氷帝カンタータ





番外編 Wakashi Hiyoshi × a haunted place





「あ、そういえばもうすぐホワイトデーだね。」

「何度同じ言葉繰り返すんですか、先輩だけ同じ時間を何度もループしてしまう
 呪いか何かにかかってるんですが、帰ってください。」


「……ちょっと一気に言われすぎて理解ができなかったけど…
 取り敢えず何度も言わなくても、わかってますよ用意してるに決まってるじゃないですかってこと?」

「…脳が…おかしいんですね…。」

「じょ、冗談じゃん!そんな心底気持ち悪いみたいな目で見るのやめてよ!」


昼休み。

毎日恒例の、先輩の襲撃事件にうんざりする。
クラスメイト達は遠巻きに見ているだけで、関わってこようとはしない。
しかし俺たちが話す内容には興味があるらしく、時折吹き出している奴もいたりする。

それがとても面倒だ。

この襲撃は今に始まったことではないが、なんというか
授業参観日に母親がド派手なコスプレをしてきたような、そんな恥ずかしさがある。
皆、口には出さないけど陰でコソコソ笑っている。

そんな俺の思いは、この先輩に伝わるはずもなく
どれだけ冷たい視線を送ろうが、冷たくあしらおうが
打たれ強すぎるボクサーのように這い上がってくる。

その日は、午前中に返ってきたテストの結果が良くなかったこともあり
イライラしていた。その所為か、普段は流せる先輩の狂った言動も
いい加減耳障りに感じていた。



「……本気で五月蝿いので、もう帰って下さい。」

「…は、はい!ごめんなさい…。」



普段から人の迷惑も顧みず行動する癖に、
先輩は「本気の言動」にはかなり敏感だ。
目を合わせずに、俯いて、低い声でそう言うと
大人しくパタパタと去っていく。

…しかし、この方法を取ると少し面倒くさいことがある。


「おいおい、日吉〜。先輩可哀想じゃん。」

「そうだよ、めっちゃシュンとした顔してたぞ。」

「五月蝿い、お前達に関係ないだろ。」


先程まで遠巻きに見ていた連中が、何故か先輩を擁護しに来る。
あの人の、不思議な能力の一つだと思う。
どう見ても迷惑しかかけられていない俺に同情する訳ではなく、
少しキツく言われたぐらいで去っていく先輩に同情するなんて。おかしい。

イライラしていた気持ちがヒートアップする。
この何も知らないクラスメイト達に言ったところでどうにもならないが、
なんで俺が、悪いみたいな言い方をされるんだ。


…腹立たしい。

































「なぁ、昨日TATSUYAのクーポンメール入ってただろー。映画借りに行こうぜ。」

「お、いいじゃん。の家で見る?」

「じゃあまたホラー映画にしようよ〜!」

「げっ、もうヤダ。つまんねーし。」

「がっくんとちゃん、超怖がってたC〜!面白かったー!」

「岳人、ホラーとか苦手やもんなぁ。も苦手なん?」

「あいつは俺の比じゃないぜ。自分の家なのに、トイレ行けなくなるしな。」


部活が始まるまでの時間。
ロッカーで着替えをしていると、先輩たちの雑談が耳に入った。

特にいつもと同じ光景なので、気にするところはなかったが
フと出てきた人物の名前に、少し思考が停止する。

…昼休み以降、教室に襲撃することはなかったけれど
またどうせ部活中はあっけらかんとした様子で絡んでくるのだろう。

そして、明日になるとまた同じように
同じ言葉を繰り返しにくるに違いない。……なんとなく、またイラっとした。

部活前にあまり精神を乱されたくなかったが、
バカでかい声で話す先輩たちの雑談は嫌でも耳に入ってくる。


「でも、あいつ強がりだからそれを言わねぇんだよな。」

「そうそう!≪ジロちゃん、トイレ行きたくない?一緒に行こうか?≫とか言ってね、
 俺についてきてもらおうとしてたんだよ〜。めっちゃ可愛いでしょ。」

「…いや、それジローについてきてもろたところで、どうするつもりやってん。
 一緒に入るわけにもいかんやろ。」

「なんかねー、俺がトイレいった後に自分が入って、外で待っててもらうつもりだったんだってー。」

「で、ジローが行かないって言ったら泣きそうになりながら宍戸の帽子取り上げてトイレにこもったんだよ。」

「俺が返せってトイレのドア叩いたら、≪返して欲しければそこに居てよ!≫とか言い出して。
 ムカついたからトイレの電気消してやったら…」

「中からドア叩きながら、≪今すぐつけないと、この帽子便器に放り込む!≫って叫ぶんだよ!
 ちゃんって、意外に頭良いよねー。


そこで吹き出す忍足さん。…に、隣のロッカーで着替えてた鳳。
先輩たちの雑談に耳を傾けすぎて、不覚にも笑ってしまいそうになったが、必死にこらえた。



「…あいつ、ほんまに女ちゃうな。」

「だろ?しかし、あの怖がり方は異常だな。めちゃくちゃ面白い。」

「俺もさ、結構ホラー系苦手だけどの怖がり方見てたらちょっとシラけるもんな。

の唯一の弱点かもしれんな。今度ムカつくこと言うたら、トイレに閉じ込めたろか。」

「やめたほうがいいよ。たぶんそんなことしたら報復も倍になると思うC〜。」


ゲラゲラと笑う先輩たちの雑談を聞いて、ひとつ。頭に浮かんだことがある。
…普段、先輩に散々迷惑をかけられながら、俺は反撃しようということは考えたこともなかった。
自分が耐えるしかない、先輩が飽きるのを待つしかない、と。

しかし、今得た情報は俺にとってかなりプラスなのではないか?
先輩の弱点をたまたま手に入れたのは、どこかから神がこのタイミングだ、と指示しているのではないか?
普段から別に信心深い訳ではないが、少しテンションも上がっていた為か自分に都合の良い解釈をしてしまう。

先輩も、一度痛い目に合えば反省するだろう。


頭の中で始まった報復のシミュレーション。
自然と表情が綻んでいたようで、ロッカーを見つめてニヤける俺を見て
鳳が心配そうに肩をたたいた。



































先輩。」

「ん?あ、ぴよちゃんさまお疲れ。はい、タオル片づけておくね。」


部活後、部室裏の洗濯機付近で仕事をしていた先輩。
声をかけると、俺の手からタオルを受け取り洗濯機へと放り込んだ。

…この愛想笑いは、おそらく昼休みの件で気まずいからだろう。
あまり積極的に目を合わせようとしないのが、その証拠だ。
不自然な程に洗濯機の中をゴソゴソと弄る先輩に、もう一度声をかけると
次はびっくりしたような顔で振り向いた。


「…なんですか、その顔。」

「えっ、いや…ぴよちゃんさまから話しかけるなんて珍しいな、と思って…。」

「…今度の金曜日、部活の後って空いてますか。」


焦る先輩に深くつっこむと面倒なので、単刀直入に要件だけ伝えると、
まるで世界が止まったかのように固まった。瞬きすらしてない。


「…先輩?」

「……金曜日…、3月…14日ですか…。」

「はい。…別の用事があるなら別の日でも「だだだだいだいだい大丈夫です!ノープロブレム!」


急に騒ぎ出したと思ったら、顔を真っ赤にする先輩。
…あまりにも想像通りすぎる展開にニヤけそうになるのを堪える。


「…じゃあ、部活の後残ってもらえますか。」

「え…、そ、それは部室…に?」

「はい。」

「あ、あの校門とかはどうかな?」

「…?出来れば他の人に見つかりたくないので、自然に残ってもらえる方がいいのですが。」

「ぶふぉっ!…ぴ、…ぴよちゃんさま?えーと…あの、それは…なんだろうな…。」

「…なんですか?汗びっしょりで気味悪いですよ。」

「女の子に汗だくデブキモイとか言っちゃダメだよ、ぴよちゃんさま。」

「そこまで言ってませんけど…。部室だと不都合があるんですか?」


先程よりも焦った様子で何かを考えこんでいる先輩の額には、汗がにじんでいた。
…こんなに涼しいのに。それを見て、ついに堪え切れなくなり、笑いかけたところで先輩が顔をあげた。


「…ぴよちゃんさま、確かに放課後の部室で…っていうのは憧れのシチュエーションでもある。
 だけどね、やっぱり…みんなが、真剣に部活を頑張っている姿をいつも見ているだけに、
 あの部室は私にとっては、神聖なもので…。そ、その空想上なら確かに≪アリ≫なんだけど、
 やっぱり「何の話をしているんですか。」

「……ぴよちゃんさまが、放課後の部室でホワイトデーのお返しにイケナイことしてくれるイベントだよね?」

「殴られたいですか。」

「え!…え、じゃあ…え?なんで部室に呼び出されるの私?」

「…それは、当日になってから言います。」

「……他の人に見られたくないって…。」

「向日さんや忍足さんに、言わないでくださいね。」

「ひっ!わっわわわわっわか…わかった!あ、あの…あの、た、楽しみにしてるね!」

「……はい。」


嬉しそうに笑う先輩に、少し罪悪感が沸いたけれど
でも、別に悪いことをするわけじゃない。ちょっと、懲らしめてやるだけだ。
ペコリと礼をしてその場を立ち去る。

…あの異常な喜びよう。

全身で嬉しさを表現しているような、あの先輩の素直な人柄が
人に好かれる理由なのかもしれない。

自分にはまず出来ないことなので、少し尊敬してしまう。
チラリと後ろを振り返ると、洗濯機の前で顔を押さえながらゴロゴロ転がって土まみれになっている先輩。


やっぱり、ああはなりたくないなと思った。


































「みんな!今日もお疲れ様!」

「…おう、何。そのテンション、気持ち悪ぃんだけど。」

「がっくんが汗を流して頑張る姿、すっごくカッコよかったよ!」

「侑士ー!ヤバイ、が熱中症で頭狂った!」


浮かれ気分の私を見て、露骨に嫌な顔をするがっくん。
…フフ、だけど今はそんなことすら気にもならないぐらい私はハイパースーパーテンションなのだ。

今日1日、ずっと浮足立つ私を見て、やれ気が狂っただの、薄気味悪いだの、
今更反省して良いマネージャーぶっても、お前の犯した過去の罪が許される訳ではないだの、
散々な扱いを受けたけれど、もう、本当にどうでもいい!

だって…だって私には……


チラリと、部室内で着替えるぴよちゃんさまに目線を送ると
思いっきりしかめっ面をされた。ちょっと幻聴かもしれないけど、舌打ちも聞こえた気がする。

な…なんかご機嫌ななめの様子ですが…え…、これから私告白…されるんだよね?

クラスメイトの癒し系代表、瑠璃ちゃんに今日のことをこっそり話したときは
「きっと告白だよソレ!」って一緒に盛り上がってくれたもん…。
真子ちゃんは怪訝な顔で「…もしかすると、闇討ちにされるのかもよ」なんて不吉なことを言っていたけど
そんなはずはないと思う。だってホワイトデーだよ?男の子が女の子に思いを伝える日でもあるんだよ?

そんなことを考えていると、先程までの不安もすっかり忘れてしまい
また頬がゆるむ。その様子を見て、不審に思った跡部に蹴られたのは許さないけど。


「…マジでキモイで、。何があってん。」

「ふふ…ふ…、それは言えないんだなー。えへへ、女の子のヒ・ミ・ごふっ!!

「……今すぐその気味悪いニヤけ顔をやめろ。いい加減にしねぇと殴るぞ。」

「も…、もう殴ってんでしょ、どういう環境で育ったら女子にボディブロー出来るわけ?!」


そのままソファに沈む私を見下ろして邪悪な顔で睨み付ける跡部。
っく…屈しない…!これさえ乗り切れば…こいつらの尋問さえ乗り切れば私にはバラ色の未来が待ってる…!


「…ッチ、何考えてんのか知らねぇが明日までにそのニヤけ面直してこなかったら、学校辞めさせるぞ。」

「ペナルティ重すぎない?ねぇ、私が幸せそうなのがそんなにいけませんか?」

「もういいじゃん、跡部。それより早く行こうぜ。」

「え、何?がっくん。どっか行くの?」

「おう、跡部がモス行ってみたいらしい。」


珍しい。跡部を引き連れてみんなで仲良くモスバーガーですって。
ふふっ、何が哀しくてこのクソ生意気な跡部の初体験をみんなでお手伝いしなきゃいけないんだ。

私はぴよちゃんさまとのめくるめくバラ色ランデブー。
皆はがんばれあとべくん!はじめてのふぁーすとふーどイベント。


雲泥の差ね…。下々の者共の可哀想な遊びを優越感に浸りながら嘲笑うと
もう一発跡部に殴られた。アイツ、ヒトノココロ、ウシナッテル。












「…お待たせしました。」

「はっ…は、はははい!う、ううん全然待ってない!部誌書いてたから全然待ってない!」

「……挙動不審すぎます。」

「ご、ごめん!でもテニス部のみんなには言ってないよ!」

「先輩の場合は口に出さなくても全身から不自然さが滲み出ているんです。」


夕日に照らされた部室の中。
急いで部誌を片づける私に、やけに穏やかなぴよちゃんさま。
私は、これから起こるであろう告白イベントにドキドキしてるというのに…。

普通にしてればいいものを、緊張しすぎて
机に脚はぶつけるし、部誌は落とすし散々だ。
そんな様子をジっと見ているぴよちゃんさま。
突き刺さるような視線が余計に緊張を煽る。


「……先輩。」

「ふぁいっ!は、はい!」

「もういいですか?これから行きたいところがあるので早く準備してください。」

「……わ、わかった!」


顔色ひとつ変えずにテニスバッグを背負ったぴよちゃんさまは
静かに部室を後にした。……アレ?部室イベントは無いのかな?
































「…ねぇ、ぴよちゃんさま…。これどこに向かってるの?」


学校から出て、最寄り駅まで2人で歩いた。
その間、ぴよちゃんさまは全く普段通りで少しづつ私の頭の中に疑問符が溢れる。

そしてついに、電車に乗り込んだぴよちゃんさま。
ついていくしかない私は、段々と薄暗くなっていく車窓をぼんやりと見つめていた。


「…着いてからのお楽しみです。」

「でも、もう30分ぐらい乗ってない?結構遠いところ…来てるよね?」

「次の駅で降りますから大丈夫です。」



そう言って、少し微笑むぴよちゃんさま。
…何が何だかわからないけど、取り敢えず任せるしかなさそうだ。

ホームにゆっくりと入る電車。
人もまばらな車内から降りたのは私とぴよちゃんさまだけだった。

人気のない薄暗いホームで、静かに改札を通る。
学校の最寄り駅から30分で、こんなに風景が変わるのかと少しびっくりする。

…何となく、胸がドキドキする。

薄暗い駅、人気のない場所、2人きり

この3つのキーワードから導き出される妄想に私は頭を抱えていた。
…ど、どうする…!これは確かに願ったり叶ったりだけど
先輩として…やっぱり、お付き合いもしていない男女が…っていうのは注意すべきだろうか。

前をサクサク歩いていくぴよちゃんさまにどう声をかけようかと迷っていると、
丁度そのタイミングで振り向いたぴよちゃんさま。


「お腹空きましたよね。ご飯に行きましょう。」

「え…あ、うん!そうしよっか!」


…こんな田舎道にどんなレストランがあるんだろうか。
少し不審に思ったものの、振り向いたぴよちゃんさまの表情が
予想外に嬉しそうな笑顔だったので、それだけで私は嬉しくなってしまったのだった。




























「…な、なんか味のある大衆食堂だね?」

「ええ、結構有名なんですよ。入りましょう。」


駅から10分ほど歩いたところに、ぽつんと立っている大衆食堂。
昔ながらの暖簾と、隣に設置された空地のような駐車場。
周囲に街灯がほとんど無いせいか、中から漏れ出る光がやけに眩しい。

何故か段々と機嫌が良くなっていくぴよちゃんさまに続いて中に入ると
意外にも何組かのお客さんが食事をしていた。

しかし、さらに驚いたのはその内装。
食堂らしいと言えばそうなのかもしれないけれど、
至る所に、子供が好きそうな玩具や、キャラクターグッズが置いてある。

…息子さんか娘さんのかな?
キョロキョロとあたりを見渡しているのは私だけじゃなくて、
ぴよちゃんさまも席に案内されるなり、ソワソワしている。


「…なんか、不思議な雰囲気だね。」

「はい。…そうだ、写真…。」


対面に座った私達。
ぴよちゃんさまは私の方を見るわけでもなく、
しきりに店内の写真を携帯で撮っている。

こんなにテンションの高いぴよちゃんさまも珍しいので
なんだか、普段見れない顔を見れたみたいで嬉しくなった。


何をそんなに熱心に撮ってるのかわからないけれど、
ぴよちゃんさまが楽しそうならいっか。
フと隣を見ると、私のすぐ横の壁にかかった古びた鏡。
銭湯なんかにあるような昔ながらの鏡に映った私の顔は、だれが見てもニヤけていた。



先輩、何にしますか?」

「んーと、じゃあ私うどんにしよっかな!」

「…俺も、きつねうどんにします。すいません、注文いいですか?」


優しそうなおばあさんが、暖簾の奥から出てきて優しい声で注文を取ってくれる。
厨房の方で準備をしているおじいさんに声をかけると「あいよ!」と威勢の良い声が響いた。


「…結構人気のお店なんだね!有名人のお店とかなの?」

「いえ…そういう訳ではないですけど。…ずっと来てみたかったんです。」

「そっか…。一緒に連れてきてくれてありがとう。」

「……。」


ぴよちゃんさまの行きたかった場所に一緒に連れてきてくれたことが嬉しくて、お礼を言うと
一瞬微妙な表情をされた。すぐにいつもの顔で「勘違いしないでください。」と一喝されたけど。

それにしても、このお店にいるお客さんが皆熱心に写真を撮ってるのはなんでなのかな。
…このおびただしい数のぬいぐるみや玩具も…、まぁ単体で見ると可愛いのかもしれないけど
ここまでたくさんあると、少し気味悪いように感じてしまう。

……ダメだ、折角ぴよちゃんさまが連れてきてくれたのに変なこと考えるのはやめよう。




「おまたせしましたー、器熱いので気を付けてくださいね。」

「わぁ、おいしそう!ありがとうございまーす。」

「いただきます。」


パチっと手を合わせて、うどんを食べる私達。
出汁がとっても美味しくて、もう一杯食べたいぐらいだ。

あっという間に食べ終わった私がお茶を飲んでいると、
ぴよちゃんさまも食べ終わったようで、また手を合わせていた。


「…うどん、美味しいね!有名なお店なのも納得できるなー。」

「…別に、このお店は味で有名なわけじゃないですよ。」

「え、そうなんだ。じゃあ何が有名なの?」

「そうですね…。例えば、先輩の横にあるその鏡。」

「ん?あ、コレ?」

















「有名なんですよ、座敷童が写りこむことがあるって。」

































「あ、なんかちょっとここクーラー直に当たってる。めっちゃ冷えてきたから
 ぴよちゃんさま席変わってもらっていい?」


「……ふふっ、なんですか。怖いんですか?」

「え?!い、いやいや…全然そんな…だって座敷童って…嘘だよね?」

「いえ、本当ですよ。店内にあるこの玩具やぬいぐるみも、座敷童へ客が持ってきたプレゼントです。」


そこまで聞いて、軽く記憶が飛んだ。
いや…え、何そんな…座敷童って、いわゆる…お化け、だよね?

ぴよちゃんさまが何でそんな満面の笑みで語ってるのか理解できない。
しかし、ここで怖がる素振りを見せるのは…先輩として恥ずかしすぎる。
大丈夫よ、…!座敷童が出ようが出まいが、死ぬわけじゃない…大丈夫、大丈夫…。



「先輩、顔色が悪いですよ?」

「そっ!ん…なことないよ?まぁ、でも取り敢えず食べ終わったし出よっか。
 すいませーん!お会計早急にお願いしまーす!



































食堂を出てからというもの、明らかに先輩の態度が変わった。
やはり先輩たちが言っていた「怖いものが苦手」というのは間違いない情報らしい。

さっきまで、俺の後ろでゆっくりついてきていた先輩が
今にも体が触れそうな距離で、怖さを誤魔化す為なのか必死にしゃべっているのが面白すぎて吹き出しそうだ。


「あ、で、でもさー座敷童って良いお化けだったよね、確か!幸せになるとかいう…」

「…ええ、よく知ってますね。だからみんな、一目見ようと必死に写真撮ってたんですよ。」

「え…、じゃ…じゃあぴよちゃんさまの写真に…写ってるかもしれないってこと?」

「ハイ、見てみますか?」

「いい!別にいいわ、あのーほら、私もあの場にいたしね。もう今更写真なんて見なくとも大丈夫って感じかな。」

「ぶふっ…ふっ…そうですか。」

「ねぇ、何笑ってんの?別に怖いとかじゃないから、本当に。いざとなったら私がぴよちゃんさまを守ってあげる勢いだから。」

「…それは頼もしいですね、楽しみです。」


何をそんなに強がる必要があるのかわからないが、
この先輩は「先輩」という肩書にかなり誇りを持っているらしい。
部活にいる下級生で、先輩のことを「先輩」として尊敬している奴なんて
いないだろうに…。しかし、その必死な先輩の表情を見ていると何だか不思議な気持ちになった。

…もっと怖がったらどうなるんだろう。


普段、バカみたいな顔で笑う先輩しか見たことがない。
あの跡部さんに殴られ、蹴られて、怒ることはあっても
怯えるところは見たことがない。

そんな先輩が、見えない「お化け」に怯える姿を見れば、
少しは先輩に仕返しをしてやったと、スッキリした気持ちになるかもしれない。

…それに、そんな先輩の姿は絶対面白いに違いない。
堪えきれなくて、少し笑うと先輩がまた猛抗議を始めた。



















「…でさ、ぴよちゃんさま。これ、どこに向かってる感じ?駅は反対方向だよね?」

「この先に、行きたいところがあるんです。」

「……ま、まさかとは思うけどまた変なところじゃないよね?」

「変なところって何ですか?」

「そ…その、お化けが出たりとか…。


食堂を出てから15分程歩いた。
街灯もほとんどない田舎道は、段々と先輩の恐怖心を煽ったらしく
今となっては、小走りで必死に俺のペースに合わせてついてくる。

口では強がっていても、行動までは隠せない先輩を見て
不思議と楽しい気持ちになるのは何故だろうか。


「…結構、雑誌とかにも取り上げられているスポットみたいですけど。」

「何の雑誌!?心霊雑誌とかじゃないよね!?」

「いえ…、パワースポットって言われてたり…夜はカップルも多いみたいですよ。」


何気なく発言をしてから、しまったと後悔した。
「カップル」という発言に反応したであろう先輩が、薄暗い中でもわかるぐらいに赤くなっている。
なんとなく、今ここで真実を伝えてしまっては面白くないので
適当についた嘘が、先輩を安心させる材料になってしまったらしい。

先程とは打って変わってキラキラとした視線。
…おそらく盛大に勘違いをしているんだろうけど、別にそれでもいい。

あそこに入れば、そんな呑気に呆けてることも出来ないだろう。

せめてもの慈悲で、少し歩くペースを落とすと
またバカみたいに先輩が笑った。

































「わぁ!綺麗な湖!!月の光が反射してるよ、ぴよちゃんさま!」

「…そうですね。」

「そ…それに、なんだかカップルも…確かに多い…ね。」

「…そうですね。」


もじもじしながら辺りを見渡す先輩。
…この表情が、どんな風に変わるのかを想像すると笑ってしまいそうになるけど
ここで気づかれるわけにはいかない。

いつものように反論したくなる気持ちを抑えて、歩き出すと
先輩もついてきた。すっかり先程の「座敷童」の話は忘れているらしく
この湖を見て「カップルに人気のデートスポット」ぐらいにしか考えていないのが丸わかりだ。

湖の写真を撮ってはしゃぐ先輩をみて、軽く微笑みかけると
また露骨に赤くなった。…この人は、どこまで素直で、思考が丸見えで、バカなんだろう。
将来、変な絵画とか買わされそうだな。



「こっちです、もう少し奥に行ってみましょう。」

「ぴ、ぴよちゃんさま、あの人気のないところに連れ込んで…わ、私達まだ中学生だし…」

「湖に投げ落としましょうか。」

「そっそうだよね!ぴよちゃんさまに限って…ないよね!
 ちょっと人前だと恥ずかしすぎるから、ちょうど良いポジションを探しに行くだけだよね!」


能天気もここまでくると、尊敬だな。

湖のまわりは、暗い森が広がっている。
グルっと一周できるような道はあるが、奥に行けば行くほど
人も少なくなり光も見えなくなる。

入り口付近は確かにカップルが多く夜でも賑わっているが
湖を挟んでその対面は入り口からでも見えない程真っ暗で、
もちろんカップルなんていない。

デートスポットとして人気なのは、この入り口付近のみ。
もちろん俺がそんな場所にわざわざ先輩を連れてくるはずがない。

湖のまわりのベンチでイチャつくカップルを見て
急いで俺の目を隠そうと慌てる先輩は、一体俺のことを何歳だと思っているのだろうか。
「ぴ、ぴよちゃんさまはまだ見ちゃいけません!」等と言いながら、
1人で真っ赤になっている先輩が滑稽だ。



「…少し歩きましょう。」

「う…うん、行こっか!」


明らかに別の想像をしているであろう先輩に、また少し笑ってしまった。
















「え…えーと…ぴよちゃんさま?」

「はい?なんですか。」

「い、いくら恥ずかしいからって…もう随分歩いたよね…?」

「ええ。あと少しで着きますよ。」

「どこに?」

「ちょうど入り口から対面の場所に、…パワースポットがあるんです。」

「…後どのぐらいで着くの?」

「もうすぐです、頑張ってください。」


ざくざくと森の中を歩いていく俺を見て、段々と不安になってきたのか
先輩が少し歩くペースを上げた。
いよいよ入り口付近に見えていた光が遠くなり、聞こえるのは人の声よりも
虫の声や葉のざわめきの方が大きくなってきた。

明らかに不審がる先輩が、無意識なのか俺の腕を掴む。
辺りをキョロキョロと見回しながら段々と強くなっていく力に
何故かよくわからない充実感があった。…もう強がりも言えなくなってきたみたいだな。


「着きました。そこに祠がありますよね?」

「え…あ、アレ?うん…。」

「ちょっと行ってみましょう。」

「いやいやいや!え…えーと、森の中じゃん?虫とかいるよ?」

「先輩、虫とか平気でしたよね。」

「…っ…、わ、わかった。」


暗い森の中にわずかに見える祠へ向かう。
腕を掴もうとする先輩に、怖いんですかと問うと
そういう訳じゃないと、強がって手を離した。

…どう見ても顔がこわばってるのに、それでもまだ認めないのか。
知ってはいたが、この人も相当頑固だ。


「……なんかパワーもらえてるのかな?これ。」


数メートル先の祠まで到着すると、不思議そうに中を覗き込む。
少し大きく風が吹くだけで、肩をビクつかせてるのが面白い。

…もうそろそろネタばらしのタイミングだろう。


「…ちなみに、ここにはもう一つ別の噂があるんです。」

「え?なに?」

「確かにこの祠は、パワースポットなんですが…それはこの湖を≪時計回りに≫回ってきた場合の話です。」

「……ん?」

「もしも≪反時計回りに≫ここまで来た場合…、この祠からの帰り道に何かがついてくる…と言われてます。」


段々と表情が強張る先輩。
追い打ちをかけるように、湖の方を指さす。


「…俺たちが回ってきたのは≪反時計回り≫なんですよ。」

「……な、……なんで?あ、ぴよちゃんさま、間違えちゃった…の?」

「いえ、あえて反対に回ってきました。前から興味があったんですよね、この類の噂に。」


いつもの先輩からは考えられない程の怯えた表情に、
ついニヤけてしまう。

勝った。

何に勝ったのかはわからないが、いつもどんな方法で撃退しても
ゾンビのように復活してくる先輩をついに撃破したような気分だ。


「…まぁ、信憑性の低い噂みたいなのであんまり面白くありませんが…」


そう言って、振り向いてみると祠の前で直立不動の先輩。
その表情が、俺の予想していたものとは180度違っていたから、一瞬目を見開いてしまった。


「……怖くないんですか?」

「え、何が?あはは、そういうことだったんだね!もー、ぴよちゃんさまったら思わせぶりなんだから!」


ケラケラと手を叩いて笑う先輩。
……しまった、噂がウソであることをバラしてしまったからだろうか。


「あはは、もう明日絶対皆にチクってやるんだからね!さ、もう帰ろっか。」

「…え…はい。」


俺の背中を押して祠から離れる先輩。
先程のように怯えるでもなく、普段と同じテンション…


なんとなく、それが面白くなかった。


もちろん、先輩を懲らしめるという作戦が失敗に終わったことも面白くない。
しかしそれ以上に面白くないのは、先程までは少しは女子らしく怯えていた先輩が
またいつものように先輩面であっけらかんとした笑顔であることだ。


…ここまで来たからには、負け帰る訳にはいかない。

































「あー、ここって携帯の電波あんまり届かないんだねー。」

「…そうですね。」


面白くない。

帰りの道を、何でもないように歩いていく先輩。
ついには携帯を取り出してメールか何かを打ちながら平気な様子で歩いている。

…さっきまでのは、まさか演技だったのか?

そうだとすれば、俺は完全に先輩に「負けた」ということだ。
それがとてつもなく、悔しかった。


…負けてたまるか。



俺の前を歩いていく先輩に黙って、見つからないように、俺は森の茂みの中へと隠れた。









「あ、そういえば明日は体育館練習あるらしいよー。暑くてやだねー……。え…アレ?ぴ、よちゃんさま?」


速足で歩いていた先輩が立ち止まり、携帯の明かりで辺りを照らしながら道を引き返してくる。
息をひそめてその様子を観察していると、先程までの余裕の表情から一転。
不安そうな表情でウロウロと道を行ったり来たりし始めた。

……なるほど、ただ単に強がっていただけだったのか。

とことん素直じゃない先輩に、笑みがこぼれる。
このままココで見張っておけば、あの先輩が、怯える表情を観察できるんじゃないか?
よくわからないけれど、少し鼓動が早くなった気がした。


「ね、ねぇぴよちゃんさま〜?……ほ、本当そういうの全然面白くないからねー…?」

「……もう知らないからね、先に帰るよ?」

「…お、お願いだから出てきっぎゃああああああ!!」


突然の絶叫にビクっとしてしまう。
何かと思ったら、林の中から猫が飛び出してきたらしい。
その場で尻餅をつく先輩を見て、思わず吹き出してしまった。


「も…もうダメだ、ヤバイヤバイヤバイ…なんだっけ…こういう時唱えるの…
 あ!ぬ、ぬーべー…!ぬーべーの…唱えないと…」


ゆっくりと起きあがりながら独り言をつぶやいている。
かと思うと、次の瞬間には何故かファイティングポーズをとりながら
よくわからないお経?を唱えていた。


「なむだいじだいひきゅうぐきゅうなん…なん…なんだっけ、ここから…!」


こんな状況であんなふざけたポーズで前進している先輩は
実は本当は怖がりじゃないんじゃないかと思えるぐらいだ。

しかし、少しづつ歩いてはいるもののやっぱり中々前には進めないようで
同じ範囲内を行ったり来たり。
このままでは、おそらく帰れないだろう。

このぐらい怖がらせれば、反撃は成功したも同然だろう。
後は「これに懲りたら、昼休みに来るのはいい加減自重してください」とキメ台詞を言って終了だ。


普通に出て行っても面白くないと思ったので、
最後に少し怖がらせてみることにした。





「………うっ…ぴ、…ぴよちゃんさま本当にもう「わぁっ!!」

「っっ!」



後ろから大声を出すと、こちらを振り向きもせずに一目散に駈け出した先輩。
そのあまりの俊敏さにまた笑ってしまった。

仕方なく追いかけていると、数メートル先で盛大に転ぶ先輩が目に入る。


「だ、大丈夫ですか?」

「………。」


起きあがらない先輩に、段々と笑いが込み上げてくる。


「っぷ…せ…先輩、あの、すいませんでしたぶふっ…やっぱり怖かったんですね。」

「……。」

「ごほっごほっ…。こ、これに懲りたらもう昼休みに襲撃してくるのは自重して……」


笑いすぎて出た涙を拭いながら、先輩に忠告していたその時。
なんとなく、先輩の様子がおかしいことに気付いた。

一向に起きあがる気配がない。
暴力的な反撃に出るかと思いきや全く動かない。

まさか、転んだ時にどこか痛めたのかと思い急いで先輩を起きあがらせると












「……え……、な…泣いてるんですか?」


唇を噛みしめて、必死に目元を腕で隠そうとする先輩。
肩を抱き上げた時に、少し震えているのが伝わってきた。


「うっ…っく…。」

「ど、どうしたんですか……足、擦りむいたんですか?」

「う…っ……」


どうしていいかわからず、必死に先輩に言葉をかけてみるものの
何かしゃべってくれる訳でもなく、その場に座り込んでポロポロと涙をこぼすだけだった。

あの先輩が、ここまで泣いているなんて想像もつかなくて
段々と心臓の音が五月蝿くなりはじめた。



…やりすぎた。




「…あ…あの、す、いませんでした…。」

「…ひっ…っく、だい…だいじょ、う…ぶ…」

「俺、あの……ど…どうしたら泣き止みますか…。」


どうしよう、跡部さんに電話した方がいいのか…

いや、この状況を説明するぐらいなら死んだ方がましだ。
それぐらい、情けない。先輩を、それも女子を、泣かせるほど怖がらせて
さっきまで笑ってた自分が、急に恥ずかしくなった。

先輩なら、何をしても大丈夫だと甘えてた自分を殴りたい。


なんとか泣き止ませる方法はないかと考えたが、
経験値が無さ過ぎて頭が混乱する。


……ど、どうしたらいいんだ。


「…怖がらせて、すいませんでした。」

「……うっ…ぴよ、ちゃんさま…なんか……大嫌い…」






























全身が雷で撃たれたように痛かった







先輩を懲らしめたかった理由は、毎日毎日鬱陶しいほどに絡んでくるのを辞めさせたかったから。
ならば、先輩がもう来たくなくなるようにしてしまえばこれは「作戦成功」だ。

だったら、今のセリフを聞いて喜ぶべきなのに




俺の心臓は爆発しそうな程焦っていて、汗まで流れ始めた。















「あ…あ、の、先輩…。」

「…っ…、もう……うっ…。」



先輩が泣くほど怖いものがあるなんて思わなかった。

怖がらせたところで、こんなリアクションを取るとは思わなかった。


そんな陳腐な言い訳ばかりが頭に浮かんできて、何も言えなかった。

こんなに焦っているのは、心のどこかで先輩なら許してくれると思っていたからだろう。
完全に想定外の事態に、思考は停止していた。


「……すいませんでした。俺が悪いです。」

「………っ…はぁ…う、ん。大丈夫、ごめん。」

「先輩、あの…」

「っ…大丈夫!も、もう早く…帰ろう。」


涙を拭い、無表情で立ち上がろうとする先輩。
泣き止んだらしいが、俺の方を見ることはなかった。


「いっ!……っつー…。」


立ち上がろうとして、すぐにしゃがみ込んだ先輩に
慌てて手を伸ばすと、少し俺の手を見る。

しかし、先輩が手を取ることはなく
そのまま地面にしゃがみ込むだけだった。


心臓がキュっと締めつけられる気がした。



「…っ…、足、痛めたんですね。」

「……大丈夫だから。」

「…すいませんでした。俺、先輩がこんなに…」

「…ふふ、ゴメン。本当に大丈夫だから。」


愛想笑いのように乾いた笑いを一つよこして、
ゆっくりと立ち上がる。少し表情を歪めたのはやはりどちらかの足を挫いたのだろう。

そのまま歩き出そうとする先輩の腕を、思わず掴む。


「っ…ま、待ってください先輩!」

「え…、なに?」


泣いた為か少し赤くなっている目元を見て
罪悪感に押しつぶされそうになる。


「…乗ってください。」

「え…、い、いや本当に大丈夫だから!」

「いえ、俺の責任です。」


先輩の前にしゃがみこむと、困った表情でそれを拒否された。
しかし、入り口までは少なくとも歩いて5分はかかる。
負傷した足に相当な負荷がかかるはずだ。


「……お願いします、乗ってください。」

「……い、いやいや…本当いいから!」

「足、挫いてるんですよね。歩くのは大変だと思いますよ。」

「…大丈夫だよ。」


足を引きずりながらでも歩こうとする先輩。
しゃがみ込む俺の横をゆっくりと通り抜けていく先輩に、また心臓が痛くなった。

どう形容していいのかわからない焦り。

ただ、このまま先輩を歩かせるのは絶対ダメだと思った。


「……すいません。」

「え、だからだいじょっうわ!ちょっ、まっ待ってぴよちゃんさま、降ろして!」



後ろから問答無用で抱き上げると、意外にも先輩の軽さに驚いた。
……こんなに小さいのか。


「お、おおおおお姫様抱っこはさすがに、恥ずかしいから!」

「こうでもしないと、自分で歩くとか言い出すでしょう。」

「……っ、だ、って。」

「…すいません、でもこれ以上は罪悪感で押しつぶされそうなんです。」


バタバタと暴れていた先輩の動きが止まる。
ようやく納得してくれたかと思い、腕の中にすっぽりと収まる先輩の表情を覗き見ると
その瞳に、またじわじわと涙が浮かんでいた。


「なっ…な、んで泣くんですか。」

「う…っ、ぴよちゃんさまがっ…悪い、んだからね!」

「…本当にすいませんでした。」

「……こ…こわかっ…ぐすっ、ぜ、絶対みんなには、言わないでよ。」


ごしごしと目を擦りながら、それでも強がる先輩にプっと吹き出してしまった。
泣き顔を見られたくないのか、必死に両手で顔を隠す様子は
いつもの鬼と鬼から生まれたサラブレッドのような先輩とは違い、年下の少女のようで、不覚にも可愛く見えた。












そのまま歩くこと数分。
先輩も落ち着いてきたところで、ひとつ深呼吸をする、

入り口付近のベンチに先輩を座らせ、その隣に腰かけた。
等間隔に隣のベンチでは、カップルがこれでもかというぐらい絡み合っていて少し気まずい。


「…あの。」

「ん?……ああ、足なら大丈夫だよ。駅まで少しあるけどゆっくりなら…」

「駅までは、また抱き上げて行きますから。」

「い…いやいやいや、さ、さすがに重いからそれは…!」

「……それより、あの。」


目の前の湖が月の光で、ぼんやりと明るい。
チカチカと頭上で光る街灯は電球が切れかけているようで鬱陶しい。

薄暗い中で見える先輩の表情は、もう怒ってはいないようだった。


「…すいませんでした。」

「…うん、いいよ。ゴメンね、泣いたりして…困らせて。」

「いえ、俺の考えが…浅はかでした。」

「…ふふ。…怖いのもあったんだけど、ちょっとぴよちゃんさまと2人っていうので…
 浮かれてたのもあったからさ。告白でもされるんじゃないかって、期待してて。」

「……それはまず無いですけど「うん、うんもうわかってるからこれ以上傷をえぐらないで。結構恥ずかしいから!」

「…あの、これ…。ホワイトデー、なので。」


鞄から取り出した小さなプレゼントを見て、嬉しそうに微笑む先輩。
その表情を見ると、何故か心が痛んだ。


「ありがとう!用意してくれてたんだ…。」

「…はい。」

「…ふふ。この心霊スポット強制連行事件がなければ…楽しいホワイトデーだったのに…」


冗談めかしてニヤりと笑った。
もう、きっと許してくれているのだろう、



「……その、え…っと、本当にすいませんでした。」

「あはは、もういいよ!今考えると、あの時の心底楽しそうな歪んだぴよちゃんさまの笑顔は貴重だったかもしれない。

「………。」

「明日になったら、すべらない話として皆に発表するから大丈夫だよ。気にしないでね!」

「……あの、もう怒ってない、んですか。」

「うん!心の広い先輩に感謝してよね!」


バシッと肩を叩いて笑う先輩。
…だけど、俺の中である言葉が、ずっと引っかかっている。


「……じゃあ、撤回してもらえませんか。」

「……ん?」

「…さっき、…言ったじゃないですか。」

「…ご、ごめん。何のこと?」

「……大嫌いって。」


























俯く俺の頭の上で、盛大に吹き出す声が聞こえた。
顔をあげてみると、腹を抱えて笑っている先輩。


「ぶふっ…いや、っごほ…いやいや…え、え?

「…っだから!………ほ、本当にその、嫌いになったんですか。」


正直、先輩の涙よりも衝撃だったあの言葉。
あのストーカーまがいの変態行為を働いていた先輩に、気に入られている自信はあった。
絡まれることはあっても、まさか嫌いだと吐き捨てられるなんて、想像もしていなかった。

だからなのか、先輩の「許す」という言葉をもらっても
ずっとモヤモヤしたものが消えなかった。

…嫌いになったということは、もう、付きまとわないということだろうか。
それはそれで嬉しいような気もするけれど、じゃあその対象が鳳に変わったとすれば?
…なんとなく釈然としない。

先輩を懲らしめて付きまといを辞めさせる、という目標に大きく矛盾する心境に
頭の中が混乱する。


「あははっ、ぴよちゃんさま…ぷふぅっ!私に嫌われるのがイヤなの?」

「……そういう言われ方をすると、苛立ちますね。

「…私がさぁ…、ぴよちゃんさまのこと嫌いになる訳ないじゃん。
















 大好きだよ。」















先輩の言葉に大きな意味がないのもわかっている。

この人はバカだから、嫌いではないという否定の言葉を言い換えたのが「大好き」なんだとわかっている。


だけど、俺の嫌いなバカみたいな笑顔と、大きな意味を持たないはずのこの言葉のWパンチは





「…………極めて悪質だと思います。」

「何が!?」





先輩には絶対に見られたくない表情を、していると思う。その時、タイミングを見計らったかのように
チカチカと五月蝿かった街灯の明かりが消える。

それに驚いた先輩が、すかさず俺に抱き付き


色々と限界だった俺は、それを突き飛ばして走り出す。











自分の中に芽生えた気味の悪い変な感情を抹殺するために精神統一をしてから、


二度置き去りにされた先輩の元へ戻ると


さすがに怒ったようで、無言でアイアンクローをかまされた。










Wakashi Hiyoshi × a haunted place

fin.