氷帝カンタータ





第29話 迷走ユートピア(8)





お昼ご飯が終わって、休憩時間もあと10分。
里香ちゃん、璃莉ちゃんは準備のために既にAチームのコートへ向かった。

私はというと、急遽午前の練習メニューが変わったことによって
準備の手間が省けてしまい、特にすることもなくおだやかな休憩時間を過ごしていた。

Aチームのコートが見える外のベンチでボーっと座っていると
まだ休憩時間だというのに、熱心にテニスラケットを振りまわす2人を見つけた。
切原氏に…幸村君だ。さっきまで試合してたばっかりなのに、練習熱心だなぁ。

その2人を見守るようにベンチには、弦一郎さん他立海のレギュラー陣が座っている。
だけどなんでだろう、幸村君を見ると前までは「カッコイイ!」なんて気持ちが浮かんできたのに
今では…何と言うか、罪悪感?苦手意識?色々と頭が考えてしまう…こんなのイヤだなぁ。

あと8分ぐらいかな、休憩時間。
目を閉じてふぅっとため息をついたその時。後ろの草むらからガサッと大きな音がした。
なんとなく振り向くと、そこには柳君がいた。


「…え…、どうしたの?」

「…が偵察をしているのが見えたからな。」

「偵察って…いや、ただ休憩してただけだよ。」


澄ました顔でベンチの隣に腰掛ける柳君。
…何となく「何を考えているんだろう」なんて思ってしまうのは、私らしくないな。
少し緊張しているのか、身体が強張る。



「…まだが俺を疑っている可能性、90%。」

「たかっ!い、…いや、60%ぐらいだよ…安心してよ…。」

「…ほう、まだ疑っているのか。」

「あっ…。……だって…仕方ないよ、柳君とか幸村君ってわかりにくいもん。」

「少しは信用して欲しいもんだな。何より俺はそこまでのことを気にしていない。」


クスッと笑いながらそんなこと言われると、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。
そ…そうだよね、私が思っている以上に私のことなんて他人は気にしてないよね…!
何も言えずに俯いていると、柳君が続けた。


「…試合が終わったな。」

「え?……あ、本当だ。すごいね、立海って。切原氏倒れ込んでるじゃん…超スパルタ。」

「精市の虫の居所が悪いようだからな。余計だろう。」

「へぇ…やっぱりどこの部活も部長って気分屋なんだね。跡部もねー、機嫌悪い時は超面倒くさいからね。」

「跡部が?」

「そうそう。機嫌悪い時とかは、話しかけても目合わせないんだよあいつ。何だかんだ子供なんだよねー。」

「……ッフ。」

「ん?どうしたの?」

「いや…精市と全く同じだと思ってな。」

「…え…えー、幸村君はそんなに子供じゃないでしょう…。しっかりしてるし…大人っぽいじゃん。」

「それは大きな間違いだな。本当のあいつは大人でも何でもない。」


コート内でドリンクを飲む幸村君。……やっぱり跡部と同じようには思えないけどなぁ。
柳君の言っている意味を理解しようと見つめていると、不意に幸村君と視線が合った。

急いで視線をはずし、無理矢理柳君の方を向いてみたけれど…だ、大丈夫だよね…気付かれてないよね…。


「や、柳君…幸村君こっち見てる?」

「…………いや?気づいてないようだが。」

「良かった…!今、一瞬目が合っちゃったかと思った。」


もしかしたらまた目が合うかもしれないという恐怖から、柳君から目を逸らさずにいると
柳君が急に目を抑えた。


「どうしたの?」

「いや…急に目が痛くなってな…。」

「大丈夫?ゴミ入ったんじゃない?見てあげるよ、手離して?」


ベンチから立ち上がり、柳君の顔を覗き込んだ。
手をはずしてこちらを見つめる柳君とばっちり目が合う。

……あれ、柳君の目って……そう言えばいつも瞼を閉じてる印象があるから見慣れないな…

取り合えず、鏡もないし…早く見つけてあげないと痛いだろうと思い
必死に目を覗きこんでいると背後から物凄い怒声が飛んできた。



「こっ…こらぁあ!何をしとるんだ、そこで!!!」

「わっ…び…びっくりした、何?」

「……弦一郎だろう。何を勘違いしたのか知らんがな。」


思わず振り向く私に、楽しそうに微笑む柳君。
柳君の推測通りそこには、こちらへとバタバタ走ってくる弦一郎さんがいた。

なんで弦一郎さんが鳥が飛び立つレベルの怒号をあげたのか全くわからない私は
ポカーンとそちらを見つめる。と、こちらを見ている幸村君と目が合ってしまった。


「っ……わ、私行くね、柳君!」

「ああ、無事でな。」

「ちょ…怖い言い方しないでよ!」

「早くしないと弦一郎に捕まるぞ。」

「い、いってきます!!!」















「蓮二。あそこで何してたの?」

「……ん?何のことだ?」

「とぼけないでよ、さっきさんといたでしょ。」

「……ああ、少しと話をしていた。」

「話してるだけで、どうしてあんな状況になるわけ?」

「あんな状況とは?」

「……蓮二。怒るよ?」

「……は精市の思惑通り、赤也のことを気に入っているようだぞ。」

「…え?」

「さっきの試合をあそこから見ていたが赤也のことを≪カッコイイし可愛いし大好き≫と言ってたな。」

「………。」

「良かったじゃないか、赤也があとひと押しすれば氷帝から引きぬけるかもしれないぞ。」

「……そう。それは良い報告だね。」































「「「「お疲れ様でしたー!!」」」」

「はい、お疲れー。明日も暑いらしいからきちんと睡眠はとるようにね。」

「「「「はい!!」」」」」


午後の練習が終了。
いつものように、ハギーが無駄にママっぽい言葉で締めてくれた。
いつもいつも癒されるなぁ、ハギーの過保護っぷりには…!
きっと性格的に面倒見がいいんだよね…。

部員に交じって、ハギーを生温かい目で見守っていると
人に穴をあけることができるぐらいの鋭い視線で睨まれてしまった。


「…きもちわる…。」

やめてよ!まだ何も言ってないのに、酷いよハギー!」

「どうせ≪私のこと心配してくれてるなんて…素敵!抱いて!≫とか思ってるんでしょ。」

「ちょっ、な、何言うのハギー!そそそ、そんなこと思ってないもん!」

「……っぷ、冗談。って変態の割にはこういうの苦手だよね。」

「まだ未成年なんだからそういう話は良くないと思います、私。」

「よく言うよ、日吉の裸写真撮ってこいって恐喝したのは誰だっけ?」

「ちがっ…み、見るだけだよ!想像するのは自由でしょ!」

「意味わかんない。」


こんな話をしながら、さりげなく片づけを手伝ってくれているハギーは
やっぱり氷帝のママだと思う。表情は完全に私のことを気持ち悪がっている様子なのが気になるけど
何だかんだ言って優しいんだからなぁ…。


ボールが入ったカゴを倉庫に入れて、最期の片づけが終了した。
鍵を閉めて、さて戻ろうかという時に青学の皆が集団で歩いているのを見かけた。
協調性をお母さんのお腹に置き忘れてきたハギーは、嫌そうな顔をして
避けて行こうとしてたけど…こんな機会でもないとお話しなんてできないし、仲良くしたらいいのになぁ。
取り合えずハギーについて行こうとすると、


「あ!っちー、お疲れさま!」


天使かと思うほどの笑顔で、大きく手を振る菊丸君。
つられて手を振り返している内に、そそくさと逃げ走るハギー。
あいっつ…本当に氷帝陣の人見知り癖はどうにかならないんだろうか。

ハギーを連れ戻すのも難しいだろうし、
折角なので青学陣に合流すると、菊丸君に不二君に手塚君。
そしてまだ話したことのない大石君がいた。


さん、お疲れ様。」

「みんなもお疲れ様!今日の晩御飯カレーだって、楽しみだねー。」

「わーお、マジで?俺カレー大好きだにゃ〜。」

「私も!今日ご飯係だから、菊丸君の分は多めに入れてあげるね!」

「えー、何で菊丸君?英二でいいよん。」


テクテクと歩きながら、そんな話をしていたのだけど
菊丸君が急に顔を覗きこんでくるもんだから、思わずこけそうになってしまった。

それを見て、すかさず背中に手を添えてくれる不二君の王子様っぷりに
顔が一気に赤くなったのは気付かれていないといいんだけどな。


「え…いや、でもほら…私達まだ付き合ってないでしょ?」

ぶっ!
な、なんでそんな話になんの?」


ゲラゲラと笑う菊丸君に、苦笑する大石君。
そしてその様子を無表情で見つめる手塚君は、特にこの話題に興味はない様子。


「だって…は、恥ずかしいじゃん!男の子のこと呼び捨てにするってなんか…ねぇ?」

「え〜、じゃあじゃあ俺が1番のり〜!ほらほら〜、呼んでみて?」

「ぐっ…。」


何なのこの無菌培養された天然天使は…!
なんていうか、男の子なのに可愛すぎる…!
ぴょこぴょこと私の目の前で跳ねまわる菊丸君の期待に応えたくて
勇気を振り絞った。


「え…えええ、え…英二……………くん。」

「あー!惜しいにゃ、っち!」

「も、もう勘弁してください…!」

「こら、英二。さん困ってるだろ。」

「えー、でもでも折角だから仲良くなりたいんだもーん。」

「ごめんな、さん。英二はいつもこうだから。」


苦笑しながらそう呟く大石君の声は、やっぱり想像通りの優しいものだった。
そんな大石君に対して英二君がプリプリと文句を言う光景が
とても微笑ましい。なんだこれ、3年生が集まってなんでこんなほんわかした空気なんだ。
普段とのギャップに悶えていると、不二君が口を開いた。


「でも不思議だな。」

「え?何が?」

「氷帝の皆は、しきりに≪はボブ・サップより強い≫とか言うんだけどさ…」

誰?私ちょっと今から討ち入りに行って来るからそれ言った奴教えてくれない?」

「…フフ、こんな可愛いのに。みんな不思議なこと言うな、って。」

「…………。」

「うわぁ〜、っち顔真っ赤!璃莉もこんな反応してくれたら可愛いのにね〜。」

「…え、璃莉ちゃん?璃莉ちゃんもよく顔真っ赤にしてない?」

「まっさか!あいつは鉄の女だにゃ…。」


怯えるそぶりをして、声をひそめる英二君。
私のよく見る璃莉ちゃんとは全く違った印象だな、それ…。

こんな素敵な3年生に囲まれて、可愛いだなんて言われたら昇天してしまうだろ、普通…。
現に今ちょっと意識失ってたし…大丈夫かな、白目とかになってなかったかな…。


「璃莉は跡部一筋だからね、今回の合宿で近づけて嬉しいんじゃないかな。」

「あぁー、そうだよね!目ウルウルさせて顔真っ赤にして跡部としゃべってるんだもん、可愛くてたまらないよね。」

「俺達には全くそんな可愛い顔見せてくれないんだよ!ずるいな〜、跡部。」

「当の跡部は、全く興味ないみたいだけどね。」

「でも、さんと跡部はとっても仲が良いよね?いいパートナーって感じがするな。」

「お…大石君、お言葉ですがそれは思いっきり勘違いで…間違っても跡部の前でそんな発言をしないように…。」


朗らかに爽やかに問題発言をぶちかます大石君にやんわり訂正を入れると
「ごっ、ごめん、踏み込んだ話題だったね!」なんて顔を赤くしている。
彼はまだわかっていないようだ…、ここで徹底的に訂正してあげないと
今後跡部の前で口をすべらせた大石君がどんな目にあうかわかったもんじゃない。
あの特徴的な前髪をぶち抜かれる危険性だってあるんだよ。


「大石君はさ、例えば好きな女の子に≪ああ、好きだ…大好きなあいつにブレーンバスターしたいとか思う?」

「へっ…え…女の子に?」

「うん、それとも≪あの子のことが好きだから、振り向いてもらうためにドロップキックしてやろっ★とか考える?」

「そ、それはさすがにないんじゃないかなぁ…。」

「だよね。好きな子…ましてや女の子にそんなことしないじゃん?技をかけたりするのって、少なくともムカツク奴に対してじゃん?」

「う…うーん、まぁ、女の子にそんなことしようとは…思わないかなぁ。」

「そんな極悪非道な事をノー躊躇で出来てしまうのが跡部という男なんだよ…。」


あまりにも鬼気迫る顔で話したのがいけなかったのか、英二君が軽く引いてる。
先程まで前を向いて素知らぬ顔をしていた手塚君まで、なんか心配そうに見てる。

大石君は納得してくれたのか、静かに頷いてそれ以上跡部の話題は出さなかった。
よかった、わかってくれて。また1人、哀れな被害者が増えるところだったよ。


そうこうしている内に宿に到着。
4人と別れて、部屋に向かう途中で廊下の自動販売機前にたたずむ幸村君がいた。
一瞬、息が止まりそうになる。

…幸い今はまだ気付かれていない様子なので、迂回して別の通路から部屋に戻ろうと
後ろを向いた瞬間、


、どこ行ってたの。早く食堂行こ。」


青学レギュラージャージに身を包んだお師匠様が、いた。

な…何故このタイミングで…!

っていうか…夕飯のお誘いに部屋まで来てくれるとか、どれだけ可愛いんだこの子…!
こんな状況じゃなかったら間違いなくニヤけてしまうところだけど、
今は冷や汗しか出ない。


「お、お師匠様…ありがと。ちょっと待ってね、着替えてくるから…。」

「じゃあ早く部屋行きなよ、ついてってあげる。」

「は…はぁ、ありがたいです…。」


この流れはどうしても幸村君の前を突っ切らないといけない流れだ…。
だって、迂回するのもおかしいし絶対こっちに気付いてると思うし…。

意を決して部屋への道を振り返ると、片手にペットボトルを持って
真っ直ぐこちらを見つめる幸村君がいて、やっぱり心臓が止まりそうになった。

「早く」と急かすお師匠様に背中を押され、恐る恐る幸村君の前を通り過ぎる。
幸村君が目の前まで来た時、ついヘラっと愛想笑いをしてしまったのだけど
怖いほどの無表情で、正直何か色々漏らすかと思った。あんな表情向けられる立海陣は
相当鍛えられているんだろうな、跡部の何倍も怖いよ。

取り合えず修羅場は乗り越えた!
なんとか部屋の前まで辿り着いてホっと一息つく。
ドアを開いて部屋に入ろうとした時、修羅場はまだ終わっていなかったことに気付かされる。


「待ちなよ。」


聞こえたのは間違いなく幸村君の声。
もう半分部屋に入っていた私は、そのまま思いっきりドアを閉めてしまいたかったけど
まだお師匠様が部屋に入りきっておらず、そういう訳にも行かなくなってしまった。


「……何?」

「…何って。何で普通に一緒に部屋に入ろうとしてるの?」



心底面倒くさそうな顔で幸村君がいるであろう方向を睨むお師匠様。
…この子、本当怖いもの知らずなんだろうなぁ。若さ故…かなぁ…。
出来ればこのままドアを閉めてしまって、外でなんとかこの場を収めてくれないだろうか
なんて考えが一瞬浮かんだけど…、駄目だ。この雰囲気は間違いなく
ややこしいことになる雰囲気だもん、お師匠様を放っておけないよ。

足音が止まったかと思うと、すぐそこまで来ていた幸村君。
部屋の中から2人を見つめながらどうやってこの場を乗り切ろうかと頭をフル回転しているところに
お師匠様がまた空気の読めない発言をした。


「別にアンタに関係ないでしょ?」

さん、今から着替えるんでしょ?ぼうやが入る必要ないよね。」

「あ、…えっとそうだよね!ゴメンお師匠様、私速攻で着替えて「今更じゃん、。」

「……へ?」


ニヤリと、悪い笑顔を見せるお師匠様が何を考えているのかはわからないけど
一刻もこの場から立ち去りたいと思いました。空気が凍っているよ…何なのこれ…。
お師匠様のイタズラな挑発に、幸村君は明らかに不機嫌になっているようだった。

とにかく、これ以上お師匠様を野放しにしているとマズイと思い
口を手のひらで防ぐという原始的な実力行使に出ようとすると…



「だって…、俺はの裸だって見てるんだし。」


「「は?」」


思わず幸村君と声がかぶってしまった。
いや…いや、なっ何言ってんのこの子!


「ちょっ、何言ってんのお師匠様!」

「見たもん。」

「いやいや…あれは下着だったじゃん!裸じゃない…っよ……」


必死に言いかけて気づく。
冷たい視線に。
ダラダラと汗が噴き出す。

壊れたロボットのように、少しづつ首を持ち上げると
そこには怖いほど無表情の幸村君がいた。


「ちが…えー、と色々語弊がありましたが…。」

「っていうか…アンタ、のこと嫌いなんでしょ?放っとけば?」

「っ…。」

「おっ、お師匠様取り合えず中に!ゆ、幸村君また後でね!」


バタンッ



勢いで扉を閉めてしまったけど、
色々頭が混乱している。そんな中でも、
ドアの内側で何故かご立腹のお師匠様に聞きたいことが1つ。



「……誰からその話聞いたの?」

「何が?」

「その…幸村君が私のことを嫌ってるって…。」




「誰にでもいい顔してる子って嫌いなんだよね」



あの時の言葉が頭の中で再生される。
どうしようもないことだけど、胸が痛くなるのは
やっぱり私、まだ幸村君と友達でいたかったのかな。


「別に誰でもいいでしょ、の敵が一々絡んでくるのがムカついただけ。」

「敵って…別にそんなんじゃ…。」

「そんなこといいから、早く着替えてよ。お腹空いた。」

「あ、ごめんね。じゃあちょっと着替えるね。」


本当はもっと追究したいところだけど、
あまりにもお師匠様が嫌そうな顔をするから、それ以上聞けなかった。

荷物から着替えを取り出し、トイレに入ろうとすると
お師匠様に呼び止められる。


「なんでトイレ行くの?」

「へ?…だってお師匠様がいるから…。」

「いいよ、目閉じてるからさっさと着替えたら?」

「えっ…は、はい。」


威圧的な言葉に一瞬怯むけど、
お師匠様は素直に目を閉じて腕を組んで立っている。

…か、可愛い…。
本当に目を開けていないかどうか確かめようと近づいてみるけど、
特に何も言う様子がないということは本当に見えていないんだろう。

あー…でも惜しいなぁ、こんな無防備で可愛いお師匠様
滅多に見れないもんなぁ…。よし…、撮っとこう。
もったいないよね、こんな絶好の機会を逃すなんて。

据え膳食わぬは男の恥!ということで、携帯を構えた瞬間
そこにはパッチリと可愛いおめめを見開いているお師匠様が。




「……………何してるの。」

「はっ…いや、あの、待ち受けがぞっいや、その…まつ毛長いなって…いや…」

「着替えないなら、俺が着替えさせてあげようか?」


怒られると思いきや、お師匠様は楽しそうにニヤっと微笑んで
私の腕を掴んだ。まだ中学1年生なのにそんな破廉恥な発言をするなんて何事か!


「こ、こら!駄目だよ、お師匠様。誰から教わったの、そんな発言。」

「……不二先輩。」

「嘘でしょ、何それちょっと詳しく聞かせて欲しいんだけどどういうタイミングでそういう発言をしたとか何か言ってた?」

「……何で不二先輩だとそんなに食いつくの、必死すぎるんだけど。


お師匠様に掴まれた両腕を振り払い、逆に私が両肩を掴み詰め寄ったのがいけなかったのか
明らかに引いている中学生男子。…落ち着け、清純派な私の印象が台無しじゃない、これじゃ…。


「な、なーんてね。とにかくすぐ着替えてくるから待ってて!」

「…意外とガード堅いんだ。」































約束通り英二君にてんこもりカレーを盛り付けてあげると、
「ありがとー!」とキラキラ笑顔でお礼を言ってくれた。
うわぁ、癒される…。その後ろに並んでいる忍足がもうなんか枯れ木に見えるレベルの光を放ってる。


「…なんやねん、そのニヤけた顔は。キモイわぁ。」

「っく…ほらよ。あんたに食わせる飯はこれだけよ。」

「ふざけんなや、なんやねんコレお供え物でももうちょっと飯入ってんぞ。」

「あんたの敗因は大きな勘違いをしたことね…。この食堂内で最も権力を持つのは配給係だということよ!」


高らかに宣言する私を、スルーしてすすっと隣の列に移った忍足。
どうするのか見ていると、隣の里香ちゃんに見たこともない笑顔を向けて
「里香ちゃんに入れてもらえる飯は美味しいわぁ。」なんて薄気味悪いセリフを呟いていた。

ちくしょう…物凄く抗議したいけど、取り合えず配給係という職務を全うしなければ…。

次に並んでいた切原氏からお皿を受け取り、ご飯を盛り付けていたのだけど
…どうも様子がおかしい。何故か口を手で塞ぎ、目で何かを訴えている。


「…切原氏、どうしたの?」

「………。」

「え、何?」


大きな目を更に見開き、しきりに後ろに視線をやる切原氏。
しゃべれないその状況がよくわかんないけど…
後ろに何かあるのかと思って覗きこむと、笑顔で並ぶ幸村君が見えた。

……うん、なんかわかんないけど関わらないでおこう。

スッとお皿を渡すと、そそくさと逃げるように場を後にした切原氏。
幸村君に背中から銃でも付きつけられてたのかと思うほどの緊張感だったな…。


さん。」

「…え、はい。」

「この後、少し時間貰えないかな。」

「………わかった。」

「ありがと、じゃあ部屋で待ってるね。」

「…うん。…うん、え?へ、部屋?それは…!」


それだけ言い捨てて、颯爽とカレーを運ぶ幸村君。
そんな庶民的なお皿とカレーでも神の食べ物に見えるのはやっぱりオーラなのかな。

つい頷いてしまったけど、何それ、部屋って…。
そんな個室空間で今の幸村君と二人きりって…わ、私、生命を途絶えさせられるんじゃないか…
さっき切原氏が涙目で訴えていたのは「幸村部長に殺されます、早く逃げてください!」というメッセージだったのか…
どうしよう、ヤバイ…!柳君にも幸村君に近づくなって言われてたし…。
誰かに相談しようかな…怖い…。

でも、ここで誰かを連れていったりしたら…
なんとなくだけど、幸村君ときっちり話しが出来ない気がする。

もうどうせ最悪の状態なんだ。私の好感度なんてとっくに底をついてるはずだもん、なるようになれ。
それに…いつまでもビビってるのも性に合わないし。


受けて立ってやるわ。


気合いを入れるために、しゃもじを我武者羅に働かせていると
次に並んでいた大石君のお皿にご飯がてんこ盛りになってしまって、苦笑された。




























お風呂にも入った。

髪の毛も乾かした。

もしもの時の為に、携帯も持った。

何があっても負けないために気合いも十分。


「……臨!兵!闘!者!皆!陣!烈!在!前!はっ!」

「おい、公衆の面前で気持ち悪ぃことしてんじゃねぇ。」

「うわ!……ちょっと、何?今気合い入れてるとこなんだけど。」

「目立ちすぎなんだよ、第一何のために気合い入れてんだこんな時間に。」


お風呂帰りであろう跡部がものすごく怪訝な顔で私を睨む。
確かに廊下のど真ん中でこんなことをしている私はどう見ても怪しい。

…これはゲームで学んだ「九字」で…護身用の呪文で…等ともごもご言う私に
痺れを切らしたのか、思いっきりチョップをする跡部。


「……………。」

「…な、何よ。」

「…何かあったら呼べ。」

「え…。」

「どうせ、ここに用事があんだろ。」


跡部が指で示した方向には、幸村君の待つ部屋のドア。
…何でわかったんだろう、誰にも言ってないはずなのに。


「何で知ってんの?」

「さぁな。」

「……行ってくるね。」

「…お前の腕ひしぎ十字固めがあれば大丈夫だろ。」

「しないわよ!……こんなモヤモヤしたの嫌だし、きっちり決着つけてくるよ。」


それを聞くと、跡部はフっと笑って歩き去った。
…あ、ちょっと緊張が解けたかも。





コンコンッ



「……入って。」

「…お邪魔します。」




扉を開けると、そこにはもうすっかり就寝の準備中だった幸村君。
布団が敷かれた部屋の奥にある、窓際の椅子で読書をしていたのだろうか。
パタンと本を閉じ、こちらに向き直る幸村君にやっぱり緊張するけど…


「話って…何かな。」

「……そんな怖い顔しなくてもいいのに。」


フフっと笑う幸村君が立ちあがる。


「…ちょっと散歩でもしよっか。」

「へ…。」

「部屋だと、誰に聞かれてるかわからないしね。」


幸村君がそう言った瞬間、先程閉じたドアの外で
バタバタと数人の足音が聞こえた。
………え、誰かいたんだ…?

玄関で靴をはいた幸村君に連れられて、私達は宿の外へと向かった。











「今日は星が綺麗だね。」

「………ねぇ、幸村君。」

「ん?」

「私…、氷帝を裏切ったりしないよ。」

「………へぇ。」


いつまでもこんな蛇の生殺し状態は耐えきれない。
本題に思い切って触れると、先程まで笑っていた幸村君の顔が急に真剣になった。

ここで怯んじゃダメだ。ちゃんと思いを伝えないと。


「そ、それに幸村君の推測は間違ってるよ。私が氷帝から抜けようが抜けまいがあいつらは変わらない。」

「…それはどうかな。」

「変わらないよ、いくらなんでもそれは真剣にやってるあいつらに失礼だと思う…し。」

「……そっか。」

「そう…だよ。」


不意に訪れる沈黙。虫の声がやけに耳に響く。
幸村君はというと、暗くて表情がよく見えないけど…
思っていたよりも穏やかな声色だった。


「そ、それを言いたかっただけだから。私のことはどう思ってくれてもいいけど、
 あいつらのことを…み、見くびらないで欲しい。」


1つ嘘をついた。

私のことはどう思ってくれてもいい、なんて強がってみたけど
本当に1番傷ついた部分はそこだった。
友達に直接「嫌い」だなんて言われることに慣れていなかった私の心は
思っている以上にナイーブだったらしい。
いつまでもあの時の状況と幸村君の声が頭にこびりついて離れない。

だけど、じゃあ、私のことを嫌わないで、なんて言ったってそう簡単にいくもんじゃない。
信頼を失っているのであれば、頑張って取り戻さない限りはそんな虫のいいこと言えない。

その第一歩として、私はもう幸村君に対して一歩も引かないことに決めた。
友達ってこんなにビクビクしたり、疑い合うものじゃないって思うから。




幸村君は空をずっと眺めていた。
私の言葉は届いているのかわからない。


「それと…、私は幸村君のこと友達だって思ってるから。
 今まで演技で仲良くしてくれただけかもしれないけど…それでも、私は嬉しかったし
 幸村君の優しい笑顔とか…嘘だったって思いたくないし…。」


「それに、テニスしてる幸村君のことこれからも応援したいし…」


自分が何を言ってるのかわからなくなってきた。
地面を見てボソボソと呟く私を幸村君がどう思ってるのかなんかわからないけど、
とにかく言いたいことは言わないと…

そう思って、言葉を続けようとした。



顔をあげると、すぐそこに幸村君がいて




その表情が、何だか余裕がないように見えた。



「……赤也のこと応援してたのに?」

「……え?」

「…今日のお昼。蓮二が言ってたよ。さんが赤也の事カッコイイとか、大好きとか言ってたって。」

「ふぉっ…え…何それ、柳君の幻聴だよ…そんなこと言ってないもん…!」


ジリジリとこちらに迫ってくる幸村君の声は、とても静かだけど苛立っているのがわかる。
…さっきまでの落ち着きはどこへ放り出してしまったのだろうか。


「それに…さんは無防備すぎる。」

「え…と。」

「何で平気で男を部屋に入れるの?それに下着姿を見られたって何?付き合ってるの?」

「いや…ちょっ、待って…あの付き合ってるとかじゃなくて、ただのハプニングで…。」


ドンッと背中に痛みを感じた時にはもう逃げ場はなかった。
暗闇の中、いつの間にか壁に追いやられていた私の士気は完全に下がっていた。

ヤバイ、やっぱり幸村君超怖い。

やっぱり誰か呼んで仲裁してもらおうか…とポケットの携帯に手を伸ばそうとした瞬間、
両手を壁に抑えつけられてしまう。その力は思った以上に強くて、
腕ひしぎ十字固めなんて、とてもじゃないけど技に持ち込めそうになかった。

うろたえる私を見て、クスっと笑った幸村君の笑顔は決して優しいものじゃなくて
何ていうんだろう……。嘲笑っているかのような居心地の悪さを感じた。


「男に言いよられてヘラヘラしてるのも理解できない。」

「………。」

「他の奴等と楽しそうに話してるのも嫌だ。」

「………。」

「…でも…俺のことを避けるようになったのが…1番許せない。」


笑顔が一転して、急に泣きそうな顔になる幸村君に思考が追いつかない。
まるで子供が駄々をこねるようなその言い方に、戸惑ってしまう。
……幸村君って、こんなに余裕のない感じ…だっけ?


「だ…だって…。」

「だって…何?」

「……いくら私でもストレートに嫌い、なんて言われたら…辛いよ。」

「………うん…。嫌いなはずなんだけどな。俺のことを見てくれないさんなんて。」

「………。」

「でも…気になるんだ、君がどこで…何をしてるのか。」


スっと顔を近づける幸村君の後ろに星がきらめいている。
目が暗闇に慣れてきたのか、幸村君の顔もはっきりと認識できるようになってきた。
綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。
依然として壁に押し付けられている腕に、ギリっと力が込められた。


「…さんのこと、もっと知りたい。…それと………ごめん。」

「……幸村君…。」

「負けるのが嫌で…自分から戦いを降りたつもりだったけど…やっぱり駄目みたいだ。」


幸村君が何の話をしているのか、よくわからないけど
見たことのない表情で語る幸村君は、今までよりもっと…何ていうんだろう、身近に感じる。
本心で語っているんだろうな、っていうその表情に少しづつ心も落ち着いてきた。


「嫌いだなんて言ったこと……、格好悪いけど…撤回させてくれないかな。」

「……わかった。……もう、忘れる。…今こうして目の前で、話してくれる幸村君を私は信じたいよ。」


一瞬の沈黙の後、どちらからともなくプっと噴出した。
…なんか、今までのあの緊張感は何だったんだっていうぐらい…この状況がおかしくてたまらなかった。


「…フフッ、良かった。幸村君にリンチされるんじゃないかって思って、こんなものまで持ってたのに。」

「……何それ、メリケンサック?本当よくわかんないね、さんって…っふふ。」

「だって…へへっ、でも良かった。仲直り出来て。」

「……そのことなんだけど。」


解放されたと思った両腕。今度は両手をギュッと握られた。


「俺は友達でいる気なんてないんだけどね。」

「……えっ…。」

「…っプ…ふっ…ふふ、なんでそんな怯えた表情になるの?どういう意味かわからない?」

「…え、い、今仲直りしたのに…。やっぱりお前なんかウゼェんだよ、カス…ってこと?」

「………なんでそうなるかな。…言ってもわからないなら、仕方ないね。」


そう言って、グイっと両手を引っ張られたかと思うと
次の瞬間に私の身体はすっぽりと幸村君の腕の中におさまっていた。


「へっ…ちょ、幸村く…」





チュッ






腕の中でなんとか幸村君を見上げたその瞬間
頬に触れた柔らかい感触に、完全にフリーズする。


「……こういうことだよ。」


何が楽しいのか、クスクスと笑う幸村君に耳元でそう囁かれて
止まっていた全身の血が頭に駆け巡ってきた。





「そ、そこまでッス、幸村部長!!」

「幸村!!が、ががっ合宿中だぞ、何をしている!」




静かな夜に響き渡る叫び声に思わず振り向くと、
そこには切原氏、弦一郎さんをはじめとする立海メンバーが勢揃いしていた。


……まっ、まさか今の…見て…っ?!




「ちっ、ちが…「みんな、覗き見なんて趣味悪いね。」

「…楽しそうだな、精市。」

「……蓮二の言うとおり、心に暗示をかけすぎてたみたいだ。今はとってもスッキりしてるよ。」

「あ、あのー…幸村君ちょっと離していただいてもよろしいでしょうか?」

「何で?」


何で?って…その純真無垢みたいな表情やめてもらえませんかね…ズルイだろ…!
元々私は幸村君みたいな美しい人間に弱いってわかっててさぁ…ズルイでしょ…!

軽く悶える私を、救い出してくれたのは焦った表情の切原氏だった。


「だ、大丈夫ッスか!」

「う、うん…ちょっと現実と天国の狭間辺りでふらついてたけど…」

「…赤也。」

「ひっ…!い、いいいくら幸村部長でもダメっすよ、抜け駆けは!」

「抜け駆け?俺の見てないところで、さんと楽しそうに話してた赤也こそ、抜け駆けじゃないの?」

「お、俺は普通に話してただけで…そんな抱きしめたりとか…っしてないッスもん…!」

「≪普通に話す≫のが気に入らないって言ってるんだよ。わかんない?」


果敢に噛みつく切原氏の顔がサァっと青くなるのを間近で見てしまった。

……わかる…、わかるよ…確かに幸村君が言ってる内容はハチャメチャだと思う。
この幸村君の一連の発言が私に関することだなんて、信じられないけど…

…幸村君の笑顔はとても楽しそうだ。





さん。」

「ひゃいっ…、あ、は、はい!」

「…今は友達でいてあげるけど…覚悟しててね。」





フフっと笑う幸村君の表情が綺麗すぎて、腰がくだけそう。


……神様、こんな素敵なイベントを恵んでくださりありがとうございます。


 、一生分のトキメキを補充させていただきました。





何はともあれ、案外あっさりとお互いのしがらみが解けたことに安心したのか


その夜はとってもよく眠れました。