氷帝カンタータ





第34話 トリップ・フォーユー





「……帰るぞ、樺地。」

「ウス。」


バタン


いつもと変わらないように見える部活後の風景。
だけど、どこかが違っていた。
そんな風に思っていたのはどうやら私だけじゃなかったようで、
扉が閉じられた数秒後、隣にいたがっくんとパチっと目が合った。


「…やっぱり疲れてるよね。」

「おう、なんかいつもより元気なかった気がする。」

「最近、生徒会の活動とか部活のこととか色々予定詰めとったみたいやからなぁ。」

「……跡部さんが元気ないと、なんだか心配になりますよね。」


忍足やちょたも、やはり同じことを感じていたようで
いよいよ本格的に部室が跡部の話題で持ちきりになる。


「跡部いつも頑張ってるもんね〜。」

「あ!!!」

「なんですか、五月蝿いですね。」


皆が口々に跡部の心配をする中、私の頭の中にズドンと雷が落ちた。
…これは…これは超良いアイデアだ…!
思わず大きな声を出すと、ソファの上でジャージを畳んでいたぴよちゃんさまがいつも通り嫌な顔をした。


「今度の祝日の2連休あるでしょ?その日さ、跡部君いつもお疲れ様慰安旅行を開催しようよ!」

「慰安旅行ー?」

「そう!がっくん、この前一緒にテレビで見たじゃん、あの温泉街!」

「あー、あったな!美味そうな饅頭売ってるとこだろ?」

「そうそう、あそこ行こうよ皆で!温泉なら跡部の疲れもMAXで回復するでしょ!」


1つアイデアが閃くと色々なアイデアがまさに温泉のように湧き出てくる。
確か近くの温泉街に温泉まんじゅうとかもあったよね…、それに温泉の効能も疲労回復とかだった気がする!
盛り上がる私とがっくんとは対照的に、さっきまで会話に参加していた皆の頭の上にはクエスチョンマークが飛んでいる。


「…その皆って俺らも入ってんの?」

「当たり前じゃん。氷帝メンバーで行く★珍道中だよ。」

「えー、なんかちょっと面倒くさい。」


今日は放課後一緒にカフェで新作パフェを食べる約束をしていたハギーが
心底面倒くさそうに髪の毛を弄りながら呟く。


「行こうよ、ハギー。お肌にもいいんだよ、温泉って。」

「っていうか今度の祝日の予約なんか出来るの?もう取れないんじゃない?」

「…た、確かにそれもそうか…。」

「…もしかすると先輩達が言っている温泉とは違うかもしれませんけど…ここなら予約できるかもしれません。」


頭を抱える私に、ちょたがソっと携帯を差し出した。
画面には立派な旅館の写真が写っている。


「…え?ここは…?ものすごく高そうだけど……。」

「この前、跡部さんがここの旅館は別荘みたいなもので常に貸切で使える状態だって…。」

「何それ…政治家のお忍び旅館的なそういう感じなの…?」

「ええやん、ちょっと電話してみたら?跡部の慰安旅行や言うたらなんとかしてくれるんちゃう?」

「…ハギーお願い。」


既に旅館の電話番号が入力された携帯を手渡される。
それを隣にいたハギーにパスすると、やっぱり面倒くさそうな顔をされた。


「…なんで俺が。」

「だって私大人っぽい受け答えが出来なさそうだから…ハギーなら出来るかなと思って。」

「……ハァ。面倒くさい。」



















「…はい、……はい、ではよろしくお願いします。」


ピッ


部室中のメンバーが見守る中、スラスラと用件を伝えるハギーは超カッコイイ。超大人っぽい。
電話を切った後、少しの沈黙があってハギーが口を開いた。


「…大丈夫だって。すごいね、本当に跡部が自由に使える旅館みたいだよ。貸切だって。」

「や…やったーーー!ナイスハギー!ちょたもありがと!」

「よっしゃ、そうと決まったらサイゼで作戦会議しようぜ!」


制服の袖を捲ってがっくんが拳を突き上げる。
なんとなく雰囲気でオー!っと拳を挙げたのは私と宍戸とジロちゃんのいつものメンバー。
その他のメンバーは雰囲気に流されることなくどこか冷めた目で私達のことを見ていた。


「…なんの作戦やねん。」

「バカ、当日どこに行って何するかとか決めとかないとグダグダするだろー?」

「さすががっくん!そうだよね、温泉街もあるみたいだし色々調べてみよ!」

「ってか旅館まではどうやって行くんだよ。」

「あ、それはバス出してくれるみたいだよ。取り敢えず学校前集合で伝えておいた。」

「ハギー抜かりないね!……うわー、楽しみになってきた!」


まだ面倒くさそうにしているハギーやぴよちゃんさま、
もう完全に乗り気ながっくんや宍戸達、
そしてもうこの流れは逃げられないなと、爽やかな笑顔で諦めている様子のちょた。

そんな皆を引き連れて、私達の会議室サイゼリアへと向かうのだった。





























「…あ、ねぇ見てこれ!この旅館、先月足湯を増設したんだって!」

「へー、先月だったらまだ跡部も行ったことないんじゃね?」

「…ふーん、星空を見ながら足湯…。いいんじゃない?癒されそう。」




「お。この温泉街も名物の饅頭あるらしいぞ!」

「ええなぁ、ぶらぶら食べ歩きとか楽しそうやん。」

「跡部さんはあんまり食べ歩きとかしたことなさそうですもんね!良いかもしれません。」



予想外に盛り上がった作戦会議が終わると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
ルーズリーフに書記係の忍足が書いた独特の細く薄い文字が溢れている。

…結構色々アイデアが出たけど、結局「跡部を癒そう」ということを最優先に考えた結果
中々落ち着いた旅程になりそうだった。このメンバーで落ち着いた旅行なんかできるのか不安だけど…

フと、少し疲れ気味の跡部の表情を思い出す。

……さらに疲れさせる結果になる可能性も80%ぐらいあるけど、
でもきっと皆で何も考えずに騒げる時間があれば…ちょっとは発散できるんじゃないかな。

…そうなるといいな。




























「……どういうことだ。」

「ごめんな、跡部。監督の呼び出しっちゅーのは嘘や。」


当日の朝。

跡部邸から制服で出てきた跡部を待ち受けていたのは
大型バスの窓から身を乗り出して全力で手を振る私を含む氷帝メンバー(一部)だった。

怪訝な顔で睨み付ける跡部に、忍足が冷静に説明をしてくれる。
その間、バスの中では本来の意味を覚えているのか不安な程ジロちゃんや宍戸達が
カラオケで遊んだり、後輩からお菓子をふんだくったりして騒ぎまくっている。

その様子がドアの外からもうかがえたのか、跡部の表情は見る見るうちに険しくなる。

…これはマズイ。


「ほ、ほら跡部!難しいことは考えないで、行こうよ!温泉!」

「……どうせ行くって言うまでここを動かないつもりなんだろ。」


ハァと諦めたような溜息をつきながらバスへと乗り込む跡部。
…やっぱり疲れてるな。いつもならもうちょっと怒るところだ。

そんな跡部の様子をわかってるのかわかっていないのか、
がっくんとジロちゃんがこっそり用意していたらしい
小さなクラッカーをパーンと打ち、跡部の頭には大量の紙屑がまとわりついた。


「いぇーい!跡部いぇーい!温泉行こうぜ!」

「お饅頭も食べれるんだよー!楽しみだね!」

「…………このバスは風雅邸のだろ。1時間程か…。俺は寝る。」


ほぼノーリアクションで紙くずを頭から払い落とし、
1番前の席に座り込んでしまった跡部。

…いつになくテンションが低い。
いつもの跡部よりも随分クールなその姿に、意外とこっちの方がカッコいいんじゃないのかと思った。

しかし、このままでは終われない。私達は互いに顔を見合わせた。そして、静かに心に誓った。
帰る頃には跡部が元気いっぱい「わーい!温泉楽しかったねぇー!」と叫ぶ未来を掴みとってやると。






























「う…わー!写真で見たのよりもっと大きいよ、これ!」

「すっげぇ!これ風呂も相当デカイんじゃね?」

「…随分山奥にあるんですね。」

「温泉街からこのぐらい離れてる方が、騒がしくないやろしな。」

「…緑が多くていいね。」


「……行くぞ。」


跡部御用達旅館の風雅邸は、私達の想像をはるかに超えるレベルだった。
バスが駐車場に止まるなり見えたのは入り口にずらっと並ぶ従業員さん達。
若干ビビっている私達とは対照的に、跡部が先陣を切って慣れた様子で旅館へと入って行く。

外観だけじゃなく内観も立派なもので、
明らかに高そうな調度品や絨毯にいちいち感動してしまう。


「……で、どうするんだ。」

「よし!じゃあ取り敢えず荷物置いたらここの玄関に集合な!」


1時間ぐっすり寝たのが良かったのか、少し跡部の顔色は良くなっていた。
そこでがっくんが意気揚々とこの日のための旅行計画を跡部に伝える。


「ここの旅館からちょっと降りたところに温泉街があるんだよ。」

「跡部、行ったことある?おいC饅頭とかあるんだって!」

「…いつもここに来るときは、温泉に入るだけだ。」

「やっぱり!じゃあ行ってみようよ、楽しいよきっと。」


予想通りの跡部の回答に、思わずジロちゃんとハイタッチした。
きっと食べ歩きとかもしたことないんだろう…。これは楽しみになってきた!


「…なんか跡部より達の方がはしゃいでる気がするんだけど。」














15分ほど、大人数でわらわらと歩いていると
段々と人で賑わう温泉街に近づいてきた。
ちらほらと見え始めたお店にどうしてもテンションが上がる。


「あ!がっくん見て、あれお饅頭のお店じゃない?」

「お、本当だ!行こうぜ、跡部!」

「…たかが饅頭だろ。」

「跡部さん、ここの温泉饅頭はとっても美味しいって評判なんですよ。」


さりげないちょたの情報に、跡部が少し興味を持ったようだ。
大きな文字で「饅頭屋」と書かれたお店に近づくと、
ほかほかと湯気が溢れる売り場にお客さんがたくさん並んでいた。

すぐ隣のお店はお土産屋さんのようで、
温泉街らしい可愛い和風な雑貨が私を誘うように陳列されている。

そこまで広くなくて、入口から出口までが見渡せるようなこじんまりとしている温泉街。
所狭しと色々なお店があって、どれもこれも立ち寄ってみたくなる。
一目散に饅頭の列に飛び込んでいったのは、がっくん、跡部、ジロちゃん、ハギーだ。

私はなんとなく隣のお店にある雑貨が気になっていた。
気付けば樺地とちょたはそのまた隣にあるお土産屋さんへと入っていく。
忍足と宍戸は饅頭屋さんがお土産として並べているお茶の試飲を楽しんでいるようだ。

…皆それぞれ別行動してるみたいだし、私も雑貨を見に行こうと店に入ったその時だった。
肩を叩かれたので振り返ってみると、意外な人物がいた。


「あれ、ぴよちゃんさまどうしたの?」

「…ちょっと一緒に来て下さい。」


そう言って、ずんずんとお店から出ていくぴよちゃんさま。
ぴよちゃんさまに一緒に来てと言われたことが嬉しくて、ふわふわした気持ちのままついていくと
次第に辺りには香ばしいような匂いが広がり始めた。

ピタッとぴよちゃんさまが立ち止まったその先には、
筆で大きく「せんべい」と書かれた木の看板があった。



「わぁ、良い匂い!」

「ここの串ぬれおかきっていうのが有名らしいですよ。」

「へぇ、そうなんだー。美味しそうだね。」

「そうですね。」

「………。」


私の目をじっと見たまま動かないぴよちゃんさま。
な…なんだ?何となく私の次の行動を待っているような気がするけど……


「…えっと、ぴよちゃんさまは食べたの?」

「食べてません。」

「あれ、ぬれせんべいとかの類好きだったよね?」

「大好きです。」


いつになくハキハキと受け答えをするぴよちゃんさま。
そしてやっぱり、いつもと違う目力に何かを訴えられているような気がする。


「……食べないの?」

「……食べたいです。……けど、旅館に…財布を忘れてきました。」


プイと目をそらしながらいじけたように言うぴよちゃんさまに
今までの違和感が一気に解消された。
と、同時にそのあまりの可愛さに今すぐにでもその場に溶けてしまいそうだった。


「はい、これで足りるかな?」


財布から千円を取り出し渡すと、ぱぁっとぴよちゃんさまの目が輝いた気がした。
まるでお小遣いをもらった子供みたいな可愛い表情に思わずニヤけると、
それに気づいたのか、ハっとした様子でいつものように表情を引きしめる。


「…後で返します。」

「いいよいいよ、早く並んでおいで。」

「いえ、先輩に借りを作るなんて耐えられないので必ず返します。」


いつも通り私に対して当たりのキツイぴよちゃんさま。
そんな…そんな吐き捨てるように言わなくても…。

でもやっぱり隠しきれない喜びがあふれているようで、
千円を握りしめたまま小走りで列に並びに行ってしまった。

…あぁ、可愛いなぁ……。

思わぬぴよちゃんさまの一面に遭遇出来たことに興奮していると、
少し離れたところでがっくん達の声が聞こえた。

振り向いてみると、跡部やジロちゃん達お饅頭組が観光客っぽい女性たちに囲まれている。
やっぱりどこにいても目立つ集団だなぁ、と思いながらも
ちやほやされることが意外と嫌いじゃないらしい跡部は、がっくん達と共に中々楽しそうな表情をしていた。

…ちょっとは慰安旅行になってるといいな、なんて思いながら眺めていると
いつのまにか隣には、お饅頭を持ったハギーがいた。


、口開けて。」

「へ?」


言われるがままにバカみたいに口をパカっと開けると、
ハギーが持っていたお饅頭の半分が口の中に飛び込んできた。


「ん…あ、あっつ!……ふぉ…ふぉいひい!」

「1個が意外と大きかったからさ。……本当だ、美味しいね。」

「…んふ…ふふ……ありがと、ハギー。」

「うん。……何。なんで気持ち悪い顔で笑ってるの。」

「いや、なんか…ヘヘ、今のちょっとカップルっぽくて良かったなぁーって…。」

「…………。」


1つのお饅頭を半分こして、しかも「あーん」してもらうなんて…
後から考えると結構ドキドキしてきた…!
口の中に広がる甘さと、目の前のハギーの何気ない甘い行動に乙女心を刺激される。

もぐもぐと饅頭を頬張りながらこらえきれない笑みを漏らしていると


ペシッ


「いた!…い、痛い!なんで叩くのハギー!」

「折角お饅頭分けてあげたのに、恩を仇で返すようなこと言うからでしょ。」


思いもよらないタイミングで飛んできたハギーの平手打ち。
ご立腹の様子でスタスタと歩いていくハギーに、思わず「ご、ごめん!私が悪かった!」と謝ってしまった。
いや…いや、でもそんな怒ることなくない…?
そんな…こっちを振り返って改めて舌打ちするほど怒ることなくない…?








!」

呆然とその場に立ち尽くしていると、今度は後ろからがっくんに呼ばれた。
依然として観光客のお姉さん達に囲まれている跡部の横で、
がっくんが大きく手を振っている。


「何ー?どうしたの?」

「ちょっとこっち来て!」


がっくんが用件を言わずに、とにかく来いと言う時は
大体何か企んでる時なんだよね…。
本人は気づいてないみたいだけどバレバレなんだよ…。

そこまで気付いていながらも、嬉しそうに手を振るがっくんを無視することなんて
私にはどうひっくり返っても出来るはずがない。とんだ小悪魔だよ、がっくんは…。



仕方なくがっくんが待っていたお店の前まで行ってみると、
後ろからガシっと跡部に両肩を掴まれる。


「喜べ、お前を労ってやる。」


耳元で囁く跡部にヒッと悲鳴をあげてしまう。
な……なんだ気持ち悪い…!


「…何?なんでそんな皆笑顔なの?」

「まぁまぁ…侑士!早く早く!」

「お待たせ、。跡部からの差し入れや。」


忍足が手にしているのはカップに入ったソフトクリームだった。
緑色のそれは一見するとピスタチオ味の様な感じだけど……

フと、忍足の後ろにあった旗を見てみると
そこにはデカデカと「WASABIソフト★」の文字があった。


「……わ…わさび!?え、わさび味!?」

「そうそう!美味そうだろ?食べてみて、。」

「い、いらない!美味しそうなんだったらがっくん食べなよ!」

「アーン?俺様のプレゼントが受け取れねぇって言うのかよ。」


こいつ……さっきからやけに楽しそうなのはコレか…!

いつの間にか後ろから私を羽交い締めにしている跡部に、
私の顔が動かないようにバチっと両手で固定するがっくん。

そしてスプーンに乗せたそれをどんどん近づけてくる忍足。


「ちょっと…ちょっとやめろ!今私、公衆の面前で見せられない顔になってるから!」


私の必死の抗議も虚しく、がっくん達は雨の後の澄み切った空のように爽やかな笑顔で私を拘束する。
このっ…悪魔たち…!!ここはいつもの氷帝じゃないんだぞ…!TPO…TPOという言葉を知らないのか、馬鹿!


「い…い、いやだああああああ!せめてがっくんに!せめてがっくんに食べさせてもらいたもごっ!!


残念ながら忍足の手によって無慈悲に私の口へと突っ込まれたWASABIソフト。
口の中に広がる冷たい感触。驚きすぎて味にまで頭が回らない。

思わず口を手のひらで抑えたままどさっとその場に膝をつく。
さすがに悪いと思ったのか、私の顔を覗き込むようにがっくん達も屈みこむ。


「なぁ、マズイ?マズイだろ?」

「吐くんじゃねぇぞ、飲み込めよ。


……いや、こいつら全然悪いとか思ってない。

なんだその好奇心に満ちた純粋な笑顔…!

思わず拳を振り上げようとしたその時、
口の中に違和感があった。


「……ん………ん?……んん!?」

「なんや、急に立ち上がって。」

「………お、美味しい…。」

「マジ!?辛くねぇの?」

「いや…結構わさびの味はするんだけど、不思議と甘さの後に来る清涼感が心地良いっていうか…。」


自分でも驚くほど口の中がすっきりしている。
これは…マズイどころか、ちょっと癖になりそうな味。

思ったリアクションじゃなかったことが相当悔しかったのか、
目の前ではばかることなく盛大に舌打ちをする跡部を見て、
私の中で跡部に癒しを届けてあげようという優しい気持ちは木端微塵に消えて無くなった。


「ほんまかいな………うん、確かに美味いわ。」

「俺も一口!………んー……ん?……あー、なるほど。」

「ね、意外と癖になりそうな味でしょ?」

「うんうん、辛いっていうより…なんかスーっとする感じだな。」


意外なWASABIソフトの味に私達は夢中になり、
3人でそのままソフトクリームを全て食べてしまった。

気付けば、周りで事の成り行きを見守っていたギャラリーの人々が
ずらっとソフトクリーム屋さんの窓口に列を作っていた。

その先頭にいたのは、跡部。
怪訝そうな顔で一口ソフトクリームを口に含むと、
少し頷きながら、また一口、もう一口。


「……どう?美味しいでしょ?」

「……悪くはない。」


ちょっと悔しそうにそう呟いた跡部を見て思わず3人で笑った。
そして、こそっとがっくんに耳打ちされる。

「跡部、楽しそうだな。」



























「わぁー…広い!」


さすが跡部御用達旅館。大浴場もその扉の先にある露天風呂もとんでもない広さだ。
貸切なので、もちろん女湯には私一人。

温泉街散策から帰ってきて、すぐにお部屋で食事を楽しんだ後
夜の星空ウォッチングin足湯までは各々自由時間を過ごすことになった。

この旅行で1番楽しみにしていたお風呂にテンションが上がる。
すっかり暗くなったので、露天風呂にも風情が出ている。
身体を高速で洗い終えて、さぁお待ちかねの露天風呂!
ガラっと大浴場の扉を開けると、少しひんやりするような風が吹き抜けた。


「…これ、どこまで続いてるの…?」


所々に小さな行灯のようなもので照らされているだけの露天風呂。
進んでも進んでも端が見えない程の広さにちょっと怖くなってきた。

月の光を頼りにお風呂をすいすい泳いでいくと、
小さな木の扉の様なものがあって、それを通り抜けると視界が開けた場所に出た。
そこからはさっきまで私達がいた温泉街の明かりがちらちらと見える。


「おおおー!すごい絶景だー。」


ちょっとした岩場にあがって、その絶景を眺める。
フと温泉に目を移すと、月光がお湯に反射してゆらゆらと揺れている。
騒がしい旅行の中で一時の安らぎに浸っていると、
パシャっと水がはじけるような音が聞こえた。


「……っ!!」


誰もいないはずの露天風呂……だよね。

まさか…熊が降りてきたんじゃ……!
身の危険を感じ、音がした方へとざぶざぶ歩いていくと








「………。」

「………。」









腰にタオルを巻きつけただけの跡部が
ギリシャ彫刻のように腰に手を当てて堂々と立っていた。





「……う……うわあああああああ!!!!」

「っ…でかい声出すな。」


咄嗟にお湯に飛び込み、クロールで逃げる。
なん、なんで跡部が…!

ぷはっとお湯から顔を上げると
なんとか跡部から15mぐらいの距離を取れていた。


「ちょ、ちょっと!女湯だよ!?」

「…【これより先、混浴】って書いてただろうが。木の扉に。」


木の…扉…。混乱する頭で必死に手繰り寄せた記憶の中に
確かに木の扉があった。…でも暗くて注意書きとか見えなかったし…。


「……っで、でも混浴だとしても普通遠慮するでしょ!私がいるかもしれないのに!」

「なんで俺が俺の旅館でお前に気を遣う必要があるんだよ。ここが1番眺めが良い場所なんだ。」


私の方は必死に肩までお湯に浸かりながら、心臓バクバクだっていうのに
跡部はまるで私なんかいないかのように堂々とお湯に浸かりながら優雅に月なんか見てる。

髪の毛から滴る雫とか、月明りに照らされてる横顔とか、あまりにも絵になりすぎて
ちょっと見入ってしまった。なんか、これだと私が跡部のお風呂シーンを覗いてるみたいじゃん…。

……い、いや…ダメだ!ここで負ける訳にはいかない…!


「……………わかった。」

「何だ。」

「………あんた、私が入ってるのわかっててそれを見計らってぶふぇあ!ぶふぉっっちょっぶっ!」


精一杯の苦し紛れの私の反抗も虚しく、
跡部にお湯をばしゃばしゃとかけられてしまう。

こいつ……マジで私のことなんだと思ってるんだ…!
仮にも思春期の男女が混浴だなんて…普通もっと慌てるでしょ!
「はわわっ!み、見てないぞ!俺は見てないからなっ!」ぐらい言って
逃げ出すとかそういう可愛い反応は無い訳?なんで私がこんなにドキドキしないといけないのよ…!


クソみたいに面白くないこと言うんじゃねぇ。折角の露天風呂が台無しだろうが。」

「…っく…もういい!私が出ていくけどこれは決して負けじゃないからね!べ、別に恥ずかしがってるとかそういうことではないから!」

「………。」


本来はマナー違反だけど、仕方ない。
頭に巻いていた大き目のタオルを体に巻き付け
厳重に私の裸をブロックしつつ後退する。


「……ッフ。」

「…今笑った?私が恥ずかしがってるとでも思ってるんでしょ!違うからね!」

「いや……














 ふくよかな小学生男児レベルの身体でよくそこまで恥ずかしがれるなと思ってな。」










ちゃぷちゃぷと露天風呂の端でお湯が流し込まれる音だけが響く。
シンとした沈黙の後、自分で言ってツボに入ったのか、また堪えるように跡部が笑う。





ふくよかな





小学生男児。





ザバッ




私の頭の中は想像以上に落ち着いている。
さっきまでの心臓の高鳴りが嘘のように冷静だ。

ざぶざぶとお湯の中を進む。
呑気に月を見上げる跡部の真後ろまで。




「…アーン?なんだ、頼まれてもお前の裸なんかゴフォッ!


完全に気を抜いていた跡部の頭を押さえつけお湯の中に押し込む。
何か言いながらヘラヘラと笑っていた跡部はお湯の中で暴れている。ざまぁみろ。


「ぶふぉっ!……てめぇ…何しやがる!」

「あんたが始めた戦争でしょう………がっ!!」


腰のタオルを抑えながら立ち上がる跡部めがけて
思いっきり足でお湯を蹴りあげる。

激しい水しぶきによろめいた跡部がばしゃんとお湯の中で尻餅をつく。
勝った……!
心の中で先程の暴言に対する敵を取れたとガッツポーズをした。
……でも、さすがにちょっと怒りに任せて自分がとった行動に後から恐怖が沸いてくる。

目の前でゆらりと立ち上がった跡部は、さっきまでとは雰囲気が違う。
…ま、まずい怒ったか…。
ブルブルと頭を振って髪の雫を払い落す跡部。

なんとか気づかれないように、そっとお湯の中を歩いていると
「おい。」と静かな、低い声が響いた。


「……ま、まぁ今回はこれで許してあげっうわああああぶっ!!」






恐る恐る振り向いた瞬間だった。


上半身が裸だからだろうか、それともいつもはセットされてる髪の毛が濡れて水が滴っているからだろうか、


月の光にぼんやり照らされているからかもしれない。


いつもと違ってやけに色気のある跡部がゆらりとこちらに向かってきた。


一瞬ドキっとしてしまったのがミスだった。



私が防御の姿勢を取る隙も与えずに



ノーモーションでラリアットをかましてきやがったのだ。



思春期の男女の裸を守るものはたった1枚のタオル。
そんなギリギリの状況で
躊躇なくラリアットをかませるこいつは頭がイカれてると思う。



「ぶふぉっっちょ!っちょ、待って待って待って!タオ、タオルが取れ「戦争なんだろうが。」


必死に自分の身体をタオルで守ろうとする私にかまうことなく
さっき自分がやられたのと同じように私の頭をお湯に沈めようとする跡部。

っこ…こいつマジか…!

必死にお湯をばしゃばしゃとかけることで抵抗しつつも、
そんなの関係ねぇと言わんばかりにずんずん迫ってくる跡部。

貴様の腰のタオルはなんでそんな鉄壁なんだ。

こうなったら…見たくないけど…絶対見たくないけど、
跡部のタオルを狙って攻撃することで奴に隙を作るしか……!


「…じょ……上等だおらぁああああやってやらあああ!」



必死に目を塞ぎながら、でもちょっと指の隙間は開きながら、
目の前に迫る跡部のタオルに手をかけたその瞬間。



「何してんの、2人とも!!!」




























「すみませんでした。」

「…何が原因なの?」

「……跡部がひどいことを言いました」

「何言ったの?」

「覚えてねぇ。」

「ふくよかな男子小学生レベルの身体で調子こいてんじゃねぇぞって言いました。」



広いロビーの真ん中で、正座させられる私と跡部。
目の前のハギーが呆れたように腕を組んでいる。
他の皆はまるで興味なさそうにソファでくつろいでいる。


私が涙ながらに跡部の非道を訴えたその瞬間、
笑いを堪えるように全員が下を向いたのを私見逃してない。



「……跡部も言い過ぎだよね、それは。」

「事実を言ったまでだ。」

「滝先生、こいつを今ここで殴らせて下さい。」

「とにかく!2人とも悪いところはあるんだから反省して。」

「そうだぞ、集合時間とっくに過ぎてるし。」

「もうええから取り敢えず行こうや、足湯。」

「だよねー、ほらほらちゃん行こ!」


ジロちゃんに促されるようにして立ち上がる。
隣の跡部はやっと終わったかと言わんばかりに、背伸びをしてあくびまで放ちやがった。

こいつ…乙女の秘密の花園を覗いたことなんてこれっぽっちも悪いと思ってない…。

ギロリと睨み付けると、何かを思い出したように「ハッ」と鼻で笑いやがったので
その場で第二次戦争が勃発した。ハギーに思いっきり怒鳴られた。


























旅館から5分ほど歩いたところにあったのは、
ちょうど10人ぐらいで入れそうな小さな足湯だった。

真ん中に木製のテーブルがあり、その周りを囲むように
腰かけが設置されている。

そして、今日は晴れの為か屋根は完全にオープンされていて
何も遮るものがない星空を堪能できるようになっている。

私達は下駄を脱いで早速足湯へと飛び込む。
じんわりと足から伝わってくる温かさに、おもわずため息が漏れる。



「あ!今流れ星見えなかった?」

「絶対ウソ。見えてねぇし。」

「あれ、カシオペア座ですよね。」


ちょたが指さした方向にはカシオペア座があるらしいけど、
正座に詳しくない私にはただの星空にしか見えなかった。


「マジかよ、あれは?」

「北極星ですね。」

「…なんかロマンチックだねー。」


テーブルに肘をつきながらハギーが言う。
確かに、今この場にあの氷帝メンバーでこんなロマンチックな状況にいるのが信じられない。
色々とあって少し疲れていた私は、楽しそうな皆の話を聞きながらぼんやり星空を見上げていた。


「…持ってきました。」

「お!サンキュー、日吉に樺地!」

「え、何なに?」

「旅館の方からサービスで全員分のラムネをいただきました。」


少し遅れてきた樺地とぴよちゃんさまが、
一人一人に配ってくれたのは爽やかな炭酸飲料。
わぁ……足湯に入りながら、星空の下で飲むラムネとか…最高じゃん!


「ありがと!わー、ラムネとか久々だよー。」


キュポンと小気味の良い音がそこら中で響く。
ラムネが何かわかっていない跡部には、隣の宍戸が丁寧に教えてあげていた。


「…ぷはぁー!うま!どうだよ、跡部!」

「疲れも吹き飛んだやろ。」

「……お前らが気遣ってるのが丸わかりなんだよ。」


グイっとラムネを飲み干して、フと笑う跡部。


「…ちょっと最近寝不足が続いただけだ。」

「でもちゃんも心配してたんだよ〜。」

「ジ、ジロちゃん!私じゃなくて皆が、でしょ。」

「……フン、さっき余計に体力消耗させられたけどな。」

「っぐ……そ、それは…お互い様っていうか…。」

「ま、まぁまぁ。跡部さん、少しは楽しんでもらえましたか?」


また喧嘩が始まりそうな雰囲気をいち早く察したらしいちょたが、
私達に割って入る。…本当出来た後輩だよ。自分が情けない…!


「……まぁ、この足湯は悪くねぇな。」


そう言って空を見上げる跡部の顔は、もうすっかりいつもの表情に戻っていた。

素直じゃないからはっきりとは言わない跡部。
でもいつも一緒にいる私達にはその変化がよくわかってしまう。
皆で顔を見合わせて静かに笑った。


さらさらと涼しい風が吹き抜ける。
見上げると、黒い木々の間から零れ落ちそうな程の星が輝いていた。

いつもあれだけ五月蝿い氷帝メンバーがこの時ばかりは
その星空に夢中になっていた。





























次の日の朝


コンコン


「おかしいな…、もう行ったのかな?」


朝ご飯の時間に部屋の前に集合だったはずなのに
そこには誰にもいなかった。

強めに皆がいる部屋のドアをノックしても全然返事が無い。
おかしいな…男子は全員同じ大部屋のはずだから
誰か起きてるはずなのに。

どうしようかと考えながらドアノブを捻ってみると、鍵がかかってなかった。


「不用心だな…。あ、貸切か。…入るよー。」


中の襖をそろりと開くと、中は電気もついていなくて
部屋の窓のカーテンからわずかに差し込む光があるだけ。

こんなに広いスペースのある部屋の中で、
何故か真ん中に密集して敷かれた布団。
そしてその真ん中にはUNOのカードが散らばっていた。

起こさないようにゆっくりと近づいて見てみると、
カードを持ったまま倒れているがっくんや宍戸、
そして跡部や忍足までもが、掛布団もかけずに浴衣のまま寝転がっている。
珍しいことにぴよちゃんさまやちょたも遊びながら寝てしまったようで
浴衣の胸元が少しだけはだけている。眼福眼福…。
でもやっぱりというかなんというかハギーはきちんと布団にくるまって寝ていた。

散らばるUNOに乱雑に寝転がる男達。
まさに「遊び疲れてそのまま眠ってしまった子供たち」の図だった。

気持ちよさそうに眠る樺地やジロちゃんを見ていると自然と顔がニヤけてしまう。


……なんかいいな、こういうの。


きっと昨日はみんなでわいわい騒ぎながら笑ってたんだろうな。
慰安旅行のはずなのに、なんで徹夜なんてしちゃうかな。

試合中や部活中には見られないような皆の姿を想像すると、なんとなく心が温かくなった。

私が入ってきたことにも気づかずに無防備に眠るみんなをこっそり写真に収める。
帰ったらこれを旅の想い出アルバムとしてまとめよう。
きっとみんな怒るだろうな。変態だの異常性癖者だの罵るだろうな。
でも大人になった時に見返すと…また昨日みたいに笑えると思う。


そんなことを考えながら、私はそっと部屋を後にした。