氷帝カンタータ
第29話 迷走ユートピア(4)
「本日の練習もそれぞれのチームに分かれて行う。メニューはリーダーからの指示に従うように。」
「「「「はい!!」」」」
「合宿はまだ始まったばかりだ。各々体調管理には気をつけること。以上。」
「「「「はい!!」」」」
爽やかな青空の下で行われた早朝ミーティング。
昨日よりも早い時間だからなのか、うちのジロちゃんなんかは完全に立って眠ってる。
隣で支えてる宍戸が、先生の目につかないように必死に取りつくろってるのが面白い。
我がBチームはというと、皆まだまだ元気そうだ。
青学癒し隊3人組もそうだし、立海・氷帝の子達もこれから始まる練習に
意欲満々の顔。うん、いい顔してる。
おしっ、私も1日頑張るぞ!
「じゃあ、Bチームは5分後にコートに集合してね。」
「「「「はい!!」」」」
チーム毎に別れた後、リーダーであるハギーが指示を出す。
ハギーも低血圧気味な子だから、どことなく元気がないように見える。
思いっきりあくびしてるの、さっき見ちゃったし。
「あ、ハギー。今日の午後からのメニューで球出しあるじゃん?スタミナ強化の。」
「うん、それが?」
「あれさ。まだチーム分け決めてなかったよね?人数多いし、すぐ練習に入るためにも分けといた方がよくない?」
「まぁ、そうだね。」
「もし私が分けてもいいなら、午前の仕事終わったらやっとくよ。」
「……なんか気持ち悪い。」
「な、何が?」
「…何張り切ってマネージャーみたいなことしてんの。」
「ハギー、私は今燃えてるのよ…!Bチームの子達の合宿にかける熱い思いに動かされてんの!」
「ま、いっか。じゃあそれやっといてよ。」
怪訝そうな顔で私を見ながら、ハギーがコートへと向かう。
一度前を向いたと思ったのに、もう一度振り返って私の全身をジロジロ見ながら
どこか満足できない様子の我がBチーム大将。
そこまで露骨に不審がられるといっそ腹立たしいな…!
しかし実際問題、この人数をサポートしていくとなると普段の倍以上の根性で頑張らないといけない。
Bチームの子達は幸い、自分で出来る範囲のことはやってくれるけど
それでも昨日みたいに体調不良の子を出さないためにも、私が担う仕事は大きいと思ってる。
ハギーの後姿を見送って、さて準備をしようかというところに
聞きなれた罵声が響いた。
「てめぇ…なめてんのか?」
何事かと振り返ると、Aチームのコートで
跡部とその他メンバーが、青学マネージャーの璃莉ちゃんに詰め寄っている。
璃莉ちゃんの後ろには心配そうにそれを見守る青学メンバー。
な…何があったんだろう。
氷帝の、それも機嫌の悪い跡部が絡んでいるということで
どうしても気になってしまう。
「ごめ…んなさい…。」
「わざわざ午前のメニューを伝えに行ってやっただろうが。なんでコートに何も用意されてねぇんだよ。」
「まぁまぁ。璃莉ちゃんもまだ経験浅いんやからしゃぁないやん、そのぐらいで怒ったりなや。」
「てめぇは黙っとけ、忍足。お前、自らAチームのマネに志願したんじゃなかったか?」
「……は、い。」
「ならそのぐらいの気合い見せろ。中途半端にミーハーな気持ちでやってんなら邪魔だ。」
「ちょ、ちょーっとゴメンあそばせ!」
「…割り込んできてんじゃねぇ、。」
「ゴメンゴメン。璃莉ちゃんさぁ…私に朝ね、相談に来てくれてたんだけどその時忙しくてちゃんと返事できなかったんだ!」
「……アーン?」
「何を用意すればいいのかって、ね。私が教えてなかったの、ゴメンね璃莉ちゃん。」
「……っひ…っく。」
「ほらほら、泣かないで。跡部、ゴメン。取り合えずすぐ用意するから。里香ちゃーん!ちょっと手伝ってー!」
「はーい!」
「……ッチ、てめぇの後輩ぐらいちゃんと面倒見とけ。」
「ゴメンって。さ、行くわよ璃莉ちゃん。」
・
・
・
「…っひ…く…、わ、…私のこと助けたつもり…ですか…。」
「んー?」
ハギーに断りを入れて、私は今Aチームの練習準備を手伝っています。
取り合えず午前に予定してたメニューのいくつかを入れ替えてもらって、
必要なコーンやら、カゴやらをマネ3人で用意しているんだけど
初めて跡部に怒られたのが相当ショックだったのか、璃莉ちゃんは離れた所に座りこみ泣き続けている。
その間、黙々とテニスコート裏の倉庫から道具を運び出す私に里香ちゃん。
特にAチームは練習メニューも毎日複雑だろうから準備する物は多いのだろうと思う。
先輩面する気はないけど、私が事前にちゃんと準備できてるか聞いといた方が良かったんだろうなぁ。
ああ、でもこの気の強い璃莉ちゃんの事だからきっと気を悪くするんだろうけど。
でもそんなこと気にするより先に、選手の練習が滞りなく進むように努力する方が大事だと思うし。
色々と考えながら作業をしていると、璃莉ちゃんがポツポツと呟きはじめた。
「…わた…私、相談なんて…してないもん…。」
「でもねー、あの場でああでも言わないと璃莉ちゃん泣いちゃうでしょ?
そしたらうちのトラブル大好き小悪魔達が、あー!跡部泣かせたー!やーい女泣かせー!
とか騒ぎたてて、それにキレた跡部が拗ねてもっと練習が遅れてたと思うよ?」
「スゴイ、さんそこまでわかるんですかー?」
ニコニコとした表情でそう言う里香ちゃん。
スゴイとか、そういうことではないけど…うん、でも絶対あの感じだとそうなってたと思う。
「…一応、跡部が何をしたら怒るかっていうのは熟知してるからいつでも聞いてね。」
「……っ…う。」
「ちなみにあと5秒ぐらいで怒りそうだな、って時の緊急回避法としては
取り合えず≪やっぱり跡部ってスゴイよね〜≫とか抽象的な褒め方してればなんとかなるからね。」
「なるほど!抽象的な言葉で褒めることによって、後は勝手に跡部さんが脳内変換してくれるんですね!」
物わかりの良い里香ちゃんと笑い合っていると、それを見ながらも
よっぽど悔しかったのか、また自分の膝に顔をうずめて縮こまって泣く璃莉ちゃん。
…特に好きな跡部に怒られた、っていうのが効いてるんだろうな。
全く、あいつも普段はフェミニストな癖にテニスのことになると途端にシビアだからな…。
こんな可愛い女の子を泣かせるなんて、罰が当たるぞ。
璃莉ちゃんに近寄りぽんぽんと頭を撫でてあげると
予想に反して大人しく私に撫でられるままだった。
…璃莉ちゃんなら手を振り払うぐらいするのかと思ったけど、これは相当ヘコんでるな。
「璃莉ちゃん、まだ合宿は始まったばかりなんだしこれから頑張ろう?まだまだ挽回できるからさ。」
「……っ、もう無理…。絶対跡部さん…に…嫌われた…。」
「だーいじょうぶだって。あいつは口が悪いからキツく聞こえるけど、頑張ってればちゃんと見ててくれるから。」
「……うぇ…、っ……戻るの…怖い…。」
「ふふ、怖くないから大丈夫だよ。そういうのはね、跡部のジャーマンスープレックスをくらってから言いなさい。」
「さん、いつも跡部さんに精神的にも肉体的にも痛めつけられてますもんね!アレに比べれば璃莉ちゃん、全然大丈夫だよ!」
朗らかな笑顔でそう言う里香ちゃんが、何だか面白くてつい噴出してしまった。
わ…私って他校の人からそんな可哀想な目で見られているのか…。
それにつられたのか、璃莉ちゃんも顔をあげて少し笑いをこらえているような表情をしていた。
・
・
・
「なぁ、おチビー。あの氷帝のマネージャーさんって名前なんて言うんだっけー?」
「…?…… 、だったと思いますけど。」
「ちゃんかぁー!さっきの、カッコよかったにゃ〜。」
「確かに、あの剣幕の跡部に全く怯んでなかったもんね。」
午前練習の10分休憩中。
いつも学校別に集まることが多いがこの日は様子が違っていた。
朝一番の出来ごとの一部始終を見ていた青学陣は
自分達とまだ関わり合いのない、あのマネージャーの話題で持ちきりだった。
「…不二が興味を持つなんて、珍しいな。」
「そう?乾はどうなの?あの子のこと何か知ってる?」
特別興味を示したという認識はなく、ただ単に話題に乗っていただけの不二は
少し戸惑った顔を見せながらも、ノートを片手に涼しい顔で隣に立つ乾に問いかけた。
「…3年生になってからマネージャーになったらしい。そのきっかけは、顧問である榊先生の推薦だそうだ。」
「へー!あの厳しそうな先生の推薦ってことは、きっと相当優秀なんでしょうね!」
「…桃先輩、最初のこと…引くわー、とか言ってませんでしたっけ?」
「へ?いや、最初はほらアレだろ?バス降りたところで男とイチャイチャしてたからさー。」
「なになにー?ちゃんの話題ー?」
「あぁ。朝うちのマネージャーを助けてもらったみたいだからね。」
「へへー、ちゃんカッコ良いでしょー!」
「芥川さんは、あの氷帝マネージャーさんと付き合ってるんスか?」
「っぷ、バカじゃん!に彼氏なんかいるわけないだろー。」
青学メンバーの話題に反応した氷帝メンバーが入り混じって談笑を交わす。
を自分たちの所有物のように考えている氷帝メンバーは、それを褒められることに
少なからず優越感を感じており、上機嫌で質問に答えていた。
その後ろでは熱心にノートを取る乾。
そんな様子を面白くなさそうに見つめる人物も1人。
・
・
・
ガチャンッ
「ちゃーん!初めまして!」
「おわっ!え…っえ、あ、うん初めましてー…?」
「俺、青学3年の菊丸英二って言うんだよん。英二って呼んでねー!」
な……
なんか、天使みたいな人が話しかけてきてる…。
お昼ご飯を食べる箸が完全に止まってしまい、私は今ものすごくアホ面だと思う。
驚いている私の周りに次々とお昼ご飯の乗ったプレートを置く青学レギュラーと見受けられる人々。
私と里香ちゃんと璃莉ちゃんの周りには、
あっという間に青学包囲網が出来上がっていたのでした。
……あ、そうか。璃莉ちゃんがいるからか!
目の前に座る璃莉ちゃんに顔を向けると、どこか安心したような笑顔になっていた。
やっぱり自分の学校の人がいるとホっとするよねー。
「あー…、私は氷帝の愛され乙女代表、 って言います。」
「何そのバカっぽい肩書き。」
「ちょ…お師匠様ヒドイ…!」
隣に座ったお師匠様の冷たい目線が突き刺さる。
あ、だけど何か久しぶりにお師匠様とまともに会話できた気がする!
こんな辛辣な言葉でも、心が温かくなるなんて…お師匠様は私の新しい扉を開いてくれたんだね…!
「俺は桃城ッス!桃って呼んで下さいね、先輩!」
「乾だ。よろしく。」
「お、俺は河村隆って言います。」
「そんで、あっちのテーブルで話しあってんのが手塚部長と大石先輩ッス。うちの部長に副部長。」
「皆さん、よろしく!なんだか校名に忠実に爽やかな子ばっかりで私は今感動しています!…あ、君は?」
次々に自己紹介をしてくれる皆に、箸を置いて会釈をしていると
ちょうど一番端っこに座ったバンダナ君と目が合った。
…この子は名前聞いてなかったよね?
「……海堂ッス。」
「海堂君ね。よろしく!確かももちゃんと2人で2年生レギュラーなんだったよね?」
「……ッス。」
恥ずかしがり屋なのか、口下手なのか。
余り目を見て話してくれない子だなぁ、なんて思っていると
「僕は不二周助。よろしくね、さん。」
「…ちょっと、?どうしたの?」
「……っは!え、あの…いや…あ、よ…よろしくお願い…します…。」
お師匠様に肘で突かれてやっと意識が戻った…!
な…何だ、今の電撃は…。この目の前の不二君が声を発した瞬間に確かに身体が硬直したような…!
心なしか顔も熱いし、ふ、不二君の顔が…見れない…。
「……?どうかした?」
「いや、いや…なんでもない!あっつい…ね、ちょっとお水持ってくる!」
ガタっとコップ片手に席を立つ私を不思議そうに見つめる面々。
きっと私のコップの中には、まだたっぷりと新鮮なお水が入っているからなのでしょう。
不自然すぎる。こういう咄嗟の嘘が下手すぎるのはどうにかならないものでしょうか。
「……変なの。」
「ニシシ!おチビ〜、今の反応がわかんないわけ〜?」
「え、何スか英二先輩!俺も知りたい!」
「ふっふっふ…、アレはズバリ…。」
「一目惚れ、だな。」
「……え…えええええ!あ、あのさんが…!?乙女心を宗教上の理由から封印してるとしか思えないレベルで
乙女らしくないさんがですか!?」
「え…と、里香ちゃんだっけ?まぁまぁヒドイ言い草だね?」
誰よりも真っ先に驚いてガタガタと椅子から滑り落ちた里香に向かって
渦中の不二が苦笑いをする。
「もー、乾!俺が言おうと思ってたのにー!」
「マジッスかぁ、さすが不二先輩っていうか…なぁ、越前。」
「………また厄介なのが増えた。」
「でもでも〜。不二の好みとはちょっと違うタイプっぽいよにゃ?」
「そう?少なくとも嫌いではないけどな。」
「は…はわわ、や、やめてください!これ以上精市君の機嫌が悪くなったらどうするんですか!」
「…ふむ。どうしてそこで幸村の名前が出てくるのか、興味があるな。」
「ああ…、ちょ…璃莉ちゃんも何とか言ってよ!」
「……知らないよ…。」
・
・
・
「ああ…ああ、あ跡部…!」
「アーン?…なんだ。またAチームに口出しにでも来たのか。」
「ちょ…それどころじゃなくて…あの…、あのさ。
……なんか胸がドキドキするんだけど、どうすればいい?」
「やめ…やめとけって跡部!ここ合宿所!皆見てるから!」
「うるせぇ、止めんな向日。俺は今、無性に何かに当たり散らしたい。」
「わかる!アイアンクローしたくなる気持ちはわかるけど、おさえろ!」
「ふ、ふざけてないで一緒に悩んでよ!」
たっぷりコップに水を注ぎ入れたものの、
なんだかふわふわした気持ちで自分の席に戻るわけにもいかず
仕方なく離れたところで食事を取っていた氷帝陣に相談を持ちかけてみる。
私が言葉を発した瞬間、思いっきり青筋が浮いてた跡部は
「くだらねぇことで、俺の鼓膜を働かせるんじゃねぇ」等と、
およそこの状況で女の子に吐く言葉とは思えないレベルの悪態をつきました。
…想定の範囲内…。こうなることはわかってたけど、それ以上に…!
それ以上に今のこの動悸が、もしかするともしかするだけに…!
「…なんのドキドキやねん。ついに戸籍上は男やて判明したんか?」
「ここが食堂だったことに感謝しなさい。人目につかない場所なら、間違いなくメガネがフライアウェイしてるところよ。」
「え、えっともしかして先輩身体の調子が悪いんですか?」
日常茶飯事である先輩達の恥ずかしい小競り合いを
他校に見せたくない思いからなのか、今日はいつもよりもっと早い段階で
ちょたが話にログインしてきた。いつもは、宍戸の顔色を見つつギリギリまで見守ってるのに。
「ちょた…。わかんない、もしかしたら…もしかしたら恋かもしれない…。」
「……………かっ、樺地!医務室ってあっちにあったよな?早く先輩を「ちょた。私でもたまには傷つくよ…?」
オロオロするちょたの隣で、いつも通り冷静なぴよちゃんさまは
ゆっくりとお箸を口に運びながらチラリと私を見た。
バッチリ目があった私は、目線で訴えかけてみたのだけど
口を開けたままものすごく嫌そうな顔を返されてしまう。
「…で、原因は何なんですか。どうせわかってるんでしょう。」
「う…うん。あの…あのー、…さ。青学の不二君っているじゃん?」
その名前を出した瞬間、周りでぎゃあぎゃあと騒いでいた氷帝陣が一気に静まり返る。
な…なんだ、そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいんですけど…。
「おい…、お前まさか…不二に惚れたとか?」
「ちょっ、大きい声出さないでよ宍戸!は、恥ずかしいでしょ!」
「………こんな時のために先人が用意してくれた言葉を発表したる。≪安分守己≫や。」
「どういう意味だよ、侑士?」
「自分の身の程をわきまえて生き、高望みすんなっちゅーことや。」
ドヤ顔で知識をひけらかす忍足。
その余りにも的確な表現に皆が一斉に笑いだす。
「はははっ!マジその通りじゃん!」
「おい、。いくら他校のライバルとはいえ、そういう嫌がらせは感心しねぇぞ。」
「嫌がらせってどういうことじゃ!て…っていうか、失礼すぎるだろあんた達!私の大切な初恋を!」
「げ、初恋とかなんか引くわ。」
これだけ男子がいて…これだけ友達がいて誰も親身に相談に乗ってくれない…。
それどころか、しゃべればしゃべる程貶されていく気がする、ああダメだ超暴れたい。暴動起こしたい。
し…しかし数メートル先には、ふ、不二くんが…いるわけだし、暴れてるところなんか見られたくないし…。
いつもなら間違いなく飛びかかっていく場面で、私がやけに大人しいのを不思議に思ったのか
がっくんや宍戸が私の顔の前でこれみよがしに手を振っている。
い、いかん。ボーっとしてた…。
「…おい、マジで言ってんの?。」
「……わかんないけど…、あの声と顔と雰囲気の殺人的コラボレーションはヤバイと思う…。」
「やめとけって、笑われるだけだぞ。」
「なんでそんな方向性の未来しか想像してくれないのよ!もしかしたら初恋が実るかもしれないじゃん!」
ちょっとは協力してあげようかな、っていう気にはならないわけ…!?
と訴えかけると、一言「どうでもいい。」そう呟いた跡部は本当に血が通った人間かどうか疑ってしまいます。
「……また芥川先輩が聞いたら騒ぎ出すと思うんで、それ以上その話しないでもらえます?」
「つめた…冷たいよ、ぴよちゃんさま…。ちょっとぐらい女子会トークしようよ!」
「…先輩が参加するそれは、はたして女子会と呼べるのかどうか疑問ですけどね。」
「よーし!わかった!もうわかった、今からあんた達の替えのパンツを全部沼に沈めてきまーす!!」
即座に走り出そうとした私が、勢いよく振り返ると
思わぬ衝撃で身体ごとボヨーンと吹き飛ばされてしまった。
当たった鼻の奥がツンとする。
必死に鼻をさすりながら見上げてみると、
「…大丈夫?ゴメンね、痛かった?」
「お…王子様みたい…。」
不二君の周りに明らかに花びらが舞ってる。星もキラめいてる。
不二君の後ろには青学のメンバーだっているのに、
それなのに不二君だけが輝いて見えるのは…
やっぱり…
スパコーンッ!!
「いっつ…何すんのよ!」
ボーっとした頭で王子様の手を取ろうとした瞬間に
頭に鈍痛が走った。振り向くとそこには冷たい目をした男たち。
ほんっと…青学の爽やかさを少しでも見習ってほしい!
なんだその冷めた目!だから「氷帝」なんていう冷たいイメージの学校になっちゃうんだよ!
みくだ…っ見下すんじゃない!下等生物を見るような目しやがって…。
やめて、ぴよちゃんさまのその目、なんかドキドキしちゃう!
「不二…。気を悪くしないでくれよ。」
「ん?何かあった?」
「すまんなぁ、うちのナチュラルボーンがっかり娘が不快な思いさせて。」
「ちょっ、変なイメージ植え付けようとしないでよ!」
「だって悪気はなかったんだぜ。自分の好意がどれだけ相手にとって怖いかなんて、知らなかっただけでさ。」
私の手をそっと引いて、立たせてくれた不二君。
そんな彼に、珍しく全面的な謝罪をする氷帝メンバーは本当に帰って欲しい。疎開させてやりたい。
その様子を見て、クスクスと笑う不二君に青学の皆。
や…やだ、笑われてる!だけど、口にそっと手を添えて笑うその感じもツボすぎる!写真に収めたい!
「あ、あの不二君!ゴメン、こいつら勘違いしてるけど本当にそんなのじゃないから!気にしないでね!」
「…フフッ…、うん、わかった。午後からも頑張ろうね。」
「は……はいっ!!」
不二君を先頭にゾロゾロと食道を出て行く青学メンバー。
英二君はニヤニヤしながら「がんばれ〜!」なんて言ってくるし、
ももちゃんはお師匠様に何かコソコソと耳打ちしながら、楽しそうな視線を向けてくる。
対照的だったのはお師匠様の凍てついた目線。
ヤ…ッバイ、超呆れられてる気がする。
「…っもーー!あんた達いい加減にしてよ!何であんなこと言うのよ、不二君に!」
「えー、だっての犯した罪は俺達の責任でもあるじゃん?」
「胸がドキドキするだけで犯罪って、どういう思考回路でそういう話になっちゃうわけ!?」
「一緒に罪を償ってあげたんですから、感謝して欲しいぐらいですね。」
「ぴよちゃんさままで…!っく…、もう知らない!絶交よ、絶交!」
いつものことだけど、全員が全力で私の邪魔をすることに
どうすることもできなくて。ついイライラしてしまい、そんなことを口走ったのだけど
奴等は微動だにすることなく平然としていた。…悔しい!悔しいよ、ママ…!
「…あーあ、が欲しがってた俺のTシャツあげようと思ってたのにな―。」
「それとこれとは話が別に決まってんでしょ!ふざけないでよ、ちゃんと使用済みにしててね!」
がっくんの挑発にきっちりと返事を返して走り去る。
ムカつく笑い声が食堂内に響きわたっていた。…あああ、悔しい!自分の煩悩が憎い…!
・
・
・
「ハギー、これ。一旦分けておいたけど不都合があれば変更してね。」
「ありがと。……うん、悪くないんじゃない。」
「へ…へへっ、ハギーちょっとは見直してくれた?」
サラサラの髪の毛を耳にかけながら、ふわっと微笑むハギーはいつ見ても美形だなぁ。
珍しく褒められたことが嬉しくて、つい調子にのった発言をしてしまった。
「見直すも何も、最初からのマネージャーとしての働きに文句つけるつもりはないよ。」
「やだっ、ハギー!そんなに褒めて私に何させようっていうの?!」
「のそういうところがウザくて近づきたくないだけ。」
「ひゅ…ひゅー!なんか私今、≪滝君になじられ隊≫の皆さんの気持ちがわかった気がする。」
「何それ、キモイ。」
呆れ顔のハギーが、さっさとBチームの招集をかける。
滞りなく練習も始まり、さて次は何をしようかな…という時に
いつもはAチームの練習につきっきりの竜崎先生に肩を叩かれた。
「、悪いんだけどね。ちょっと買い出しに行ってきてくれないかい?」
「あ、大丈夫ですよ。今ならちょうど時間ありますので。」
「ありがとうね。じゃあ悪いけどこのリストの分をお願いするよ。」
「はーい!……あれ、テニス用品じゃなくて…食材ですか?」
「あぁ。今日は最初の親睦会を兼ねた鍋パーティーだからね。」
「な、鍋パーティー!?超楽しそうじゃないですか!」
「そうだろう、そうだろう。この合宿の目的は敵を知ることだ。
テニスの技術云々だけじゃなく、交流を深めることも立派な課題だからね。」
「…楽しみです!じゃ、早速行ってきますね!」
「あぁ、待ちなさい。いくらなんでも1人じゃ無理な量だろう。」
「いえ、大丈夫だと思いますよ?」
「…頼もしいねぇ。まぁ、いい。……リョーマ!ちょっとおいで!」
鍋パーティーという言葉にテンションがあがりすぎて
今にも走り出しそうな私を竜崎先生が止めた。
ちらちらと周りを見渡したかと思うと、大きな声でお師匠様を呼び付ける。
Aチームコートのベンチで涼むお師匠様は、こちらを見て露骨に嫌な顔をした。
「……何スか。」
「リョーマ、あんたちょっとに付き合ってやってくれないか。」
「…どういうこと?」
「あ、今日の晩御飯の買い出しなんだけど…。でも先生、おししょ…越前君は練習中ですよ?」
「いいんだよ、なんだか今日は心ここにあらずでちっとも集中してないからねぇ。気分転換してきな。」
「………ッス。」
あれ、そうだったんだ。
珍しいこともあるもんだと、お師匠様を見てみると
私の視線を避けるようにプイっと顔を逸らした。
…うーん…お師匠様と2人きり…。
合宿前の私なら飛び上がって喜ぶところだけど
今は気まずさしか感じない…ような…。
「………。」
「…………。」
私の前をスタスタと歩いて行ってしまうお師匠様。
ジャージのポケットに手を突っ込み無言のまま突き進むその姿に
さすがの私もちょっとばかりの悲しさを感じてしまう。
いや…いや、何ビビってるんだ!
相手は年下だよ!いくらお師匠様といえど年上にこの態度はないだろう!
私が跡部を無視した時は脳天から本意気の拳骨をくらわされたものだ。
よし、と、とにかく結果的に喧嘩になったとしてもいいから話しかけてみよう。
殴り合いの末に親友になるって、少年漫画とかではよくあることだもん大丈夫大丈夫!
「…ね、ねぇお師匠様?」
「…何。」
「お師匠様はスーパーの場所知ってるの?」
「……知らない。」
「わーぁ、ワイルドだね!じゃあこれどこに向かってんの?」
「…別に。勝手にがついてきてるだけでしょ。」
後ろを振り向かずにそう言い放つお師匠様。
う…うわぁ、突っ込みたい!思いっきりどついてしまいたい!
だけど…だけどその勇気はありません、申し訳ございません忍足師匠…!
失格です…。氷帝学園ツッコミ番長失格です、私は…!
「ちょ、ちょーっと待って!すぐ携帯で調べるから!やみくもに歩いても時間かかるだけだよ!」
このままお師匠様と行くあてもなくお散歩もいいけど、
お師匠様は練習に戻らないといけないんだからこんなところで時間を潰している暇はないはずだ。
ポケットから取り出した携帯で現在位置を調べてみると
見事に反対方向に位置するスーパーのマークを発見してしまった。
「…お師匠様、残念ながらスーパーは反対方向みたいです。」
「……ふーん。早く行こ。」
「…うん!」
あ、やっと目を見てくれた。
それが嬉しくて反射的に微笑んでしまうと、
お師匠様は気まずそうに帽子で表情を隠した。
「…ねぇ、。」
「ん?何?」
「不二先輩のこと好きなの?」
「ふぉっ…いや…え?」
「…今日、明らかにおかしかったじゃん。不二先輩の前で。」
先程まで私の前を歩いていたお師匠様は、歩くスピードを落として
今は隣を歩いてくれている。
久しぶりにお師匠様から話しかけられたと思ったら、なんという話題なの…!
帽子からちらりと覗くその視線は鋭くて、息をのんでしまう。
今、お師匠様が一番敏感なのは間違いなく私が浮かれているのか否かだ…。
ここで「そうだよねー!不二先輩素敵だよねー!」等と言おうもんなら
絶対に睨まれる。この美しい顔で睨まれたら絶対ニヤけちゃって、それがさらに彼を怒らせてしまう。
「や、やだ。別にそんなことないよ!」
「………ふーん。」
「氷帝の奴らが変なこと言ったから勘違いしてるんでしょ?違うんだよ、あれはただの弄りなんだから!」
「…不二先輩、彼女いるけど。」
「……えっ…、そ、そうなんだ。」
「………それもとびっきり美人の彼女。」
「…あ、あー…そりゃ不二君だもん…ねぇー。想像つくわー…。」
私の顔を覗き込むようにそう言うお師匠様。
あ、なんか普通にショックだな…。そっか…彼女…いるわな、そりゃ…。
忍足の言うとおり身の程をわきまえろってことだよ。
そうだ、むしろショックを受けることすらおこがましいというか…
別に私と不二君のつながりなんて「しゃべったことある人」レベルなわけだし…。
出来るだけ顔にださないように応対していたつもりだけれど
心の中の動揺を隠せているかどうか不安だな。
「………嘘だよ。」
「……ん?へ?」
「…何思いっきりショック受けた顔してんの。やっぱ好きなんじゃん。」
「え、…彼女いないの?」
「いないよ。この前別れたって言ってた。どうでもいいけど。」
「そ…そっかそっか!へー!そっか!」
あああ、駄目だ顔が緩んでしまう!
そっかー、ということは不二君はまだ皆のアイドルだというわけなんですね!
この合宿中に見つめることは罪ではないんですね…!
ニヤける顔を抑えようと、両手で頬を覆い隠しながら歩いていると
お師匠様が急に歩みをとめた。
「……あれ、どうしたの?お師匠様。」
「…ほんとムカつく。」
「………え?」
「ヘラヘラしないでくれない?」
「ごっ、ごめん!これは、ほらその…」
お師匠様が怒ってる…!
なんでこんなに怒らせてしまうのか、自分でもわからないけど
とにかくなんとかしてこのニヤけ顔の言い訳を考えないと…!
「……のことなんかどうでもいいのに。」
「…え?」
「どうでもいいのに、が他の奴にヘラヘラしてるのは見ててウザイ。」
「………。」
真っ直ぐ私の顔を見るお師匠様の目は、
さっきまでの冷たい目ではなく…なんていうか…
困ったような、そんな目だった。
「え…ーと?」
「だから、他の奴としゃべるのやめてくれない?」
「他の奴…と言いますと…。」
「不二先輩とか。あと…あのジローって人も。」
「……お、お師匠様。そのー…あー、でも違うかもなぁ…。」
「何?」
「……怒らない?」
「怒らない。」
「………もしかして、ヤキモチ?」
「なんで俺がヤキモチ妬かないといけないの?馬鹿なんじゃない。」
「すいませんっした!!自分、勘違いでした!怒らないって言ったじゃん!」
永遠とも思える数秒間の沈黙の後に、
顔を思いっきりしかめてそう言い放つお師匠様。
腕を組んで仁王立ちする姿が、もうなんか年下には見えません…。
「と…とりあえず、スーパー向いましょっか…。」
もうこの話は終了させた方がいい、と私の本能が叫んでいる。
氷帝で培った経験で言うと、この後絶対にローキックをぶちかまされる流れだ。
お師匠様の前をトボトボと歩いていると、
右手にフワっとした違和感が。
「……へ?」
「何。嫌なの?」
「いえ!…や、でも…?」
「ふーん。ジローって人にベタベタされるのはよくて俺が手をつなぐのは駄目なの?」
「そ、そんなことないけど!え、何これドッキリ?!私ハメられてるの!?」
「…ップ、動揺しすぎ。」
私の右手を引いて、何事もなかったかのようにスタスタ歩いて行くお師匠様。
初めて触れるお師匠様の意外と男の子らしい手に、ちょっとトキめいてしまう。
いや…いや、誰でもトキめくだろこれ!
本当に罠とかじゃないよね…。
これ、もしかして合宿所にいる全員がモニターで見てて
帰ったらコート内引きずりまわしの刑に処せられるとかじゃないよね…!?
「…何モタモタしてんの、早く歩いてよ。」
「う、うん!……ふっ…ふふ…!」
「…笑ってんの?」
「えへへ…えー…え、だって…!なんか、恋人同士みたいじゃない?うふふ。」
「…嬉しい?」
「そりゃ嬉しいよ!ほら、私の女としての尊厳はとうの昔に封印されてしまったからね。」
「……ふーん。」
「あぁ、なんか嘘でも何でもこういう乙女系イベントがあれば私も少しは頑張れるのになぁ…。」
手をつながれるなんて、いつぶりでしょうか。
きっとお母さんと買い物に行った時以来だよ…!
っていうかよく考えると異性とこうして街を歩くなんて…初めてなんじゃない!?
ヤバイ、動画におさめたい!
私の隣を歩くお師匠様の表情とか手の先とか、後で振り返ってニヤニヤするために納めたい!
「…そんなに嬉しいならずっとつないでてあげる。」
「お師匠様…なんて慈悲深いの…!枯れ葉系女子の私に必死に水をまいてくれるなんて…!!」
不敵に微笑みながらそういうお師匠様。
手に感じる感触も相まって、可愛いイメージだったお師匠様の印象が
私の中で少しづつ変わっていくのを感じた。
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「…お師匠様、ほんとにずっと手つないでたね。」
「がつないでほしいって言ったんでしょ。」
「い…言ったかな?あれ?あ、言った…かな?」
「言った。…あ、合宿所見えてきたよ。」
片手にはスーパーの袋。
そしてもう片方の手は…お師匠様の手の中。
…私たぶん今、尋常じゃないぐらい顔がニヤけてる気がする。
いかんいかん。こんなところ氷帝の連中にでも見られたら
間違いなくからかわれるし、お師匠様まで変態扱いされることになってしまう。
奴等の認識では私=男な訳だから、
お師匠様が男と仲良くキャッキャと手をつないでいる、なんてことになると…
あいつら絶対おもしろがってお師匠様に迷惑かける…!
「夢の時間をありがとうございました。これで向こう1年はどんなに辛いことがあっても頑張れそうです!」
「…大袈裟。」
「フフ。さ、そろそろ皆がいるかもしれないし離そっか。」
「ヤダ。」
そんな可愛い顔で…そんなこと言われましても…
お姉ちゃんどうしたらええんや…。
「いや、あの…ほら。ちょっと恥ずかしいじゃん?」
「俺は恥ずかしくないけど。大体、なんか合宿始まった時点から今までずっと恥ずかしい感じじゃん。」
「その意味合いの恥ずかしいは違くない?恥さらし的な意味での恥を言ってるの?とんでもねぇ後輩だな。」
「…別に、いつも氷帝の人達とベタベタしてるんだからいいじゃん。」
「あいつらとのは…ベタベタっていうよりは、ガチンコファイトの意味合いが強いから…。」
何故だか食い下がるお師匠様を説得しようと試みていたその時。
合宿所入り口付近の水道場で丁度休憩をしていた人々と、ばっちりはち合わせてしまった。
固まる私。
目を見開くAチーム。
ギュっと力を強めるお師匠様。
「ちが…違うんです!合意の上!合意の上なので私は法を犯していません!」
「…ップ、何それ。って本当意味わかんない。」
必死に訴える私に様々な目線を容赦なく投げかけるAチーム。
自分も窮地に立たされていると言うのに、ご機嫌に微笑むお師匠様。
額から流れる汗は暑さのせいではないはず。