いっか。」
「さ!服もそろったことだし行こうよ。」
「……っていうか、何時からなんだよ?」
「…俺知らな〜い。」
「俺も聞いてねぇけど。、メールとか来てないの?」
「………きてない。」
…服を合わせるのに必死で全く忘れてたけど…そう言えば、跡部の家ってどうやっていくの?
そして、まず何時から?今はもう17時ですけど、もしかして始まってたりする?
先ほどまでのテンションは急降下し、部屋の中に痛いほどの沈黙が流れた。
「どうすんだよ、!」
「しら…知らないわよ!と、取り合えず跡部に電話してみ…」
PLLLLLL....
調度私が携帯を手に取ったその時。急に電話が震えだした。
びっくりしてディスプレイを覗くと、噂のあいつ。
「あ、跡部!?あの、今どこ?」
「っう…るせぇ…デカイ声出すな。早く出てこい。」
「……へ?」
「だから外にいるっつってんだろうが、後1分で来ないと連れていかねぇぞ。」
「……っ、すぐ行く!」
・
・
・
「おー…ええ感じなったやん。」
「でしょ?ほら、見て〜!俺スーツに薔薇つけてきちゃった〜!」
「やだー、ジロちゃんいつのまにそんなお洒落してたの?超可愛い!」
「…バーカ、結婚式じゃねぇんだぞ。」
リムジンであっという間に跡部宅へ。
そこは以前来た時とは違って、華やかなクリスマスの飾りつけが施されていた。
玄関には榊先生よりももっと年上のおじさまやおばさま方。
かと思えば、出来る大人風の男性やお姉さまも。
すっかり雰囲気にのまれてしまった私達4人を出迎えたのは、慣れた様子で会場を歩き回る忍足にちょた。
「ふふ、宍戸さんも向日先輩もカッコイイですね。」
「だろー?俺が本気出せばこんなもんよ!」
「そんなのどうでもいいから早く飯食おうぜ。」
「はっ!そうだ、ご飯!行こう、がっくん!」
「おい待て!騒ぐんじゃねぇぞ。」
「わかってるわよ!あ、跡部!メリークリスマス!」
そう言い残して、一目散に会場内へ走り出す私達。
後ろで跡部が何か叫んでるけどもう聞こえない。
会場内はさすがに人が多くて、あっという間にがっくんも宍戸も、ジロちゃんさえも見失ってしまった。
だけど今はそんなこと気にしてる場合じゃなくて、ここでしか食べられないお料理にがっつきたい。
でも…でも、せっかくこんな綺麗なドレス着てきたんだから…、あんまり下品な真似するのも…ね。
珍しく思いとどまった私は、人ごみの中でフと足を止めた。
周りには綺麗に着飾ったお姉さんや、紳士達。
あんな風に優雅に歩けば、私も少しは大人に見える…かな?
「ようこそ、いらっしゃいませ。ドリンクはいかがですか?」
「えっ、あ…ありがとうございます。」
「どうぞ。メリークリスマス。」
ビシっと制服を着こなす男性は、おそらく給仕係の人なんだろう。
器用にお盆を片手でもちながら、優雅にドリンクを配っている。
ニコっと微笑んでくれたその笑顔が綺麗で思わず見とれてしまった。
手渡されたドリンクを受け取り、喉が渇いていたこともあって一気に飲み干す。
少し炭酸がきいてて、ほろ苦い…なんだか大人の味ね。
「…おや…、もう飲み干されたのですか。空いたグラスをお預かりいたします。」
「は、はいすいません!喉が渇いていたもので…。」
「そうですか、ではもう1杯どうぞ。」
「へ…あ、ではありがたく頂戴します。」
「いえいえ、それでは引き続きパーティーをお楽しみください。」
ペコっと挨拶をして人混みの中へ紛れていく給仕係さん。
その後ろ姿を見つめながら、ひと口、またひと口とドリンクを体へ流し込む。
…なんか癖になる味。大人に対応されたことで、自分も大人になれた気がして。心なしかテンションも上がってきた。
・
・
・
「…なぁ。どこ行ったんだ?」
「え?…あぁ、どうせそこらへんで肉でもむさぼってんじゃねぇ?」
「わー!がっくん見て!あそこにデザートあるよ!」
「行くぞ、ジロー!」
「…俺ちょっとトイレ行ってくるわ。」
飯もたらふく食って、なんだか人混みにもうんざりしてきた。
ジローと向日はまだまだ食い物に夢中。
フと視線を漂わせてみると、大人と堂々と話す跡部と忍足が目に入った。
……やっぱ俺達とは住む世界が違ぇよな。
なんとなくこの場にいたくなくて、俺は会場を後にした。
「……あ?、何してんだよ。」
「………ん〜?」
会場を出て左に曲がると、真っ赤なソファにが座りこんでいた。
1人で何してんだ、こいつ。…どうせ、腹いっぱいになってドレスのチャックが壊れたとかだろうな。
この前も皆で飯食いに行ったときに、制服のホックがぶっ壊れたって暴れてたし。
「普段着ねぇドレスなんか着てくるからだろ。には芋くさいジャージが1番似合ってんぞ。」
「…………。」
……何だ?いつもなら掴みかかってきそうな場面なのに、はずっと下を向いて動かない。
まさかあの人ごみで気分でも悪くなったのか?
の前にしゃがみこみ、下から顔を見上げた、
その瞬間
ガバッ
「うおっ…な、なんだよ!」
「えへへ〜…宍戸あったか〜い。」
「ちょ…やめろ!」
俺の上から覆いかぶさるように抱きつく。
衝撃で尻もちをついてしまった俺の上に容赦なく身を預けてくる。
「ねー、宍戸〜…?」
チュッ
「ちょ…う…うわぁあああああ!な、何してんだよ!ちょ、やめ…!」
「えへへ、宍戸赤くなってや〜んの!か〜わいいんだからも〜!はい、チューッ。」
「やめ…やめてくれぇえええ!何なんだよ、どけって!」
信じたくない、信じたくないけど今起こったことを説明するとすれば…
身も凍るような甘えた声で、俺の頬に唇を押し当ててくるがそこにいた。
咄嗟に押しのけようとしても、の腕にがっちりホールドされてしまっている。
…っくっそ、男として情けなさ過ぎるだろ、俺…!
そんなことをしている内に、今度はの口が目の前に近づいてきた。
「そ…それだけは勘弁してくれぇえええ!」
なんとかの口を手のひらで封じたその時。
「…しっ、宍戸さん…な、何してるんですか…。」
呆然と立ち尽くす長太郎。
床に押し倒された俺の上で、隙をついて唇を近づけようとする。
終わった。
「ちが…違うんだ、長太郎!」
「な、何が違うっていうんですか!こ、ここここは跡部さんの家ですよ!?」
「だから…違うって!いいから早くをどけてくれ!」
泣きそうになりながら叫ぶ俺を、ゴミでも見るような目で見つめる長太郎。
このままでは俺は生きていけない…!明日から引きこもりになっちまう…!
最後の力を振り絞り、を押しのけた。
「きゃっ…。…うー、痛いー。」
「はぁ…はぁ……、な、何なんだよ!どういうつもりだ!」
「…ん〜…何よぉ〜……。」
どう見ても様子がおかしい。
じっくりとを見てみると、顔が真っ赤だった。
顔だけじゃない。首から鎖骨にかけて…腕まで…全身真っ赤だ。
「……、お前まさか…!」
「騒ぐなっつっただろうが、お前ら!」
大きな声に振り向いてみると、長太郎の横にまたややこしい奴が立っていた。
跡部は顔に青筋を立てながらつかつかとこちらに歩み寄ってくる。
「あ、跡部…なんかが…。」
「言い訳してんじゃねぇ。おい、。騒いだらつまみだすっつっただろうが。」
「……ッ危ないぞ、跡部!」
「……あ〜ん?何が…」
「んふふ…、あーとべー。」
「あ?」
跡部が振り向いた。その時。
ブチュゥ
「……えへ、跡部とチューしちゃったぁ。」
「……あ、跡部さん…だ、大丈夫ですか?」
「おい、跡部…。気を…気を確かにな…、俺誰にも言わねぇから、…な、長太郎。墓まで持っていこうな…。」
「は、はい…。」
呆然として動かない跡部を必死に励ましてみるけれども、微動だにしない。……完全にフリーズしている。
そ…そりゃあれだけ濃厚なキスされたら…それも不意打ちで…に…されたなんて…俺だったら泡を吹いて倒れてるかもしれねぇ。
はと言えば、まだヘラヘラ笑って手を叩いている。
お、恐ろしい生物兵器だぞこれは…!
「宍戸さん…もしかして先輩…。」
「あぁ…。こいつ酒飲んでんじゃねぇか?」
「ー!何してんだよ、デザート取ってきてやったぞ!」
「ちゃん、もうリタイアしたの〜?」
「こら、走りなジロー。跡部に追い出されんで。」
「ちょ、待て!今に近づかない方が…!」
シュークリームを山盛り乗せた皿を持って、嬉しそうにに近づく向日。
俺と長太郎が止めに入ろうとしたときには、もう遅かった。
俺に出来ることはギュっと目をつぶって、現実から目をそらすことだけだ。アーメン、向日。
「あ〜…!がっくん、ありがとぉー!優しいんだ〜、えへへ!」
ブチュッ
「き…きゃぁああああああ!おま…おまおま…!な、何すんだよ!うえぇええええ!」
「……ちょっと…ちゃん、何してんの?」
「……えらいもん見てもうたな。」
目を開けてみると、床に乙女のようにへたりこんで悲鳴をあげる向日。
持ってた皿がひっくり返って床に大量のシュークリームが転がっている。
その傍で、完全にキレたオーラを出しているジロー。
忍足とジローに事情を説明しようと駆け寄る長太郎。
なんだこのカオスな状況…。
たったの数分で氷帝の黒歴史に刻まれるような出来事が起こりすぎて、頭が混乱してきた。
生きるテロマシーンと化したに目をやると、
さっきからずっとフリーズしている跡部の首に手を回していた。
「…んふふー、跡部ぇー…。」
「ちょ…先輩、ダメです!」
「あ、危ないぞ長太郎!」
間一髪でを引き剥がした長太郎。
身を呈して先輩を守るなんて…さすがだぜ!俺には出来ない…すまねぇ長太郎…!
後輩の窮地に飛び込んでやることのできない俺は悪い先輩だと思いながらも
さっきのに抱きつかれた恐怖を思い出して、目をそらすことしか出来ない自分を責めた。
「………ん?」
聞こえるはずの長太郎の断末魔が聞こえない。
振り向いてみると、長太郎に後ろから両手を掴まれた格好のまま寝息を立てて寝ているがいた。
……マジかよ…、あの一瞬で寝れるのかよ。
「……何ちょっとがっかりしてんねん、長太郎。」
「ええっ!?い、いや、そんなことないですっ!」
「命拾いしたな、長太郎…。かっこよかったぜ、お前…。」
「うう…もうお嫁に行けねぇ、俺…。ぶふぇっ…ちょぼふぉ…いってぇ、何すんだよジロー!」
「はい!これで大丈夫!がっくんはちゃんとチューなんかしてないよ!」
座りこむ向日の口をスーツの袖でごしごしと拭うジロー。
心なしかその笑顔が怖い。
長太郎がそっとをソファーに運び、横たわらせる。
幸せそうな顔で眠るを見て、俺達は誓った。
今日あったことは忘れよう。
・
・
・
「…ねぇ、なんか皆おかしくない?」
「……何がだよ。」
「何か冷たい。っていうかよそよそしい。おかしすぎる。」
クリスマスパーティーの次の日。
朝、下駄箱で挨拶した時にまず異変に気付いた。
がっくんが目を合わせてくれない、ジロちゃんが何故かキレている。
そして、廊下ですれ違ったちょたまでもが何だか素っ気ない。
宍戸や忍足は何か言いたげな目で私を見つめるだけ。
そして跡部が私をずっと睨んでいる。部活中ずっと睨んでる、なんなのよ開戦しましょうか?
「……別に、いつもこんなだろ。」
「いーや、違う。宍戸、男らしくないわよ。言いたいことがあるなら目を見てハッキリ言いなさい。」
宍戸の肩を掴んで無理矢理こっちを向かせると、しぶしぶ目を合わせてくれた。
「…、昨日のこと覚えてるか?」
「昨日?……あぁ…、なんか気づいたら家のベッドだったんだけど…何でかな。」
「そこにヒントがあんだろ。」
「……え…、やだ何それ怖い。」
「ちゃん、昨日酔っぱらって皆にチューしまくってたでしょ。」
宍戸と私の間にズイっと割り込んだジロちゃんが発した奇妙な日本語。
………何のことを言ってるの?
「……は、…はぁ?」
「だからー、昨日のこと覚えたないのはちゃんが酔っぱらってたせいなの。」
「よ…酔ってなんか…大体お酒なんか……………、あ。」
「やっぱり飲んでたのかよ!謝れ!謝れよ俺に!」
涙目で私の肩を揺さぶるがっくん。……え、何ちょっとマジで…。
私そんなことを…しでかしちゃったわけ…?
「う、嘘だよね、ちょた…?」
「………さぁ…。」
ま、まさかちょたが朝から素っ気ないのはそのせいなの…!?
わ…わわわ私が…酔っぱらってチューしちゃったから…!?
「ご…ごごごごめんなさいちょた!許して下さい、何でもしますから、どうか弁護士のお父さんには言いつけないでください!」
「……いえ、俺はされてないんで…。」
「…嘘。だって、今日ずっと不機嫌じゃん。私がチューしたからだよね…?本当に…謝っても謝りきれないけど…本当にごめんなさい!」
「おい!鳳じゃなくて俺に謝れよ!俺は口にぶちゅってされたんだぞ、ぶちゅって!」
「えええええ!がっくんにも!?くっそ、覚えてない!」
「何を悔しがってんだよ、のバカ!馬鹿野郎!」
「ジロちゃんも…ごめんね…。」
「俺にはしてないよ。」
「……え?そうなの?」
なんだ惜しい。昨日の私は人選を誤ったな。
まず何よりジロちゃんやちょたにすべきなのに…
いや、いや違う。こんなこと考えちゃダメだ…!馬鹿、!
好きでもない人に唇を奪われるなんて…!
つまりいきなり榊先生にチューされるようなもんでしょ?
……うわぁ、ものすごく申し訳ない気持ちになってきた。
「がっくんにも宍戸にも、跡部にもチューしたのに、俺にはしてないんだよ。」
「……………ちょ…ちょちょ…ちょっと待って今…、今なんかすごい名前が聞こえたけど…。」
「がっくんにも宍戸にもしたの!なのに俺にはしなかったの!」
「ちが…っ、そこじゃなくて…!」
がっくんと宍戸ならまだ何とかなる。
謝り倒せば何とかなるから訴訟問題とかにはならないはずだ。
私が今あり得ないぐらい汗をかき始めてるのは、訴訟どころでは済まなさそうな人物の名前を聞いたから。
「……俺は見てないけど、宍戸が言ってたよ。ちゃんが跡部にチューしてたって。それも口に。」
・
・
・
「……ぉい……お…い、!」
「………ん……、あれ?」
体が横たわってる…?
目の前には見慣れぬ天井。そして聞きなれた声。
顔を横に向けてみるとそこには跡部がいた。
「あ…あああああ跡部!?……何、ここどこ?」
「保健室だ。いきなりぶっ倒れやがって。もう部室は閉めるから荷物だけ持ってきてやったんだ、感謝しろ。」
どさっと足元に私のかばんを置く跡部。
……倒れたのか、私。そうだ…。ジロちゃんのあまりの衝撃発言に…。
「……あ、あのさぁ跡部…。」
「なんだ。」
「そ、その…私の家あんまりお金ないからさぁ…。」
「…何の話をしてんだ。」
「いや、そのー…。昨日の…ね、ことをちょっと聞いて…。訴訟でも起こされたらどうしよかと…。」
「…………。」
「あの、まぁジロちゃんの冗談だと思うんだけどさ!なんか…私が酔って跡部にチューしたとか…って…。」
「………覚えてねぇのか。」
「なっ…って、いうことは…やっぱり…?」
「昨日から俺は過去の記憶を消す装置の開発に全力で取り組んでる。」
「ごっ…ごめんなさい…ま、まさかお酒渡されるなんて思ってなくて…決して自分から飲んだ訳じゃないのよ!?未成年だもん!」
「………どう落とし前つけるつもりだ。」
「わ…私に出来ることならなんなりとお申し付けください…。」
ベッドの上で土下座の体制をとる私。
だって…だっていくら跡部といえど、悪いことをしてしまった。
何度も言うけど、つまり私のしたことはいきなり榊先生にちゅーを迫られるのと同じことだからね…!
怖すぎるでしょ、トラウマになるでしょ…!私なら一生立ち直れないぞ、そんなハプニング…!
「っふ…。いい心がけだ。」
「…あ、でも1回だけだからね言うこと聞くのは。」
「………なら、目をとじろ。」
っく…、視界を奪ってプロレス技をかけるつもりか…!
さすがにどこからくるかわからない技を返せる自信がない…けど…仕方ない…これは罰なんだから…!
素直に目を閉じると、跡部が座っていた椅子から立ち上がる音がした。
ん?
今…なんか一瞬…唇にやわらかいものが触れた…ような?
………驚いて目を開けると目の前には跡部の顔。
私の目を射ぬくような真剣な眼差しを受けて、背中から変な汗が噴き出す。
いや…いやいやいや…まさかね…?そん…そんな罰はあんまりですよね…?
「あ…あんた今…まさ…か…。」
「……っふ、バーカ。俺が味わった苦痛を思い知れ。」
「け…っ……消してやる!あんたを今すぐこの世から消してやる!!」
ひらりと私の攻撃をかわし、ケラケラと笑いながらドアから出ていく跡部。
追いかけようとするものの、体に力が入らない。
な…何これ、まさか腰が抜けてる…!?
「……っ!」
唇を思いっきり服の袖でこすりなんとか浄化に努める。
私は自分のしたことに反省しつつも、それ以上に跡部に対する復讐心が大きくなり始めていた。
「…ックリスマスパーティーなんか絶対にもう行かない…!」
・
・
・
「…、ほんまに昨日のこと覚えてへんねんな。」
「…あぁ。」
「ぶふっ…ほんまに跡部にチューされた思ってるんかな。何かまだ保健室から叫び声聞こえんで。」
「覗き見かよ、趣味悪ぃな。」
「…普通、唇と指の感触の違いぐらいわかりそうなもんやけどなぁ。ほんまにチューしたことないんやろな、。」
「……はっ、あれでちょっとは反省するだろ。」
「…もしかして昨日ちょっとラッキーとか思ってた?」
「殴られたいのか。」
「…ははっ、ごめんごめん。」
こうして私の中学校生活最後のクリスマスは、最悪の思い出と共に幕を閉じた。