氷帝カンタータ
第32話 気まぐれkindness
「…、なんか顔赤くない?」
「……へ…、そう?今どっちかというと寒いけど…。」
「えー、そんな寒くないよ今日。…あ、ちゃんもしかして…。」
土曜日の午前練習が終わった。
今日は朝起きた時からなんとなく身体が重かった気がする。
きっと、昨日の部活帰りに跡部と喧嘩してジャイアントスイングをきめられたからだと思ってた。
太陽の光を浴びれば、すぐに治るだろうと思って気にしてなかったけど、
部活が終わった今。時折頭がフラつくし、時々震える程寒い。
いつもはこの時間には汗までかいてるぐらいなのに、今日はジャージを着た上にブランケットをかけても寒い。
部誌を書きながら、少しの間目を閉じていると
いつの間にか隣に座っていたがっくんが、私の顔を覗き込んでいた。
顔が赤いというので、手のひらで自分の頬を触ってみたけど特に何も感じない。
さっき片づけをしている時に、倉庫とコートを何往復かしてたから、汗かいちゃったのかなと思っていると
ジロちゃんがゴチンとおでこをぶつけてきた。
「…いたい。」
「うわー、ちゃん熱い。熱出てるよー。」
「マジかよ。……うわ、本当だ。」
続いてがっくんが私のおでこに手をあてた。
ペタペタと私の顔を触って体温を確認しているらしいジロちゃんにも、がっくんにも
今は何故だかあんまり反応できなかった。とにかく身体が重くて寒い。
「おーい!侑士、救急箱の体温計とってー。」
「……なんや、熱か?」
「なんかが熱いんだよ。」
「大丈夫ですか、先輩…?」
がっくんの一声で、部室内にいた皆の視線が私に集中する。
着替えを終えて帰るところだったはずのちょたや宍戸も戻ってきた。
「ほら、体温計。測ってみ。」
「…ありがと。」
部室に置いてある救急箱ごと持ってきて、体温計を取り出してくれた忍足。
まさかこの救急箱を自分が使う日がくるとは思ってなかった。
みんなが見守る中、体温を測っていると部室のドアが開いた。
「…何してんだ、そんなところに集まって。」
「跡部。なんか、が熱あるらしいんだよ。」
「……熱?」
ついに跡部にも気づかれた。
いつの間にか完全に包囲されてしまっている。
こんなに見守られながら体温を測るとか、なんかプレッシャーを感じるな…。
ピピピ……
「…お、鳴ったな。見せてみろ。……うわっ!」
スっと私の手から体温計を抜き取ったがっくんが、突然叫び声をあげた。
…まだ私も見てないのに。
「お前…、39度ちかくあるじゃん!」
「…さっきまで普通にボールとか拾ってたけど…そんなに熱あったのかよ。」
「……インフルエンザだとまずいですね。」
39度…。そんなに熱が上がったの久々だなぁ。
呑気にそんなことを考えていると、ぴよちゃんさまの声が耳に届いた。
……インフルエンザ…。それは確かにみんなにうつるかもしれないしヤバイ。
「…ごめん、ちょっと今から…病院行ってくるよ。」
「あ、俺ついていきますよ。」
「心配だから俺も行く〜!」
パタンと部誌を閉じて、椅子から立ち上がるとさっきよりも身体が重くなっているような気がした。
荷物を持とうとすると、それをスっとちょたが遮る。
私の鞄をひょいと肩にかけて、心配そうにしているちょたにありがとうと伝えると
ジロちゃんが優しく私の手を取って歩き始めた。
…………なんかみんなが優しくて気持ち悪い。
…いや、ジロちゃんもちょたがいつも優しいのはわかるんだけど、
がっくんや忍足、果ては跡部までが何かちょっと顔をしかめながら私を見守ってる。
普段ならここで「体調管理が出来てねぇんだよ」ぐらいの鬼の一言を放ちそうなのに…。
…まぁ、でもそんなこと言われたとしても今の私の頭じゃ対処できる気がしない。
段々と寒気も増してきて、いよいよ震えが出始めた。
「……皆、ありがと。でも大丈夫、うつると危ないからね。」
「でも、病院まで1人でなんて……。」
「…ああ。わかった、そこでいい。……、行くぞ。」
心配してくれるのは嬉しいけど、皆に風邪がうつったりしたらとんでもない。
なんとか心配を払拭できるように、精一杯笑顔を作って見せると
部屋の端で電話をしていた跡部が声をあげた。
「行くって…?」
「迎えの車を呼んだ。病院まで連れていく。」
「…うそ。あ、ありがとう。」
「じゃあ、行きましょうか。」
「鳳、の荷物は預かる。」
「え?でも……。」
「…大勢で行っても一緒だろうが。それにもしインフルエンザだった場合を考えると付き添いは少ない方がいい。」
いつになく真剣に跡部が言うもんだから、皆がシンと静まる。
…確かに跡部の言う通りなんだけど、それを言うなら…
「跡部、ありがとう。でもそれは…跡部も一緒だよ。うつしたくないから…タクシーで行くことにする。」
「……ごときの風邪が俺にうつる訳ないだろうが。」
…私の熱が上がってるから跡部の言葉が理解できないんだろうか…?
目の前で自信満々で腕を組む跡部に、今の私は何も言えなかった。
でも、やっぱり私の疑問は間違っていなかったらしく
跡部の言葉を聞いて、皆がじわじわと笑い始めた。
「ぶふっ!なんだよ、その理論!」
「…まぁ、でも跡部の言うことが正しいわ。取り敢えずはよ病院連れて行かな。」
「あぁ。行くぞ。」
ちょたから私の鞄を受け取り、部室のドアを開ける跡部。
…やっぱり今は1人で病院に行った方がいい気がするけど、
ちょっとそれも難しいかもしれないぐらい、寒気がする。
…ここは素直に甘えさせてもらおう。
時折後ろを振り返りながらズンズンと歩いていく跡部についていくと、
校門の前に、いつものリムジンが停まっていた。
そんなに私が弱っているのが珍しいのか、
部室からここまで見送りにきてくれた皆に、思わず笑いそうになった。
心配そうな顔をする皆に、大丈夫だと手を振ると
跡部の合図でリムジンが発車した。
「……ん…何?」
「今、熱が上がってるところだ。体温を逃がさないように暖かくしとけ。」
「……うん、あ、ありがとう。」
ジャージを着て縮こまっている私に、自分の着ていた制服をかけてくれた跡部に
思わず目玉が飛び出そうになる。…な、なんだこの好待遇…。
…私、熱が高すぎて今夢でも見てるんだろうか。
眉間に皺を寄せた跡部がじっと私を見ている。
「……跡部が優しいとなんか気持ち悪いね…。」
「いつも通りぶっ飛ばして欲しいのか。」
心の声がそのまま外に出てしまったらしい。
いつもなら喧嘩になってもおかしくない台詞だったけど、
熱が上がりきったのか、段々と意識が朦朧としてきた私は
自分の身体を抱きしめながら動くことが出来なかった。
しばらく目を閉じていると、いつの間にか病院についたようで
跡部が「歩けるか?」と聞いてくれた。
その声がまた怖い程に優しかった。
「…インフルエンザではないようですね。ただ熱が高いので、薬を飲んで安静にして下さい。」
お医者さんの一言に、ホっと胸をなで下ろす。
診察室の外で、腕を組みながら難しい顔をした跡部にただの風邪だと伝えると、
跡部の表情が少し緩んだように見えた。
・
・
・
「そんなこと言いながら…私の寝こみをどうにかしようって気なんでしょ…」
「あと3度お前の熱が低かったら、今すぐボディブローが炸裂してるところだ。命拾いしたな。」
「……この通り、本当大丈夫だから!今までも風邪ひいたことあるし…。」
病院からの帰り道。
今私は、病院で薬も貰って、家で安静にしていようと思っていたら
跡部が「俺の家で寝てろ」とか過保護すぎる提案をしてくれたので、それを全力で断っているところです。
初孫が熱を出したレベルの過保護さにどう対処していいのかわからない。
今、発揮している優しさを2%でいいから普段の私への対応に配分してくれないかな…。
「たぶん、他の人の家だと…緊張して眠れなさそうだし…あと、ほら。着替えとかも全部自宅にあるから…。」
「……何かあったらすぐ連絡しろ。」
「…あ、ありがと。」
さすがにここまで心配されると、色々通り越して恥ずかしい。
普段との態度にギャップがありすぎて、うっかりトキめいてしまいそうなほど。
…たぶん熱があがってるんだろうな。
「あ、やっと帰ってきた。大丈夫か?」
「ちゃん、良かったね!インフルエンザじゃなくて!」
「……な、何してるの?」
跡部のリムジンに別れを告げ、足早に自宅へと戻ってみると
玄関の前にいたのは、がっくん、宍戸、ジロちゃんだった。
「その熱じゃ色々大変だろうと思って来てやったんだよ。」
「ほら、早く入ろう。安静にして寝ないとね!」
「ま、待って待って!ダメだよ、風邪がうつるから!」
「大丈夫だって!ほら、俺達ちゃんとマスクしてんだろ?」
ふふんと声が聞こえそうな程誇らしげな3人に、ポカンと口を開くことしか出来ない。
…いや、何よりまず…なんで普段は、人が跡部との戦いの中で地面に無残に投げ捨てられようが、
およそ女子の持てる量ではないレベルの荷物運びをさせられていようが、
悪魔のようにケラケラ笑ってるくせに、ちょっと風邪を引いただけでここまで過保護になるんですか…。
わからない…みんなの倫理観の境界線がわからない…!
「それに跡部にもちゃんと言ったぞ、見舞いに行くからって。」
「……へ?そうなの?」
「うん!そしたらね、ちゃんとマスクしていけよって!」
「っつか早く入ろうぜ。また熱上がるぞ。」
「う、うん…。」
「ちゃん、パジャマどこー?」
「え、パジャマ?…その棚の中だけど…。」
「えーと、これか!はい、じゃあお着替えしましょうね〜。」
「あれ…私がおかしいのかな…?え…私達、思春期の男女だったよね…?」
部屋に入ると、慣れた様子でリビングへと向かう皆。
私はというと、やっと落ち着ける自宅に帰ってきたという安心感で少しだけ身体の緊張が解けた。
荷物を置いて、適当に何か食べて薬を飲んで寝る。それで、大体熱は下がるはず。
自分の部屋へ入って着替えようとしていると、リビングにいるはずのジロちゃんが一緒に部屋に入ってきていた。
「ちゃん、辛くて着替えできないでしょ?」
「い、いや、大丈夫だからね!ありがと、ジロちゃん。着替えぐらいはできるからね!」
「……俺の事疑ってるんだ。」
「…えっと…?」
「俺がちゃんのこと、エッチな目で見ると思ってるんでしょ!」
「あのー…あの、うん…え…っと、そうだね…。うん。」
「そんな訳ないじゃん!」
「…………。」
「俺、おじいちゃんが風邪引いたときに着替え手伝ってあげたことあるから大丈夫だもん!」
「…………ダメだ、なんか今熱が10度ぐらい上がった気がする…。」
ぴちぴち女子中学生の私の着替えシーンが、祖父と同じ扱いなのか…!
目の前で、おそらく本気で私の身を案じて着替えを手伝うと主張してくれているらしいジロちゃんを
温かい笑顔で見守りながらも、たぶん熱がすっかり引いたら間違いなく私はジロちゃんを殴り飛ばしてしまうな、そんなことを考えていた。
「あ、ジロー!何してんだよ。着替えるんだろ。」
「うん、だから俺手伝ってあげるって言ってるのに…。」
「やめとけ!風邪で弱ってるとはいえ相手はだぞ。」
「そうだぞ、ジロー。それよりこっち手伝え。」
「わかったー。じゃあちゃん、ちゃんと着替えてねー。」
バタン
やってきたがっくんと宍戸が、ジロちゃんを引きずるように出ていった。
閉じられた扉をぼんやりと見つめ、熱の所為でもやっとする頭で考えた。
………なんか、がっくん左手に卵持ってたな…。
宍戸はエプロンしてたな…。
……さっきから部屋の外が騒がしいな…。
このあたりで、私は考えることをやめて
ベッドに倒れるように横たわった。
「…なんか、こうして見てると…なのにじゃないみたいだな。」
「うん…。ちゃんの元気な顔はもう見られないのかな…。」
「……惜しい奴を失くしたよな…。」
耳元でかすかに聞こえた会話。
目を開けてみると、ジロちゃん達3人が私の顔を覗き込んでいた。
…なんか今、私が天に召された設定で話してなかったか?
「…あれ、私寝てた?」
「ちょっとだけだよ、まだ今18時30分だもん。」
「飯出来たけど、リビングまで行けるか?」
「……ご飯…。作ってくれたの?」
「3人で作ったんだよ!食べれそう?」
「…うん、ありがとう。」
寝起きだからなのか頭がボーっとしてるけど、
さっきより寒くはない。これは熱が上がりきったのかな…。
そういえばまだ薬も飲んでなかった。
あんまり食欲はないけど、何か食べないと元気になれない。
きっと1人だったら、疲れてそのまま寝ちゃってただろうな。
こんな時にご飯を作ってくれる友人がいて、私は本当に幸せ者だ。
「…わぁ、たまご雑炊だ。」
「へへ、中々おいしく出来てると思うぜ。」
パジャマの上にブランケットを羽織り、リビングへと行ってみると
テーブルに4つのお皿が準備されていた。
がっくんに促されて席に座ってみると、お皿の中にはおいしそうな雑炊が入っていた。
…なんか、本当に至れり尽くせりだ…。
「ちゃん、食べてみて!」
「うん、いただきます。」
用意されていたスプーンで、一口食べてみるとすぐに異変に気付いた。
…味がしない。
たぶん熱があがってるから、あんまり味がしないんだろうな…。
私のリアクションを今か今かと待ち構える三人に、この異変は悟られないようにしたい。
「…おいしいよ、ありがとう。」
「まじ?良かったー、成功して。」
「がっくんが最初に塩入れすぎたのがダメだったんだよー。」
「それ言うんだったら、宍戸が最初に水に溶き卵ぶちこんだのも原因だろ。」
「…まぁ、いいじゃねぇか。取り敢えずの分は成功したんだから。」
わいわいと賑やかな食卓。
皆が何の話をしているのかと、黙って考えているとフとみんなの手元にあるお皿に目がいった。
私の雑炊は見た目もばっちりたまご雑炊だけど、
よく見ると皆のお皿の中に入ってるのは焦げ目があったり、
水分量がやたらと多かったり…私のとは全然違う。
「…それ、もしかして失敗作?」
互いに文句を言いあいながら、雑炊を食べる皆。
私が質問をするとピタっと会話が止まった。
「……何回か失敗しちゃったんだー。」
「でものは最後に上手くいった分だから大丈夫だぞ。」
「……失敗作でも十分だったのに。」
「バカ、病人に変なもん食わせられねぇだろ。」
そう言って、まずいまずいと言いながら失敗作を食べる皆は笑っていた。
私もつられて笑ったけど、ちょっと気を抜くと涙が出てしまいそうだった。
……普段絶対しないような優しい気遣いとか本当やめてほしい…。
「……皆、今日は本当に優しいね。」
「…当たり前だろ。こんな弱そうないじめても張り合いがねぇもんな。」
「そうだよー、早く元気になってね。」
「……うん…へへ…。でも本当にいつもこんな風に皆が優しかったら…好きになっちゃいそうだよ。」
素直な気持ちだった。
だって、氷帝の皆は男前だけど子供だし、無邪気さ故の鬼畜な冷酷さがあるし、何より私に優しくないから好きにならずに済んでるのに
それが、男前で気遣いもできて私に優しい…だなんてそんな天国になったら、もう皆のこと好きになってもおかしくないと思う。
幸い、今私は熱で正常な判断が出来ない。
きっと、こんな恥ずかしいこと言っても、今日は年に1度あるかないかのお客様スペシャル感謝デーだから許されるはず。
と思っていたのに、
さっきまであんなに和やかだった雰囲気はものすごく殺伐としたものに変わっていた。
「いや、本当そういうのじゃないから勘違いすんなよ。」
「別にじゃなくて、例えば侑士が風邪引いたとしてもこれぐらいの看病するからな。だけ特別って訳じゃなくて。」
「ちゃん、熱が上がってきてるのかなー?」
「そ…そんな必死に否定しなくてもいいじゃん…」
真顔で私に釘を刺す宍戸にがっくん。
…わかってた…わかってたよ!なんとなく、あんた達3人がキッチンできゃっきゃ楽しそうに騒いでるのを聞いて
「あぁ…たぶん、なんか誰かを看病するっていうのが珍しくてテンションあがってんだな…」って思ったもん。
ただ、どんな理由であれ友達を心配してご飯まで作ってくれる3人のことを私はやっぱり友人として大好きだと思った。
・
・
・
「…暑い…、うう……。」
流れる汗の気持ち悪さで目が覚めた。
部屋の中は真っ暗で、誰かがいる様子はない。
……ご飯食べて、薬飲んでそのまま寝ちゃってたのか。
枕元の時計を見てみると、もう22時になっていた。
部屋の外も静かだから、がっくん達はもう帰ったのかな。
とりあえず、タオルが欲しくて部屋を開けてみると
「…うわああああああ!」
「うわ、びっくりした。なんや、起きたんか。」
我が家の廊下を裸にタオル一枚で普通に歩いている忍足。
絵面的にも怖すぎて、本気で腰が抜けるかと思った。
「、熱は引いたの?」
「…ハギー…、2人ともいつ来たの?」
「岳人達と入れ替わりで、21時ぐらいに来たわ。」
まだ心臓がどきどきいってる。
寝起きに見ていいモンじゃなかった…。
うちの風呂を我が物顔で使うのはいいんだけど、
年頃の女子の存在にももうちょっと気を遣ってほしい。
洗面所へと着替えをもって立ち去った忍足に、
こたつでみかんを食べながらテレビを見ていたらしいハギー。
…この2人までお見舞いに来てくれるなんて、お客様スペシャル感謝デーはやっぱり豪華だな。
「ほら、。体温計、測ってみて。」
「…うん、ありがとう。ちょっと薬で楽になったから下がってると思う。」
ソファに座って体温を測っていると、ハギーが立ち上がりキッチンへと向かった。
「はい、ポカリ。汗もかいてるからタオルも。」
「ありがとう。……あ、熱ちょっと下がってる。37度9分。」
「…それでもまだ高いね。明日は部活休むって跡部には伝えとくから。」
「やっぱり本格的に風邪ひいてもうたみたいやな。」
やっと服を着て登場した元裸族の忍足。
体温計を覗き込みながら、私のおでこを触るその雰囲気が
やっぱり他の皆と同じように、いつもより優しくて怖い。
「…忍足達も、うつるから早く帰った方がいいよ。ごめんね、迷惑かけて。」
「…………。」
「……………。」
「…な、何。」
「…はぁ。いつもこのぐらい素直やったら可愛げもあんのになぁと思って。」
「相当熱があるみたいだね。の口からそんなしおらしい言葉が出るなんて。」
素直に謝る私を見て、クスクスと笑い始める2人。
…私的には、いつも以上に優しすぎるみんなの方が珍しいんだけど、
私も熱のせいで…いつもより素直になってるのかな。
確かに普段なら、家で裸の忍足なんか見た日には右アッパーのひとつでも繰り出してるかもしれない。
「…それにもう22時だし、2人は明日も部活があるでしょ。」
「ああ、気にせんでええで。泊まっていくし。」
「俺、誰かの家に泊まるって初めてだから…ちょっと楽しいかも。」
そう言って、少し大きな鞄を私に見せるハギーは確かに楽しそうだった。
……いいんだけど…、とってもありがたいんだけど…
「…風邪がうつらないか心配だよ。」
「大丈夫やろ、マスクしてるし。」
がっくん達が言ってた時から気になってたけど、
皆の異常なほどのマスク信仰は何なんだろう。絶大な信頼を抱きすぎだよ…。
ポカリを飲み干した後のコップを洗い場へと運びながら、フと頭がグラついた。
…さっき変な時間に寝ちゃったから、あんまり眠くないけど
取り敢えずベッドに横になっているのがいいかもしれない。
こたつでテレビを見ている2人に伝えて、私は部屋に戻った。
「…また熱が上がってるみたいだね。辛そう。」
「冷えピタもすぐ温くなってまうな。」
やっと眠れたはずだったのに、寝苦しさから目が覚めてしまった。
ゆっくり瞼を開くと、暗闇の中にぼんやりと浮かぶ2人の顔があった。
…おでこに感じるひんやりとした感触が気持ちいい。
「……あ、ゴメン。起こした?」
「……気持ちいい。」
「冷えピタ貼ったからな。…えらい汗かいてるけど大丈夫か?」
こんな風に忍足やハギーが無条件に優しくされることなんて滅多にないから、
どう反応していいのかイマイチわからない。なんか…恥ずかしいな。
心配されすぎるのもなんかムズムズするから、いつものように茶化すような言葉でも出ればいいんだけど
今は自分の身体がそれどころじゃなくて、ただただその恥ずかしさを受け入れるしかなかった。
「……冷えピタ…買ってきてくれたんだ…、ありがと。」
「それ効かなかったら、氷枕もあるから。そっちが良ければ呼んでね。」
「うん…ありがとう、本当に…。」
「……なんか、とは思えない弱弱しさだね。心配になるよ、本当。」
「……ごめんね……げほっ、心配かけて。」
「そや。今日は風呂入られへんから気持ち悪いやろ。身体拭いたろ「ハギーがいい。」
自分でも驚くほど脳が正常に機能した。
さっきまで弱弱しく答えることしか出来なかった私が、
急に大きな声を出したのがびっくりしたのか、2人はポカンと口を開けていた。
「……いや、なんでやねん。俺でもええやろ。」
「ハギーにお願いします。」
「真顔で言いやがって、ムカつくわこいつ。」
「ねぇ、やっぱり本当は仮病なんじゃない?」
「……げほっ…ごほっ……いや…間違いなく高熱にうなされてるので…これはもう身体を拭いてもらうしかない…。」
「っていうか、普通に冗談やからな。別に1日風呂入らんでも死にはせんやろ。」
「弱ってるなら、ちょっとは可愛い反応するかと思ったけどガッカリだね。」
……あれ…、弱った私の背中をタオルでハギーが優しく拭き取ってくれるイベントは回避されてしまったのかな…?
弱った私が何故だか色っぽく見えてしまって、青少年らしいムラムラした気持ちになる王道イベントだったはずなのに…
「ねぇ、声に出てるよ。気持ち悪い。」
「……私今病人だから…いつもの8倍心も傷つきやすいから優しい言葉かけてね…出来るだけ…。」
「は本当に発想が発情期の男子みたいで気持ち悪いね。マカロン。ふわふわうさぴょん。」
「……いや、語尾にふんわりした優しい単語つけたら前半が中和されるとかじゃないからね…怖いよ…蔑んだ目で見下げながらマカロンとか言われても怖いよ…。」
暗闇の中でもわかる、ハギーの鋭い睨み。
いつもならこの流れで「大体、はいつもさぁ…」から始まる長いお説教が始まるはずだけど、
病人の私に対してせめてもの気遣いなのか、今日は深い深いため息だけで許された。ありがてぇ。
「アホみたいなことばっかり考えとったら、また熱あがんで。はよ寝ろ。」
「…うん、忍足達も早く寝てね。」
「俺達は適当にするから大丈夫。それより何かあったら呼ぶか、携帯でメールしなよ。リビングにいるから。」
「…ありがとうございます。」
「ほなな。おやすみ。」
忍足が少しずれた毛布を首元までそっとかけなおしてくれた。
パタリと静かに扉が閉められ、また部屋に静寂が訪れる。
「……ありがと。」
風邪引いてる時に、誰かがいてくれるって、こんなに安心するもんなんだなぁ…。
額からじんわりと広がる柔らかい冷たさを感じながら、私はまた眠りについた。
身体は熱があって辛いはずなのに、
その日見た夢はとてもハッピーなものだった。
綺麗なドレスで椅子に座らされた私のまわりに、カッコイイスーツを着た氷帝の皆がいて
次々に私に優しい言葉をかけてくれる。
私の大好きなケーキとか、ずっと欲しかったPS4とかを
皆がプレゼントしてくれる。嬉しい。
まさにお姫様扱いで、夢の中の私はとても幸せだった。
皆がこんなに優しくしてくれることなんて、今まで想像すら出来なかったから
夢で見る事もなかったけど…
私は自分が思ってる以上に、きっと今日の出来事が嬉しかったんだろうな。
・
・
・
「……よし、完全に下がったな。」
起きてすぐに枕元の体温計に手を伸ばした。
表示された「37度2分」の数字にホっと胸をなで下ろす。
気付けばもうお昼の12時を過ぎていた。
…薬のせいか、随分眠ってたんだなぁ。
昨日の夜のことをぼんやり思い出しつつリビングへ行ってみると、
もちろんそこには誰もいなかった。
その代わり、テーブルに1枚のメモが置いてあった。
鍋の中に生姜スープあるから朝食べろ
キッチンへ行ってみると、確かに美味しそうなスープがあった。
…朝ごはんまで作ってくれてたんだ。
温めなおして、遅めの食事をとることにした。
風邪に効きそうな美味しそうな生姜の匂い。
一口飲んでみると、もうすっかり味がわかるぐらいに熱が下がっていることに気付いた。
「…ふぅ、さっぱりした…。」
身体も随分軽くなったので、取り敢えずお風呂に入ることにした。
ぬるめのお湯にゆっくりと浸かったのが良かったのか、体もポカポカして気持ちいい。
念の為、今日は一日安静にしていよう。
録画したまま溜まっていた映画でも見ようかと、ビデオを操作していると
インターホンが鳴った。
ピーンポーン……
「……誰だろう。」
日曜日のお昼なので、宅配便かと思いドアを開けてみると
そこにいたのは可愛い後輩たちだった。
「ちょた!樺地にぴよちゃんさまも…どうしたの?」
「先輩、体調はどうですか?お見舞いに来ました。」
「……なんか元気そうですね。」
「…ウス。」
「ご、ゴメンね心配かけて!さっき熱測ってみたら随分下がってたんだ。だから明日には大丈夫そう!」
「良かったです!あ…でも、じゃあこれ…いらなかったですね。」
えへへと照れくさそうに笑いながら、ちょたがフルーツ山盛りのバスケットを私に手渡した。
見るからに高級そうなフルーツバスケットに、思わず目が点になる。
「…これ入院とかしてるレベルの人に贈るやつだよね…?」
「両親に、病気の先輩のお見舞いに行くって言ったら…持って行けって…。」
大きなメロンに、いちごに…マンゴーまで入っている。
どうみても1万以上するようなたくさんのフルーツ。
…普段あんまり意識してなかったけど、やっぱりちょたはお坊ちゃまなんだな…。
すっかり熱も下がってしまった今、自分一人でこの豪華なフルーツをいただくのも気が引ける…。
あ、そうだ。
「良かったら、これ皆で食べない?」
「でも、先輩病み上がりなのに…。」
「もう全然元気だから大丈夫だよ!良かったら入ってー。」
ドアを大きく開くと、3人は少し顔を見合わせた後に
揃って「お邪魔します」と言ってくれた。
「メロンとか久々だよー。はい、皆もどうぞ。ちょたありがとうね。」
「わぁ、美味しそうですね!」
「……いただきます。」
「……おいしそう…です。」
こたつを4人で取り囲み、皆でメロンを食べる。
今、このこたつ周辺がパワースポットになってる気がする…。
3人が発するオーラで、熱が下がるどころか健康になりそう。
「そういえば、今日忍足とハギー部活行ってた?」
「来てましたよ。」
「そっか。昨日ね、夜泊りがけで家に来てくれたんだよ。」
「宍戸さん達も来たんですよね?」
「そうなの。雑炊とか作ってくれてさー。優しすぎてなんか怖かったぐらい。」
今思い返すと、夢だったんじゃないかと思う程の優しい扱いに、
思い出し笑いをしてしまった。
「あ、熱下がったの跡部さん達にも連絡した方がいいんじゃないですか?」
「…そうだね、忘れてた。」
「……今日は、一段と五月蝿かったですからね。先輩達。」
丁寧にメロンをスプーンですくいながら、苦々しい顔をしたぴよちゃんさまが言う。
それを聞いて、うんうんと頷く2人も苦笑いしている。
「五月蝿かった?」
「…先輩がまた熱が上がって家で倒れてるかもしれないとか、温くなった冷えピタを自分で取り換えることも出来てないかもしれないとか…。」
「作り置いた生姜スープに気付いてないかもしれないとか…。」
……そんなに心配してくれてたんだ。
ただちょっと風邪引いただけなのに、過保護すぎるんじゃないかと思ってたけど
なんか…そんなに友達思いな連中だったんだね…。
普段は見せない皆の優しさに、改めて心が温かくなった。
「……皆、心配性だよね。」
「弱弱しい先輩が珍しかったんじゃないですか。」
「確かに、昨日の先輩は…ちょっと右アッパーでも打ち込まれたら倒れそうでしたもんね。」
「……右アッパーは誰が撃ち込まれても普通は倒れると思うよ。」
「まさか!普段の先輩なら華麗にそれを避けて、ゴリラみたいに豪快なカウンターを繰り出すじゃないですか!」
シュッシュとパンチをするような動作でにこやかに話すちょた。
……許す。そのキラキラな笑顔は何もかも許される、仕方ない。悪気がないから仕方ない。
「…跡部さんも……電話………してました…。」
「え?電話……うわ!本当だ……着信15件。これ後半たぶん意地で電話してやがるな…。絶対怒ってるじゃん。」
「跡部さんも先輩も、朝から大騒ぎでしたからね。」
「…でも、先輩達が言ってた先輩…ちょっと見てみたかったかも。」
「何?どういうこと?」
フフ、と笑うちょたにつられてぴよちゃんさまも思い出したように笑った。
何の話かと思い、樺地の方を見るとやっぱり樺地もうっすら微笑んでいた。
「先輩が、いつも言わないようなことばっかり言ってて面白かったって。滝さんと忍足さんが言ってました。」
「い、言ってないよ!…と、思うけど…。」
「…熱にうなされながらうわ言のように言ってたそうですから、覚えてなくても無理はないでしょうね。」
含み笑いでそう言うぴよちゃんさまに、少し嫌な予感がする。
……うわ言って…寝てる時に言ってたとしたら、それは確かに記憶がない。
……変な事言ってないよね…。
「……ち、ちなみになんて言ってたの…。」
「忍足さん達が、寝てると思って先輩の様子を見に行ったら急に大きな声で≪やったー!PS4だ!≫って叫んだらしいですよ。」
「起きたのかと思ってびっくりして先輩の顔を覗いたら、見たことないぐらいの笑顔だったんですって。」
「夢とは思えないレベルの心からの叫びだったらしいです。」
「………めちゃくちゃ恥ずかしいよ、やめてよ…PS4で大喜びって精神年齢6歳ぐらいの男児レベルの願望じゃん…。」
「……もっと恥ずかしいのは、その後だと思いますけど。」
カチャっとスプーンを置いて、ジュースを飲むぴよちゃんさま。
そうだよね、と相槌を打ちながらちょたがまた笑った。
「寝言って、隠しきれない本心が出るんですね、きっと。」
「え…何、ちょっとやめて…!なに?!」
「…そのPS4、誰にもらったと思います?」
意味深に笑うぴよちゃんさまに、サッと血の気が引く。
…ま、まさか……なんか私…そういえば皆が出てくる夢を見てたような…
誰に貰ったって……だ、誰かの名前を叫んだってこと?
「ね、寝言は寝言だよ!全然意味とか無いからね!」
「……それにしては、心のこもった言い方だったらしいですよ。」
「…な、なんて言ったの。」
ぎゅっと拳を握りしめる。
もし…もし誰かの名前を無意識に呼んでたとしたら恥ずかしすぎる。
恥ずかしすぎて、私の寝言に関する記憶を持つ者達を一人ずつバットで殴り飛ばして記憶を消して回りたいぐらいだ。
いや、本当にしてしまうかもしれない。
「フフ。大きな声でやったー!って叫んだと思ったら、その後に…すっごく優しい声で言ってたんですって。
≪さすが榊先生…大好き!≫って。」
「今から皆の記憶を消す旅に出る。」
「あはは!先輩、顔真っ赤ですよ。」
「……そんなに監督の事好きだったんですね。」
ぶふっと吹き出したと思うと、ケラケラと笑い始めた3人に拳が震える。
……有り得ない…。
夢には…がっくんとかジロちゃんとか、ぴよちゃんさまだって出てきたはずなのに…
なんでよりにもよって先生…!
「…それ絶対榊先生に言わないでね。」
「芥川さんがすぐに報告しに行ってました。」
「ぶっ飛ばす…。ジロちゃんだろうと関係ない、ぶっ飛ばす。」
「でも、監督嬉しそうにしてたらしいですよ。その後、PS4とは何だって跡部さんに聞いてきたんですって。」
「あ!もしかしてPS4買ってくれるつもりじゃないですか?よかったですね!」
「……いや、私どんな顔で受け取ればいいのそれ…。恥ずかしすぎるじゃん…。」
斜め上すぎる恥ずかしさに、後輩たちの可愛い笑い声を聞きながら私は顔を抑えることしか出来なかった。
そんなこんなで可愛い後輩たちと楽しい時間を過ごしたことがやっぱりヒーリングに繋がったのか、
その日の夜には私の熱はすっかり下がっていた。
よし、明日は皆にたくさんお礼を言わないと。
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バンッ
「みんなー!ご心配をおかけしました!皆のアイドル、完全復活しました!」
朝。勢いよく部室に飛び込むと、そこには朝練前の皆が集合していた。
「先輩、おはようございます!」
「ちゃん、元気になったんだねー!よかった!」
「へへへ、おかげさまで…。皆、本当ありがとうね。」
着替えながら、私の復活を喜んでくれるジロちゃんにちょた。
取り敢えず、皆の手厚い看病にお礼を言いたくて仕方が無かった。
「忍足にハギー。生姜スープ美味しかったよ、ありがと。」
「あぁ、ちゃんと飲んだんか。」
「うん!2人の普段は見えない愛がい…っぱい詰まってて感動した!」
「愛とか0.1gも入れてないんだけどね。」
「あ!宍戸にがっくんも、あの日は本当に嬉しかったよ!」
「…あんなに静かだったのに、治った途端騒がしいな。」
「がっくんが、寝てる私のおでこに手を当てて≪早く良くなれよ…好きだぜ、…≫って言ってくれたこと、本当に嬉しかった。」
「いや、そんなこと一言も言ってねぇんだけど。うざっ。」
皆への感謝が止まらない。
あの日、私に対して優しかった皆の印象が強すぎるのか、
あまりにも嬉しかったから記憶に強烈に残っているのか…、
今日の私はみんなに対していつも以上に愛を全面に押し出していた。
今ならわかる、その時の私は完全に浮かれていた。
「跡部も、ありがとうね。病院まで連れて行ってくれて…。」
「………あぁ。」
「私あの時感動したな…。≪迎えの車を呼んだ。病院まで連れていく。≫ってキリ!っとした顔で言ってくれた時。」
「………。」
「あぁ、なんだかんだ跡部は私の事大事に思ってくれてるんだなってさ…。」
「…………。」
「≪何かあれば連絡しろ。≫とか言ってくれて…本当…愛されてるな…って。」
「……………。」
「……おい、。ヤバイで、その辺にしといた方がええんちゃうか…。」
「私今回の件で気付いたよ。跡部は普段素直になれないだけで、私のことを本気でほげぇっ!!」
おかしい。
今、私は感謝の気持ちを述べていただけなのに
絶対本気のボディタックルとかされるタイミングじゃなかった、おかしい。
「な、何すん「あと一文字言葉を発したら、その瞬間お前の息の根を止める。」
ギロリと音がしそうな程の勢いで私を睨み付ける跡部。
怖い。絶対怒ってる。
その理由は、なんとなくわかる。
私が調子に乗ったからだ。
わかってる。これ以上何かを言えば、私は確実にこの世を卒業する。
……わかってるのに…
あの時の、跡部の優しい声を思い出すとニヤける頬を止めることが出来なかった。
「……フフ。」
「しゃべったな。歯食いしばれ。」
「い、今のは笑い声だからノーカウントでしょ!」
「黙れ、ちょっと優しくしただけで調子に乗りやがって。次にお前が風邪引いたときは、ジャイアントスイングで海に放り込んでやるからな。」
「………ップ、本当に素直じゃないんだからあぁああああ!ごめんなさいごめんなさい!やめ、やめろ!」
跡部の冷酷な目に、止まらないアイアンクロー。
いつも通りの光景に、周りの皆は気にも留めることもなく着替えを終えて部室を出ていく。
……昨日の出来事は、本当に全てが幻だったんじゃないかと思う程の皆のドライさに思わず笑ってしまった。
だけど…優しくされるのも嬉しいけど、やっぱりこのぐらいの雑な関係が私達だよね。
そんなことを思いながらフフっと少し笑うと、ついに跡部が部室に置いてあった2Lペットボトルを振りかぶったので
私は急いで部室を飛び出した。