「おまたせ、皆!連れてきたぞ!」
「待ってたよ、さん!さ、早く!」
校舎の端から端まで、全力疾走するのは中々辛い。
汗だくでたどり着いた特設更衣室の前には
クラスメイトの女の子2人が待ち構えていた。
とにかく突然の出来事すぎて訳がわからないけど、
急がないといけないのは確からしい。
現に、校舎の窓からチラリと見えた中庭特設ステージには
遊園地のヒーローショーぐらいのお客様が集まっていた。
「わ、わかった…!と、とりあえず水を…!」
「水ならメイク中に飲んでいいから!はい、早く入ってね!」
「メ……メイク……。」
朦朧とする意識の中で、森地君と並木君に手を振り
特設更衣室へと促される。
中は楽屋のようになっており、たくさんの電球をつけた大きな鏡の前に
1つ椅子があった。いくつかのブースがあったけれど、
その中で準備をしているのは、確かに選りすぐりの可愛い女子ばかりだった。
私を椅子へと座らせ、水のペットボトルを手渡してくれたのは灰田さん。
ペットボトルがへこむ勢いで強引に飲み干すと、やっと思考回路が働き始めた。
「えっと…、ごめん私あまり詳しく聞かされてないんだけど…。」
「あ、そうだよね。取り敢えず、今からアリスになってもらうね。」
あっという間にTシャツとスカートを脱がされ、
パジャマのようなバスローブ型の服を着せられる。
そして、すぐさま大きな鏡の前に着席した。
私の問いかけに淡々と答えながらも、テキパキと手を動かすのは八江さん。
ブラシでがしがしと髪を梳かしながら温めたヘアアイロンで髪を巻いていく。
灰田さんはというと、汗だくの私の顔を雑にタオルでふき始めた。
…そ、相当急いでいるんだな…。
「ぶふぇっ…ぶっ…は、はぁ、ゴメンね汗だくで!」
「ううん、こっちこそもっと早く連絡してれば良かったね。」
「…え、で、アリスっていうのは…。」
「うん。アリスになって、PRコンテストで戦ってもらうの。」
「……衣装は着なくても大丈夫?」
「何言ってんの、そこのハンガーにかけてあるの見えない?」
ピシっと八江さんが指した先には、もうすっかり見慣れた衣装が飾ってあった。
………マ…マジか…。
ここまで来てしまったからには、もう後には引けないけど……
あの衣装を着て……、あの人数の目の前で…
考えただけで、やっとおさまったはずの汗がまた吹き出し始めた。
「大丈夫だよ、PRの台本は森地君達が考えてるみたいだから。」
「いや……えー…でもなー…えー…。」
「何?どうしたの、頭あんまり動かさないでね。」
「あのー…ほら、周りさ…皆可愛い子ばっかりじゃん。」
「そうだね、でも大丈夫。ちゃんも私達が可愛くするから。」
「それは嬉しいんだけど…素材には限界があるというか…じゃがいもにいくら砂糖ぶっかけてもどうにもならないでしょ?」
「あはは、でもそれが好きな人もいるかもしれないじゃん。」
器用に髪の毛をピンやゴムで束ねながら、八江さんが笑う。
…そっか…、確かにそう言われるとちょっと安心した。
「…今日は私はインパクト要員なんだって。だから取り敢えず他の女の子とは土俵が違うと念じて耐えるしかないね!」
「何それ、男子が言ったの?カチンとくるー。」
「私達がヘアメイクしてるんだから、じゃがいもでもスイートポテトにしちゃうよ!」
スイートポテトはさつまいもだなぁ、と思いながらも
2人の頼もしい言葉にまた心が温かくなった。
いつもヘアメイクに余念のないお洒落さんな二人だからこそプライドを刺激してしまったのかもしれない。
「今日はステージに立つから、昨日よりもちょっとしっかりめにメイクしておくね。」
「う、うん!任せるよ!」
「ん、じゃあはい。目だけ上向いてー。」
「え…目だけ…は、はい!」
「ぶふっ!あはは!そんな白目にならなくてもいいよ!」
「さん普段メイクしてないもんねー。慣れないでしょ。」
「部活で汗かくから…っていうのと、私がメイクをしたところで何かがどうにかなるはずないっていう恐怖感が…。」
「えー、でも結構メイクって楽しいよ?」
楽しくおしゃべりをしながらも、どんどん作業は進めていく二人。
チラっと鏡を見ると、頭の方はもうほとんど完成形に近づいているようだった。
鏡の中で、私の後ろを次々と着飾った女の子たちが通り過ぎていく。
その姿を見る度に心臓がドキっとはねた。
だ…大丈夫、大丈夫。
別にコンテストで優勝するのが目的じゃないんだ。
とにかくインパクトを残すだけなんだ…!
グルグルと頭の中でそのことだけを念じていた。
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「おまたせ!まだ時間大丈夫?」
「おっ。お疲れー!まだ大丈夫!」
更衣室から出てきたのは私が最後だった。
八江さんと灰田さんにばっちりと仕上げてもらったアリスの姿は
がっちり気合を込めた貰ったからなのか、昨日よりも素敵に見えた。
…自分への評価だけはとことん甘い私だから、他人から見たらそんなに変わらないんだろうけど。
でも、2人が一生懸命手伝ってくれて、ここまでしてくれたおかげで
心の中の不安は少し消えていた。
折角こんなに頑張ってもらったんだから、私がウジウジしてちゃいけない。
勘違いでも何でも堂々としてればそれなりに…それなりに見られる姿なはずだ!
それに、もう腹もくくった。
あの人数の前でインパクト路線といえば、どんなことをさせられるのか
大体想像がつく。きっとお笑い方面のネタをさせられるのだろう。
ちょっとおどけたコメントとか言わされるのだろう。でもそれでもいい。
結果的に皆が「ちょっと行ってみる?」と思ってくれればいいんだから。
「森地君、並木君…。私、こう見えてもすべり芸は得意だから安心してね!精神力は結構鍛え上げられてるんだ!」
「あ…ああ、いや一応考えたんだけどさんは最初一言もしゃべらなくていいよ。」
「PRなのに!?え……そ、それは【お前がしゃべると残念なものが余計残念になるんだよ黙ってろよ】っていう……」
「そ、そうじゃないよ!与えられた1分という短い時間で、さらに1年から3年まで全クラスのメンバーの中で
一瞬でインパクトを残すには…やっぱりコレしかないと思うんだ!」
森地君がじゃじゃーんと取り出したのは
どうみても普通の握力計だった。
「……握力測るの?」
「そう!さんは黙って前に歩み出るだけでいい。他の台本は司会に渡してあるから。
司会の合図で、思いっきり!この握力計をつぶす勢いで握るだけ!」
「つぶせないよ!そ…それにしても地味すぎない?そのPR!」
「大丈夫。見た感じ可愛いアリスがまさかの握力ってだけで皆驚くでしょ。」
「可愛い………。」
「あ…いや、うん。普通に可愛くなったよ…な?森地。」
「うんうん。自信持ってよ、さん。」
ポンポンと肩を叩いてくれる2人の顔は優しく微笑んでいた。
その自信をさっき粉々に粉砕していったはずの2人からの思いがけない言葉に
ちょっとだけ恥ずかしくなった。
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「中庭特設ステージへお集まりの皆様、長らくお待たせいたしました!
私のクラスがNO.1!!PRコンテストここに開幕いたしますっ!!」
司会の間中君の声が中庭中に響き渡る。
ステージの裏にいても耳をつんざくような大きな拍手と歓声が聞こえる。
…一体どれだけの人が集まっているんだろう。
取り敢えず、知り合いにはあまり見られたくないなと思いながらも
青学の皆も立海の皆も、既に帰ったはずだし
氷帝のテニス部はまだ店番で忙しいはずだ。
フゥっと息を吐きながら、手のひらに人という文字を高速で書き殴る。
パクっとそれを飲み込み、頬をパチパチと叩いた。
「まずはこのコンテストの内容をご説明いたします。
御着席いただいている皆様、50名様には事前に番号を書くフリップをお渡ししております。」
「全てのクラスのPRが終了後、気になったクラスの番号を書いて投票していただきます!」
「即座に開票し、その場でコンテスト優勝クラスが決定いたします!
フリップを配られていない方、立ち見の方も是非一緒にコンテストを盛り上げて下さい!」
司会者の説明で初めてこのコンテストの詳細を知った。
…普通に投票制なんだ…。この出場者数で、50名にしか投票権がないという事は
1位になるには相当の票数をかき集めないと…。
……いや、でも、そうか。
これは元々「出店場所の不公平を解消するため」のイベントなんだから
とにかく皆にお店の内容を知ってもらうことが大事なんだ。
より多くの人に興味を持ってもらうのが目的…。
50人の投票者に対して、立ち見やその他のお客さんはざっと見た感じその5倍近くいる。
投票制度はほとんどオマケみたいなもので、最重要ポイントは
ここにいる人をどれだけ自分のクラスに誘導できるか…。
そう考えると、森地君達が考えてくれたこの地味すぎるPRは中々面白いかもしれない。
可愛いお花や、小道具を携えた周りの出場者の中で
1人色気もクソもない握力計を持った私。
改めてその握力計を見つめながら、うちのクラスはやっぱり面白いクラスだなぁ、としみじみ思った。
その頃、立海のメンバー
「おー、始まった始まった。でももうちょっと早く来てれば最前列に座れましたねー。」
「まぁ、ここからでも結構よく見えるぞ。」
「あー、ステージ見ながら食べるお菓子買えばよかった…。」
「しかし…本当にこれが"学園祭"か…。まるでライブじゃ。」
「楽しいね。本当にテーマパークに来たみたいだ。」
・
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「さぁ、お次はエントリーナンバー16番!2-A【たこ助】の看板娘!小井川さんでーす!」
全24クラスがランダム順で紹介されていく。
16番ということは、もう折り返し地点も過ぎている。
私の順番まであと少し。
前に並ぶ女の子たちが次々とステージに飛び出していく。
順番を待つ列が短くなっていくたびに心拍数があがっていく。
どうしよう、本気で吐きそう。
さ…さっきまではまだ大丈夫大丈夫と自分に暗示をかけることができたのに
段々とそれすらも難しくなってきた。普通に逃げ出したい。
そして、こんなことを考えている内にまた次のクラスが飛び出していった。
登場と同時に鳴り響く入場曲。
このクラスは最近流行りのアイドルソングだ。
にこやかにステージに出ていったのは、よく見ると1年生…。
すごい…、めちゃくちゃ堂々とPRしてる…!
舞台袖から見ていても、キラキラとしたその子の笑顔に
一瞬緊張が解れる。そして、「もうすぐ自分があの場所に立つ…」と考えた瞬間に
全身の穴という穴から汗が吹き出す気がした。
パチパチと大きな拍手が鳴り響く。
いつの間にか終わっていたPRタイム。
やり遂げた表情で、手を振りながら舞台袖へと戻ってきた1年生。
私の横を通り過ぎる時に、震えるような声で「緊張した…」と呟いた。
……あんなに堂々としてたこの子でも緊張してたんだ。
年下の女の子でも頑張れたんだ。
私に出来ないはずがない…うん、そうだ…!大丈夫…!
いくらなんでも、学園祭のステージで
あまりに他のクラスとテイストが違う人間が出てきたからって
空き缶投げられたりすることはないだろう…大丈夫、大丈夫…みんな優しい…ミンナトモダチ…
もう一度大きく深呼吸をする。
また1人、女の子が舞台袖に戻ってきた。
私の目の前にはもう誰もいない。
少し拍手が止んだと同時に間中君の声が聞こえた。
・
・
・
「さて…次は、なんと昨日の学園祭1日目で最優秀クラスの栄冠をもぎ取った大大大注目の3-Eが登場だ!
エントリーナンバー24番、 !」
ついにこの時が来てしまった…。
ギュっと握りしめすぎてちょっと皺になったスカートから手を離し、
目を閉じる。ふーっと最後に大きな深呼吸をした瞬間に
爆音の入場曲が鳴り響く。
内臓にクるタイプの重低音。
てっきり他の女の子たちの参加者と同じように可愛い感じの音楽で…
アリスのテーマソングみたいなファンシーでポップな曲が流れるのかと思ったのに…
なんでここでボン・ジョ○ィをチョイスしたのかな…。
森地君達の選曲センスに脱帽だよ。
プロレスの入場曲さながらのイカつすぎるテンションに思わず笑ってしまった。
もう一度だけ頬を叩いて、ステージへと小走りで向かうと
思った以上の圧迫感にやっぱり吐きそうになった。も…ものすごい人数だ……!
温かい拍手に包まれながらも、汗が吹き出して止まらなかった。
「さぁ、皆さん。彼女のクラスは見ての通り【アリスインワンダーランド】を模した喫茶店です。
でも、ただ可愛いアリスがたくさんいるだけの喫茶店ではございません!」
森地君達が言っていた通り、司会の間中君がどんどん話を進めてくれる。
何もせずに立っているだけ、と言われた私は言葉通り立っているのみ。
出来るだけ遠くを見て…人だと認識してはいけない…ここにいるのは皆、野菜…そう、野菜なんだ…。
「彼女はたくさんいるアリスの中でも頂点を誇るアリス!
何が頂点か?容姿でしょうか?いいえ、もちろんそうではありません!」
軽くディスられてることにも気づかず、ただ貼りつけたような笑顔で立ち尽くす私。
ふわっとした笑いが会場を包む。…と、とにかく早く終わってくれ…!
「それでは、お見せいたしましょう!さん、どうぞ!」
間中君に促されて、思い出したように舞台の前へと出る。
先程までの歓声がウソのように静まり返った。
私だけを見つめるたくさんの目に緊張するけど…とにかくインパクトを残さないと…!
後ろのポケットから取り出した握力系を取り出すと、
少し会場がザワついた。そりゃそうですよね。
フッと息を軽く吸って、思いっきり握りしめると
間中君が後ろから駆け寄ってきた。
「……ご覧ください、この握力!カメラさん寄って、寄って!」
客席の後方までよく見えるように設置された簡易ビッグモニター。
カメラ係の男の子が、握力系の数値を映し出すと
一瞬の間があって、会場からざわめきと悲鳴にも似た声が飛んだ。
「なっ、なんと53.8kg!!これは中年男性の平均握力を若干上回る記録です!」
間中君が嬉しくない表現方法で握力計の記録を叫ぶと
先程よりさらに大きな拍手と、悲鳴と、笑い声が響いた。
今、私の中の女子としての心の欠片が砕け散った気がする。
「もう予想がついている方もいらっしゃるでしょう!3-Eでは、数いるアリス達と
腕相撲対決が出来ます!勝ったらドリンクプレゼント!負けても可愛いアリスの手が握れる!
圧倒的な男子票を集めたモンスタークラス!その頂点に君臨する!フロム ヘェエエエルッッ!!」
今フロムヘルって言った…?
from hell…地獄からのアリス…全然可愛くない…
段々と下がる私のテンションに反比例して
会場のテンションはどんどん上がる。
間中君が上手く男性客を煽ってくれたおかげが、野太い歓声が響いた。
…で、でもまぁこれはかなりインパクトを残せた方だと思う!
なんとなく皆に笑われてる気がするけど、客寄せに笑いは必須だし…うん!
自分の任務を終えて、後は手を振りながら舞台袖へと帰るだけ。
内心ホっとしていると、急に口元にマイクが向けられた。
予定外の行動に「ひょっ」と変な声が出てしまう。
「それでは、最後にアリスから一言!お願いします!」
…しゃ、しゃべらなくていいって言ったのに…!
舞台の端にいるはずの森地君達に反射的に顔を向けると
しっかりと頷きながら親指を立てているだけだった。
よし、後でぶっ飛ばす。
私の言葉を待って、シンと静まる会場。
………何か…言わないと…。
焦りを見せないようにしながらも、頭の中はパニック状態だった。
とにかくここを切り抜けるために…渾身の一言を脳内の引き出しから引っ張り出した。
「武に生き 覇者となるに 一片の情けも無用!!
……男だろうが何だろうがかかってくるがよい!」
ほとんど錯乱状態で言い放った一言。
ここで世紀末覇者ラオウ様のセリフしか出てこないあたり
私は本当にこれでいいのかと自問自答しそうになったけれど
予想外に会場は大きな拍手と少しの笑いに包まれていた。
逃げるように舞台袖に戻ると、森地君や灰田さん達が待っていた。
「…なんでラオウのセリフかはわからないけど、雰囲気は正解だよ!さんに可愛さは必要ないからね!」
「ちゃん、良かったよー!お客さん皆いい感じに引いてた!」
「それ大丈夫かな?!え…や、やばかった?奇をてらいすぎた!?」
「いや、これでいいよ。文字通りインパクト路線としては成功だ。」
並木君がガッツポーズを作りながら、笑う。
…何か女の事しての自分の大事なものを失った気がしないでもないけど、
クラスの為になったのなら、もうなんでもいい…!
結局、コンテストの優勝には氷帝美女ランキング堂々第1位の染井さんが輝いた。
随分票は分散したようだけど、何票か私に入れてくれた人もいたようで少し嬉しい。
……これで、クラスが盛り上がればいいんだけどな。
数時間後に、お客さんで溢れ返るクラスを想像して
少し楽しくなってきた。……よし、午後からも頑張ろう!