氷帝カンタータ





夏空セレナーデ(2)





「バレンタインッデイキィイッス」


「もう…もうやめてぇぇええ!」


さっきから鳥肌がとまりません。
バスに乗り込んで、程なくして始まった忍足ハッピーソング☆コンサート(自称)
最初はまぁ、バスの中での楽しい余興として皆ノリノリで手拍子とかしてたのですが、今はどうでしょう。
ご覧ください皆の屍のような姿を。

もうかれこれ1時間以上、忍足のリサイタルを聞かされてるのですからこうなるのも当然です。
ジャイアンのリサイタルを炎天下の空き地で聞かされる
のび太君やスネ夫達の気持ちが痛いほどよくわかりました。


「なんやねん、。人が気持ちよう歌ってんのに邪魔すんなや。」

「何十曲歌ってんの!あんたのおぞましいエロボイスが耳にこびりついて寝ようとしても寝れないのよ!」

「なんや、俺の声に酔ってもうたんかいな。」


ドヤ顔で私の耳元に語りかけてくるちょっと髪の毛が長くてメガネをかけてるジャイアン。


「うん…酔ってる、乗り物酔い的な意味で…。なんか体内から出てきそう。

「失礼なこと言うな。」


パシっと私の頭をはたきながら、もう一度マイクを握り直す奴の手を私は見逃さなかった。
あぁ、もうダメだこいつ。誰か…誰か助けて!


助けを求めて周りを見渡してみるけど
がっくんは力なく倒れこんで、両手を握りしめ何かに祈るポーズで震えてる。
ジロちゃんとぴよちゃんさまはこんな状況でもぐっすり眠っている。
ぴよちゃんさまの艶かしいアイマスク姿をきちんと携帯の待ち受けに設定し、その後ろの席に視線を移すと、
イヤホンをしながらお菓子を貪り食う宍戸。
その隣には静かに読書を楽しむチョタ。酔わないのかな?この環境で読書ってどんだけ精神力高いのよ。
精神力といえば樺地はまっすぐ前を見据えて微動だにせず座ってる。
…恐ろしい子!

1番の頼みの綱、跡部は腕を組み、額に青筋を浮かべている。
忍足があと一言でも言葉を発っそうものなら、すぐさま掴みかかりそうな、そんなギリギリの状態だった。
よし、跡部ならできる。この地獄のリサイタルより2人のうるさい喧嘩を聞いてる方がまだマシだ。


「おい、忍足。」


跡部が重い腰をあげたその瞬間



「サービスエリアに着きましたー、15分のトイレ休憩をとりまーす。」




気の抜けた運転手さんの声が車内に響き渡った。
た…助かった!救世主!まさにメシア!!


「なんや、ほな第一部は一旦終了やな。」


マイクを席に放り投げ、バスを下車したデーモン忍足。
車内に残された生贄の皆さんもぞろぞろとバスを降りる。


「…跡部、あいつさっき第一部とか言ってたけど」

誰が第二部なんか開催させるかよ。あいつを多少負傷させようが、全力で止める。」

「あんたにこんなに共感できたの初めてよ。加勢するわ。私にナイスアイディアがあるの。」


怪訝そうな目で私を見下ろす跡部。
どうせあんたは真正面から忍足にぶつかっていく気でいたんでしょ。
まったくいつまで経っても青二才なんだから。
ちょっとは頭使わないと、いくら体力あっても足りないわよ。
まだ合宿始まってから1時間しか経ってないからね、今。


「榊先生。お話があります。」

「なんだ。」

「これ以上忍足のリサイタルを聞いていると体が爆発しそうなので、
先生のお気に入りのクラシックをかけて、さりげなく歌わせないようにしてくれませんでしょうか。」


ぺこり、と頭を下げるとあっさり承諾してくれた榊先生。
先生もリサイタルにうんざりしてたのか、私のお願いの途中で既に何回も頭を縦にふっていた。


「…、頭いいな!」

「っふ、がっくん。感謝しなさい。」


ウルウルした瞳で私に尊敬の目を投げかけてくる生贄達…!
ふふ、気分いいわね。まぁでもこれであと1時間は平穏にすごせるわ。
























「なんや?クラシック聞こえてるけど。」

「あー!榊先生だよ、きっと!残念だったね忍足。
 先生、クラシック聞いてる時に騒いだらガチで睨んでくるからね!


経験者は語る。
さすがに先生のCDを中断させることはできないと考えたのか、忍足はブツブツいいながらもカラオケへの執着は捨ててくれたようだった。
勝った…!罪なき生贄達を私が救ったのよ…!


私と忍足の後ろに続くレギュラー陣に大きくガッツポーズをすると、
皆今まで見たことないような、朗らかな笑顔を返してくれた。
いつもそんな顔なら皆愛らしいのにね。



「お?なんやこれ、ビデオかいな?」

「ん?何なに、クレヨンしんちゃん?なら私ヘンダーランドがい…い…?」


バスに備え付けられた無駄にでかく高画質なスクリーンに写っていた映像は
どこか見覚えのあるものだった。
一点方向から映された舞台に、高級感溢れる一台のグランドピアノ。
そこから美しい音色を紡ぎだしているのは先生の教え子の一人、氷帝学園3年の田中君だ。


「あ!これ田中じゃん、俺と同じクラス!」

「え、がっくんと一緒だったんだ。田中君かっこいいよねー。」



田中君はピアノも上手いし、何でもそつなくこなす。そして、性格も穏やかなんだよ。
あんなに何でもできるのに他人に対しておごり高ぶらず、常に物腰柔らかなハイパー好青年。
どこかの誰かさんとは完全に似て非なるものだよねぇー…
と思いながら跡部の方を見ると、ばっちり目が合ってしまった。


ガツッ


「っ、いった!何よ!今女の子から出るはずのない音が出たんですけど!」

「うるせぇ、お前が失礼な顔してるからだ。」

「失礼な顔ってどんな顔だ説明してみろこの野郎!!!」


すぐ女の子に暴力振るうし、やっぱり田中君とは大違いだ。あー、急に恋しくなってきた田中君…。



「…、何うっとりした顔してんねん気持ち悪い。」

いちいち余計な形容詞はさまないでくれる?田中君の勇姿を見てるんだから邪魔しないで!」

「なになに、って田中のこと好きなのかよ?!」

「ちょっ、がっ..がっくん大きな声で何言うのよ!違うに決まってるでしょ!」

「えー、だめだめ!ちゃんこんな男に持ってかれたくないCー!」


ぎゅっと腰に巻きつくジロちゃんはやっぱり愛らしい・・・!
田中君もいいけど、やっぱり私はこういうゆるふわ愛され男子が好物だわ。


「おい、お前ら。どうでもいい話で俺の睡眠タイムを妨害するんじゃねぇ。」


心底冷たい顔で私たちを威嚇する跡部。
私だってあんたの睡眠タイムなんかどーっでもいいんだよ、このすかぽんたんっ!

とでも言おうものなら間違いなく鉄拳制裁が待っているので、穏便に済ませるためへラッと愛想笑いをしておいた。


「お、終わった。なんでこんなの流してるんだろうな、監督。」

「ね。自分の教え子を自慢したいのかな。ぷぷぷ。」


前の席に座るがっくんとこそこそ話をしていると、突然私の腰に巻きついていたジロちゃんが声をあげる。



「あ!ちゃん!」

「え?」




そこには、緊張でがちがちになった私の入場シーンが映し出されていた。
思い出した、この光景。…あの時のコンサートか!!!!


「ううわぁああああああ!先生!ストップ!停止停止!!
 No more warです先生!緊急停止をお願いします先生ぇえええ!



1番前の席まで走りリモコンを奪おうとするも、
そこにはラスボスも涙目で逃げ出すほどの形相をした先生が座っていました。


、静かにしなさい。」

「…はい。」






「…これ、かよ。なんかいつもと違うな。」

「宍戸さんでもそういうのわかるんですね。確かに先輩綺麗です。」

「はー。馬子にも衣装やなぁー。」

ちゃん超かわEー!!」

「やめてぇえええ!恥ずかしすぎて爆発するぅぅぅう!」



ちょっと気合いれてワインレッドのマーメイドドレスなんか着ちゃったためにガッチガチに緊張して

確かこの後…





ババァアアアァン




やっぱり。
ドレスを踏んでしまい前につんのめった私はそのまますってんころりん。
最悪なことにその時にとっさに鍵盤を掴んでしまい、3000人入る大ホールに情けない音が反響したのだった。

先生は正直これが見せたかっただけなんじゃないだろうか。
あの時助けを求めて先生を見たら、めっちゃ笑ってたしね。あんな顔始めて見たよ。絶望した。



「ぶふっ、うわー!だせぇ!あははははは!」

「…っは、慣れない格好するからだろ。」

「……台無しですね。」

「う…うるさいうるさいうるさい!無駄に長いドレスが悪いの!」


笑いの渦に巻き込まれる会場につられて、バスの車内も失笑と嘲笑の渦が巻き起こった。
……っくそ、本気で恨むわよ先生!

「あ、ちゃんのピアノはじまるよー!」




























演奏が終わり、シーンと静まり返る車内。
先生がビデオを切り、寝る体制に入ったことで車内はさらに静まり返る。
もっと早く消せよ!なんの辱めよ、これは!

「…。」

「な…なに、がっくん。批判は受け付けません。」

「すげぇじゃん!すげぇかっこいい!」

「お?え…?かっこいい?」

「俺、のこと今まで完全に見下してたけど見直したぜ!」

え、ちょっと悲しいワードも聞こえたけど気にしないでおくね!ありがとう、がっくん!よかったら結婚する?

「そういうところはマジで残念だぞ、。」


さっきまであんなにキラキラした顔で話しかけてきてくれたじゃん。
何そのお手本のような手のひらの返し方。


にはもったいない能力やな。」

「どういう意味よ。」

「そやなぁ…豚に真珠、いや、ゴミ箱に真珠ぐらいの感じやわ。

「完全にムダってことじゃん。」

忍足が最後に「でもあの衣装はまた着てや」と、ご自慢のエロボイスで囁いてきた時は、真剣に身の危険を感じました。
こいつ…中学生にしてそんなとこしか見てないとは恐ろしい奴…!

ただ忍足に言われても、びっくりするほどドキっとしないのは何でかな。
むしろなんか不快感が残るよね。
セクハラとかそういう感じの不快感。



先輩、すごいです!あんな特技があったなんてなんで隠してたんですか?」

「え?いや、隠してたわけじゃないけど、なんか真面目にしてる私って恥ずかしいじゃん?」

「……いつもあのくらい女性らしくすればいいじゃないですか。」

「ぴよちゃんさま…あの、さっきの私女性らしかった?」

「……まぁ、そうなんじゃないですか。」


ふいっと顔をそらして萌えキュんセリフをさらっと言ってくれるツンデレ王子…
ご…ごっつぁんです!これであと1年は生きられるよ、私…!



「馬鹿か、あんなもん対したことねぇだろ。」

……何なんでしょう、人が昇天しそうな気分の時に。
なんでいちいち全力で邪魔しにくるんでしょう。
私とぴよちゃんさまのロマンティックタイムにしょーもないヤジ挟まないでくれます?

あ、そうか自分が1番じゃないと気が済まないからそうやって必死なんですね。
せっま!心のキャパせっま!


「全部声に出てんぞ。」




そっと後ろから宍戸に指摘されて、やっと目の前の跡部がバッキボキ指を鳴らしてることに気づいた。



合宿スタートから1時間30分。



、もう既にボロボロです。