氷帝カンタータ





番外編 プティ・タ・プティ





「受け取りなさい。」

「……先生……、もしかして余命宣告か何かされたんですか。」



だってあの先生が。泣く子も無言で跪くラスボス中のラスボスの先生
私に向かって差し出しているモノは、どう見ても…


「勘違いするんじゃない。これは大田先生へ渡すものだ。」

「……っま!…まじッスか…は、はぁ先生っていわゆるそっちの「いい加減にしなさい、。」


いや…意味わかんない、驚きすぎてちょっと鼻水でそうだった今。
大田先生というのは、最近お世話になっている例の立海の音楽教師。男性。32歳。中年。
月に2〜3回ぐらいピアノの練習を見てもらったりしている…んだけど…

今の先生の言い方だとどう考えても、榊先生から大田先生への真心込めたチョコレートを
私が飛脚となって渡しに行きなさいっていう意味だよね…!?
相変わらず言葉数が少ない上に、日本語を操るのが不得手な大人を見て
その真意がつかめず、目をぱちぱちと瞬かせた。


「…明日はバレンタインデーだろう。」

「そ、そうですね…。」

「お世話になっている先生にきちんとチョコレートを用意したのか?」

「えーと…してません。」

「そんなことだろうと思って私が用意しておいた。」

「…と、いうことは実質的にそのチョコは榊先生から大田先生へのチョコってことですよね?」


ギラッと鋭い眼光を向けられて一瞬怯むけど…
だって…だって気持ち悪いもん!どう考えても気持ち悪いじゃないですか、
いい年したおっさんが、おっさんにチョコを渡してほのぼのしてるところなんて!
そんな世紀末なイベントに私を巻き込まないで欲しいんですけど!



「違う。大人の世界はそういう義理で成り立っているんだ、理解しなさい。」

「……つまり、お歳暮みたいなものってことですね。」

「…は時々感心するような例えを出すな。」

「いや…。」


先生の日本語の引き出しが極端に少ないだけですよ、とは言いだせなかった。
満足気に頷く先生から、高級そうなチョコを受け取る。
シックな茶色の包装紙にゴールドのリボンが映えている。
チョコの裏面を見ると、誰もが知っている有名チョコブランドのロゴマーク。
今すぐ自分で食べたい衝動に駆られるけど、そこは我慢。



「…今日は部活も休みだろう。早く行きなさい。」

「ええ!い、今からです…か、バレンタインって明日ですよ?」

「明日は大田先生がお休みの日だろう。そのぐらい調べておきなさい。」


ぴしゃりと言い放つ先生。明らかに目が「早く行け」と訴えている。
えー…もう、面倒くさいな…。何が悲しくておじさんに遥々チョコを届けに行かないといけないのよ…
大田先生いい人だけどさ…わざわざ……、あ。そうだ。


「…わかりました、いってきまーす。」


折角行くんだから…ね。
先生に会いに行くだけじゃもったいない。

ちょっと楽しいアイデアが浮かんだ私は、少し気分が上昇する。
先生に気付かれないぐらいの声のトーンで音楽室を後にしようとすると、



「待ちなさい、。いい忘れていた。」

「なんですか?」

「どうやら頻繁に他校の生徒が出入りするのは、立海にとって都合が悪いらしい。
 許可があると言えども、大田先生は他の教師から少なからず批判を受けるらしくてな。」

「そ…そうなんですか…、なんか先生に悪いですね。」

「そこで、先生がお前にこれを送ってくれた。」


ピアノの椅子から立ち上がり、音楽室の奥へと消えた先生。
戻ってきたかと思うと、その手にはどこかで見たような制服が。


「……それって…。」

「立海の制服だ。」

「うぇええええ!マジですか、っていうかそこまでして行くことないでしょう!」

「…中々のことを気に入ってるようでな。大田先生は音楽の業界にも顔が広いお方だ。
 多少無理をしてでも教えを請うことは、にとっても悪い事じゃない。」

「……んと、いや、はい。…けど…。」

「さぁ、早くこれを着て行ってきなさい。」
































ガラッ


「あ、大田先生。こんにちは。」

「あぁ、さん。いらっしゃい、よく似合っていますね。」

「え、へへ。ありがとうございます、なんだかちょっと変な感じですけど…ね。」

「これで他の生徒にジロジロ見られることもなくなったでしょう?」

「はい!何か自分が立海生になれたみたいで嬉しかったです。」

「はは、それは良かった。それで、今日は何の用だったんですか?」

「そうだ!えーと……はい、これを…!いつもお世話になっております。」


ガサゴソと鞄から取り出したのは、某有名チョコレート店の高級チョコ。
これを見ると、さっき榊先生が真顔で差し出してきたことを思い出す…ぶ、不気味だ…。

大量の荷物でパンパンになった鞄を抑えながら、チョコを差し出すと
いつもと変わらない優しい笑顔で大田先生が「ありがとうございます」と呟いた。


「1日早いですけど…召し上がってくださいね!」

「はい、ありがたく頂戴します。……その他にたくさん入ってるモノは誰にあげるんですか?」

「えっ!いや…え…と、これは…その…立海の友達に…。」

「そうでしたか。今日はその制服もあることですし、自由に校内を見て回ると良い。」

「あ、そっか…!そうですね、じゃあ早速探してきます!ありがとうございました!」

「いってらっしゃい。」


ヒラヒラと手を振る先生に別れを告げ、取り合えず廊下に出てみたものの…
うーん、校舎内なんて全く知らないし…
重たい鞄を肩に下げながら、うーんと唸っていると



「…おや、あなたは…。」



どこかで聞き覚えのある声に目線を向けてみれば、
そこにいたのは柳生君だった。


「あ!柳生君、お久しぶりー!」

「…さん、ですよね?どうしたんですか、その制服は?」

「ちょっとね。溢れ出す氷帝の妖精オーラを抑えるために、かりそめの姿で忍んでいるのです。

「そうでしたか。」


………。お…おお……、無反応ってこんなに怖いものなんですね…!
全然突っ込んでくれないんだもん、にこりともしないで、そんな真面目な顔で「そうでしたか。」
なんて言われたらさ…!ねぇ!ごめんなさい、ってなるよねぇ!


「……すいませんでした。」

「おや、どうして謝るのですか?」

「いや…、なんか自分甘えてたなって。如何に自分がつっこみに頼った無鉄砲なボケを放り込んでいたかを反省しました。

さんはお笑いの道を志していらっしゃったんですね。なるほど…、そう考えると合点がいきますね。」

な、何に合点がいったの?

「仁王くんからお正月の話を聞きましたよ。
 その…何といいますか非常に活発というか、女性にしては考えられないほど野性的といいますか…。
 いえ、決してあなたを否定しているわけではないのです。世の中には様々な人がいるということはもちろん理解しています。」






もういい…、もういいよ柳生くん!
必死にオブラートに包もうとしてるけど、そのオブラートぼっろぼろだよ!全然包み隠せてないよ…



「ですので…やはりさんが芸人の道を志すのは自然の摂理というか…。向いてると思いますよ、芸人。


清々しい程の笑顔で言い切ってくれる柳生くんについ目がうるんじゃう。
違う、違うんだよ柳生くん。嬉しくて涙ぐんでるんじゃないの。
何時の間にか私の肩書きがアイドルから芸人に自動上書き保存されてるのが悔しいんだ。


「っく…。ありがとう柳生くん…。あ!そうだそうだ!」


思わぬところでHPを削られた私はすっかり忘れていました。
榊先生が言ってたもんね。お世話になってる気持ちはきちんと示さないと。
既にチャックの閉まり切っていないカバンから取り出したのは、
ここにくる途中に買ってきたチョコレート。
コンパクトサイズの丸いパッケージに乙女らしい薄いピンクのリボン。
中には私も大好きなトリュフチョコが4つ入ってる。

私の行動を見つめる柳生くんにそれを突きつけると、驚いた顔をしていた。



「一日早いけど、はい!」

「…ああ、バレンタインデーですね。ありがとうございます。」


綺麗な顔で微笑む柳生くん。
廊下の窓から差し込む光が柳生君のふんわりした笑顔を際立たせる。
なんだか漫画に出てくる王子様みたいだな。

そんな柳生君だからきっと明日はいーっぱい貰うんだろうけど…


「これからもよろしくね!」

「…ふふ、はい。そんなに心配しなくても義理だとわかっていますよ。」

「え?…え…あ、そういう意味で言ったんじゃないよ!」


まずい、なんか変な意味に勘違いされてない?
確かに義理チョコだけど…義理チョコだけどこれは布石というか…!
あわよくばこれを機にもっと仲良くなりたいなっていう下心を具現化したモノというか…!

どうやら柳生君は私の発言を「べっ別にあんたが好きだからあげるわけじゃないんだからね!」
というような意味合いで理解しているようだ。いや、好意はもちろんあるんだよ!

しかしそれをどう伝えていいかわからずアタフタしていると、柳生君はクスクスと笑いながら私の頭に手を置いた。
何事かと上を向くと、やっぱり王子様みたいな笑顔でほほ笑んでるジェントルマン。
ポンポンと優しく頭に触れられると、何だか妹扱いされてるみたいでちょっとくすぐったかった。



「…芸人に恋は禁物ですよ。それでは、アデュー。」



……ん、あれ。なんかものすごく今心にグサっときたんだけど。
げ、芸人…!?いや、ちょっと、立海でもそんな扱いになったら…
私は一体誰になら優しくしてもらえるんですか?

さっきまで少女マンガのヒロインのような心境で
バレンタインロマンスを楽しんでいたというのに…。
私のハートは急に後ろからフルスイングのバットで振り抜かれたような鈍痛に襲われる。

そんな私に爽やかなスマイルで別れを告げる柳生君。
な…なんや、アデューって…。やっぱり立海はお洒落だな…。



「…そこの角を曲がった教室に丸井君達がいますよ。」

「へ?…え、ああ、ありがと!」


膨らんだ鞄を見て、きっと柳生君は私が次に何をしたいか予想していたのだろう。
さりげなく去り際に助言してくれるところとかマジでジェントルマンだなー…。
そういえば、がっくんが柳生君は紳士って呼ばれてるって言ってたなぁ。

氷帝にも1人ぐらい居ればいいのに、紳士がさ。私と言う淑女だけじゃ、やっていけないよ。
…って言ったら、がっくんに真剣な顔で「ふざけんなよ。」って言われたの思いだした。
怖かった、あのがっくんは怖かった。























ガラッ


「お…お邪魔しまーす…。」

「……んぁ?あれ?何やってんだ山賊。

「山賊!?どこ、怖い!」


「はは、お前だよ。」



意を決して教室のドアを開けてみると、予想に反してそこには丸井君とジャッカル君しかいなかった。
教室の最後列でガムを噛みながら机にべたっと寝そべる丸井君と、
その前の列でノートのようなものを広げているジャッカル君。



「…っていうか、何なの山賊って!イジメカッコワルイよ!」

「正月の事件から俺達のこと山賊って呼んでんだぜ。」

「いや…あれは違うじゃん!そういうルールに則っただけじゃん!」

「まさか21世紀にもなって追い剥ぎに合うとは思わなかったよな。」


ケラケラと笑う2人と、教室のドア付近でわなわなと震える私。
い…いかん、これじゃ二の舞だ。超二の舞。ここでジェットストリームアタックでもぶちかまそうもんなら
間違いなく私は山賊から妖怪ぐらいまでランクダウンしてしまうに違いない。


考えろ、考えるのよ…!
大丈夫。これはほら、好きな子ほどイジめたくなるんだよ☆っていうアレだから大丈夫。
まだ早い。まだ立て直せる…!


「あ、っていうかそれ…まさか…!」


ジャッカル君がわざとらしく口に手を当てて
私を指さす。何だろう、あ、この制服のことかな?


「これねー、大田「そこらへんの女子の制服追い剥ぎしたんだろぃ?」


























「ちょ、ま…まて!痛い!わかった、謝るから!」

「うおー!すげぇ、ヘッドロックだ!」


…はっ!つい勢いでジャッカル君にヘッドロックをかましてしまった…!
何となく侮辱された気がして体が勝手に入口から猛ダッシュしてしまった…!
だ、だって余りにも氷帝に居る時の扱いとかぶったから…やだ、あのお正月以来立海の皆がなんかおかしくなってるよ!
私の腕の中でもがくジャッカル君はパシパシと私の腕を叩き、あっさりとギブアップを宣言した。


「……もうちょっと我慢しないと、男の子なんだから。」

「げほ…っ、いや…っていうか今のブン太だろ!なんで俺がやられるんだよ!」

「…確かに。」

「待て!嘘!うーそに決まってんだろぃ?そんな怒んなって。」


ジャッカル君から丸井君へと目線をうつし、よし次はドロップキックをお見舞いしてやろうと近づいた。
すると焦った様子で丸井君が私の両肩を掴み、口に無理矢理スティックガムをつっこんできたではないですか。


「んぐっ!なっなにひゅ…っ……りんご味だ。」

「な!美味いだろぃ?だから落ち着けって。」

「…ズルイぞ、ブン太。」

「…この制服は大田先生にもらったんだもん。」


もぐもぐとガムを食べながら入口付近に放り投げた鞄を取りに戻る。
ジャッカル君がまだ、首いてぇとか、あいつ怖ぇとか言ってるのを見て
ゲラゲラと笑うブン太君。



「っていうか、本当何か用事あったのか?。」

「えーっと…用事っていうか先生にちょっとね。あと…はい、これ。」


鞄からチョコを取りだし、2人に差し出す。
一瞬ポカンと口を開けた2人だったが、さすがにすぐ理解したようで。


「う…っわ、チョコ!?やった!お前マジいい奴!」

「わざわざ…ありがとな。」

「きっと明日は山ほど貰うんだろうけどね。」

「おう、そりゃぁな。俺、明日が1年の中で1番好きな日だわ。」


目をキラッキラさせたブン太君がそう言いながら、早速リボンをほどき始めた。
…本当に食べ物好きなんだなぁ。
ジロちゃんが「ブン太君は食べ物くれるものが好きなんだってぇ!」なんて言い出した時には
どんな環境で育ってきたんだよと不憫に思ったけど…確かにこんな嬉しそうにあげたものを食べられると、もっとあげたくなる。

そんな丸井君を見つめながら苦笑いするジャッカル君。
私の視線に気づくと、笑顔で「大切に食べるわ。」ですって。
ジャッカル君は絶対モテるタイプ。間違いなく天然タラシ系爽やか男子だわ。


「そうだ。皆に一応持ってきてるんだけど、どこにいるか知らない?」

「うわ!まだあんのかよ。全部俺にくれればいいじゃん。」


口元にチョコレートをつけたまま、まだおねだりしてくる丸井君。
…この子も絶対モテるな。分類としては、母性本能直接攻撃系男子。
何その人懐っこい笑顔、乙女のハートにダイレクトアタックかましてこないでよ。



「い、一応皆にあげないとね…!ほら、平等の精神を持っていてこそのアイドルだから。

「そういえば仁王は屋上だと思うぜ。」



華麗にスルーされた私の信条。
ま、まだ良いか…。右ストレートが飛んでこないだけまだ氷帝よりマシか…。

かなりハードルを下げながら自分を励ます私。ファーイトッ!


































2人の話だと、仁王君はこの時間よく屋上にいるらしい。
「仁王君かー」と一言発すると、2人が不思議な顔をした。


「…仁王嫌いなのかよ?」

「いや、決して嫌いとかじゃないけど…なんだかよくわかんない。」

「まぁ、詐欺師って言われてるぐらいだからな。」


嫌いなわけじゃない。イケメンだし、物腰柔らかだしむしろ好きな部類なはず。
だけど…どうも本心が見えないというか。
立海の皆で集まってる時に、こう…絡んでくれたりするけど、それは周りに合わせてるだけな感じで。
本当は私のことなんて何とも思ってない…みたいな空気を感じることがあるんだよね。
一歩引いた目で冷静に静観されてる感じがどうも居心地が悪かったりする。

考えすぎかもしれないけど。



「屋上って…このドア鍵開いてんのかな?」


2人が言ってた屋上というのはここの事なんだろうか。

取り合えずドアノブを握りしめ
勢いよく扉を押すと












「………。」

「………。」










ガチャンッ































なんだ今の。








わ、私の見間違いじゃなければ今…ドアの真ん前で…
キ…キスをしている男女が…見えた…ような…

恐る恐る少しづつドアを開いてみると…



「……。」



女の子の肩越しに、ばっちり目が合った。
動けずにじっと見つめる私を気にもせず
キスしたままでこちらを挑発的な目で見つめる仁王君。



「…ん……雅治、どこ見て……、え…だ誰?」

「え……えーと…?」

「……っ!」



後ろを振り向いた女の子は、私の存在に気付き足早に屋上から去ってしまった。
想像以上に可愛かった…って、そんなんじゃなくて。



「…山賊が覗き見しとる。」

「いや…、ちが…山賊じゃ…ありません…。」

「なんじゃ、その格好。」

「えー…と、その…お邪魔しましたぁ!!


言い知れぬ不安を感じた私は取り合えずこの場を去ろう。
去って携帯で跡部に通報しようと考え、ドアを思いっきり閉めようとした。



ガシッ



「待ちんしゃい。」

「ひ、ひぃぃいいい!許して下さい、誰にも言いませんからぁあ!」


思いっきり掴まれた腕を引っ張られ
あっさりと屋上に引きずり込まれてしまった。

ただでさえ何となく苦手な「仁王君と二人きり」という状況に加えて
あんなシーン見ちゃったら…。



「…別に隠しとるわけでもなか。」

「え?…あ、そうなんだ。公認の彼女なの?しかし、学校内であのような破廉恥行為は…。」

「何を真田みたいなこと言っとるんじゃ。ほんで、あいつは彼女じゃない。」

「かっ…、え、彼女じゃない人とちゅ…ちゅーするんです…か…。」


空に向かい大きく伸びをする仁王君。
連れては来られたものの、いつでも逃げられる体勢をとる私。
単純な疑問を投げかけたはずだったのだけど。


「……はせんのか?」

「しなっ、しないに決まってるじゃん!ダメだよ、まだ中学生なんだから!健全なお付き合いじゃないと!」

「…なんじゃ、健全なお付き合いって。」

「例えば…ほら、一緒にプリクラを撮るとか…飲み物を回し飲みして間接キッスとか…そういうので盛り上がる年頃じゃん!」

「………っは。」


うわ、めちゃくちゃ鼻で笑われた。
ものすごく見下した目線で笑われた、くっそなんだこの中学生…!

がっくんとか私なんか、まだ「うんこ」っていう単語だけで
2時間は笑っていられるぐらい子供なんだからね。

そんな子供にあんなもん見せつけて良いわけないんだからね…!


「なーにカマトトぶっとるんじゃ。」

「ぶ…ぶってるとかじゃないもん!」

「ほぉー?……ちょっとこっち来んしゃい。」

「や、やだ。何か仁王君悪い顔してる。」

「顔は生まれつきじゃ。」

「ちょ…ちょっと待って、落ち着こう…!OK、いい子だボウヤ。」


一旦動きを止めたかと思うとまた動きだした仁王君に噴き出す汗が止まらない。
私が近づかないとわかると、どんどんこちらに歩み寄ってくる仁王君。
あっという間に壁に追いつめられた私は咄嗟にドアノブに手をのばしたけれど、

大きな掌で私の腕は行く手を阻まれてしまった。



「な…なになになに!」

「……そのデカイ鞄に入っとるの、なんじゃ?」

「え、あ…こ!これ!これ渡しに来ただけなの!」


そうかこの手があった!
チョコレートに注意を引きつけているうちに、腕を振り払って…逃げる!

鞄から取り出した物を、仁王君の目の前に突きつけると
一瞬の隙が出来た。今が好機!と腕に力を入れてみたけれど、今度は両手首を掴まれ完全に壁に押し付けられてしまった。

え……、何だこれ…何だこれ!


「っ…ちょ!」

「バレンタインデーのチョコか。嬉しいのぉ。」

「う、うん!取り合えず落ち着こう?ほら、数えて!羊を数えてごらん!?


何となく今の状況がヤバイと判断した私は、
必死に仁王君のテンションを鎮めようと努める。
…きっとさっきの女の子とのキスでアドレナリンが大放出されているのだろう。
ニヤっと笑うこんな仁王君、恐ろしすぎて太刀打ちできる気がしないよ…!



「……ふーん…。さっきの女子もチョコレートくれた。」

「……そうなんだ…。」

「…あいつ、お返しに何が欲しいって言ったと思う?」

「え、もうホワイトデーの話してたの?賢い女子だね。





「……キスしてって言いよったんじゃ。」































「ぎ、義理だからね!私のは義理だから見返りとかいらないです!切実に!」

「……何慌てとる。」


クスクスと笑う仁王君。段々と日が暮れてきた。
屋上いっぱいに広がるオレンジ色の夕焼けが逆光になって、
彼の顔がなんだかいつもよりもっと大人に見えた。

しかし私の頭の中は、どうやってこの仁王ホールドをすり抜けるかを考えるのに精一杯だった。
思った以上に力が強い。当たり前なんだけど。
苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう私に、仁王君が不思議そうに問いかける。



「まだカマトトぶるんか?」

「何が!さっきから訳わかんないよ!」

「…いっつもあんなに大勢の男子に囲まれて、純真無垢ぶってるお前さんを
 めちゃくちゃにしたら…面白いんじゃろなーと思って。」



先ほどよりも鋭さを増した仁王君の笑み。

一瞬頭が真っ白になった私を現実に引きずり戻したのは、

制服をすり抜けて横腹に滑り込んできた仁王君の冷たい指だった。




「………ほ…」

「ほ?」



























「滅びのバーストストリィィィムッ!」






ゴチンッ






「っっ!……っつー…!」




全身の血が頭に上り沸騰して爆発しそうになった。
わずかな意識の中で思いっきり頭をふりかぶり頭突きをかますと、
仁王君は頭を押さえてしゃがみこんでしまった。

遊☆戯☆王カードで宍戸と対戦していたときに、
HPを直接けずる反則技ばっかり繰り出してくるあいつに対して、
「滅びのバーストストリーム」をお見舞いしてやった時の、
計り知れない怒りを思い出して、全身全霊で頭突きをしました。

「なんでここで遊戯王ネタなんじゃ…」と悶えながら呟く仁王君。
あ、やっぱ同年代だからこのネタわかってくれるんだ。




「こ…この破廉恥中学生!ぜ、ぜぜぜぜ絶対に弦一郎さんに言いつけてやるから!」

「…ふ…っふふ…面白いのぉ。」

「お、乙女の純情をからかわないでよ!仁王君知らないと思うけど私結構普通に法的手段に出るからね!

「……わかったわかった。からかって悪かった。」


額を抑えながら笑う仁王君が、私もう本当にわからない。
何なんだろう、ちょっと恐怖すら感じるんですけど。


「あの…仁王君ってさ…私のこと苦手でしょ?」

「…どうしてそう思うんじゃ?」

「いや…なんていうか、あんまり心開いてくれてる感じじゃないし。」

「俺は誰に対してもこうじゃ。」


ムクっと立ちあがった仁王君に一瞬身構えたけど、
すぐに私に背を向けて屋上の真ん中まで歩いて行ってしまった。
…本当なんだったんだ、一体。


「そ、その。たぶん、何となく言いたいことはわかるよ。」

「……。」

「私が男子と友情ごっこしてるのが気に食わないんでしょ。よく言われるんだ。
 下心ある癖に友達のフリして皆に近づくんじゃねぇよ、とかさ。」

「………。」

「確かに、下心はあるよ。人間だもの。

「…正直じゃな。」


「当たり前じゃん。ジロちゃんみたいな天使目の前にして可愛いって思わない訳ないし、
 ぴよちゃんさまの天変地異のような前触れのないデレに萌えない訳がないし。
 でも…、私はまだなんというか…恋とか好きとかよくわからないし…
 そういうのより皆でわいわいしてるのが楽しいって思うから…今の関係が1番心地いいんだけど…。」

「………。」

「そういうのが八方美人で気に入らないっていうのはわかるよ。だけど…」

「別に。」

「…え?」

「別にそんなんどうでもええ。」

「……はい。」

「…俺とおるときだけ全然笑顔じゃないお前さんにムカついただけじゃ。」



ん?何、その話…初耳ですけど。
くるっと振り返った仁王君の顔に先程のような鋭さは全くなくって。
相変わらずポーカーフェイスだけど、さっきのような怖さは感じなかった。



「…え、そうかな?」

「そうじゃ。いっつも緊張した顔しとる。俺がおっても他の奴とばっか話そうとするじゃろ。」

「そ、それは……うん。そう言われると…そうかもしれない。」

「ほれみろ。」


…なんかちょっとシリアスな雰囲気だったのに、
急に肩の力が抜けてしまった。…何だろう、このほのぼの感。
プイっと視線を逸らして拗ねたような仕草をする仁王君。
本当にさっきの仁王君と同一人物なのか…?



「だって…仁王君、何考えてるかあんまりわからないんだもん。」

「お前さんなんかにわかってたまるか。」

「っぐ…。可愛くない。」

「可愛くなくて結構。あーあ、萎えた。もうはよどっか行きんしゃい。」


ごろんと屋上に寝転んだかと思うと、
シッシと掌で追い払うような動作をする仁王君。
な…何この人、気分が変わりすぎて私もうついていけない…!

掴みどころがなくて、向き合えたと思ったらそっぽ向いてしまう…
なんかまるで猫みたい。




「…チョコ食べてね。」

「はいはい。ありがとさん。」

「…私は仁王君のこと友達だと思ってるから。」

「……。」

「また今度一緒にWiiしようね。この前みたいにぶっ潰してあげるからね。」



バタンッ




「……っふは。なんじゃ、それ。」



色気の欠片もないお誘いじゃの、と呟いて

チョコレートを1つ口に放り込む。



思った以上に甘ったるいチョコレート。

フと、顔を真っ赤にして焦る姿を思い出して

屋上で1人笑ってしまった。