氷帝カンタータ





第29話 迷走ユートピア(6)





「あれ?さん?そんなところで、何してるの?」

「…っぎゃっ!…え、…あ、不二君。こんばんは。」


消灯時間を過ぎて、暗くなった廊下。
私の部屋がある1階ではなく、ここは青学・氷帝メンバーが使用している2階の廊下だ。

暗闇を照らす人工的な光と、機械的な音が響いている。

自動販売機コーナーの隣の長椅子に私は1人座っていた。
ポケットから携帯を取り出し、時刻を確認すると丁度23:45。
なんか面白い数字だなぁ、なんてぼんやり携帯を見つめていると
急に声をかけられた。誰もいるはずないと思っていたところに
気配もなく現われた王子様。びっくりして変な声聞かれちゃった、恥ずかしい。


「こんばんは。…もしかして寝れないの?」

「あ、いや…そういうことではないんだけど…ちょっと、ね。」

「……僕はちょっと喉が乾いちゃって。」


そう言って、ポケットから小銭を取り出した不二君。
あのキラキラ王子様が目の前にいるっていうのに、何だか頭がまわらない。

ああ、小銭を入れる指がとっても綺麗だなぁ…
ボーっとその様子をみつめている私に、不二君がスっと缶を差し出した。


「…え?」

「どうぞ。眠れないんでしょ?」

「あ、ありがと…。」


差し出されたホットココアを手に取ると、ニコっと微笑んでくれた。
………マジで本格的にカッコイイな、不二君…。
ここが暗くてよかった。きっと今、顔が真っ赤になってるに違いない。
実際にちょっとなんか暑くなってきたし…。


ガコンっともう一度音がしたので、そちらに視線をやると
不二君も同じホットココアを手にしていた。


「不二君も寝れないの?」

「…うん、枕が変わると寝れないタイプなんだ。」

「あー、ちょっとわかるかも。」


いつでも笑顔の不二君につられて、私も笑ってしまう。
……うん、ちょっと回復した気がする。


それじゃ、と挨拶をしようとすると
当然のように私の隣に腰かける不二君。…あれ?


「…あ、ごめん。引きとめちゃって…おやすみなさい。」

「……何かあった、って顔してるね。」


私の顔を覗き込むようにして、笑顔を向けてくれるその仕草がどんどん私の心拍数を上げる。
ほとんど話したこともないような私のことを気にかけてくれるなんて、
神様ってこんな身近なところにいたんだ。


「ごめん、大丈夫だよ。不二君も明日早いんだし、早く帰ったほうが…」


パコッ


話している途中でホットココアに手をかけたかと思うと
ゴクゴクとそれを飲み始めた不二君。


「…。はぁ、美味しい。さんも、飲んだら?」

「え、と、…あ、はい。」

「知ってる?ホットココアは寝る1〜2時間前ぐらいに飲むのがいいんだって。」

「へー。そうなんだ。」

「だから、さんさえ良ければ少し話してみない?」

「え…。」

「1人で悩んでることってさ。意外と、よく知らない人間に対しての方が話しやすかったりするでしょ?」

「……不二君…、は、前世占いでイエス・キリストって診断されたことあるんじゃない?

「…ッふふ、何それ。」


何でこんなに落ち着くんだろう、何だろうこの空気感。
どんなことでも話せちゃいそうな、そういう空気を作るのが上手いなぁ。同い年とは思えない。


プシッと手もとのココアを開けて、一口飲んでみると
なるほど美味しい。…それに、なんだか頭が段々と冷静になってきて…。


つい先程の出来事を必死に忘れようとしてたけど、
やっぱりまだ鮮明に、あの声も、表情も、状況も思いだせる。


「…あの…さ。」

「うん?」

「友達…だと思ってた相手に、友達とも思われてなかったとしたら…不二君はどうする?」































残酷にも里香ちゃんや璃莉ちゃんと部屋を引き離されてしまった私は、
今日も寂しく1人で歯磨きをしようとお風呂場へと向かった。

誰もいないお風呂場はなんだか寂しくて、扇風機のヘッドだけがカラカラと回っている。
さっさと歯磨きを済ませて、明日のためにも早く寝ちゃおう。

歯磨きを終えて、扇風機の電源をOFFにしてお風呂場を後にする。
暖簾をくぐったその先で、たまたま男子風呂から出てくる切原氏にばったり遭遇したのです。


「おー、切原氏。」

「あ、さんももう寝るとこッスか?部屋行っていい?」

「息を吐くように破廉恥な発言をするそういう切原氏のこと…嫌いちゃうで…。」

「よっしゃ、じゃあ行っちゃおーっと。」

「ウソウソ、冗談だって!そ、そそそそういうのはまだ中学生には早いと思うの、私!」

「……っぶふ、何真っ赤になってんスか。カワイー。」


目を細めて笑う切原氏が何だか大人に見えて、悔しい。
…年下にからかわれるのって何となくプライドが許さないんだけど、
切原氏だと何だか許せるのはこの子が、憎めない愛されキャラだからなんだろうなぁ。


「そんなこと言ってると、切原氏のシャツやタオルをこっそり盗むよ。」

「盗んで何するんスか。」

「嗅ぐ…ね。」

「うわー…。さん、マジ残念。」


「じょ、冗談だよ!ちょっと距離とるのやめてよ!」


パタパタと廊下を走る切原氏を追いかける。…が、
廊下の角に差し掛かろうかと言う時に急に切原氏が立ち止ったもんだから、
思いっきり彼の背中にダイブしてしまった。


「いっ…!ちょ、急にとま…」

「しっ!幸村部長と…アレ、柳先輩ッスね。」


こちらを振り向き、口元に人差し指を当てて私の動きを制止する切原氏。
壁から顔をぴょこっと出して、あちらを確認する切原氏の下にもぐりこみ
私も確認すると、確かに5m先ぐらいにある休憩所のようなところで
何やら真剣な表情で2人が話しあっている。
Tシャツに、ハーフパンツ姿…から想像すると恐らくあの2人も寝る前の準備をしていたのだろう。


「…へへ、何話してんだろ。」

「立ち聞きなんて趣味悪くないー?」

「ここから飛び出して驚かせたら、あの2人どんな顔するんスかね。」

「うわ、見てみたい。ドリフみたいに椅子から転げ落ちるんじゃない?」


ヒソヒソ話しで盛り上がる私達。
こうなったら、思いっきりビビらせてやろうよ、ということで
どういう風に飛び出すかを小声で議論している時だった。



「…しかし、そのやり方だと余りに露骨すぎないか?に気付かれる可能性があるだろう。」




急に飛び込んできた私の名前に、思わず切原氏と顔を見合わせた。
……何の話だろうか。
どちらからともなく話しをやめて、いけないことだと思いつつも
つい2人の会話に耳を傾けてしまった。



「…でも早くしないとね。さんを誘惑する要素が多すぎるよ、この合宿は。」

「その3校対決の内容はどうするんだ?」

「テニスがいいね。確実に勝てる勝負じゃないと意味がない。」

「確実…か。立海が勝ったとして、大人しくが立海に来るだろうか?」



ここまで聞いて、つい声が出てしまいそうになる。
その瞬間に切原氏が私の口を大きな掌で塞いだもんだから、上手く息が出来なくて
バタバタと暴れてしまった。すぐに手を離してくれたけど
「静かにしててください」と目で威嚇されてしまう。……話が見えないんだけど。

それは切原氏も同じようで、なんとか内容を把握しようと必死に壁際に近づいて耳をそばだてている。



「来てもらわないと困るね。」

「……精市のに対する執着というのは…。」

「…何?」

「…恋愛感情、なのか?」

「………まさか。」

「いや…。お前がそこまで言うのは珍しいと思ってな。」

「正直な話をすると、さんに興味がある訳じゃない。」

「…氷帝…か。」

「なんだ、わかってるんじゃない。さんが入ってからの氷帝の練習試合、公式試合はどちらを取っても勝率は上がってるんだったよね。」

「元々勝率が低い学校な訳ではないが…、確かにその説も捨てきれないな。」

「どんな小さな可能性でも潰しておく必要があるんだよ、勝利の為にはね。」

「…しかし、実際にが氷帝を離れて立海に来たとしたら…。」

「…………あぁ、赤也あたりが面倒見てくれるんじゃない?」

「………ッフ。」

「何笑ってるの?」

「いや…?フフ。」

「…俺は興味ないよ。誰にでも良い顔してるタイプの子って嫌いなんだよね。」




ここまで聞いて、私は頭の中が真っ白になって
手も足も震えていた。

悲しいとかムカツクとか、そんな感情一切なくて
どうして良いのか、わからなかった。

だけど、今ここで見つかるのはマズイ。
それだけしか考えられなくて、気づけばもつれる足をなんとか動かして
走り出していた。
























「あ!ちょ…待って下さい!」





「誰?」

「この声は…赤也か。」






「………今の話、どういうことッスか。」

「なんだ、聞いてたの?どうもこうもないけど。」

「他言無用だ。くれぐれも他校の奴やにの耳に入れることのないようにな。」

「…………。」

「あぁ、赤也にもうバレてるようだから言うけどさんをどうにかしたいっていうなら好きにすればいいよ。」

「………。」

「…さんを氷帝から引き離せれば、それでいいんだから。」

「…さんを引き離して…、さんは悲しみます…よね。」

「へぇ、赤也も優しいところあるんだね?それはさんが相手だからなのかな?」

「………精市。あまり大きな声で話すのはマズイ。誰かの耳に入ったら…」




「もう…遅いッスよ。」

「……ん?」

「さっき…、さんも……一緒に居て…」






































「…うーん…、状況が読めないだけに難しいけど…。」


首をかしげて真剣に考えてくれる不二君。
手元から伝わる温かさに段々と心も落ち着いてきた。

全てを語るのは、何となくいけない気がして。
元々私が聞いていいような話じゃなかった訳だし…。
それにこれを口外してしまうと、色々と混乱を巻き起こしてしまいそうだ。

練習の邪魔になるような情報はなるべくAチームにもBチームにも知らせたくない。
……これは、私の心の中で留めておけばいい話なんだ。
自分で何とか…どうすればいいのかわからないけど、自分で考えればいい話。


「僕なら、諦めないかな?」

「…諦めない?」

「うん。…さんは友達でいたいんだよね?」

「……そう、なのかな…。わかんない。」


正直なところ、あんな話を聞いて明日から幸村君や柳君と普通に接することが出来るのか…自信は無い。
それに、仁王君や丸井君…切原氏だって、本当はどう思ってるんだろう。
氷帝から…私を引き離すために、今までちやほやしてたんだろうか。
確かに、誰もが放っておかないようなイケメン集団が私なんかに優しいのは…何か裏があると考える方が普通だ。

だけど、幸村君達の仮説には大きな間違いがあると、私は思う。
私が氷帝から離れたからといって、今の氷帝が崩れたり弱体化したり… はそこまで影響力のある人間ではない。
別に何かをしてるわけじゃないし、至って普通のマネージャーだ。

それでも少しのデータ変動を「私のおかげ」として見ているのなら…
そんな小さな要因さえも見逃さない幸村君をはじめとする「立海」という集団が少し怖いと…感じてしまう。


頭でグルグルと考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
さっきまで落ち着いてた脳内がまたぐちゃぐちゃになって
段々と気分が沈んでくる。



「……さん。」

「…へ…あ、ごめん!ちょっと考えこんじゃって。」

「いや…、泣きそうな顔してるから…。昼間の印象とは随分違うんだね。」

「ご…ごめん、変なこと聞いちゃったね。」


これ以上不二君を引き止めるわけにはいかない。
ちゃんと経緯を話さないくせに、グダグダこんなこと言ってると…かまってもらいたくて引きとめてるみたいじゃん。
なんとか笑顔を作って不二君を見ると、マリア様かと思うほど優しい表情で
私の頭をソっと撫でてくれた。爆発させる気ですか、王子様。


「…フフ、さんって…。」

「え…え…っ。」

「小さい時に遊んでたのぬいぐるみに似てるなぁ。」









グダグダ言ってんじゃねぇ、この豚野郎ということですね。






「ぶ…豚…。」


「あ、ゴメン。そういう意味じゃなくて、なんていうか可愛いなって思っただけだよ。」

「い…いいんだよ、不二君…。そういう扱いには悲しいことに慣れてる…からね…っく…!」

「ふっ…ふふ…、本当にくるくる表情が変わるんだね。」

「そ、それは不二君がこうやって気を紛らわせてくれるからだよ。…ありがとうね。」

「そう、それは良かった。……それじゃ、僕はそろそろ行くね。また明日。」

「うん!ありがと、おやすみなさい。」

「おやすみ。」


ヒラヒラと手を振る不二君は本当に素敵な人だ。
一目惚れというか…なんというか、実際その雰囲気と顔に一発KOされてしまった訳だけど、
話してみると、あんなに物腰柔らかで優しい人だったなんて…。ますますかっこよく見えちゃうよ…。



さて、私もそろそろ戻って寝るか…。
ココアの缶を備え付けのゴミ箱に投げ入れ、後ろを振り向くと



「いっ…うわああああ!…き…切原氏、何してんの…。」

「……さん…こんなところに…いた…。」



息を切らせて切原氏が暗闇の中でぼんやりと立っていたのです、ホラーか…!
さっきのこともあるし、何となくいつものようにしゃべれなくて、
押し黙っていると、彼の後ろに

今1番会いたくなかった人物が立っていた。



「……さん。」

「………え…と…。」



私がさっきの話を聞いたことを…知ってるのかな?
何となく切原氏に視線を送ると、気まずそうに目線を逸らされた。

……あぁ、言ったんだね。




…恐る恐る幸村君の顔を見ると、今まで私が接してきた幸村君ではないような
まるで別人の表情だった。冷たいその目線は何を考えているのか…わからない。

隣にいる柳君はいつもと変わらないポーカーフェイスだけど、
何か言いたそうな面持ちで私を見つめている。



「…不二と何を話してたの?」

「……っ…あの…さっきの…は、言ってない、よ。」

「……はぁ。わからないなぁ、何でさんなんだろうね?」

「…え…。」


目が全然笑ってない笑顔を私に向けて、首をかしげる幸村君。
どうしよう…なんか、しゃべれない。
幸村君を見れない。



さんが居ることで氷帝の士気が高まるのは何でかな?」

「………たぶん、それは見込み違いだよ。」

「データは嘘をつかないよ。…あぁ、もしかしてさんは男をその気にさせるのが上手いのかな?」

「…え…?」

「さっきだって…、こんな時間に男と2人っきりだなんて随分無防備だよね?」

「……っ。」



もう無理。
今、私が目の前に居る幸村君に抱いている感情が何なのかはわからない。
怒りなのか恐れなのか。

だけど、あの優しかった幸村君の口からこれ以上本気の軽蔑の言葉を向けられたら
私は泣いてしまうかもしれない。それは、何となくだけど余計に今の状況を悪化させてしまいそうで。

ここで言い返せないのは、自分の中の浮ついている部分を自覚しているからだ。
さっきだって…あんな話を聞いた後すぐにポヤポヤしている私を、見られていたのかもしれない。

何も言えないまま、私は情けないことに…逃げ去るという方法しか思いつかなかった。



「あっ、待ってさん!……っ…幸村部長、あんまりッスよ!」

「………。」

「……俺も、もう行きます。」







「……精市。」

「………。」

「…随分と余裕が無いようだが。」

「…うるさいよ。」

「………自分の心にあまり暗示をかけ過ぎるのは良くないぞ。」

「………うるさいって。」



暗い廊下に響くのは、自動販売機の無機質な機械音と
ポツポツと降る始めた雨が窓を叩く音だけだった。


































今の心の状態を表すかのようなドス黒い雲が
空一面を覆っていた。合宿3日目の朝は雨だった。

屋内練習場も完備しているこの施設。
いつもの練習場所とは少し離れているので、準備するものもいつもより多くなる。

自然と朝早くに目覚めた。けれど心は全然スッキりしない。



「…はぁ…、帰りたい。」



このまま目を閉じれば数日前まで時間が戻っていればいいのに。
いや、数日前だろうが何だろうが立海の皆の魂胆は変わらないんだけど。
それでもせめて、その心の内を知らないままでいられた方が幸せだった気がする。

取り合えずどうにかなるでしょ!ポシティブポシティブ!
……みたいな気持ちになれないのは、相当ショックだったんだろうな私。


ゴロンと寝がえりをうって、携帯を手に取るともう朝の5:15だった。
……起きるか。起きるしかない、頑張れ。この合宿が終わったら…
私、絶対二次元に入り浸るんだ…翔ちゃん(二次元の王子様)に慰めてもらうんだ…グスッ。

















早朝の屋内練習場はまだ誰もいなかった。
やっぱりいつもの練習場よりは狭いので、今日のBチームはきっと
コート外の練習が中心になるんだろうなぁ。
昨日の洗濯物を取り込み、いつものように準備をしていると
今日も1人走り込みをする手塚君に遭遇した。




「……雨でも走るんだ。」





そのストイックすぎる姿勢にちょっと吃驚してしまった。
もちろんこの合宿に参加している皆も十分自分に厳しい練習を重ねてるんだけど、
手塚君のそれは頭一つ分抜けているというか…。

あそこまで自分の目的に一直線なのは、尊敬しちゃうな。


雨に打たれながら遠くに走り去っていく手塚君を見つめていると、少し心が晴れた。







「…はい、お疲れ様。」

「……今日も早いな。」

「手塚君こそ。風邪引いちゃわない?」

「練習前にシャワーを浴びるから大丈夫だ。」


ある程度準備も終わったけど、どうしてもあのズブ濡れの手塚君が気になって
合宿所前で待ち伏せしてしまった。用意してたタオルとドリンクを受け取り
丁寧に水滴を拭う手塚君は、昨日も思ったけど何とも言えないフェロモンを振りまいてる気がする。



「……助かる。」

「へ?」

「これだ。中々、隙のないマネージャーだな。」


ドリンクをひょいっと上げてそう言う手塚君は、相変わらずポーカーフェイスだけど
あまり褒められることのない私は、その言葉が素直に嬉しかった。


「いえいえ…。今日も頑張ろうね。」

「………どうした。」

「へ?」

「……いや。油断せずいこう。」

「う…うん。」


そう言い残して颯爽と歩いて行く手塚君はやっぱり不思議なオーラがあるよなぁ…。
油断せずに…何にだろうか…。彼はいつも何かから狙われているのだろうか…。



































「…ねぇ、。」

「……え、どうした?ハギー。」

「どうした?じゃないよ。何でこれ水なの?」

「水?……うっわ、ヤバ!ご、ごめんなさい!分量間違えたかも!」


午後練習の休憩時間。
ばっちり用意してたはずのドリンクを飲む皆の様子がおかしいと思ったら…
ウォータータンクからコップに少し注いで恐る恐る飲んでみると
これでもかと言うほどの薄味でなんだか気分が悪くなった。


「み、皆ごめん!すぐ作り直してくる!」

先輩、大丈夫ッス!誰にでもミスはあるッス!」

「そうです、僕たち水でも全然かまいません!」

「ホ…ホリーにカチローちゃん…ううっ、ありがとう…!」

を甘やかしたって駄目だよ。大体何なの?朝からウジウジして…ウザイんだけど。」


コップ片手に容赦なく怒りを露わにするハギー。
そのピリっとした空気に、Bチームの他のメンバーも心配そうに事の成り行きを見守っている。
……ああ、ダメだ。皆に心配かける程態度に出てただなんて、マネージャー失格だ。


「ごっ、ごめんってハギー!すぐに作り直してくるから!いってきまーす!」

「…ちょっと、!話はまだ終わってな……」

「……先輩、どうしたんでしょうか。」

「……はぁ、知らないよ。いつもは五月蝿いくせに急にあんな死んだ魚みたいな顔されても調子狂うんだけど。」


















「おーっす、山賊じゃん。」

「えっ…あ…。」

「アレ?今頃ドリンク作ってんの?もう練習終わりだろ。」


水飲み場で声をかけられた。
後ろを振り向かなくてもわかる、丸井君とジャッカル君の声だ。

いつもならチーム別練習の時に会えるなんてラッキー、と思うところだけど
あんな話を聞いてしまった後だと…彼らの全てが演技に思えてどうも…
どういう風に振る舞っていいのかわからない。


「……ちょっとミスしちゃって。」

「へー、珍しいな。まぁ俺らのマネージャーなんか毎日ミスしまくりだけどな。」

「そう言ってやんなって。あの初々しい感じが可愛いんだろぃ?」

「…そ、そうだー。あれもやらなきゃいいけないんだった!ゴメン、私行くねー!」


今まで仲良くしてくれてたのも作戦だったんだ、と思うと
アレだけ浮かれてた自分が急に恥ずかしくなってくる。
「何コイツ調子乗ってんだ」とか思われてたんだろうな…!

……居た堪れない…。



「…おーう、いってら。」

「なんだー?あいつテンション低くね?」












無事に新しいドリンクを作り終えて、ハギーにもう一度謝ると
今度は呆れた表情で「何があったの?」なんて聞いてくれた。
…ここで色々話して迷惑かけるのも嫌だし、何でもないよって答えたけど
あの目はまだ疑ってたな…さすが氷帝のビッグマザー…。

とにかく身体を動かしていないと、変なことを考えてしまいそうだったので
一日中忙しく走り回ってたんだけど、午後の練習も終わるかという頃。
今はあまり会いたくない人たちにばったり遭遇してしまった。


「…あっ、さん!」



練習後の片づけをしている最中。
用具倉庫から一歩出たところで、丁度練習帰りだったAチーム…の立海メンバーとはち合わせてしまった。

大きな声で呼んだのは間違いなく切原氏だったが、
振り向くと何だか「しまった」というような顔をしていて、こっちまで気まずくなってしまう。

だってその後ろには仁王君に柳生君、そして柳君がいたから。



「あ…あー、皆今日もお疲れ!」

「あなたの方こそ、一日中走りまわって大変そうでしたね。お疲れ様です。」


ニコっと紳士的に微笑む柳生君の笑顔が辛い。
笑顔を返そうとするんだけど、頬のあたりの筋肉が引きつってるのが自分でわかる。


「じゃ、じゃあまたね!」

「待ちんしゃい。」

「……え?」

「何をそんな急ぐことがあるんじゃ、一緒に合宿所まで戻ったらええ。」


私の肩に手をかけ妖しく微笑む仁王君。
きっと前の私なら即座に心臓が爆発していたのだろうけど、今はトキメキより恐怖が勝っている。
…この笑顔も偽物なのかと思うと、上手くしゃべれない自分がいた。


「やっ…、ご…ごめん。行くね。」


仁王君の手を振り払って逃げるように走り去る。
一瞬驚いた顔をしていた仁王君だけど…大丈夫かな、私が君たちの作戦に気付いてるって…バレてないかな。









「…なんじゃ、アレ。」

「珍しいですね、いつもならヘラヘラと笑っているさんなのに…。」



「……柳先輩。俺、このままじゃ嫌ッス。」

「は?なんじゃ、赤也。」

「……仕方ないな。まぁ、あの状態じゃ気づかれるのも時間の問題か。」

「…話が見えませんが、何のことです?」






























「あー…腹減ったー…。そうだ、じゃがりこがあったはず…。」



今日の晩御飯。どうしても皆と一緒にご飯を楽しく食べる気分になれなかった私は
可愛い青学癒し隊3人のお誘いも断って、部屋に引きこもっている。

でも、余計な心配をかけるのもいけないと思い
「…女の子には色々あるんだ。」等と含みを持たせた理由を述べると
3人とも顔を真っ赤にして「ごごっ、ごめんなさい!」なんて言いながら走り去っちゃうんだもん。
どれだけ可愛いんだあの子達…!

こんなふざけた理由、氷帝の連中に言ったら間違いなく晒し首の刑に処されるんだろうけど。

あー…でもやっぱりお腹は空いた…。
ぽりぽりとじゃがりこチーズ味をむさぼりながらゴロゴロとテレビを見ていたその時。




ゴンゴンゴンッ


「うわっ!……っな、何?」






「おらぁ、!部屋にいるのはわかってんだぞ、開けろ!!」

「夕飯サボるなんてどうしたの、ちゃ〜ん!便秘なの?!」

「女の子の日なんて嘘ついてんちゃうぞ!お前、今日はちゃうやろ!

先輩、大丈夫ですか!?体調が悪いんですか!?」



こ…怖い、何か色々怖いワードが聞こえてくる…。
何が1番怖いって、忍足が何故か私の女の子周期を把握してるみたいな言い方をしていることです、怖い。
変な勘違いされそうだから、キモイこと言わないで欲しい。

反射的に掛け布団を頭からかぶって、何とかその場をやり過ごそうとしたけれど
チンピラもびっくりなレベルでドアを叩く奴等に、止まない罵倒。
何なんだ…私は何もしてないぞ…無実だ…!!



ガチャッ




「っ!…な、何で開けてんの!?」

「俺達がスペアキーも持たずに来ると思った?何やってんだよ、。」


人差し指でくるくると鍵を振りまわしながら、怒り心頭のご様子のがっくん。
その後ろからゾロゾロと氷帝メンバーが入ってくるのを見て、ああ終わったと思ったものです。


「出された飯を食えねぇなんて、いつからお前はそんなにいいご身分になったんだアーン?」

「ぎゃああ!イタイイタイッ!やめてって!女の子にサソリ固めはダメ…ッイタイっつってんでしょ!」

ちゃん、俺達に何か秘密にしてることあるでしょ〜?」

「ひみ…っ秘密?ダメダメダメ、マジで痛いって!助けてジロちゃん!」


本気で身の危険を感じながら訴えると、やっと解放してくれた跡部。
…こいつ…今、本気で仕留める気でやってたでしょ…。ぐったりと這いつくばる私に
次は容赦ない攻撃が待ち受けていた。


「なぁ、。何隠してんだよ。」

「……へ?」

先輩が、晩御飯をパスしてでも人前に出てこない理由…大体察しがつきますけどね。」

「えっ…ぴ、ぴよちゃんさま知ってるの?」

「普段のお前の行動見てればすぐにわかるっての。」


腕を組んで笑う宍戸に、凍てついた目線で睨むぴよちゃんさま。

……なんだ、どこでバレたの?誰かが言ったの?



















「越前のタオル盗んだの…お前だな、。」


























これが冤罪というものか。




神妙な面持ちで私を見つめる皆の顔には笑顔なんてなくって



「ついに他校にも迷惑をかけてしまったのか」みたいな悲愴感が漂っている。




あまりにも身に覚えのないことを言われたもんだから、ポカンとする私を見て
跡部がたたみかけるように責める。


「…謝るなら早い方がいい。行くぞ。」

「ちょ、ちょっと待って!私はやってない!何の話なの!?」

「俺達にだけは嘘つくんじゃねぇよ、。仲間…だろ…?」

「ねぇ、何で涙目なのがっくん。違うもん!何でそういう話しになっちゃったの!?」

「だって…、後ろめたかったから…晩御飯に来なかったんですよね。先輩…。」

「ちがっ…ちょたまで…あんた達の可愛いマネージャーを疑うっていうの!?」

「もうええんや、…楽なろうや。」



優しく微笑む忍足にイラっとしつつも、それでも私はやってない!と叫び続ける。
怖い、冤罪事件ってこんなに身近に起こるものなんだ…。

しかし、このまま黙ってたら本当に私は犯罪者に仕立て上げられてしまう。
観念して今日、晩御飯に出なかった理由をポツポツと話し始めると
思った以上に冷静に皆が話しを聞いてくれるもんだから、ちょっと安心して泣きそうになってしまった。


幸村君をはじめとする立海メンバーが考えていること。
今までの私に対する態度は、ただの演技であったこと。


そして、私は氷帝から出て行く気なんて微塵もないってこと。



















「……何だよ、それ。」


全部話し終わった時、誰も言葉を発しなかった。
各々何か考えているような雰囲気で、私も何も言えなかった。

それを打ち破ったのはがっくんの、怒りを含んだ一言。

……怒ってくれるんだ、がっくん。



「有り得ねぇだろ。ナメすぎじゃん!」

「が、がっくんそんなに怒らないで…。私は大丈夫だから…。」








がいないと俺達がダメになるなんて…どんな侮辱だよ!






「……へ?」

「不愉快極まりないですね…。」

「いくら俺でも…悔しいです…。」

「え、アレ?皆?」


何だろう、どうも怒りの矛先が私が思い描いてたのと違う…。
「俺達のを悲しませやがって!」みたいな感じじゃ…ないですよね、このパターン。


「それであいつらあんなににちやほやしてたんか…可哀想に、骨折り損のくたびれ儲けやん。」

「だな。俺達の弱体化を狙ってに目をつけるだなんて…マジ激ダサだぜ。的外れもいいところだ。

「ねぇ…。誰か私を慰めてくれる奴はいないわけ?」

…。」


跡部がいつになく神妙な面持ちで私の肩に手をかける。
な…何?まさかの跡部が私の心境を汲み取って慰めてくれるっていうの?















「犯罪を隠すために嘘をつくのは、また新たな罪を生み出すんだぞ。」
















いつもより優しい声色で、諭すように言う跡部に
私が殴りかかるまでそう時間はかかりませんでした。


合宿所だろうが何だろうが関係ない


今すぐ大乱闘スマッシュブラザーズじゃ!



思う存分暴れようとしたその瞬間、部屋のドアが開いた。






「…え…っと、どうした…の?」


その先に見えた柳君と切原氏の姿を見てぴたっと拳を止めてしまう。

その隙に後ろに回り込んだ跡部にヘッドロックをかけられそうになったけど
ただならぬ雰囲気を感じ取ったちょたが止めてくれた。



「…跡部、聞いて欲しいことがある。」

「なんだよ、お前ら。今更に何の用?」

ちゃん連れていこうっていうなら無駄だよー、ちゃんは俺達のもんだC〜。」


がっくんやジロちゃんの言葉にビクともせずに、
私の後ろで凶悪な暴力を振るおうとしている跡部を真っ直ぐ見つめる柳君。

……何だろう、私は居ない方がいいのか…な?



「え…と、じゃあ私ちょっとお風呂先に入ってくる…ね。」




バタバタと準備をして、ドアの前を通り抜けようとした時
なんだか苦しそうな顔をしている切原氏が目に入ったけれど
私は声をかけずにその場を後にした。






























が言ってたことは本当なのか?」

「…半分正解、半分間違い…といったところか。」

「何が間違いなんだよ。」


が去った後、場所を移して開かれた氷帝陣と立海陣の会議。
夜中の食堂に男子生徒が集まり、テーブルを挟んで話しあう様子は異様だった。



「本気でを立海に…、なんて考えている奴はいないということだ。」

「……幸村はそうなんじゃねぇの?」

「精市は……嘘をついている。」


腕を組んだまま俯きながら、そう呟く宍戸の声に反応した柳。


「アーン…?どういうことだ。」

「考えてもみろ。誤差の範囲内かもしれない勝率の為に、他校のマネージャーを引き抜くなんて…
 そんな面倒なことをするメリットがあるか?」


妙に冷静な柳の論調に、黙り込んでしまう氷帝陣。
しばらくの沈黙を破って、切原が口を開いた。


「…それに、俺がさんと仲良くしてるのは演技とか…そんなんじゃないッス…。」

「演技じゃなかったら何だって言うんだよ。」

「…そりゃ、さんが立海に来てくれたら楽しいだろうなー…とかは考えるけど…。」

「マジか、お前自らいばらの道を進むタイプだな。」

「あ…あんた達は何もしなくてもさんが傍にいるから、そんな余裕でいられるんスよ!」


叫ぶように言う切原を、珍しいものでも見るかのように見つめる氷帝陣。
その視線に居た堪れなくなったのか、舌打ちをして黙りこくってしまった。


「…赤也だけじゃない。誰もを騙すつもりなんてなかった。現にこの話を知っているのは俺と…偶然聞いてしまった赤也だけだ。」


申し訳なさそうに言う柳に、腕を組んでずっと目を閉じていた跡部が問う。


「…で?何が目的なんだ?」

「………ああ見えて、精市は幼いところがある。」

「「「は?」」」

「…答えになってねぇだろうが。」

「これは俺の推測でしかないが…、恐らくに対する感情に正当性を持たせるために
 ≪氷帝から士気を奪う方法≫を俺に持ちかけたのだろう、と思う。」

「んー?つまりどいういうことなの?」

「……精市は≪氷帝の勝率を下げるため≫ににちょっかいをかけている、と言うが…。」

「ま…まさか、あの幸村さんが…先輩の…こと?」

「…ああ、奴は間違いなくを気に入っている。それを何故だか認めたくないようだがな。」


あの柳の推測だ。恐らくかなり信憑性の高い話なのだろう。
その場にいた氷帝陣全員が息をのむ音が聞こえた。


「……ま…じか、幸村って…変わってんな…。」

「なんであんなイケメンが…なんや。実は本物の女は好きになられへん性癖とか…なんか?可哀想に。」

「何言ってんスか、さんは本物の女でしょ。」

「……だからってちゃんはあげないからね〜。」

「わかっている。…それににもその気がないのは調査済みだからな。」

「じゃあもうにちょっかいかけるの止めろよ。面倒くさいことになるじゃん、また。」


ふわぁ、っと欠伸をしながらそう言う向日は
早速この話自体に興味を失っている様子だったが、柳は続ける。



「…昔から精市は、気に入った奴に対しては…素直になれないタイプだった。」

「なんだそれ、小学生かよ。激ダサ。」

「宍戸さんには言われたくないと思いますけどね、幸村さんも…。」

「長太郎…ナチュラルに馬鹿にするようになったな、お前…。」

「すっ、すいません!口が勝手に…!」

「それに今回の件がにバレたことに対して、最も動揺しているのは精市だ。」

「ハッ、立海の部長がその程度じゃ先行き不安だな。」

「そうだ。そこで、頼みたいことがある。



















 精市のに対する気持ちに…、気付かせたいと思うんだが。」















「……お、おう…勝手にやれよ…。」

「う、うん。めっちゃ興味ないわ、ごめんな…。


「ああ、勝手にやらせてもらう。俺のシナリオ通りに事が進めば問題ない…が…。」

「…が?」

「今までのお前たちの行動を見ている限り…今回の作戦の邪魔をしてくるだろうと思ってな。」


ニヤっと口の端を釣り上げる柳の真意はわからないものの、
何故だか自分たちが馬鹿にされている気がして仕方ない氷帝陣。


「…別に邪魔なんかしませんよ、好きにやってください。」

「……どんだけ余裕かましてんだよ。」


ギロリと敵対心むき出しで日吉を睨む切原。
日吉はそんな視線に取り合うこともなく、涼しげな表情で食堂を後にした。



「…跡部も、異論はないということでいいか?」

「……あぁ。つまり、お前達がに対して起こす行動に干渉するなってことだろ。」

「物わかりが良くて助かる。話はそれだけだ、行くぞ赤也。」




切原を連れて食堂を出ようとした時、
タイミング良く現れた1人の少年。




「ねぇ。」






「…あ!越前!タオルあったのかよ?」

「…桃先輩が間違って持っていってたみたいッス。」

「マジか!絶対だと思ったのになー。」



ゲラゲラと笑いながら机を叩く宍戸に向日。
越前はそのまま歩みを進め、柳の前に立ちはだかった。



「…なんだ?」

「…俺も協力しようか?」

「はぁ?別にお前の力なんて必要ねぇよ。」

「いや、待て赤也。……いいだろう。」

「えええ!?何でッスか、柳先輩!」

「この作戦の第一条件は精市に勘付かれないことだ。他校生の協力者がいるのは心強い。」


楽しそうに笑いながら食堂を後にした柳、とその他2人。
全く話が見えない氷帝陣はその様子をボーっと眺めていた。




「……なんかってすげぇな。」

「何がだよ。」

「いや、わかんねぇけど。…わかんねぇけど、まぁまぁ嫌な予感がする。」

「俺も…です。」

「…その時はその時やん?別に柳の言うこと素直に聞いたる義理なんかないし。」

「……ッチ、面倒くせぇ。行くぞ、もう寝る。」

「うぃー。」




朝から降り続いていた雨はすっかりやみ、
誰も居なくなった食堂の窓には、澄み切った星空が広がっていた。