氷帝カンタータ
番外編 プティ・タ・プティ
「…はい、では以上。日直ー。」
「起立!…礼。」
やっと昼休みがやってきた。
途端にクラス中がざわざわと活気づき、私はいつものように
お弁当を持って真子ちゃんの席へ一直線。あー、お腹空いた!
「真子ちゃーん、お腹空いたねー。」
「ねー。……って、あれ?」
机をがたがたと移動させていると、真子ちゃんの視線が
教室の入り口付近に向けられていることに気付いた。
振り向くと、そこには真子ちゃんファンクラブの皆様。
……さすが氷帝の大天使。
「…ちょっと言って来るわ、ごめんね。」
「いいよいいよ、いってらっしゃーい。」
笑顔で見送ってみたものの、心中穏やかではない。
私の…私の真子ちゃんなのに…!
なんて醜い嫉妬心が顔に出てしまわないようにしないと。
きっとしばらくは帰ってこないだろうなぁ…。
「先に食べちゃおっと。」
いつもは対面に真子ちゃんが座っているんだけど、
今日は1人だからなのか、廊下の様子がよく見える。
パタパタと忙しなく廊下を走り回る女の子たち。
今頃跡部はチョコに埋もれてるんだろうなぁ。
いや、あいつのことだから1人1人きちんと対応してるか。
ファンを大切にするタイプだもんね、なんだかんだ言ってさ。
そう言えば、跡部にもあげないとなぁ…。
ちらっと机の横にかかっているビニール袋を覗いてみる。
…あと誰にあげてないんだっけかな…。
ちょたと跡部と…田中君と……
「あああああああ!!」
めちゃくちゃ大事なことを思い出した…!
大声を出しながらガタっと席を立つと
教室にいた皆の視線が突き刺さる。
えーと…華崎さんは……
「いた!ね、ねぇ華崎さん!日吉君ってどこにいるか情報ある?」
「へ?…あ、ああちょっと待ってね。……日吉君なら教室みたいだよ。」
「サンキュッ!ちょっと行って来るね!」
友達とご飯中だった華崎さんは、一瞬驚いた顔をしたけど
快く携帯を取り出してくれた。
ぴよちゃんさまは教室か…!さすが堂々としてるわね…。
机の横にぶらさがったビニール袋を引っ掴み、教室を飛び出した。
・
・
・
「う…うわぁ、なんだこの人混み…。」
階段を駆け下りて2年生の教室に向かったはいいけれど、
ぴよちゃんさまの教室には女子、女子そして女子。
入口付近も出口付近も、廊下も全て人で埋め尽くされていて
とてもじゃないけど、ぴよちゃんさまに会うなんてことは難しそうだ。
部活の時にでも渡そっかなー…なんて思ったけど、
それはやっぱりズルイよね。みんな条件は同じなんだから。
腹にぐっと力を入れて、気合いを入れなおし
人混みの中へと突入した。
「…っく、遠い…ぴよちゃんさまがこんなに遠い存在だったとは…!」
「きゃー!日吉君こっち向いてー!」
「私のも受け取ってー!」
「うるさい、騒ぐな。迷惑だ。」
「「「っきゃぁああー!!」」」
な…なんという…
ぴよちゃんさまって同学年の女子にはあんな感じなんだ!
いや、私に対しても辛辣だけど敬語じゃないぴよちゃんさまって新鮮。
そして罵られて黄色い悲鳴をあげるこの子達も中々の将来性だわ。
「う…お、おーいぴよちゃんさ「日吉君、これ受け取って!」
「あの、ぴ「好きー!日吉君素敵ー!」
「っく、負けない…!っぴよ「ちょっとどきなさいよ、邪魔!」
ボーンッ
べしゃっと廊下に投げ出されてしまった。
なんだこの包囲網…!
こんな光景、海外のデモぐらいでしか見たことないぞ、半端ないな…!
声をかけることすらできないなんて情けない…。
いや、しかし私がマネージャーじゃなくて普通の女子生徒だったら、
きっとぴよちゃんさまに近づくことすら出来なかったんだろうなぁ。
改めて自分がいかに恵まれていたかを実感します。悔しいけど、忍足の言うとおり
私は今までたくさん良い思いをしてきたんだなぁ…。
ビニール袋を携えてボーッと廊下につっ立っているのも恥ずかしいし
(さっきからチラチラ生徒が私を見て笑っているのは気のせいじゃないはず)
取り合えず退散しよう、そうしよう。
ぴよちゃんさまの姿さえろくに確認できなかったけど…仕方ないよね。
バレンタインは戦争だ、来年はもっと頑張ろう…。
「っきゃー!日吉君がこっちに来たー!」
とぼとぼと廊下を歩いていると、
教室から一層大きな悲鳴が聞こえた。
ちらっと振り返ってみると、ぴよちゃんさまらしき人影が廊下に見える。
女の子の人壁でよく見えないけど、それは確かにこちらに近づいてきているようで。
「…っもうわかったから!トイレぐらい行かせろ!」
「わかった!待ってるね日吉君!」
「いってらっしゃいませー!」
間違いない、あの不機嫌満開の顔はぴよちゃんさまだ。
一喝された女子達は大人しく教室付近で待機している。
さすが、毎年バレンタインをくぐりぬけてるだけあって扱いに慣れてるなぁ…。
感心して眺めていると、ぱちっと目線が合ってしまった。
「……何してるんです。」
「え、あ…あーっと別に?」
言えない…!
ぴよちゃんさまにチョコを渡しに来たけれど
女子の壁に無様にはじき出されて負け帰るところです、なんて
恥ずかしくて言えないよ!
「ぴよちゃんさまって、こんなにモテモテだったんだねー。」
「別に。」
「…もっと嬉しそうな顔すればいいのに、素直じゃないなぁ。」
「嬉しくないんですから仕方ないでしょう。俺はこの日が1番嫌いなんです。」
「……うわー、それあそこにいる女の子たちに絶対言っちゃダメだよ?来年はチョコじゃなくて石投げられるよ。」
「お菓子が好きな訳でもないし、迷惑なだけですよ。」
不機嫌な顔のままスタスタと歩いて行ってしまうぴよちゃんさま。
……そんなこと言われるとめちゃくちゃ渡し辛いじゃないですか。
返す言葉もなくて、黙っているとふいに彼が振り返った。
「…まさか、先輩も何か渡しに来たんじゃないでしょうね。」
「え?!え、えーと…。」
「…何ですか、そのくたびれたビニール袋は。」
「ちがっ…これは違うの、あれだよそのー…。」
思わずビニール袋を背中に隠したけれど、時既に遅し。
くるっと方向を転換してズンズンと歩いてくるぴよちゃんさまが、
隠した袋を覗きこむようにして一言。
「……1番迷惑な義理チョコを配り歩いてるんじゃないでしょうね。」
ギロリと睨むぴよちゃんさまに、目を逸らすことしかできない私。
ちょ…、バレンタインに何の恨みがあるんだろう、この子は…。
あんたの先輩達はもらった個数で対決とかしてるんだよ!
みんなもっと普通にバレンタインを楽しんでいるというのに、
親の敵のような目で睨まないでくださいよ!
「ま…まっさかー…。ないない、私がそんな女子イベントに参加するはずないでしょ?」
「……そのバカでかいハートの「違いますから!怒らないでー!じゃあね、ばいばい!」
これ以上追及されるとなんか恥ずかしいというか、
折角徹夜で作ってきたけど本人が嫌がるならあげても仕方ないしなぁ…。
まだ何か言いたげなぴよちゃんさまを残して階段を駆け上がった。
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・
「はぁ…大失敗だ…。やはりぴよちゃんさまは一筋縄ではいかないな…。」
大きなため息をつきながら、廊下を歩く。
バレンタインって男子は誰もが嬉しがるハッピーイベントだと思ってたけど
あんなこの世の終わりみたいな顔してる男子もいるんだなぁ…。
ぴよちゃんさまの苦虫を噛み潰したような顔を思い出して
さらにため息がでる。…どうしよっかな。
「あ、ちゃん。」
「…ん?…あ!田中君!」
下を向いて歩いてたから気付かなかった。
今日も癒しスマイル全開の田中君が向かい側から手を振って歩いてきていた。
その笑顔を見ていると、さっきのショックから少し回復できそう。
駆け寄ってみると、片手に何個かのチョコを抱える田中君。
「わぁ、田中君もモテ男だねー!」
「いや、そんなことないよ。ほら、跡部君達なんかに比べるとさ。」
「あれはほら、民間行事みたいなものだからさ。初詣みたいなもんだよ。」
「…ふふ、よくわからないけど。」
優しく微笑む田中君。
…あ、そうだ。これあげなきゃ。
「田中君、良かったらこれ貰って?」
「……わぁ、すごいね。」
「えへへ、張り切って手作りしてきちゃった。」
手渡したのは真子ちゃんから批判を受けたハート形の特大チョコ。
軽くA4サイズぐらいはありそうな箱に、田中くんも驚きの表情。
「…あはは、これ上手に出来てるね。」
「でしょ?1番の力作だよ!」
「……それは…その、本命ってことかな?」
「へ?」
本命
え、本命?
顔を赤くする田中君。
一瞬言ってる意味がわからなかったけど、
すぐに理解できた。
その途端に私の体温も急上昇。
何と答えていいのかわからず、俯いていると
「違います。」
急に背後から、低い声が響いた。
「…っ、え。ぴよちゃんさま?」
そこにいたのは先程にも増して機嫌の悪そうなぴよちゃんさま。
…こんなところで何してるんだろう。トイレ行ってたんじゃないのかな。
「それ、別に本命じゃないので返してもらえますか。」
「…なんで君が入ってくるの?」
「行きますよ、先輩。」
田中君の手からA4サイズの箱を奪い去り
スタスタと歩いて行くぴよちゃんさま。
……何が起こった?
呆気にとられる田中君と私。
お互い顔を見合わせてみたけど、やっぱり意味がわからない。
いつのまにあんな盗賊みたいな真似する子になったんでしょうか。
「と、とりあえず追いかけてくる!ごめんね田中君!」
「う、うん。いってらっしゃい。」
・
・
・
「ぴ、ぴよちゃんさま!」
やっと追いついた…。
ぴよちゃんさまの肩を掴むと、
彼はギロリと鋭い目線で振り返った。
「え…っと…?」
「…何やってるんですか?」
「ごめん、意味がわからないよ!ぴよちゃんさま!」
「だから、なんであの人にこれを渡してるんですか?」
いつになく意味不明なぴよちゃんさまが
先程奪い去って行ったチョコをひらひらと掲げる。
なんで…って言われてもなぁ…
「えと…田中君に作ってきたものだから…。」
「嘘をついても無駄です。」
ポケットから携帯を取り出し、ずいっとメール画面を突き出したぴよちゃんさま。
目を凝らしてよく見てみると、それは真子ちゃんからのメール。
From.真子さん
Sub.そこにいる?
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たぶん日吉君のとこに
チョコ渡しに行ってるよね?
教室に帰ってきたら
いなかったから…。
なんかバカでかいハート形の
チョコ作ってたみたいだけど
受け取ってあげてね。
(たぶん日吉君へのものだと思う)
−END−
「証拠はあがってるんですよ。」
真面目な顔で私を見つめるぴよちゃんさま。
ちょっぴり頬が赤いのは何でなんだろう、超可愛い。
…しかし、なんということをしてくれたんだ真子ちゃん…。
「その…これは…真子ちゃんの勘違いというか…。」
「はぁ?何ですか?」
「…そのチョコよく見てみて?」
頭の上に10個ぐらい疑問符を飛ばしたぴよちゃんさまが
改めてチョコを見ると…
「……なんですか、これ。」
やっと気づいてくれたみたい。
だってチョコの表面に描かれているのは
「いってよし。」のポーズをとる榊先生の本気の似顔絵。
私が徹夜したのはほぼこの為だ。
デコペンで細部まで描くのは中々難しかったけど
出来あがってみるとかなりレベルの高いものに仕上がっていた。
元々、田中君には毎年バレンタインチョコをあげていたけれど
今年はテニス部員の分も増えたためブラウニーを焼いた。
しかし、出来あがった後に気付いたのは「田中君はナッツが苦手」ということ。
大量のナッツを使ったブラウニーをあげる訳にも行かず
どうしたものかと考えたあげく、このハートチョコを作ることになったのだ。
で、普通でもつまんないし田中君と私の共通人物である榊先生を書いてみようと。
田中君は榊先生を尊敬してるみたいだから、喜ぶかなーって。
その経緯をぴよちゃんさまに説明している間、
ぴよちゃんさまの顔はどんどん青ざめ、その後にフルフルと怒りに震え始めた。
「……じゃあこれは俺に作ってきたものではないんですね。」
「う、…うん。ぴよちゃんさまにはこれ…ブラウニーなんだけど…。」
「何で先にさっさと渡さないんですか。」
「いや…だって、あの時のぴよちゃんさまにこんなの差し出そうもんなら殴られそうだったから…。」
「今の方がずっと殴りたいです。」
「理不尽だ!と、とにかく真子ちゃんの早とちりが原因なんだってば!」
本当にこれはただの哀しい事故なんだよ!と力説してみたけれど
ぴよちゃんさまは相変わらず怖い顔で。…私が何かしましたか…ワタシ…ワルクナイ…!
「じゃ、じゃあ…はい、これ。これは正真正銘ぴよちゃんさまに作ってきたものだから。」
「………。」
しぶしぶブラウニーを受け取ってくれたぴよちゃんさま。
よ…良かった…。これで全てが丸く収まればいい!終わり良ければすべてよし!
放置してきた田中君にも悪いし、そろそろ戻ろうかとぴよちゃんさまに声をかけてみたけど
まだ何か言いたいことがある様子。
「……先輩、あの人のこと好きなんですか。」
「え?!…ちょ、いきなり何!ぴよちゃんさまらしくないよ!」
唐突に放り出された言葉は、普段ぴよちゃんさまの口から聞いたことのないような話題。
ど…どうしたんだ、いきなり!っていうか…私が田中君とそんな…そんな関係になるだなんて
恐れ多くて無理に決まってるのに、何言ってるのこの子はもう!
「何赤くなってるんですか。1番の力作なんでしょう?これは。」
「ま…まぁ、ね。ほうれい線の部分とかものすごく時間かけたからね。」
「………。」
改めてそんなに見られると恥ずかしいな…。
ちょっとしたネタチョコのつもりだったんだけどな…。
気まずい沈黙にも臆することなく、
ぴよちゃんさまはA4サイズチョコを眺めながら何かを考えている。
そんな奥深いチョコでもないと思うんだけど…。
「あ、あのぴよちゃんさま?」
「……はい。これ返します。」
「ん?」
手渡されたのは先程のブラウニー。
…ま、まさか受け取り拒否!?何が足りなかった、見栄えか!?
ボロボロのビニール袋から取り出したもんなんて食えるかってか!?すいません!
「…こんなもの貰っても田中さんも困ると思うんで、預かっときます。」
「………ん?」
「代わりにそれを渡せばいいでしょう。では。」
一方的にブラウニーを私の手に押し付け、
校舎へと帰ろうとするぴよちゃんさま。
……まさかとは思うけど…まさか、もしかして
「…ねぇ、ぴよちゃんさま。」
「なんですか、別に深い意味はないですよ。
こんな珍妙なチョコもらったなんて噂になったらテニス部が笑われるでしょう。」
ほんのり赤くなった頬で、いつになく饒舌なぴよちゃんさま。
……ふふ、もうわかってるよ。
「ぴよちゃんさま、照れなくてもいいよ。」
「なっ…照れてなんかいません。勘違いしないでください。」
「ぴよちゃんさま…
その榊先生が気に入ったんでしょ?」
ぷぷぷ、っと笑いながら指摘してあげると
一瞬目を見開いたぴよちゃんさま。
次の瞬間、ものすごい勢いでこちらに向かってきて
私の頭をぺしっと叩いて、すぐ走り去った。
耳まで真っ赤にしたぴよちゃんさまが可愛くて。
こんな楽しいイベントを1番嫌いな日にしとくなんて
もったいないよ、ぴよちゃんさま。