氷帝カンタータ





第29話 迷走ユートピア(7)






少しシミのある古びた天井。
この光景にも随分慣れてきた。
重い瞼をこじ開けて、枕もとの携帯に手を伸ばす。
今日もばっちり仕事をしてくれたアラームを切り
思い切って布団をめくる。

こんなに憂鬱な1日の始まりってあるものなのか。



「………はぁ。いっそのこと夢だったらいいのにな。」


自分でも驚くほど後ろ向きな発言を、2日も続けてしてしまった。
ダメだ、ダメだ。こんなことじゃ皆に気づかわせちゃう。
昨日だってBチームの子達に心配させちゃったし、
これ以上皆の集中を削ぎたくない。

どうせあと少しの我慢だ…!

私も我慢するから、幸村君も…立海の皆も我慢してください。



























今日も朝の準備を終えて、一息ついた頃。
いつもは手塚君がコートの外を走っているはずなのに、今日は姿が見えなかった。
なんとなく気になって、備品倉庫内も探してみたけどいない。

…今日はもう自主練終わっちゃったのかな。

しかし、暑い。

昨日に比べると明らかに気温が上昇していた。
朝でもこの暑さだと、日中はどうなっちゃうんだろう。
雨が降った後だからなのか、空は嫌になるほどの快晴だ。


「あっつ……。うわー、汗ベトベト…。」


取り合えず朝風呂に入って、そこから準備しよう。
幸い今日はまだ朝ご飯までの時間もあるし…。
スッキリ汚れを落とせば、気分だってきっと晴れるはず。





こちらも見慣れたお風呂場に到着すると、赤い暖簾をくぐった。
もちろん風呂場には誰もいない。


「貸し切り貸し切りーっと…。早いとこ入っちゃおう。」


なんとなく、その解放感にテンションが上がったけど…
髪の毛を乾かしたりする時間も考えると、あまりのんびりしている暇はない。
さっさと服を脱ぎ捨て浴場へと急いだ。












ガラッ



「よっしゃ、最短記録更新!」


髪の毛も身体もびちゃびちゃのまま風呂場のドアを勢いよく開けた。
脱衣所の壁時計を見ると、経過時間はきっかり5分。

これなら問題なく朝ご飯に間に合う。
大きなバスタオルに飛びつき、勢いよく全身をふきあげ
さっさと下着をつける。ここまで…約1分か…!まだ間に合う…っ!急げ…!
時間に追われる朝のOL風にバタバタとドライヤーを手に取る。
大きなミラーの前に下着のみで座る、この開放感ったら半端ない!


「ふんふふ〜ん…今日も可愛いちゃん〜…負けるな負けるなちゃん〜…」


氷帝テニス部に所属するようになってから、急激に増えた私作曲の歌。
そのどれもが自分を励ます内容のモノで、歌ってると段々泣きそうになってくる。
だけど、それをバネに…今日も頑張るぞって…負けるもんかって…っく…!


すっかり髪も乾いて、身体の火照りも収まってきたころ。
取り合えず服を着ようと棚に戻った。



その瞬間。





ガラッ




「越前、早くしないと遅れる…ぞ………。」

「わかってるッス。でもこんな汗だくじゃ………え……は…?」



丁度棚の真横の入り口から登場した、手塚君にお師匠様。


アレ?2人も朝風呂?


……なんて普通に声をかけようとしたけど


2人の限界まで見開かれた目を見て、やっと気づく。




下着姿で陽気に片手を挙げる私の姿は、どう見ても痴女です。




「…っえ?!?え、なん…っ、ごっごめんなさい!そんなつもりじゃ…!」



ピシャッ



取り合えず本能的に謝ってしまったけど…ここ女風呂じゃないの!?
色々頭が混乱している隙に、ぴっちりと入口の扉は閉められていた。

まだそこにいるであろうお師匠様の声が聞こえる。


「…っ、なんで男風呂入ってんの?」

「へ?!いや…え?女風呂だ…ったよ?!」

「………6時を過ぎると男風呂と女風呂は入れ換わる。」


伝えられた衝撃的事実に言葉を失う。
そ…そう言えばお風呂の前の看板にそんなこと書いてあった…ような…?
朝と夜で風呂が入れ換わるって書いてはいたけど…

朝の部は6時からだったなんて知りませんでした…よ…。


「ごっ…ごめんなさい!どうか警察沙汰だけは…!

「見られた方がなんで謝ってんの、意味わかんない。」


「…とにかく早く着替えろ。外は見張っておく。」

「そっ、そっか…。ごめん、ありがとう!」


わかった…今日の朝、手塚君の姿が見えなかったのは
どこか別のところでお師匠様とこっそり練習してたからなんだ…。
…よりによってなんで今日、お風呂なんか入っちゃったんだろう、うわあああ恥ずかしい…!

こんな、ダラけた身体なんか見て、気分を害してはいないだろうか…。
もしかして「意外と腹出てたッスね…」「そうだな…」みたいな会話とかされてたらどうしよう…!

テンパった頭では、どうしても悪い方向へと思考が流れてしまう。
なんとか震える手で着替えを済ませ、脱衣所を後にすると
直立不動で2人が立っていた。門番のように見張ってくれていた2人に軽くお礼を言うと
思いっきり目線を逸らして、さっさとお風呂に入ってしまった。
…扉の外からもう一度だけ謝って、急いでその場を後にする。…恥ずかしくて爆発しそうだ…!












「……部長。」

「………なんだ。」

「…部長の言ってた事、本当ッスね。」

「何のことだ?」

「朝言ってたでしょ。日本のコトワザ、早起きは三文の得だって。」

「………。」


































朝の自分の粗相を謝ろうと、食堂に入ってきた手塚君を捕まえると
驚くほどのポーカーフェイスで「気にしていない。こちらもすまなかった。」とのことだった。
……よ、良かった…。というか、悪いのは完全に私なのに…。
まぁ、そりゃ手塚君程のナイスガイなら、下着姿なんか腐るほど見てるだろうし、
取るに足りないことだよね。なんとか命拾いした気がする。


お師匠様にも続いて謝ると、ニヤリと笑うだけで何も言ってくれなかった。
…と、取り合えず怒ってはいないみたいだから大丈夫かな?

ホっと胸をなでおろした私は、やっと朝ご飯に臨む。
今日も時間ぎりぎりまで起きてこない氷帝陣は放っておいて
さっさと1人飯を済ませようと席に着くと、


広いテーブルが一瞬で取り囲まれた。


顔をあげてみると、そこには出来れば見たくなかったオレンジジャージの軍団。
どうしようもなく緊張してしまい、上手く言葉を発することができない。
目が泳ぐ。息が辛い。…何だろう、絶縁宣言でもされるんだろうか。


「……っ…おは…」

「…なーんだよ、そんなビビんなって。」

さん…すいませんっした…!」

「……え……。」


隣でプクっとガムを膨らませながらケラケラ笑う丸井君に、
正面からものすごい勢いで頭を下げて、テーブルに頭をぶつける切原氏。


「…聞いたぜ。別に俺達、お前のこと騙そうだなんて…思ってなかった。」

「辛い思いをさせてしまって申し訳ありませんでした…。しかし信じて欲しい、私達はあなたの味方です。」


申し訳なさそうな顔で、頭を下げるジャッカル君に柳生君。
余計に頭が混乱する。…何?何なの、これも何か罠なんですか…?


「…幸村の言うことは絶対だが…、今回の件は納得がいかんからな。」

「……お前さんが元気ないと、つまらんからのぉ。」


腕を組んで、真剣な顔でそういう弦一郎さんに
私の隣で、机にダラっと上半身を投げ出す仁王君。

…どういうことなんだろう。
朝ご飯を食べる手も完全に止まってしまう。

頭に100個ぐらいクエスチョンマークが飛んでいるであろう私に
柳君が静かに語りかけた。


「……あんな話を聞かれた後では難しいかもしれないが…俺達を信じてくれ。」

「……え…っと…。」

さん!俺がさんのこと騙すわけないじゃないッスか…あれは幸村部長の独断ッス!」

「つーか、幸村君も結構面倒くさいとこあるよなー。まぁ、ちょっとおもしれーけど。」


必死に目で訴えかけてくる切原氏は、とても嘘をついているようには見えない。
それに、皆から感じるこの空気感も…敵対心を全く感じない。
……じゃあ…、昨日幸村君が言ってたのは何だったの?


「……でも、幸村君は…。」

「アレは、俺達で何とかするけぇお前さんも協力しんしゃい。」

「……協力?」

「いい加減、幸村にも素直になってもらわねぇとやりにくいしな。」


苦笑いするジャッカル君の言っている意味はよくわからない。
だけど…、立海の皆が敵じゃなかったんだって思うと
愚かかもしれないけど…単純な私は、また信じたくなってしまう。

自分でもどんな顔をしているかわからないけど、
相当複雑な顔をしていたんだろう。
隣にいた仁王君がそんな私を見てプっと噴出した。


「…とにかくお前さんは何もせんでええ。いつも通りバカみたいに笑っとったらええんじゃ。」

「…わかった…。…あの…さ、皆…。」

「なんスか?」

「……信じていい?」


一度疑ってしまった心は簡単には変えられない。
だけど皆の顔を見ると…どうしても…信じたい。

単刀直入に質問をぶつけた時の切原氏の顔。
一瞬の戸惑いもなく笑顔になったソレを見て、ああ、信じていいんだって思った。
私だってバカじゃない。注意深く一瞬の、その顔を観察した結果だ。

それに、信じるって決めた途端ウソみたいに心が軽くなった。
実際、幸村君の昨日の言葉はまだ否定された訳じゃない。本心かもしれない。
だけど、少なくともここにいる立海の皆は私を認めてくれてるって思うと
それだけで頑張れそうな気がした。



「…荒療治だからな。どうなるかわからないが…。」


少し心配そうに柳君がそう呟いた、それが少し気になったけど
信じるって決めたんだもん。……なるようになるさ!これだけ味方がいれば怖くない。


「そうと決まったら早速作戦開始ッスね!」

「おう。へへっ、おもしろくなってきたぜ。覚悟しとけよー、。」

「えっ、覚悟しないといけないようなことなの?!」

「さっきも言ったようにお前は何もせんでええ。流れに身を任せればいいんじゃ。」

「だが、精市とは…しゃべらなくていい。」

「……え…。」

「時が来れば、あちらから近づいてくるはずだ。から接触はするな。むしろ避けるんだ。」


真顔で柳君が言う。
……言われなくても、さすがにこんな状態で
幸村君に近づけるほど神経図太くないよ、私…。


「…わかった。」

「よし。そろそろ集合の時間だ。行くぞ。」

「うぃーす。」



まるで嵐のように去っていく立海陣。

……一体何が始まると言うんだろう。


































今日も快晴の中始まった午前練習。
Bチームはいつも通りの全体練習だったが、Aチームは紅白試合をするようで
そのコート内は異様な雰囲気に包まれていた。
Bチームの子達も、そちらが気になるのかなんとなく集中できていない様子だ。


「…ハギー。」

「うん。ダメだね、こりゃ。」

「…Bチームもさ、紅白試合やるってのはどう?」

「Bチームが?一応それは最終日のメニューでしょ。」

「でも、隣り合わせのコートなんだしどうしても気になっちゃうでしょ皆。
 それにさ、学校対抗の組み合わせにすれば奮起するかもよ。
 先輩も頑張ってるんだから負けられないーっ、てさ。」

「……うーん…。」

「それに、この全体練習よりは集中できるんじゃない?試合の方が。」

「……そうだね。この状態だと意味ないし。…みんな、集まって!」

「「「「はいっ!!!」」」」














そうして始まったBチーム内、学校対抗戦。
さすがに人数が多いのでゲームカウントは正式な試合より少なくしているが
先程のソワソワした空気は一瞬にしてなくなった。

皆、自分が学校の名を背負っているということで良い意味の緊張感が出ている。



どんどんと試合は進んでいき、各々の弱点・改善点等を
リーダーであるハギーが的確に指導していく。
こういうところはさすがハギーだよね。本当に感心しちゃう。


次の試合はというと、青学癒し隊の1人カチローちゃん対立海の1年生の試合だった。
マネージャーという立場なので、表だってどちらかを応援するわけにはいかないけど
やっぱり普段から仲良くしている子を応援したくなっちゃうのは仕方ないよね。
心の中で密かに応援をしていると、ギリギリのところでカチローちゃんが勝利した。

嬉しそうに癒し隊の仲間と飛びまわるカチローちゃんが可愛すぎる。
私の視線に気づいたのか、カチローちゃんはその喜びを私にも伝えにきてくれた。


先輩!僕っ、僕勝ちました!」

「やったね、カチローちゃん!この合宿で練習頑張ってたもんね。」

「はい!…えへへ、嬉しいなぁ。」

「…おめでとう、カチローちゃん。」


そのあまりの小動物的可愛さに頬の筋肉がゆるむ。
我慢できずに頭をなでなでしてあげると、少し頬を赤らめてカチローちゃんが笑った。





「俺も勝ったんじゃけどなぁー。」





その時、後ろから急に現れたのは試合を終えた仁王君だった。
思いっきり私の背中に体重を預けて後ろから負ぶさる形で抱きついてきた仁王君。

顔をひきつらせたカチローちゃんが離れていく。
私も後ろから抱きつかれたまま動けずに完全に固まってしまう。
その様子を見て、ハギーは何も言わずに次の試合の準備を始めた。


「あ…ああああの…仁王君?」

「俺も勝ったんじゃけど。」

「そ、それはようござんした…。」

「…俺にはないんか?」

「え、何が?」

「あのガキんちょにはしとったじゃろ。」


ちょっともう仁王君の顔というか体温というか、何もかもが近すぎて辛い。
どうすればいいんですか、こんなの教科書(乙女ゲー)には載ってなかった。
がっちり固まる私をクスクスと笑いながら、覗きこむ仁王君は天然の色男なのでしょう。
ジロちゃんに抱きつかれるのとは訳が違う。完全にアダルティックな雰囲気だもん、どうしよう。


「…え、えっと…あの、なでなでしてたの?」

「そうじゃ。はよしんしゃい。」

「あ、あのでもこの体勢だと難しいというか…なんというか…。」


生きているとこんなご褒美もあるんだなぁ、なんて思う。
ゲームでも中々ないような、付き合っても居ない男子と密着するというご褒美イベントに
段々と頬が緩むのを感じていた矢先。








「仁王。」









一瞬にしてさっと血が引くのを感じた。
それほどまでに、あの声に反応してしまう自分はある意味すごいと思う。
姿を見なくても、声を聞くだけでその表情までわかる。


固まる私の耳元で、仁王君がソっと囁いた。


「…おでましじゃ。」

「…えっ?」





「何してるの、仁王。」



背後から近づいてくる声に、次は変な汗がとまらない。
心臓もバクバク脈打っているけど、そんなことおかまいなしに
仁王君はますます密着を深める。



「プリッ。」

「行くよ。」


冷たい声。そっと後ろを向いてみると、彼の目線は私ではなく仁王君に向けられていた。
絡みあうことのない視線に少し胸をなでおろしたけれど、
やっぱりもう前みたいに優しい笑顔の幸村君を見れないことに、少し寂しさを感じてしまう。



「…に、仁王君。呼ばれてるよ…?」


背後にいる仁王君に声をかけてみるけど返答はない。
確かに自分の肩のあたりに仁王君の顔はあるんだけど、
下手に振り向くとあまりにも距離が近すぎるので…それも出来ず…
ダラダラと汗を流しながら固まる私に、仁王君がとった行動は。



「…後でたっぷりしてもらうからの。」


唇が付くんじゃないかと言うほどの距離で、そんなことを耳元でささやかれては
腰がくだけるのも仕方ないと思う。い…いいいくらゲームで慣れてるからとはいえ…
へなへなと地面に座りこむ私に、仁王君が手を差し伸べようとした瞬間



「仁王。」

「………はいはいっと。」



厳しい口調の幸村君がそれを咎めた。
後ろを振り向いた時には、もう背中を向けてコートへと歩き出していた2人。
わけがわからず座りこむ私を心配そうにハギーが見つめていた。
































「…なぁ、あいつらが言ってた作戦って…。」


そしてその様子を別のコートから眺めていた氷帝陣。
自分の試合順を待つメンバーはコート脇のベンチに勢揃いしていた。


「なんか…めっちゃ単純やな。拍子抜けや。」

「…端的に言うと、幸村さんに…ヤキモチを妬かせようってこと…ですよね?」

「…それで幸村が気づくのかねぇ。あいつ、意外と頑固そうだもんな。」

「つーか、マジでのこと好きなんじゃね?さっきのだって、真田が飛び出すの抑えて自分が仁王のところ行ったもんな。」

「…むー…あんな作戦許さないC〜!」

「…まぁでも邪魔すんなって柳に釘刺されてるしな。」

「だけど俺はイヤなの!跡部もイヤでしょ?」

「………それで気が済むんならいいじゃねぇか。」


詰め寄るジローに、心底面倒くさそうな顔で答える跡部。


「…でもがあんだけデレデレしとんのはなんやイラっとするよなー。」

「それに、本気で幸村が告白とかしたらどうする!?のことだから普通にOKしちゃうんじゃね!?」

「……確かに、幸村さんのことを王子様と崇拝している時期も長かったですからね。」

「バーカ。幸村があいつのことをどう思っていようが関係ねぇんだよ、は氷帝のもんだ。誰が渡すかよ。」




















「…うっへー、ちゃんってモテるんだにゃ〜…。」

「あれ、立海の仁王先輩ッスよね。まぁ、先輩って親しみやすい感じですもんねー。」

「しかし、そんなが恋焦がれているのは不二…。フフ、面白い構図だな。」

「……さんって何だか一生懸命で応援したくなるもんね。」

「おりょ?まさか不二も…?」

「フフ、違うよ。ただ単純に応援したいだけ。」

「余裕だにゃ〜。あれ?おチビは?」

「越前は試合中ッスよ。集中力ゼロみたいッスけど。」


コート内では氷帝学園の日吉と、越前の試合が行われている最中だった。
精彩を欠く越前のショットに、リードを奪う日吉。
誰が見ても集中していない越前の気がかりは、恐らく。


































午前の練習がやっと終わった。

いつものように食堂へと移動したメンバーにご飯を配る係に任命された私と璃莉ちゃん。
里香ちゃんは、その隣でお味噌汁を配る係として働いている。


さーんっ!さっきの俺の試合見てくれてました!?」

「お、切原氏お疲れ様ー。ちょっとだけ見てたー、その後Bチームの試合のことで動いてたから見れなかったけど…。」

「ええー、俺が華麗に敵をぶちのめすとこ見てなかったんスかー。」

「ごめんね、試合というより切原氏の腹チラしか見てなかったんだー。」

「………。」

「あ、いや、大変素晴らしい腹筋であの、なんていうか…あ、違くて…、あの、ポロシャツで汗をぬぐう感じとか最高で…
 ちがっ、違うよ!?別に盗撮とかそんなんじゃなくて、見てただけだからね!何その疑いの目は!


「……っ…ふ…っふふ、どんな言い訳ッスかそれ。」


私の担当する炊飯器の前で机に手をつき、嬉しそうにぴょこぴょこ飛び跳ねる切原氏は
全国対抗可愛い後輩選手権があれば、間違いなく上位に食い込むレベルの可愛さです、何だその100点満点の笑顔。


その可愛さにつられて、お茶碗に山盛りご飯をよそってあげると、またもや破壊的な笑顔で席へと戻っていく。
自然と私も笑顔になってしまうのは、あの子のもつ光属性というか、天使属性がそうさせるのでしょう。

緩んだ頬のまま、次の人にご飯をよそって渡そうとすると、目の前にいたのは幸村君だった。
普通に…普通にしようとしても、どうしても顔が強張る。

…幸村君も何もしゃべらないし、表情もうっすら微笑んでいるだけで読めない。

この空気感に堪えられず何か喋ろうかとも思うけど、
柳君に止められてるし…。震えそうになる手を抑えながら、お茶碗を手渡すと
「ありがとう」と一言残して背を向ける。

…緊張で知らず知らずの内に息を止めてしまっていたみたいで
次に並んでいた跡部を見て、ホっと安心した。


「…何休んでんだ、早くしろよ。」

「…いや…あ!っていうか、あんたこっちに並びなさいよ!」

「アーン?何でだよ。」

「二列あるんだから、両方に分かれないと進まないでしょ。さ、こっちねー。はい、次の人ー。」

「…ッチ、なんだよ。」



隣にいた璃莉ちゃんにバチコーンっと大きなウインクをすると、
ものすごく嫌そうな顔をされたけど、渋々列を移動した跡部を前にすると
緊張からなのか、何なのか。可愛い乙女の顔になってるんだから、ふふ。


「あ、あの…どうぞ。」

「ああ。……おい。」

「は、はい!」

「…午後の練習は…」

「はい!聞いてます、準備もしてます!」

「……はっ、ちょっとはマシになってきたじゃねぇか、璃莉。」



いつもの俺様な態度に、全く似つかわしくない庶民的なお茶碗。
その姿を見て、つい噴出しそうになったけど
横にいる璃莉ちゃんを見ると、今にも爆発するんじゃないかと言うほどに顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。


「ちょ…り、璃莉ちゃん大丈夫?」

「い、…っ今、私の名前……跡部さんが…。」


私の手をギュっと握って、嬉しそうに目を潤ませる璃莉ちゃん。
…たった一言でここまで女の子を喜ばせるなんて、さすが跡部とでも言うべきか。
すぐ正気に戻ったのか、パっと手を離して「よ、余計なことしないで下さい!」
なんて言う璃莉ちゃんのことを、なんとなく放っとけないのは何でだろう。本当に可愛いんだから。












「赤也。」

「はい?なんスか?」


ガツガツとご飯を食べる切原の前に座った幸村。
その周りを取り囲む立海メンバーには目もくれず
切原だけを見つめる幸村に、ただならぬ空気を感じたのか
切原以外のメンバーは自然と箸を止める。



「……お昼ご飯が終わったら俺と試合だね。」

へ?!え……いや、え?午後は…普通の練習でしたよね…?」

「そうだっけ?」

「だ、だってさっき青学の奴と試合した…ばっかりですし…。」

「へぇ、あんな腑抜けた試合で満足してるの?」

「………。」

「いいよね、蓮二。午後の練習までには終わらせるから。」

「……ああ。」

「ちょっ…マジ…ッスかぁ〜…」


机にうなだれる切原と楽しそうに笑う幸村を見て、コソコソと話すその他メンバー。



「うへー…赤也マジ気の毒。」

「む…。何故だ?自分も疲れているはずなのに、後輩に稽古をつけてやろうというのだ。いい先輩じゃないか。」

「…だから真田は鈍いって言われるんじゃ。アレはどう見ても"稽古"なんて気持ちじゃないぜよ。」

「……どういうことだ?」



「…作戦は順調。地道な作戦だが、自ずと気持ちに気付くのもそろそろだろう。」



1人だけ首を傾げている真田に、他の皆が苦笑いを零した。