氷帝カンタータ





番外編 プティ・タ・プティ





うわー…うわー…!
緊張した!何だよ、仁王君ヤバイでしょ絶対同い年じゃないよ、あれ!
私は…仁王君が言ってたような純真無垢でもなんでもなくて、
常に計算をして生きているつもりなんだけど。
(跡部に言ったら「どうやったらそんなに人生の計算が狂うんだ、ポンコツ」と罵られた)

そんな私でも仁王君はわからない。
最後に見せた表情はちょっとだけ親近感が湧いたけど…
うーん、なんだかさらに苦手になった気がするわ。カッコイイけど。
カッコイイのがまた性質悪いんだよね。無意味にドキドキしちゃうじゃない。

そんなことを考えながら、足早に廊下を走る。
どこに行けば皆に会えるのかなんてわかんないけど、取り合えずあそこを離れないと…!



「こらっ!そこの女子止まらんか!!」

「ぬぉぁっ!」



急に後方から、窓がビリビリ震えそうな程の大声で呼び止められた。
静かな校舎内にいきなりそんな大声が響いたもんだから、
驚いて変な声出ちゃったよ。何事?



「……あ、弦一郎さん。」

「廊下を走るんじゃ…ん??」

「げ…弦一郎さぁあああん!」

「なっ…なんだ、やめんか!」



久しぶりに弦一郎さんの顔を見ると、
先程のショッキングな出来事もあって急に安心してしまった。
思わず抱きつくと、思いっきりゲンコツを食らわされました。

……それでこそ日本男子だよ、弦一郎さん!



「…屋上に…。」

「屋上?」

「色魔がいました。」

「なっ…!痴漢か!?」

「屋上でチューしてる男女がいました!風紀が乱れきってるじゃないんですか、この学校は!」

「っ…!け…けしからん…行くぞ、。俺が成敗してやる。」

「…さっきもう2人とも逃げて行きました。今は対策を考える方が先だと思う、私。」

「む…。そうだな。しかしまさか学内でそのような行為が行われているとは…。」


全速力で屋上へ走り出しそうな弦一郎さんをなんとか食い止めた。
だって、今時「成敗してやる」なんて言う人が…その屋上で仁王君を見つけたら
何するかわからないじゃないですか?


「武家諸法度みたいな校則を作るべきだよね、やっぱり。」

「うむ。しっかり取り締まっていかんとな。……というか、その制服はどうしたんだ?」

「あ、これはね。大田先生が着ておきなさいって。やっぱり他校の生徒がウロウロしてるのもおかしいじゃん?」

「なるほどな。しかし…スカートが短い。シャツのボタンは全てとめろ。」


いきなり鋭い視線を全身に注ぐ弦一郎さん。
う…こ、これで短いんですか…?
やっぱり弦一郎さんは厳格なイスラム教徒に違いない。
だって、氷帝の制服なんか私もっとスカート短いですけど。

しかし、そんな口答えを出来るはずもない。
見てください、腕を組んで仁王立ちをして私を見下ろす彼の顔を。
歯向かおうものなら間違いなくまたゲンコツされる、やだ怖い。

しぶしぶスカートの長さを調節していると、廊下の先にどこかで見た顔が。


「……あ、柳君。」

「…?何故ここにいる。」

「えへへ。ちょっと大田先生に会いにね。」

「蓮二、生徒会の会合は終わったのか?」

「ああ。待たせたな。」


小脇に資料を抱えた柳君と弦一郎さんが話していると、
まるでここは中学校じゃないみたいに思える。
いやぁ、やっぱり相変わらず見た目年齢が尋常じゃないぐらい高いな。
身長も高いし、今2人が話している内容が証券取引の話だとしても驚かないぐらいの雰囲気だよ。

そんな2人をボケっと眺めていると…



「…はいつまで居るんだ?」

「え?…あ、これを全部渡すまで…。そうだ、2人にもあるの。」


鞄からチョコを取り出すと、一瞬時が止まった。
全く視線も動かさずにピシリと固まる2人。

な…何だ…?



「…すぐに逃げた方がいい。」


私からのチョコを受け取る前に、よくわからない忠告を始める柳君。
どういうことなの、立海ってなんかハンターとかいるの?


「え?どういう「たるんどるっっ!!」


柳君にばかり気を取られていたけど、横を見てみると
何故だか夜叉のような顔で大声を出す弦一郎さん。

さっきの柳君の言葉の意味が、なんとなくわかった気がしたけど
そんなのもう遅くて。

逃げ出そうとした私の腕をがっしりと掴む弦一郎さんはいつもより怖い顔をしていました。






























「聞いてるのか、。大体、バレンタインなどというモノに浮かれているから最近の日本は…」




やばい、超帰りたい。



あれから空き教室に引きずり込まれ、
強制的に机に座らされた私は
1対1で弦一郎さんに説教をされています。

厳密に言うと、教室の後方で見守る柳君もいるけど
何か文庫本を読みながら我関せずを貫いている。
な…何という拷問…!いい加減弦一郎さんの話を聞くのも疲れてきちゃったよ…!

さっきから同じ話の永遠ループ。
バレンタインという日に浮かれているなんてたるんどる、から始まり
日本の政治経済、最終的には戦後の日本の経済成長が云々とか…超どうでもいい!
いくら立海に優しい私と言えども、さすがに反論したくなってきたよ…!?
いや、でもここでいつも跡部に口答えするような感じで喧嘩してしまうと
さらに勢いを増して畳みかけられそうだ…。そして殴られそうだ、マジ怖い。

どうにか…どうにか形勢を逆転できないものかと思考を巡らせている間も
弦一郎君はがっちり腕組みをしたまま話し続けている。



「……あの…。」

「なんだ、口答えはいらん。」

「いや…、あのさ。弦一郎さんはチョコもらったことないの?」

「なっ……、なんだ藪から棒に!」

「女の子から、チョコ渡されて好きですって言われたこととかあるでしょ?」

「たわけ。俺がそんなことに浮かれるわけないだろう。」

「…あるんだ。」

「それとこれとは関係ない。風紀を乱すなという話をしとるんだ。」


…お、ちょっと目線が泳いだぞ。

色々考えた上で、素直に謝るのも癪だし私はある作戦を立てた。
とっても卑怯な作戦だけど、バレンタインって…
バレンタインってもっと楽しいものなんだよって教えてあげたい!
そんな天使のような役割をこなすためには多少の毒は必要だよね。


「……うぇっ…ぐすっ…。」

「お…おい、何を泣くことがあるんだ。な、泣くな!」

「っう…だって…私、ぐす…。弦一郎さんに喜んでもらいたくて…。」

「……泣くなと言っとるだろ。」

「だって、弦一郎さん…私のこと嫌いなんだよね…。」

「き、嫌いなどといつ言った。」

「……だってそういうことだもん…。バレンタインデーは女の子が男の子に好意を伝える日なのに…
 弦一郎さんは怒ってばっかりで受け取ってくれないじゃん…うぇーん!」

「っこら、大きな声で泣くな!…っ蓮二!」

「なんだ。終わったのか?」

を何とかしてくれ、話が通じんのだこいつは!」

「……チョコを受け取ってやればいいだろう。」



目を手でこすりながら嘘泣きをする私に思わぬ援護射撃。
ちらりと柳君を盗み見ると、本を置いて楽しそうにこちらを見ていた。
……うん、私頑張るよ…!



「うっ…無理だよ、柳君。弦一郎さんは…きっと私みたいな五月蝿い女は嫌いなんだもん…。」

「だから、何故好きだの嫌いだのという話になるんだ!」

「それはお前がの好意を無碍にするからだろう。」


ガタンと椅子を立った音が聞こえた。
柳君の声が段々と近くなり、顔をあげてみると弦一郎さんの隣に腰かけている。
私と目が合うと微かに笑う柳君。……こんなに安心する味方いないわ。


「ぐすっ…ぅ…、弦一郎さんにお世話に…なってるから、それを伝えたいだけなの…にっ…。」

「弦一郎、バレンタインは何も恋だの愛だので浮かれるだけのイベントではない。
 のように日ごろの感謝を込めてチョコを渡す奴もいるんだ。」

「む…。しかしだな…。」

「…もういいもん!弦一郎さんにはあげない!」


急に立ち上がった私に驚いたのか、弦一郎さんがちょっとビクっとしてた。
柳君は相変わらずのポーカーフェイスだけど、うっすら微笑んでいる気もする。


「なっ…。ああ、別にいらん、そんなもの!」

「はい、柳君。これからもよろしくね。」

「ああ、ありがとう。」


大女優の私は目にウルウルと涙を携えながら、くるりと2人に背を向けた。
ゆっくりと歩き、ドアに手をかけた時に一言。


「……弦一郎さんが私を嫌いでも…私は好きだったよ…さよなら!」

「っ、待て!」





かかった






「……何。」



背を向けたまま俯いて、か細い声を出した私は
少しでも気を抜くと笑ってしまいそうだった。



「そ…その、なんだ…。さっきからお前を嫌いだとかいう話になっているが…。」

「なんだ弦一郎、好きなのか?」

「蓮二!やかましい!」

「…うっ…もういいよ…!」

「待て、話を聞け。…まぁ、お前は他校生だし…遥々出向いてくれたという恩もある。」

「………。」


そっと椅子から立ち上がる気配がした。
先程とは比べ物にならない小さい声でボソボソと呟く弦一郎さんが可愛すぎて
私は危うく何か新しい属性を身につけてしまいそうだ。

ニヤける顔を抑えながら、じっと俯いていると
弦一郎さんが私の肩に手を置いた。


「だから、えー…。その…。」

「……弦一郎さん、チョコ欲しいの?」

「欲しいわけじゃない!お、お前がそこまで言うなら貰ってやらんこともないと言っとるんだ。」



ここまで聞けたら作戦成功も同然でしょ。

つい緩んでしまう頬の筋肉を抑えることも出来なくて、
私は満面の笑みで弦一郎さんを振り返った。


「はい!じゃあ貰ってください!」

「………嘘泣きか。」

「中々計算高い女だな、。」


満足気に微笑む柳君に、また怒りが再燃しそうな弦一郎さん。
……こんな作戦通じるのは君たちが優しいからだよ、本当に…!

だって想像してみてください、私が泣こうが喚こうが
氷の心を持った悪魔たちは受け取ってくれませんよ、絶対!
あんな風にしおらしく泣こうもんなら、間違いなくサンドバックにされますよ。

氷帝にいると、「なんで神様は私にだけ女の武器を装備させ忘れたんだろう」
なんて悲しいことを思っちゃうけど、今日はきちんと装備できていたことを確認できて良かった。


「ふふ。弦一郎さんも、そう深く考えず貰っといてよ!感謝の気持ちだからさ。」

「………今回だけだぞ。」

「うっわ、そこはありがとうでしょー。本当素直じゃなくて可愛いなぁ。」

「かわっ…許さんぞ!そこに座れ!」

「あー、もう勘弁してつかーさい!ということで、またね柳君!」

「ああ、気をつけてな。」


後ろで怒りのオーラを放出している弦一郎君から逃げ出すように教室を飛び出した。
残りのチョコは2つ。




























校舎を飛び出してきたのはいいけど、切原氏と幸村君はどこにいるのだろう。
なんだかんだで皆にばったり会えたりしたけど、
下校時刻を過ぎているからなのか、学校内には数えるぐらいしか生徒がいなかった。

校庭をほっつき歩いても仕方ないし、時間も限られてるし…
取り合えずテニス部のことはテニス部に聞こうと、テニスコートへと向かった。




「……そりゃ誰もいませんよねー。」


都合よく物事が進むはずもなく。
テニスコートには人っ子一人いなかった。
どうしたものか、もう1回教室に戻って柳君あたりに聞いてみようか。
いや、でも弦一郎さんがいるからな。怖い、ゲンコツ怖い。

段々と薄暗くなる景色。
鞄からズルズルと引きずりだしたマフラーを首に巻きつけ
これからどこへ向かおうか考えていると…


「…テニス部に何か用?」



さっきまで誰もいなかったはずのテニスコートに急に現れた男子生徒。
びっくりして声を出せないでいると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

ニコッと人好きのする笑顔で微笑んだ彼に私の警戒心は一瞬で解かれた。
テニスコートに躊躇なく入ってくる様子を見ると、彼もテニス部員の一人なんだろうか。


「あ…えーと、ちょっと人を探してて。」

「へぇ。…君見ない顔だね。何組?」

「えーと……。」

「おかしいな、こんな可愛い子を俺が見逃すはずないんだけど。」


屈託のない笑顔で微笑む彼は、良い子だと判断されました。
超いい奴。私に優しい子には優しくしてあげるんです、私は。


「えー、うふふ。君いい子だね。」

「……そう?俺は2年D組の森ノ宮。君は?」

「えーと、3年のです。よろしく!」

「え!……すいません、俺普通にタメ口で…。」

「いいんだよ!気にしない気にしない。ところでさ、テニス部のきり「何やってんスか!」


楽しい談笑を交わしていたところに大きな叫び声が割って入った。
声が聞こえたテニスコートの入り口を見てみると、そこに立っていたのは
まさに今私が探していた彼だった。


「おおー!切原氏!久しぶり!」

「あ、なんだ。切原のお知り合いだったんですか。」

「そうそう。ちょっと用事があって探してたんだ。」


ズンズンと怖い顔で近づいてくる切原氏に、
先程まで笑顔だった森ノ宮君は引きつった顔を見せながら私と距離を取る。

切原氏が私と森ノ宮君の間に仁王立ちしたところで、
森ノ宮君はいよいよ顔を歪めた。ん?何?


「そ、それじゃ俺はこれで。」

「…………。」

「森ノ宮君ありがとー、またねー。」


こちらを振り向きもせずそそくさとテニスコートを出ていく森ノ宮君に
少し違和感を感じながらも、目的の切原氏に向き直ると
今まで見たこともないような怒りの表情を浮かべていた。


「え…えー、どしたの切原氏。あ、勝手にテニスコート入ったのは謝るよ。」

「……森ノ宮と何話してたんスか。」

「え?特に何も話してないけど。」

「…あいつ俺と同じクラスなんスよ。」

「へー!そうだったんだ。」

「やたら女好きでテニス部の周りチョロチョロしては女引っかけようとしてるような最低な奴。」


森ノ宮君が立ち去った方を憎々しい顔で睨む切原氏に
私はぽかんとアホ面で動けないままだった。


「…え、そんなハイエナのような肉食系男子なんだ。そうは見えなかったなー。」

「どうせ、さんのことだから可愛いとかなんとか言われてフワフワしてたんでしょ。」


ギっと私を睨む切原氏にグゥの音も出ない年上、
っく…その通りだよ…!一瞬でいい人認定しちゃったような単純な女ですよ…!
だって慣れてないから!一般男子に声かけられて褒められるなんて人生で数えるほどもないから…!



「……ま、まぁ私ぐらいのレベルになるとそんなの見抜いてたけどね。」

「嘘ばっかり。ヘラヘラしてたじゃないッスか。」

「っこの…先輩をなめるんじゃないわよ!」

「あーあー、もういいッスよ。調度俺が来たから良かったものの、
 あのままだとさん、森ノ宮にペロっといかれてたんでしょうね。あー、だっさ。」


いつもより幾分か冷たい態度で、私に背を向ける切原氏。
重そうなテニスバッグを背負ったまま部室へと歩いて行ってしまう。

なんだか微妙に居心地の悪いムードに怯んでしまうけど、
取り合えずこのチョコさえ渡せればいいか。


「ちょっと待ってよ、あの私…」

「寒いッスから、話しなら中でしましょ。俺忘れ物したんスよ。」















ガチャ



部室内は外よりも少し暖かかった。
久しぶりに見る室内の景色に1人で懐かしさを感じていると
ガタガタと大きな音を立てながらロッカーを探る切原氏。
忘れ物って何を忘れたんだろうか。


「…っていうか、何スかその制服。」

「これ?大田先生がくれたんだ。他校の制服のまま入っちゃいけないんだって。」

「…ふーん。スカート長すぎでダサイッスよ。」

「いや…さっき弦一郎さんに物凄い剣幕で怒られてさ…。
 彼は風紀委員の職務を全うすることに命をかけてる節があるよね。」

「あー…俺なんか毎朝殴られてますからね。」


ハハッと笑った切原氏に少しホッとした。
よかった笑ってくれて。なんかいつもの切原氏じゃなかったから緊張してたんだよね。



「そんで…なんでここにいるんスか?」


ロッカーをバタンと閉め、こちらに向き直った切原氏。


「これこれ。渡しに来たんだ。」

「……え、あ…バレンタインッスか!?うわー!やった!」


不機嫌そうな顔だった彼は、鞄から取り出したソレを見た瞬間
今まで渡した誰よりも嬉しそうな顔をしてくれた。
…かわ……可愛いじゃないの…っ!

奪い取るように私の手からチョコを取った切原氏は
満面の笑みでお礼を述べた。
これだけ喜んでくれると渡した甲斐があるってもんよね。


さん、わざわざこれ渡しに会いに来てくれたんスか?!」

「うん、皆にお世話になってるからねー。」

「……みんな?」

「そうそう。えーと…柳生君と柳君と弦一郎さんと丸井君とジャッカル君と…仁王君にも…。」

「……なんだよ!義理ッスか!うーわ、最悪!さんの尻軽女!


先程までの笑顔はなんだったのかと思うほど、
不機嫌な顔に逆戻りしてしまった切原氏はもう本当可愛くて仕方ないです。

チョコを机に置いて、ドサッと椅子に腰かけた彼は
さらに鋭い視線で私を睨む。



「何で他の先輩にも渡すんスか。」

「へ?いや…えー?え、皆そういうもんでしょ?」

「ちーがーう!バレンタインでテニス部のメンバー全員にチョコあげる女子なんかいないッスから!
 みんな本命チョコ一本って決まってるんスよ!」

「何それ!え、校則でそう決まってるの?うわー、どうしよう私めっちゃ罪深いじゃん。

「そうッスよ。本当さんは誰にでもいい顔するからなー。」


ギィギィと椅子を揺らしながら、怒りを露わにする切原氏。
しかしそんなローカルルールがあっただなんて知らなかった。
そんなの、他のどのテニス部員も教えてくれなかったよ?


「…そんで、明日は誰に渡すつもり?」

「明日?あー…取り合えず榊先生と…氷帝メンバーぐらいかな?」

「でた!バレンタインってそういうもんじゃないっしょー。どうせお返しとか期待してるんでしょ?」

「してる。特に跡部のお返しは生半可なものじゃ割に合わないと思ってる。」

「なんでそんな正直なんスか!あー、もう!」

「ちょっと、さっきから何イライラしてるの切原氏。毎日ちゃんと牛乳飲んでる?」

「……じゃあさんお返しに何欲しいんスか?」

「えー…。そう言われると難しいな…。さっきの仁王君みたいなお返しは絶対ヤダしな…。」


腕を組んでウンウン考える私が、仁王君の名前を出した瞬間
切原氏の表情がまた変わった気がした。


「…仁王先輩に何もらったんスか。」

「いや何ももらってないよ?だけどさ、これ言っていいのかわかんないけど…
 さっき屋上に行ったらね、仁王君何してたと思う?な…なんと…」

「どうせ女子とイチャイチャしてたんでしょ。」

「うおぉぁあ!すごい!なんでわかったの?びっくりするよね?!ハリウッド映画みたいだったよ!」

「…別にびっくりもしないッスよ。あの人いつもそんな感じだし。」

「ええええ!マジか…なるほど確かに手慣れてる感じだったな。」

「は?仁王先輩に何かされたんスか?」


椅子をいきなり立ち上がった切原氏に一瞬びっくりしたけど
年下相手にビクビクするのもなんか癪だから私はそのまま話しを続けた。


「やー、何かその女子がさ。バレンタインのお返しはチューがいいです☆って言ったらしくて。」

「……。」

「仁王君きっとバレンタインのお返し=チューと刷り込まれちゃったんだろうね。」

「……。」

「こう…なんというか、私にもそのお返しを進呈しようとしてくれたみたいで…。」

「チューされたんスか。」

「いや、そこは滅びのバーストストリームで阻止したけどもさ。
 あれで仁王君のHPはもう0だったはずだからね。良かった日ごろから練習しておいて。」


ドヤ顔で語る私を先程まで真正面から見つめていた切原氏が
いつの間にか帰り支度を初めて、部室から出ようとしていた。
机に置いたチョコを乱雑に鞄に投げ込む様子から推測すると
何故かご機嫌斜めみたいだ。……立海の人って感情の起伏が激しいな。


「ちょちょちょ!待ってよ切原氏!」


急いで荷物を持って追いかけると、こちらを振り向きもせず
切原氏が冷たい声で呟いた。


「…さんって意外と男好きッスよね。マジ失望だわ。」


へ?


一瞬言われた言葉の意味がわからなくてポカンとする私を
見ることもなくスタスタと立ち去って行く切原氏。


え、何、喧嘩を売られましたか今。
売られた喧嘩はどれだけ高くても買うが信条の私に対して
この子は今何を言いましたか?


男好き

という言葉が、なんだかさっき仁王君に言われたセリフとも重なって
頭にタライを落とされたような鈍痛に見舞われる。

…やっぱり私はそんな風に思われてたんだ。





「…だから何?」

「は?認めんのかよ。」




私の反論を待っていたかのようにクルっとこちらを振り向き
好戦的な表情で挑発する切原氏。


「別に、男好きと思われようが私には関係ないの。
 そりゃ周りから見れば男に囲まれて過ごしてる私は男好きに見えるのかもしれないし。」

「……事実っしょ。」

「そう思いたいのなら思えばいい。私とあいつらの関係を、そこらへんの女の子ファンよりも間近で見てるのに
 まだそんな風に思ってた切原氏に心底失望したわ。」

「……っ。」

「取り合えずもう切原氏に不快な思いをさせないように努めるから安心して。バイバイ。」


そこまで言い切って、私は足早にテニスコートを後にした。
切原氏は何も言ってこなかったけど、追いかけてくる様子もなかった。





































「そうだ、いっその事マネージャーを辞めようか。」


いやいや、駄目だ。
そんなことを言いだそうもんなら間違いなく跡部に地の果てまでも追いかけまわされる。
追いかけまわされた揚句にボコボコにされるに違いない。それはマズイ。


はぁー…。
今日1日で私のHPはかなり削られてしまった。
今まで和気藹々とつるんでいた友達にいきなり本音を言われちゃったもんだから…

はぁーー…。
考えても考えてもため息しか出てこない。
あの後、取り合えず校舎裏っぽいところを見つけて逃げてきたはいいものの、
余りのショックにへなへなとへたり込んでしまって動けないのだ。

仁王君の発言はまだ大丈夫だった。
仁王君の云わんとするところは「俺にビビってんじゃねぇよ、カス」というようなことだった。
それはまだ良い。だって仲良くしてくれようとしてるんだもん。

だけど…さっきの切原氏の発言はさすがに堪えた。
今まで楽しく遊んでたと思ってたのに、あの子本心では私のこと
「なんだこの男好き。ブスのくせに調子乗ってんじゃねぇ、ブス!」
と思ってたってことだもんね。
普段仲が良い人にそう言う風に言われるのが1番クる。
部外者にいくら悪口を言われようと罵声を浴びせられようと、もはや気にもしなくなってきたけども…

はぁー……。
そんな事を考えていると、立海まできてバレンタインチョコを配っていた自分が
急に馬鹿みたいに思えてきた。っていうか何か申し訳なくなってきた。
本当は皆、部外者のくせにズカズカ入り込んできてんじゃねぇよとか思ってたのかな…。
切原氏と同じように「男好き」とか思われてたのかな、うわ恥ずかしい…!
すいませんすいません、調子乗ってすいません!

脳内を巡る思考がどんどん悪い方へ進んでいく。
こんな時はジロちゃんに電話して、癒されるしかない!…と携帯を取り出してみたけど

…こうやって友達とはいえ「男子」に頼ることがまた男好きと思われる原因なのかな…。

あーーー…
駄目だ、止まれ。思考止まれ。やばい、思考回路はショート寸前…。
セーラー●ーンのテーマソングを思い浮かべながら俯いていると
重力にしたがって、目から何かが溢れ出す。







ガサッ

「…はぁ……っ、は…何…してんスか。」




人目もはばからず目から溢れ出すモノを放置していると、
急に目の前の茂みから切原氏が顔を出した。

あ、マズイ見られた。

息を切らした彼が少し目を見開いて私を見つめる。


「……泣いてんの?」

「ちが…っ、ほらアレだから…大気汚染の影響でほら…。


必死に目を拭いながら、苦しすぎる言い訳をする。
なんだ大気汚染って。さっき弦一郎さんの前で嘘泣きをした罰があたったのかな。
拭っても拭っても止まらないソレにいよいよ苛立ちを感じる。

そんなことをしている間に、茂みから飛び出て来た切原氏が
段々と近づいてきていた。…あー、もう何で来るかな。

年下には格好付けたいお年頃の乙女には
こうやって弱い部分を見られるのが恥ずかしくて悔しくてたまらない。


「……ごめん。」

「……何が。別に切原氏は関係ないよ、
 人類が利便性を求めて生活してきたことへの代償としての大気汚染が原因なんだから。

「…嘘。俺がヒドイこと言ったからッスよね?」


俯いて顔を見せまいと体育座りでふさぎこむ私に、目線を合わせて
小さい子をあやすみたいな口調で話しかけてくる切原氏がムカツク。


「……関係ないから放っといて。」

「………。」


…いつまでもこうしてるわけにもいかない。
一刻も早くこのシチュエーションを抜け出したいと思った私は
切原氏が下を向いて頭をかいている一瞬の隙を見計らって
駈け出した。



「あっ!ちょ、待ってください!」

「うっせ!ついてこないで!」

「ちょ…え、…ちょっはやっ…ま…何でそんな速いんだよ!

「追いかけてくんな、バカ!」


ちょっとは空気読め!

泣いている顔を見られたくなくて必死に走っているというのに、
それを上回る必死さで追いかけてくる切原氏。
いくら日頃から鬼どもから逃げるのに慣れている私とは言えど、
現役の選手に叶うはずもなく、すぐ追いつかれてしまった。



ガシッ


「捕まえた!なんで逃げるん…ス……か……。」

「……うー…もう何なのよー…。」


息を切らした切原氏に初めて顔を合わせると、
そんなに私の泣き顔が滑稽だったのか、目を見開いたままフリーズしている。

…こんなガチ泣き見られたくなかったのに。


なんとか顔を隠そうと俯いてみたその時
掴まれた片腕がグっと引っ張られ
気づけば私は切原氏に包み込まれていた。

おい、何だこれ。



「あーもう…すいませんって言ってるじゃないッスか。」

「だから切原氏は関係ないって言ってるじゃん。」

「…そんな訳ないっしょ…。…はぁ…ダサすぎだろ、俺…。」

「………。」


私を抱きしめたまま、ぽつぽつと呟き始める切原氏。
後輩のくせに、切原氏のくせになんだこの包容力は。
抱きしめる力を少し強められたことで、柄にもなく少しドキっとしてしまった、悔しい。


さんが、フラフラするから悪いんスよ。」

「……。」

「だって…俺が1番最初にさんと仲良くなったのに…。幸村部長とメールは始めるし…、
 ブン太先輩だってさんのことよく話すし…。仁王先輩なんか最悪ッスよ。」

「……待って、何を言っているんだ君は。」

「だから!さんがヘラヘラしてんのがムカツクんスよ!」

「……ヘラヘラしてるのがムカついて殴りたいとかそういうことだよね?」

「は?なんでそうなるんスか、さんって本当馬鹿。」

「いや…え、だってジロちゃんとかがっくんとかによく言われるから、それ…。
 チヤホヤされて調子のってるを見ると取り合えず蹴りたくなるって。

「はぁ…。なんか…もういいッス。」

「何!諦めないで!根気よく付き合ってよ!」


腕の力を緩めた切原氏とぱっちりと目が合ってしまった。

睨みあいになったら負けるわけにはいかないので、
全身全霊を込めてガン睨みしていると、切原氏の表情が少し変わる。


「……本当に仁王先輩にチューされてないんスか?」

「当たり前でしょ、そういうのはね。お嫁にいくまでしちゃいけないんだからね。」

「ふはっ、いつの時代の人ッスか。」

「…いいから、早くはなしなさい。」


いい加減この状況を冷静にみると恥ずかしすぎて、
切原氏の腕をほどこうとするけど、何故か抵抗された。


「…何。」

「……さん、隙だらけ。」

「はぁ?!私に死角があると思ってんの!?」


あ、今喧嘩売られた、とつい反応してしまい
切原氏の腕の中で彼の顔を見上げると

すぐそこまで綺麗な顔が迫っていた。



迫っていた…?






「ふ…ふぉぁああ!何!何よ!」


咄嗟に上体を逸らし、なんとか逃れた私を
逃がすまいとさらに腕の力を強める切原氏。

…なんだこの状況!


「ちょ、何暴れてんスか!」

「いやいやいや!あんたが何してんのよ!」

「マジ信じらんねぇ!今のはチューする流れでしょ!」

「ええええええ!そんなの教科書には載ってなかった!」

「こ…っの、大人しくしてくださいよ!できないだろ!」

しなくていい!何を言っとるんだ、このプレイボーイめ!」


ついに切原ホールドから抜け出した私は、身の危険を感じ始めていた。
お互い臨戦態勢でジリジリと間合いをつめるその様はまさにプロレスのようで。


痺れを切らせて思いっきりつっこんできた切原氏のバックを取り、

胴体に足を絡めて気道を圧迫する胴締めチョークスリーパーに持ち込めたことで

私の勝利は確定し、切原氏はあえなくギブを宣言したのであった。

…私に隙があるだなんて言わせない!































「…はぁ、もうなんかさんイヤっす、俺。」

「イヤって何よ!さっきまでなんか可愛いこといっぱい言ってたじゃん!
 俺のさんが取られちゃうなんてやだやだやだぁ〜って!」

「い、言ってねぇし!もう撤回!撤回します!」

「…ふふ、ありがとね。」

「…何が。」

「切原氏は私のこと心配して言ってくれてたんだよね。
 改めて考えるとさ…こんな全国乙女連合終身名誉会長みたいなキュートな私だからこそ心配でたまらなかったんだよね?」

「なんか今、氷帝の人達がなんでさんを殴るのかわかった気がする。」

やめて。私、まだもうちょっと味方が欲しい。」

「……っぶふ、あー。もうまじで疲れた!首まだ痛いし。」


先程とは打って変わって、少し笑顔になった切原氏は立ち上がると、
突然何かを思い出したようで、一瞬フリーズして次の瞬間には慌てだした。
どんどん顔が青ざめていくのが目に見えてわかる。


「あぁあっ!お…俺、真田副部長に呼ばれてたんだった…!」

「…もうさっきから随分時間経ってるけど大丈夫?」

「やっ…べぇええ!すいません、さん俺行くッス!」

「はいはーい、いってらっしゃい。またね。」


テニスバッグを乱暴に肩にかけ、
走り出した切原氏を見送っていると、彼が急に立ち止った。

そしてこちらを振り返り、満面の笑顔で


さん、チョコありがとうございました!」


それだけ言うと、全速力で去って行く。



……なんか色々あったけど、やっぱりバレンタインっていいな。