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Valentine's day with Oshitari 1
恋に落ちるとはこういうことなのか。
それは、遡ること半年程前。
「…いってよし。」
「…ありがとうございました。」
力なく音楽室の扉を閉める。
いつも私が出ていくのを見送ってくれる榊先生だったけど、
今日はいつものセリフを言った後にさっさと奥の小部屋へと入っていった。
「……さすがにヘコむなぁ。」
昨日のピアノコンクール。高校生になってから初めて挑んだコンクールだった。
中学生部門とは違って当然レベルも高くなっていたけれど、
私は心構えがまだ中学生のままだった。
今までコレでやってこれた、という変な自信があって
当然今回のコンクールでも予選は軽く通過するだろうと思っていたら
あっけなく予選落ちしてしまった。
榊先生の生徒で予選落ちしたのは私が初めてらしい。
昨日の時点で相当先生のピリピリムードは感じ取っていたけど、
今日、部活前に呼び出されてはっきりと告げられた「期待外れ」の言葉。
勝負には厳しい先生だから、今回の件は破門されても仕方ないレベルの事件だった。
でも、先生からもう来なくていい、とかそういう言葉は出なかった。
その代わりに「何か言いたいことはあるか。」とだけ聞かれた。
頭には色んな言い訳が浮かぶ。
部活が忙しかったとか、高校生になって環境についていくのに必死だった、とか…
でもその中のどれか一つでも口にしてしまうと、負けを認めてしまうことになる気がした。
目の端でぎりぎり耐えている涙が流れてしまわないように、歯を食いしばりながら
一言、「もう負けません」と呟くことしか出来なかった。
先生からは、次があるかどうかはお前次第だと言われた。
当然だと思う。予選も通過して、技術もあって、努力家で真面目な生徒はいっぱいいる。
そんな中で私なんかに次のチャンスがまわってくるはずがない。
いつもなら、「また次頑張ろう!」とか明るく考えられるはずなのに、
今回はコトが大きすぎて、ただただ落ち込むことしか出来なかった。
…本当に情けない。自分にムカつく。
そんな思いを抱えながら音楽室を後にした。
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「…よし!じゃあ私先に帰るね、お疲れ!」
「あ、なんだよ。今日サイゼ行くって言ってた日だろ。」
「そうだよー、ちゃんいないとつまんないC~。」
「ゴメン、実は榊先生に提出しないといけない宿題があって…本当ゴメン!」
目の前でブーブーと不満を漏らすがっくんとジロちゃんに、手を合わせて謝る。
…部活中はなんとか耐えることが出来たけど、正直今はみんなと笑顔で食事を出来る気がしない。
いつもなら、榊先生に怒られたことを皆に愚痴ったりすることもあるけど、
さすがに今回の件はあまりにも恥ずかしくて、情けなくて…誰にも言いたくなかった。
この不安なのか焦りなのかわからないモヤモヤとした気持ちを振り払うには、
とにかく早く家に帰って、ピアノに触れるしかないと思う。
先生にまた認めてもらえるように、昨日負けた自分の情けない姿を消し去るために、頑張るんだ。
皆が部活で頑張る姿を見て、少しだけそんな風に思うことが出来た。
「……全然ダメだ。」
家に帰ってきて、すぐにピアノに触れる。
ただひたすら弾いて、フと時計を見ると3時間が経っていた。
…弾いても弾いても不安だけが大きくなっていく。
今日の榊先生の言葉が考えていた以上にずっしりと心にきているらしく、
「期待した私が間違っていた」その声が頭の中から消えなかった。
鍵盤をじっと見つめていると、自然と涙がこぼれた。
その時。
ピーンポーン
「びっ!…くりした……。はいはい…。」
大きな音で鳴り響いたインターホンの音に、涙も引っ込んだ。
何か荷物が届いたのかと思い、印鑑を持って玄関へと走る。
念の為、ドアの覗き穴から外を確認してみると、そこにいたのは
「……なんで忍足?」
暗い廊下で、携帯を弄りながら立っていたのは忍足だった。
取り敢えずドアを開けると、軽く手を挙げてずかずかと玄関に入ってくる。
「なに、どうしたの?」
「晩飯。まだ食うてないか?」
「…まだだけど。」
「ほな食おか。」
そう言って、手に持ったスーパーのビニール袋を私に手渡す。
ずっしりと思いその袋の中には、食材らしき野菜等が入っていた。
「…ゴメン、今日はちょっと…」
「わざわざ食材まで買ってきたんやからそんな冷たいこと言うなや。」
そう言って、さっさと靴を脱ぎ当然のようにリビングへと向かう忍足。
さっきまで涙を流すほどセンチメンタルな気分だったのに…
突然の関西人襲来に、どう心を調整していいのかわからなかった。
「、これ混ぜといて。」
「…わかった」
キッチンで軽快に包丁の音を響かせる忍足から手渡されたのは、
お好み焼きの生地が入ったボウルだった。
いきなり始まった忍足クッキング教室に、どう対応していいのかわからず
キッチンの入り口でウロウロする私を見かねてこの仕事を与えてくれたのだろう。
段々とクリーム色に変わっていく生地を見つめながら、ただひたすらに泡だて器でかき混ぜる。
…なんかやっぱり心がもやもやして、いつものようにこの状況を楽しめない。
でも、それを悟られてしまうのも情けないし…なんとか隠したい。
「もうそのぐらいでええやろ。」
「…あ、うん。じゃあ私ホットプレート用意しておくね。」
いつも通り振る舞おうと思えば思う程、なんだかぎこちない感じがした。
でも忍足は特に何か言うわけでもなく、淡々とお好み焼きを作り上げていく。
ホットプレートの電源を入れ、お皿やお箸を用意していると
フとさっきまで弾いていたピアノが目に入った。
開いたままの蓋をそっと閉めて、静かに食卓の準備を続けた。
「うわー、美味しそう!いっただっきまーいでっ!!」
「待ち、あと35秒や。」
「面倒くさいこだわりが出てきたよ…これだから忍足はさー…。」
「やかましい、俺のお好み焼きは完璧な状態やないとアカンねん。」
「はいはい。…なんか、中学の時の学園祭思い出すね。忍足、お好み焼き屋だったでしょ。」
「懐かしいな。」
「後輩達の間で伝説になってるらしいよ、あの模擬店。」
「何それ、初めて聞いたわ。」
「二度と手首が使えなくなった人間が2名出たとか、1人は学園祭中に絶命したとか、とんでもないブラック模擬店だって噂が広まってるんだって。」
「…噂って怖いなぁ。」
素知らぬ顔で、目の前のお好み焼きにソースをかけ始めた忍足。
私は覚えている。中学時代の学園祭で、忍足のお好み焼き屋でキャベツの千切りを嫌という程手伝わされたことを。
そして、一緒に千切りをしていた同級生の目が時間が経つにつれ光を失っていったことも覚えている。
粉モンに関しては異常なまでにこだわりの強い忍足が、労働基準法も裸足で逃げ出すレベルの労働を強いていたから
ブラック模擬店の伝説が未だに語り継がれているんだ。
…なんか、懐かしいなぁ。楽しかったな、学園祭。
「…よし。はよ食べな冷めるで。」
「お。ありがと!いっただきまーす!」
いい匂いを漂わせている忍足特製お好み焼き。もうさっきからお腹の音が止まらない。
忍足のGOサインがやっと出たので、私は豪快に一口目をいただいた。
「……美味しいー。」
「当たり前や。」
「あ、なんかテレビつける?いい番組あるかなー…。」
「今日、ジブリのあの映画…なんやっけ…再放送するんちゃう。」
「え、そうなの?…あ、これか!懐かしいねー、トトロ。」
「うわ、最悪や。もう始まってるやん。やめやめ。」
「えー、大丈夫だって5分しか経ってないじゃん。」
「アホ、最初の5分は映画の3分の1を決める重要な部分やで。途中から見るとかめっちゃ嫌やわ。」
私の手からリモコンを引ったくり、プチっと電源を切る。
ちぇ、トトロちょっと観たかったのに…。
これががっくんや宍戸相手ならもうちょっと抵抗するところだけど、
無駄にこだわりの強い忍足だ。逆らうと何されるかわかったものじゃない。
下手すると私は自宅で最期を迎えることになるかもしれない。そのぐらいの狂気が忍足にはある。気がする。
「…そういえば、今日家誰もいなかったの?」
「……なんで?別におるけど。」
「そうなの?いや、なんで家に来たのかなーと思って。1人で来るとか珍しいじゃん。」
「……誰かさんが気持ち悪い顔して帰るからや。」
「……え、何の話?」
お好み焼きを頬張りながら、ジっと私の目を見つめる忍足。
その視線が何かを見透かそうとしているようで、少しだけ心臓が痛くなった。
「岳人やジローは騙せても、俺は騙されへんっちゅーことや。」
「………。」
「…見るテレビもあらへんし、なんか面白い話あるんやったら聞くけど。」
「…ねぇ、もしかして……いや、ちょっと待ってでも…そんな…。」
「なんや。」
「…私が落ち込んでると思って、励ましに来てくれたの?」
「別に、ただ飯食いに来ただけや。」
「……他の誰も気づかない私の微妙な変化を感じ取ったっていうの…?」
「おい、変な言い方すんな。」
「…そんなに毎日…わ、私のこと見てたん…ぶふぇっ!いたっ…痛いから!痛い!」
「人が心配したってんのにお前は…」
目にも留まらぬ速さで繰り出されたアイアンクローに私は手も足も出ない。
ただ頭に感じる痛みに耐えながら、心の中ではホっとしている自分がいた。
だって、こんな風に茶化しでもしないと、本当に泣いてしまいそうだったから。
あの忍足が……、私に対していつも辛辣で、感情とか2歳ぐらいの時にとうに捨て去ったような冷たい忍足が…
わざわざ私に元気をつけるために、こんな…お好み焼きとか作ってくれて…
本当にそういうのやめてほしい。
急にそんなことされると
「……っう…今日は……涙腺弱いのに…。」
「………別にいつもぐらいの力加減やってんけど…。」
「違うよ…。忍足の…忍足の中に人に対する優しい気持ちが芽生えてることが…嬉しい…。」
「お前、俺を何やと思とんねん。」
「……へへ、ありがと。…ついでに、あんまり面白くない話聞いてもらってもいい?」
「聞くだけやったらな。」
・
・
・
「…ってことで、もうダメだーって思って…落ち込んでたんだ。」
「………。」
一通り、あったことを素直に話した。
私が少しづつ話している途中、忍足はうんともスンともいわず、
黙ってお好み焼きを食べながら話を聞いてくれていた。
…なんか、結局話してしまったけど
不思議と心が少し楽になったというか、
落ち着いて、整理して話すことで、これから私がどうすればいいのか
何をしたいのか、そういうのが見えてきた気がする。
「…という、感じなんだけど、さ。」
「…ふーん。…さ、そろそろ帰るか。」
「……ん?…え?」
「なんや。」
「いや…、ほら…なんか感想とか…アドバイスとか…そういうのはないの?」
「聞くだけやって言うたやん。」
「そ、そうだけどさ!なんか…励ましの一言ぐらいあってもいいんじゃない!?こういう場面ではさ!」
「えー…面倒くさいな…。」
「面倒くさいとか言う!?うわー信じられない。女の子の相談に乗る態度とは思えない。」
「相談っていうか…別に俺の答えとか求めてへんやろ。」
「っぐ…そ、それはそうだけど…なんか…なんかふわっとした優しい言葉とか頂戴よ!」
「……。」
「…え、何…。違うよ、優しい言葉ってそういう…愛してるよ、とかそういう乙女ゲー的な言葉じゃないよ!怖いからやめてね!」
「誰が言うか。…お前、忘れてんのちゃうか。」
「……何が?」
空いたお皿を台所へと運びながら、キっと鋭い目線で私を睨む忍足。
…何のことだか全くわからない私は、ポカンと口を開けてバカみたいな顔をしていた。
「半年前。俺とが2人で部室におった時のことや。」
「……あぁー……うん…あの…ねぇ…うんうん、あの時か……。」
「覚えてないんやったら正直に言え。」
「覚えてません。」
「あの時、俺は珍しく悩んどったんや。」
廊下に置いたままのテニスバッグを持って、本当に帰ろうとする忍足。
ゆっくりと話をしながら玄関へと歩いていくので、私も仕方なくついていく。
「…悩んでた?」
「部活のことでな。…調子悪かったから。」
「…な、なるほど。」
「なんとなく、同じ部員にはそういう話したくなかったし、でも心の中のモヤっとした感じを自分の中で留めとくのもしんどかった。」
「………。」
「その時や。部誌書いてたになんとなく言うたんや。俺、最近部活しんどいわって。」
「……あ、ちょっと待って少し…かすかに思い出したかもしれない。」
「まぁでも俺もなんか答えが欲しかった訳ちゃうねん。がさっき言うたみたいにふわっとした慰めの言葉が欲しかったんや。
≪一緒に頑張ろう!≫とか、≪そういう時ってあるよね…≫とかそんなふわっとしたんでええんや。」
「……はい。」
「でも、お前はあの時心底面倒くさそうな顔で≪その話長くなる?≫って言うたな。」
「……そ、そんな気も…する…。」
た…確かに今思い出した。
はっきりとは思い出せないけど、忍足と部室に2人きりで
珍しく忍足が静かだなと思った覚えがある。
…あの時、忍足は落ち込んでたのか…。
そんな友達に私はなんてことを…!
改めて自分の忍足に対する杜撰な態度を反省しながら、
もう彼の止まらない怒りのマシンガントークを黙って聞くことしか出来なかった。
「…でも、結局俺の話を部誌書きながら全部聞いた後に…」
「ごっ、ごめんなさい!先に謝っとく!あの時は直前に跡部と喧嘩してたから苛立ってて…!」
自分が何を言ったかは思い出せないけど、この流れだときっととんでもないことを言ったんだ…。
「ごめん、全然聞いてなかった。もう1回言って?」とかそのぐらいは言いそうだ、私は…。最低だ…!
先に謝っておくことで、忍足の怒りボルテージを少しでも下げようと試みたものの、
私の謝罪を聞く様子もなく、彼は玄関でせっせと靴を履いていた。
「…≪上手く言えないけど、忍足なら自分でなんとか乗り越えられるでしょ。≫」
「………へ?」
「…が言うたんやろ。優しさの欠片も見当たらん言葉やけど、まぁあの時の俺にはそのぐらいが調度良かったんかもな。」
靴を履き、立ち上がった忍足が私の方を振り返って言う。
怒ってると思っていたのに、その表情は意外にも柔らかかった。
「…さっきのの話に戻るけど、俺が何か言葉かけるとしたら…」
「………。」
「…やったら何とか乗り越えられるやろ。自分で頑張れ。」
ニヤリと笑って、私の頭にポンと軽く触れる。
呆然としている私に、じゃあなと手を振り、そのままドアが閉められた。
頑張れ
忍足に言われた言葉が、静かな玄関に響いた気がした。
…自分が何気なく忍足に言った(らしい)言葉だけど、
言われる立場になってみると、なんだか不思議な気持ちだった。
たくさん優しい言葉で慰めてもらうのもきっと嬉しいけど、
お前ならなんとか出来るだろって言葉は、自分の力を信じてもらえているような気がして
単純な私は、頑張ろうと素直に思えるのだった。
また少し流れそうになった涙を、手で拭いながらリビングへと向かった。
ピアノの前に座り、軽く深呼吸をする。
もう一度頑張ってみよう、そう思いながら鍵盤に指を落とした。
その時私の頭の中に浮かんでいたのは、予選で弾いていた曲のメロディと
頑張れ、と微笑む忍足の表情だった。