氷帝カンタータ





番外編 プティ・タ・プティ





「よし…。後は幸村君だけか。」


走り去る切原氏を見送った後、すっかり持ち直した私。
最初に来た時より随分軽くなった鞄を手に、当てもなく歩き始める。

…というか、よく考えたら幸村君はもう帰ってるっていう可能性はないかな?
もう放課後だし。ポケットから取り出した携帯で確認してみると
時刻は既に17:30を示していた。

もし、もう学校にいないとしたら…下駄箱にでも入れて帰ろうかな。
しっかりと巻きなおしたマフラーに顔をうずめながら、
ぼんやりと光る携帯の画面を見つめていると、一瞬画面が切り変わり
次の瞬間には自分で設定した音楽が、けたたましく鳴り始めた。


びっくりして携帯を落としそうになったけれど、
よくよく画面を覗きこんでみるとそこに表示されている名前は

≪幸村君≫


ピッ



「…も、もしもし?」

『あ、さん?何してるの?』

「幸村君久しぶり。あの、えーと、実はちょっと用事で今立海に来てるんだ。」

『蓮二に聞いたよ、そこで待ってて。』

「へ!?幸村君もまだ学校にいるの?」

『うん、迎えに行くよ。』

「…わかった、待ってます。」














さん。」


白い息を吐きながら、ボーっと待っていると
後ろから爽やかな笑顔を携えて幸村君が登場した。

あ…相変わらず神々しいな…。
つい拝みたくなるのを堪えて幸村君に歩み寄る。
走ってきたのか、少し息が切れている様子の幸村君。
制服だけでコートも着ていないようだし…寒くないのかな?


「幸村君、寒くない?」

「ああ、急いで出てきたから忘れてきちゃった。」


両腕で自分の体を抱きしめて、いかにも寒そうなリアクション。
忘れてきた…ってことは、どこかに置いてるのかな?


「取りに行こっか、寒いでしょ?」

「ありがとう。図書室に置いてきたままなんだ。」

「図書室…。勉強してたの?」

「いや、今日は図書委員の友達が風邪で早退しちゃったから代わりに図書委員の仕事をしてたんだ。」


ゆっくりと歩きながら笑う幸村君は神かと思った。
えー…、どんだけ優しいの。

てくてくと歩きだす幸村君について行きながら
ちらっと横顔を覗き見ると、そこにはやはりいつもの優しい幸村君がいた。

あー…写真にとりたい。その上でポスターにして自室に貼りたい。
毎朝この横顔を拝みたい、なんて…もし気づかれたなら素で引かれそうなことを考えていると
バチっと幸村君と視線が重なってしまった。


「…その制服似合ってるよ。」

「ほ、本当?ありがと。」

「そのまま立海の生徒になっちゃえばいいのに。」


フフッと微笑んだ幸村君に、軽くノックアウトされる私はやっぱり普通の女子だったんだ。
永らく私は男であると刷り込まれていた影響により、こう…なんていうんですか、
男子に対してときめいたりするのはご法度だと思ってたんですけど
今目の前にいる王子様は易々と私を女の子にしてくれます、ありがたやありがたや…。

普段、跡部や忍足にキャーキャーと歓声を浴びせる女子達に
冷めた目線を投げつけてすいませんでした。今ならあの子達の気持ちがわかる。




しばらくすると、校舎2Fの図書室に到着した。
ガラっとドアを開けた幸村君は、少し入ったところで私にも入室するように目で促す。
何故かお邪魔しますと呟きながら入った図書室は、人の気配が無くひっそりとしていた。


「…あんまり人いないんだね。」

「もう誰もいないよ?下校時刻だからね。あとは俺が鍵を閉めて出て行くだけ。」


気を使って小声で話しかけると、存外に大きな声で返事が返ってきた。
そうか、誰もいないなら安心。
昔から静かな場所が苦手な私はふぅっと息を吐いた。


少し奥まった場所にあるカウンターの上に、
幸村君の鞄やらコートやらが丁寧に置かれている。
…あ、本当に帰るところだったんだな。


「なんかゴメンね。柳君が連絡してくれたの?」

「…ああ、さんが皆にチョコを配ってるっていうメールが来てね。」

「そうそう。チョコ持ってきたんだー。はい、幸村君もどうぞ。」


最後の一つを取り出し、幸村君に渡してみるけど
何故か彼は椅子に座り、カウンター越しに頬杖をついたまま微笑むだけで
受け取ってくれる様子がない。

ま…まさか幸村君まで弦一郎さんみたいなこと言いだすんじゃないよね…

チョコを突き出した手前、腕を引っこめることもできない私。
それでも動く気配のない幸村君に段々と胃が痛くなってきた、なんだこの空気…!



「え…と、あの…幸村君?」

「そんなのいらない。」



ピシャっと言い放った幸村君の笑顔がもうわからない。
なん…なんですと…!何なの、笑ってるの!?怒ってるの!?
氷帝にはこういうキャラはいないので、どうにも扱いがわからない。
なんとか心理を探ろうと表情を見つめてみるのだけれど、相変わらず笑顔のままで。


「え…ご、ごめんなさい!私なんかが幸村君にチョコなどというのを差し出すのはおこがましいのですが、
 一応普段やっぱりお世話になっているので…持ってきたん…だけど…。」


腰から上を直角に折り曲げて何故か謝ってしまう。そうさせる空気がここにはある。超怖い。
ちらりと頭をあげて顔色をうかがってみると、先程とは少し表情が変わったように見えた。
悪い方に。なんというか…こう、跡部とはまた違った怖さのある笑顔に変わっているように思える。


「…それ、皆にあげてるんでしょ?」

「え?あ!そ、そっか!」


さっき切原氏に言われたことを思い出す。
確か…立海ではテニス部員全員にチョコを渡すなどという行為は
魔女裁判にかけられて処刑されても文句を言えないような行為だったんですよね!


「ご、ごめん。私そのルールしらなくて皆に持ってきちゃったんだ…。」

「何?ルールって。」

「え…切原氏がテニス部にチョコを渡すときは本命1つにしないといけないって…言ってたよ…。」

「フフ、そうなんだ?知らなかったな。」

「…?…幸村君が怒ってるのはその所為じゃないの?」

「別に義理チョコなんだからいいんじゃない?」


微笑む幸村君から出た言葉の温度は、その笑顔と反比例するようにどんどん冷たくなっていく。
こ…こえええええ!図書室のひっそりとした空気も手伝って、やけに緊張してしまう。
まるで上司に怒られる部下のごとく直立不動でダラダラと汗を流す私に
頬杖をついたままで幸村君が続ける。


「…1番最初に誰にあげたの?」

「へ?え…えーと、大田先生。元々はそのために来たからね。」

「ふーん…、で?」

「え?」

「次は?」


頬笑みは消えうせて、私を射抜くような視線で見つめる。
声色は威圧感を増していき、氷帝つっこみ推進委員会委員長の私でさえ口を挟めない雰囲気。
淡々と質問に答えることしか許されないようだった。な…なんやこの裁判は…!
普通のことしか答えてないのに、何故か責められているような感覚に陥る。

…これが跡部が言ってたイップスってやつなのかしら、違うか。


「や…柳生君に廊下で会って…。」

「で?渡したの?」

「は…はい、申し訳ございません…。」

「別に謝らなくてもいいでしょ。きっと柳生も喜んでたんじゃない?」

「あ、うん。」


思ったより優しい言葉に、笑顔で顔をあげてみると
何故だか恐ろしい笑顔で幸村君が首を傾けていた。

か…可愛いはずなのに…何でこんなに冷や汗がとまらないのでしょう…!


「それで?」

「次は…そうだ、丸井君とジャッカル君が教室にいてね。」

「あー、どうせまたジャッカルが日誌をノロノロ書いてたんでしょ。」

「そうっぽい!日誌みたいなの書いてた、そういえば。」

「ジャッカルはたまにそれで部活に遅れるからね。」


クスクスと笑う幸村君に少しホッとする。
この笑顔は普通の笑顔だ。さっきまでの赤ん坊さえも一瞬で泣き止むような威圧感はない。


「へー、思ったよりジャッカル君って可愛いところあるんだね。それもまたモテポイントなんだろうなぁー。」

「…ん?」

「へ?!いや…いや、えーとっ、次は仁王君に屋上で会ったよ!」


もうやだ、何この人!

私が発言するごとに表情が変わりすぎてわけわかんない!
その上それが怒ってるのか何なのか…さすが跡部が認めてる選手なだけあるわね。


「へー…仁王か。何かされなかった?」

「…仁王君って普段からそういうキャラなの?皆に疑われてるんだね。」

「そりゃ仁王だからね。で?何されたの?」

「い、いやいやいや…別に特に何もされて…ないよ?」

「…っぷ、さんって本当に嘘つくのがへたくそだね。」

「ね、ねぇ。さっきからこの尋問は何なの…かな?」

「ん?別に、深い意味はないから気楽に答えてくれて構わないんだよ。」


いやいやいや…気楽に答えてねっていう顔ちゃいますやん!
少しでも不都合なことを言おうものなら首を掻っ切ってやる、みたいな目ですやん!

未だにその真意がつかめずに硬直する私をみて
幸村君は楽しそうに笑った。

…前から思ってたけど、幸村君って…何かちょっとSっポイとこあるよね…。
それも、跡部みたいに歯向かう隙のある、なんちゃってSとかじゃなくて…
もう絶対服従を余儀なくされるような、そんな正真正銘のドS。

虐げられることに慣れてない私は、戸惑いつつも苦笑いを浮かべる。



「それで、次に蓮二と真田に会ったんだね?」

「は、はい。」

「珍しいな、真田がチョコを受け取るなんて。」

「いやー、結構苦労したよ?たるんどる!って連呼してたもん。」

「だろうね。あいつは真面目だから。」


あ、弦一郎さんの話になるとちょっと目が優しくなった。
やっぱり仲が良いからなんだろうなぁ。なんてちょっとほのぼのしてしまったよ。

幸村君がゆっくりと椅子から立ち上がったところで、
やっと尋問も終わりかと安堵のため息をついたその時、







「で?赤也と何してたの?」









振り向きながら真っすぐこちらを見る幸村君。
何も後ろめたいことなんかないけれど、何故だか心臓が締め付けられるように痛い。

な…何を……。


「え?えー…と、普通にチョコ渡しただけだよ?」

「うそつき。…さん、ちょっとこっち来て?」

「な…何?」


カウンターの後ろにある窓ガラスの方を向いて
手招きする幸村君に逆らえるはずもない。
恐る恐る近づいてみると、そこから見える景色に一瞬息をのんだ。



「……よく見えるでしょ?」

「まさか…」

「フフ、見てたよ。赤也と抱き合ってるところ。」



隣に立つ幸村君を恐る恐る見上げてみると、にっこり微笑んでいた。

ホ…ホラーだよ!これ完全にホラー作品じゃん!

バクバクと脈打つ心臓に、額から噴き出す汗。

…よく考えると、幸村君が電話をくれた時
私はどこにいるかなんて言ってもいないのに
迷わずすぐに迎えに行くよ、と言われた…。

なるほど、ここからずっと一部始終を見てたわけか。



「だ、抱き合ってなんかないよ!上から見るとほら、光の屈折角とかの関係でそう見えたかもしれないけど…。

「じゃあ何してたの?」

「…プロレス?」



そう答えたと同時に、目の前まで幸村君の顔が近づく。

…っ美しいな…!



「…なんで俺に1番に渡しに来ないの?」

「……へ?」


てっきり「うちの赤也になにしとるんじゃ、おらぁこのメスブタ!」とかそういうことを言われるのかと思ったら
まるで斜め上な発言が飛び出て来たもんだから、間抜けな声を出してしまった。


心の読めない笑顔で笑う幸村君が窓際にもたれながら発言を続ける。


「ショックだったよ。」

「…なんで?」

「なんでって、さんが俺のこと1番後回しにしたからさ。」

「あ、後回しとかじゃないよ!たまたま遭遇した順番になっただけで…順不同だよ!」

「その順不同っていうのも気に入らない。」


窓に軽く拳を叩きつけ、
私に向き直る幸村君。な…何か今いけない発言をしましたか、私…。


「俺のこと嫌い?」

「嫌いだなんて滅相もない!むしろ崇拝してるよ!」

「じゃあ何で1番に俺のところにこないの?」









……なんか…なんか幸村君が普通の子供にみえてきたんですけど、見間違いですかね?

なんとなくおもちゃ売り場の近くで床に寝ころんで駄々をこねる子供みたいに思えてきた…。
きっと神の子はこんなにゴネたりしないと思う!
だってこの会話永遠に続くよ!?もう仕方ないじゃん、最初に会えなかっただけなんだからさ!



「だ、だから別に意味とかないって…!」


少しイライラしてきた私がそっぽを向いて答えると、
腰をぐっと引き寄せられた。

突然の体重移動に一瞬よろけたけれど、
すぐに背中に幸村君の腕が回され、強制的に幸村君と向き合う形になる。


今日で私は人生の中で体験出来る全てのトキメキシーンを消費してしまっているのじゃないでしょうか。


こんな人生の早い段階で使い切ってしまったら、私の今後はどうなってしまうんだろう。
高校・大学・社会人そして老後はトキメキもへったくれもないような人生になるのでしょうか、やだ!

まるでいつも嗜んでいる乙女ゲームに出てくるシーンのようなシチュエーションを
この1日だけで何回も体験しちゃってるよ、ダメだ爆発しそう。



「ゆ…ゆゆ幸村君?」

「…さっき赤也とキスしようとしてたでしょ?」

「しっしてないしてないしてない!違うの、あれは切原氏なりのプロレス技で…!

「…俺には抵抗しないの?」

「いや…幸村君に技とかかけれな…ちょ、近い近い!近いです!」


先程の切原氏や仁王君と同じようなシチュエーションだけど、
まさか幸村君に滅びのバーストストリームなんて繰り出せるわけない。

そんなことしたら、ゴットハンドクラッシャーで打ちのめされるに違いない。
まず幸村君に遊戯王ネタが通じる気がしない!




そんなことを考えてるうちにどんどん幸村君の顔は近付いて













「っ…来年は1番にあげるから許して下さい!」








寸前のところで、幸村君の口を両手で塞いだ。
目を大きく見開いた幸村君の動きが止まる。


「こ…今回は駄目だったけど、来年はちゃんとするから…!」

「……フフ、その約束忘れないでね。」


どうやらなんとか危機を回避できたようだ。
ご満悦気味の幸村君は私から離れ、また椅子へと座りなおした。

……っはぁ…、恐ろしかった…!








「でも、そんなんじゃ許してあげないから。」












「まっ…まだ言うかこの人は…!」


もう1日で今までの幸村君に対するイメージがめちゃくちゃ変わったよ!
美しくて大人で優雅で神様な幸村君はどこへいってしまったんだ…


「俺のそのチョコ、皆と一緒なんでしょ?」

「え?うん…。一緒だよ?」

「それじゃイヤ。」



っくっ…!あかん、あかんで…!その右手の握り拳は出したらあかんで…!
もはや幸村君に対する恐怖はなく、その代わりに
なんだこの跡部とまたベクトルの違う俺様は…!という思いがフツフツと湧いてきた。

腕を組んで椅子に座り、何故だか嬉しそうに笑う幸村君と
顔に貼り付けたような笑顔を浮かべる私。



「えーと…わかった。じゃあ今から私コート・ジボワールに行って、カカオの栽培に携わった上で
 収穫したカカオでチョコを作ってくるから、栽培から収穫まで4年は待っててね!!


「っぷ…あはは!さん…無駄に知識が深くて面白いね。」

「…私は怒ってるんだよ!幸村君が無茶なことばっかり言うから!」

「別に手作りしてきてって言ってるわけじゃないよ、ましてや栽培も必要ない。」


腹を抱えて笑い始めた幸村君は目にうっすら涙を浮かべていた。

いつもの裏のある笑顔ではなくて、同年代の男の子らしい笑顔を見て
やっぱり美しいなと思ってしまうあたり、イケメンは生きてるだけで得だと思う。


「…じゃあもう…はい。やっぱりこのチョコで我慢してください。」

「…ねぇ。」














さんが食べさせて?」





































「…やっぱ幸村君はすげぇなぁー。」

「…っぷ。なんじゃ、あいつ震えとる。」

「くっそ!ズルイっすよ幸村部長!」



今日は全員集合のミーティングの日だった。
時間になっても来ない幸村を探しに来た面々が見たのは
世にも奇妙な光景。


目を閉じて満足気な顔で口を開ける幸村に
恐る恐るチョコを食べさせる


1つ食べる度に微笑む幸村に
顔を真っ赤にして俯く



その様子の一部始終を見ていた3人。


我慢できずに扉を開けようとした切原を
室内の幸村が凍てつくような視線で制止する。

それに気付かぬは、幸村に促されるままに
また一つチョコレートを手に取るのだった。




「…やめとけ、赤也。お前今行ったら、幸村君に殺されんぞ。

「プリッ…。なんじゃあのゆでダコみたいな顔。」

「…あー!もう!ぜってーいつか倒す!」










Happy Valentine's Day!!

〜Side Rikkai〜 fin