氷帝カンタータ





第28話 愛しのヒーロー (前編)





「えー…みんな静かにしてくださーい。それでは学級会を始めます。」

「本日の議題は、来週の球技大会についてです。」



お昼休みが終わったばかりで、まだざわつきの残る教室。
とっくにチャイムは鳴っているのだけど、次の時限が学級会なんだから仕方ない。

壇上にあがった2人の学級委員が一生懸命しゃべってるのを見て、
段々とクラスのトーンはダウンしてきたけれど。

私はお昼休みにたらふく食べすぎた所為で少しづつ忍び寄る睡魔と
必死に戦っていた。斜め後ろの席の真子ちゃんに消しゴムを投げられてちょっと目が覚めたけど。



「今回の球技大会は男女共にテニスとバレーです。」

「今日は全員の出場種目を決めたいと思いまーす。」



…へー、今回はテニスか。
氷帝学園の球技大会は毎年種目が変わる。
そして、大体2種類の種目が用意されていて
どちらに出場するかは個人単位で決めていく。

そういえば去年はバスケとサッカーだったよね。
バスケに参加してバスケットボールが顔面にぶち当たり
途中棄権したのは記憶に新しいわ。


学級委員が黒板にデカデカと書いた「テニス」と「バレー」の文字。
その隙にまたクラスはざわつき始めた。
んー、今回は迷うまでもないな。真子ちゃんと一緒だといいなー、なんて。

委員長は慣れた手つきで真っ白な一本の縦線を引いた。


「では、それぞれ希望する種目の枠に名前を書いてください。」



その掛け声を合図に、黒板付近にわらわらと生徒が群がる。
チョークがあんまりないからそんなに早く行っても書けないのに。
私は最初からバレーにするって決めてるから、別段焦りもしなかった。
だって、この学校で例年人気なのは間違いなくテニスだから。


、どうすんの?」

「真子ちゃん。もちろんバレーにするー。」

「えー、テニスにしなよ。今年は前と違うじゃん?」

「……何が?」

「だって、マネージャーになってから初めての球技大会でしょ?」


嬉しそうな顔で微笑む真子ちゃんの言わんとするところがわからない…。
そうこうしている内に、書き終わった生徒がパラパラと席へ戻る。
黒板の前がやっと空いてきたころ、ようやく席を立ったのだけど。



「……あれ。何これ?」

「うわー、バレー超人気だね。っていうかテニス人数足りてないよ、これ。」

「え…やだ!早く書かないと!」



おかしい、私の予想ではバレーがちょっと少ないぐらいで
大体同数程度に落ち着く予定だったのに、明らかにこのテニス不人気はおかしい…!

急いで黒板に駆け寄り、チョークを握る。
せめてものアピールで大きく自分の名前を「バレー」枠に書こうとした、その時。


さんはテニスでしょ?」

「……へ?」



ぽんっと肩を叩かれたと思うと、後ろにいたのはニコやかな委員長。
見間違いじゃなければ、既に着席した皆の視線も私に注がれているような気がした。



「わ、私はバレーにするよ?」

「えー!はテニス部なんだから、テニスでいいんじゃね?」

「私マネージャーだもん!」

「マネージャーだからいいんだよ。硬式テニス部の選手はテニスには立候補できないからね。」


くいっとメガネを持ち上げて微笑む委員長と、
調子に乗って囃したてるクラスメイト達。なんだ…なんだこの空気。
待って、まず皆何か勘違いしているようだけど…


「みんな聞いて!私はテニスがものすごく下手だよ!

「…普通の女子よりは上手いよね?大丈夫だよ、謙遜しなくていいって!」

「ちが…っ、みんな私が普段見てるからって、ムーンサルトが出来るとか、一球入魂できると思ってるでしょ?
 違うの!あれは特別なの!あいつらは異次元超テニス選手なんだから!

「はいはい、もうこれ以上話してても終わんないからさんはテニスね。」

「お…横暴だーーー!ヤダヤダヤダ!」

、私もテニスにしてあげるからさ。」

「真子ちゃんがいるなら何でもいい!」


ガバッと真子ちゃんに抱きつく私を見て、笑いに包まれる教室内。
……仕方ないか、私が我儘言うのもなんだしね。スタートダッシュが遅かったのが悪いんだ。

それに真子ちゃんもいるし…、さらにテニス部員は立候補できないんでしょ?
五月蝿いあいつらもいないんだし、案外のびのびとテニスを楽しめるかもしれない!


























「あ、ほら見て。残念クラスの奴等だよ。」

「っぷー、相変わらずなんかダサイよねー。」

「特にあのブス。テニス部の周りちょろちょろしてウザイよねー。」


放課後。
今日は部活には出ずに榊先生とのピアノレッスンに先に行く予定だった。
ただ、榊先生が少し会議で遅れるらしく、ならばと
クラスメイトの女の子達と近くの自動販売機にジュースを買いに行っていた。

5・6人で廊下を歩いていると、目の前から歩いてきたのは
氷帝美少女ランキングでも上位を占めるゆるふわ可愛い系女子軍団。
同じ中学生でも、あれだけ化粧をしていると本当に同級生かと疑いたくもなる。

特に気にも留めずに私達は談笑しながら歩いていたのだけど…


「ほら、アレだよ。クラスにイケてる男子とかがいないからあんな感じで枯れてっちゃうんだよ!」

「あっはは、言えてるー。恥ずかしくないのかなぁ、あんな顔で学校来るの。」

「私なら絶対恥ずかしくて跡部様にあんな顔見せれなーい!」

「「「きゃははは!!」」」


すれ違いざまにこれ見よがしに悪口をまき散らす姿は、もう見てらんない。
折角そんなに可愛く生まれてきたのに、何でわざわざ自分の価値を落とすのかしら。

恐らく私のことを言ってるんだろうけど、日常茶飯事なので無視。
やっぱり慣れって怖いなぁ、不思議と傷つきもしないもんねぇ…。

ゲラゲラと下品な笑い声を響かせて歩いて行く彼女たちをスルーして
隣の瑠璃ちゃんに何のジュースがいいか聞こうとすると…


「…どっ、どうしたの瑠璃ちゃん!」

「…っひ…っく、…ちゃん…私…私悔しい!」

「私も。あんなこと言われて黙ってらんないんだけど!」


隣には大粒の涙をポロポロと流す瑠璃ちゃんに、
怒り心頭の様子の皆。


「る、瑠璃ちゃん違うよ!さっきの奴等は私に対して言ってたんだよ?」

「違うの…。私知ってるんだ。私達のクラスがなんて呼ばれてるか。」

「……え?」

「激ダサクラスとか…。」

「何それ、シめてこようか?宍戸でしょ?

「ちが…違うよ!
つまり…≪学年で1番ダサイクラス≫ってことだよ!」


何それ、知らなかった…。
歯を食いしばってうつむく皆。
確かに、私達はさっきの派手派手集団のように
見た目が華やかなクラスとは言いづらい。
それに、わーきゃーと騒ぎたてるタイプのクラスでもないし…

だけど、だけど皆はとっても優しくて…
どのクラスにもいる自称テニス部親衛隊の女子は
容赦なく私に酷い言葉や呼び出しを仕掛けてくるけど、
クラスの皆はそんな私を応援してくれるんだよ?男女ともに。

そんな優しい素敵なクラスがダサイわけあるか!!


「…ちょっと待ちなさい、そこの雌猫候補生どもっ!!」

「ちょっ…ちゃん駄目だよ!暴力事件は…!


ナチュラルに私が女子に暴行を加えると思われてるところに
ものすごくツッコミたかったけど、今の私には奴等しか目に入ってない。


「……はぁー?もしかして私らのこと呼んでんの?」

「そうよ。私をバカにするのはいいけど、クラスの皆を侮辱した罪は重いわよ!!」

「…っぷ、だって…本当のことじゃんね?」

「ねー?」


相変わらず小憎たらしい顔でクスクスと微笑む女子達。
不安そうな顔で私を見上げる皆を背に、一歩前に出ると
あちらもボスであろう女子が1人前に出た。



「…確か、あんたソフトテニス部の舞川さんだったよね?」

「そうだけど?何かしら、なんちゃってマネージャーのさん?」

「……決闘よ。」

「…やーだ、本当噂にたがわず暴力的なのね。」


振り返って仲間とまた笑いだした舞川さん。
それを見て私の背後の皆がまたキュッと委縮するのを感じた。


「違うよ。今度の球技大会で戦おうって言ってんの。」

「……はぁ?球技大会?」

「そう。もちろん舞川さんはテニスなんでしょ?」

「そのつもりだけど?何?あんたもテニスなの?」

「うん。決まりだね。私が勝ったらここにいる皆に、ちゃんと謝ってよね。」

「…っなんで謝る必要があんの!?本当のことじゃん!」

「全然本当のことじゃない!うちのクラスはね、最っ高のクラスなんだから!見せてあげる、私達の絆をね!」

「…バッカじゃん?っていうか、私が勝ったらどうするわけ?」

「…何でも言うこときいてあげるわよ。」






「じゃ、テニス部辞めて?」






あまりにもあっさり真顔で言われたもんだから、
一瞬頭の中が真っ白になってしまった。

皆からの「ダメだよ、ちゃん!」の声で
やっと状況が飲み込めた。
……テニス部を辞める…か。


「ずっと、うっとうしいと思ってたんだよねー。あんたの事。」

ちゃん!そんな挑発に乗ることないよ!」

「そうだよ、本当に負けちゃったらどうするの!?舞川さんは経験者なんだよ!?」


…もちろん辞めたくないし、できることならそんな危険な賭けしたくないけど…

なんかわかんないけど





絶対負けたくない!






「わかったわよ。」

「言ったわね?覚悟しときなさいよ。」

「……行こう、皆。」

「…あいつバカだねー。私に勝てるわけないのにさ!あははは!」



後ろを振り返ってみると、
クラスの皆以外にもたくさんのギャラリーが出来あがっていた。

…学年中が賭けの証人ってことね…!






























「がっくん!テニス教えて!」


バンッ


と部室のテーブルを叩くと、
イヤホンをしながらDSを弄っていたがっくんが飛び上がった。

そして不機嫌そうな顔で、こちらに向き直る。


「っんだよ、びっくりすんだろ!」

「私はね、一世一代の真剣勝負を控えてるのよ!いいから教えてください!」

「えー、やだ。、運動音痴だし。」

「あの噂ほんまやったんか。が舞川ちゃんと決闘するのって。」


横から唐突に話に割り込んできた忍足はどうやら真相を知っているようだった。
何やら面白そうな雰囲気を感じ取ったのか、さっきまで面倒くさそうだったがっくんや
我関せずだった部員が次第にこちらを気にし始めた。


「そうよ。あ…んっのクソガキ…!絶対ぎゃふんと言わせてやる!」

「えー、なんでなん。舞川ちゃん可愛いやん?」

「可愛いもへったくれもあるか!私の方が可愛いでしょうが!」

「アハハ、ちゃん面白ーい!」

「なっにが面白いのよっ!」


パシッとジロちゃんの頭を反射的にはたいてしまった。
0.2秒後にはジロちゃんの頭を抱きしめ謝罪していたのですが
何か駄目だ。今日の皆の悔しそうな顔とか思い出すと、ついカッとなっちゃう。


「うえ…えーん!ちゃんが叩いたーー!もう嫌いー!」

「ごめ…ごめんって、ジロちゃん!」

「…先輩がそんな真剣になるなんて珍しいですね?」

「…ちょっとこれには深い訳があってね…。どうしても勝たなきゃいけないの。」

「でも1週間で舞川ちゃんに勝とうって無謀ちゃう?あの子一応毎日ラケット振ってる訳やし。」

「ぐ…。だからそこをあんた達の超テニスでなんとか…。

「バーカ、てめぇに俺達みたいなテニスができるわけねぇだろうが。」

「あ、跡部はいいよ。ほら、あのセリフはいくらなんでも恥ずかしいっていうか、やめとき。」


忍足に肩を叩かれて、跡部の方を向き直ると
先程までソファに座っていた跡部がものすごい勢いで屈伸をしていた。
…マズイ、あれは何のウォーミングアップなんだ…。



「とっ、とにかく!あんた達も私に勝ってほしいでしょ?!」

「えー…べつに俺はどうでもいいかな。」

「俺も俺も。どうせならが負けてひれ伏す所の方が見てみてぇ。」

「あ〜!それ楽しそう!全校生徒の前でちゃんのあのへっぴり腰テニス披露してほしいC〜!」

「このくそったれっ!!見損なったよ!あんた達があの娘の味方するなんて!」


それはもう楽しそうに笑いあう皆が今は…今は憎い!
何で勝たなきゃいけないか、何で負けちゃだめかっていうところまで説明してしまうと
また面倒くさいことになりそうだし…言わないけど…

だけど…ちょっとぐらい協力しようっていう姿勢は無い訳!?


「っく…ちょた!こうなったらちょたのサーブを教えてください!」

「ええっ!た、確かに先輩なら出来そうですけど…でもサーブ以前に先輩ラケット振るのもあんまり得意じゃないですよね?」

「何事も基礎からです。」

「ぴよちゃんさま…。基礎から手取り足取り教えて「お先に失礼します。」



バタンッ





嗚呼、無情…


氷帝テニス部は怖いところやで…




興味なさげに部室を後にしたぴよちゃんさまを見つめながら
その場にへたり込む私。


、まぁ頑張れよ!テニスコート使って練習してもいいからな!」

「ほな、俺はが負けるのに五千円賭けるわ。」

「じゃあ俺は一万円!」

「百万円賭けてやってもいいぜ。」


「「「おおおー!」」」」





バンッ





「……もういい。貴様らなんかに頼った私が馬鹿だった。」

「…貴様って…。何マジでキレてんだよ、。」

「…ちゃん、どうしたのー?」



私が理由をきちんと説明していないのも悪いと思う。
そりゃ、いつものように茶化されるのもわかってたはず。

だけど…だけど1人ぐらい応援してくれる奴がいたっていいじゃん!

なんで訳のわからないレートで賭けなんかしてるわけ?
私が困ってるのに誰も協力してくれないこの状況にどうしようもなく苛立って
気づけば机の上の鞄を纏めて、部室を飛び出していた。
















怒り心頭の私は急ぎ足で校門まで辿り着いた。
その時、後ろからポンと肩を叩かれ、思わず振り向くとそこにいたのは




「…樺地…。」

「…ウス。」


手に持っているのは、ラケットと…テニスボール?
樺地の溢れる優しさについ涙目になってしまう。


「樺地…ありがとう。」

「ウス。……教えるのは…苦手なので…。」

「ううん、いいの。まず人に頼ろうとするのがダメだったよね。自分なりに頑張ってみるよ!」

「……これ……使って…下さい。」


私の目の前にラケットとボールを差し出す樺地は
本当に氷帝の天使だよ…。
後輩にここまで気を遣わせちゃうなんて、ちょっと大人げなかったかな…。


「ありがとう、樺地!私、絶対勝ってみせるから!応援してね!」

「…ウス!」
































今日はなんだかすぐに家に帰る気持ちにはなれなくて。
ちょっと電車を乗り継いで、見知らぬ土地に来てみたりして。

私は嫌なことがあると、たまにこういう突拍子もない行動に出る癖がある。
探検とか大好きだし、見知らぬ土地で新しい体験をすると
いつのまにか嫌な気分が晴れたりするから、さ。


駅から少し歩いて行くと、使い古されたようなテニスコートが見えてきた。
氷帝のテニスコートとは似ても似つかないようなテニスコート。
そこには誰もいなくて。だけど、扉は開いてるみたいだし…自由に使っていいのかな?

コートの横にあった壁には、誰が書いたのか壁当て用のマークも描かれていた。
ちょうどいい。

私が必死に練習してるのなんて、テニス部の奴等に知られたら悔しいし
ここならまさか誰かに見つかることもないだろう。

見知らぬ土地で、思いがけないテニスコートとの出会い。
沈んでいた気持ちが少しずつ上昇し始めた。
ゆっくりとテニスコートに足を踏み入れ、先程樺地から借りたラケットとボールを取り出す。




…クラスの皆のためにも。私は絶対負けられない。





ふぅっと息をはき、
いつも宍戸がしているように、ボールを宙に浮かべ
思いっきり壁に向けてラケットを振り抜いた。






パコンッ







ボコッ




「いってぇぇええ!何!?え、ボールが返ってくるのってこんな速いの!?」




壁から跳ね返ってきたせっかちなボールが私の額にクリティカルヒットした。



いつもあの宍戸が軽々しくポコポコ壁打ちをしてるもんだから
てっきり私も出来るもんだと思ったら…!

まさか額に飛んでくると思わなかった私は、中途半端にボールを避けようとした反動で
思いっきり尻もちをついていた。
スカートはめくれあがって、くまちゃんパンツが丸見えだよ、情けない…。

なんだか先が思いやられて、そのまま地面に大の字で寝転がっていると、
















「……っぷ。ダサ。」



















(つづく)